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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第十二章 王都血戦
187/272

187.ユルキという剣士


 ユルキという名の戦士がいる。

 彼は鬼哭血戦十番勝負に出場するという幸運に恵まれたが、クスターという戦士に敗れ重傷を負った。

 腸にまで傷が刻まれ、最早これまでと観念していたユルキであったが、ギュルディが用意した治療担当魔術師であるリョータの驚くべき治癒術により五日ほどで完治してしまった。

 九死に一生を得たユルキであるが、怪我が治るまでの間、彼の道場の者であったり彼の後見をしてくれていた貴族であったりからの連絡は一切なかった。

 なので薄々感づいてはいたのだが、その日それを確認することにした。


「憂鬱だ」


 怪我が治った後で、まずは後見してくれていた貴族のもとに向かう。門前払いであった。

 その貴族の名で鬼哭血戦十番勝負に出場し、敗北したというのは家人全てが知っていることだ。なので門番からは憎悪に満ちた視線を向けられ、一応確認だけはしてくれたが、屋敷の誰一人ユルキに会おうとはしなかった。

 次に自身が師範代をしている道場へ向かう。

 こちらは一応屋敷には入れてもらえた。が、道場主からはこれでもかという勢いで叱責罵倒の雨霰。相手が師匠でなければその場でたたっ斬っててもおかしくないほどに愚弄され、今すぐ首を斬って死ねとまで言われた。

 こういった態度も、一応ユルキにも理解はできるのだ。クスターという男の道場に対し、以後師匠の道場は目下であると扱われるであろうし、貴族家もまた大きく面目を潰した。

 利益に直結する被害を被っているのだから、彼らの怒りもわからないでもないのだが、やはり理不尽な扱いだとも感じられる。

 ユルキは家庭を持っていない。基本的に道場で剣を鍛えて、これを活かして外で仕事をするというのがユルキの生活だ。外での仕事はここ数年は様々な場所で剣の師を務めることが多かった。


『この仕事も、もうこないだろうな』


 ユルキと似たような剣士生活を送っている者の中では、宵越しの金は持たないなんて者もよく見るが、ユルキは手にした金を捨てるように使う気もなく、かといってとりたてて使い道があるでもなく、といった感じで自然とそれなりに金は貯まっていた。

 道場で寝泊まりは、もうできまい。というか二度と敷居は跨がせてもらえないだろう。

 これまでの積み重ね全てが、消えてなくなった。

 剣の道に入り、必死に積み上げ道場での地位を確立し、貴族の庇護を受けられるまでに腕前を認められた。ここまでで、どれほどの時間と労力を費やしてきたか。

 これをまた一からやり直せと言われ、よしやるか、という気にはそうそうなれぬ。


『いっそ山にでも篭るか』


 煩わしい全ての事から逃げ出して、一心不乱にただただ剣を振り続けていたい。それだけをして生きていたい。

 つまるところ、ユルキも鬼哭血戦十番勝負に出てくるほどの、剣馬鹿なのである。

 そもそもからして、鬼哭血戦十番勝負に出た剣士は王都圏の上から二十人だと思われている。

 そして敗れ方もさほど見劣りするものではなかったユルキの剣士としての価値は、利害関係のある関係者と当人以外にとってはさほど損なわれてはいない。

 そういったことに気付きもせず一人で落ち込んでしまう辺りも、実に剣馬鹿らしいと言えよう。


 ユルキは肩を落としながら当面の宿であるギュルディの宿に向かう。

 これもギュルディ陣営で戦い怪我をした者としてギュルディが特別に許可を出してくれたもので、ギュルディの宿は本来ギュルディが認めた重要人物の安全確保のための宿だ。

 鬼哭血戦が終わった以上、ここの世話になり続けるのは道理が通らない。ただ今は、身の危険を感じる部分もあり、王都ではここ以外で寝泊まりするのは難しい。


『早々に身の振り方を決め、宿を出ねばならんな』


 ユルキ自身が恥を知っているのもあるが、現在の王都でギュルディの機嫌を損ねるような恐ろしい真似ができないのもある。剣馬鹿ではあっても、世俗を知らぬわけではないのだ。

 街路を歩きながら、手に持った荷袋を見下ろす。二十年以上世話になった道場を出て、今のユルキに残った物だ。一年ほど遊んで暮らせるだろうていどの金と礼服一揃い。王都の上から二十人、鬼哭血戦十番勝負に出た剣士としては涙が出てくるぐらい惨めなものだ。

 溜息をつき、ユルキはギュルディの宿に入った。






 昼間っから不貞寝していたユルキが目を覚ましたのは、聞こえた音がユルキの意識を覚醒させたからだ。

 ただの大きな音ではない。ユルキにとって警戒すべき音、硬い木材を破壊した音である。

 そして目を覚ましベッドから跳び起き剣を手に取ると、階下から怒声が聞こえてきた。


「嘘だろ? ここはギュルディ様の宿だぞ」


 状況の確認のため部屋から飛び出し階段を降りる。声の応酬が聞こえるのは正面入り口だ。もっと信じられない。ギュルディの宿に正面から乗り込んで揉め事を起こしている者がいるなぞと。

 だがその信じられない光景がユルキの前に広がっていた。

 問答をすらせず宿の入り口より乱入した三十人ほどの集団。その先頭には見るからに貴族然とした若者が立っている。


「貴様らがギュルディ様の威光を笠に着るのは勝手だがな、そんなものが真の貴族たる私に通用するとでも思っているのか?」


 ユルキはそんな彼の言い草に呆気にとられた。それは一階正面扉のすぐ前、開けた大きな部屋になっている場所に構えている五人の宿の戦士たちも同様である。

 その内の一人が、呆気にとられた顔のままで言う。


「……いえ、通用も何も、ここに手を出されてはギュルディ様が信を失います。我らももちろん、相手が何人であろうとも、とご指示を受けておりますが……」

「下郎が、誰が直答を許したか」


 このやたら尊大な貴族が何者なのか、当然この戦士は知っている。王都の貴族の顔を覚えておくのは、少なくともこの宿で交戦開始を命じられる立場の者ならば知っていてしかるべきことだ。

 そしてこの貴族の立場でギュルディの宿に手を出せば、それは彼にとってとてもとても大きな瑕疵となることも。

 だが、それでいてこうして突っ込んでくる者がこの世に存在しない、とも思っていない。世に馬鹿の種は尽きぬものなのだ。

 ただそうは言っても、穏便にお帰りいただければそれが一番だ。馬鹿の愚行は当人のみならず周囲の人間をすら傷つけずにはおれぬものだからこそ。

 立場の許す限りで彼はこの貴族を説得しようとしたし、付き従っている者にも注意を促すよう伝えたが、この貴族も含む全ての人員が、ギュルディの宿に仕掛けたところでどうとでもなる、と本気で思っているようで話にならなかった。

 どーするんだこれ、と呆れ顔のユルキの隣を、見知った顔が通り過ぎていく。


「まさか、あのていどのことで、なあ」


 涼太の声だ。そしてユルキもまた、あの尊大な貴族のことを知っている。アレは鬼哭血戦の時、選手控室に入ろうとしたルンダール侯爵派閥の貴族の一人であった。

 あれはてっきり、部屋のすぐ外でそういう圧力をかけることで戦いを前にした選手の精神を乱す目的であったとユルキは考えていたのだが、あの貴族はどうも本気で控室に入れると思っていたようだ。

 ユルキは少し焦った様子で涼太に言う。


「待てリョータ、あの方に貴族としてのまともな判断は望めん。お前の顔を見れば即座に兵を動かしかねんぞ」

「とはいえギュルディの宿で揉め事ってのもな。ただでさえギュルディには面倒も迷惑もかけっぱなしなんだ、これ以上無理はさせたくない」


 涼太の現在の立場を考えれば、ギュルディにとってはどれだけ迷惑をかけられてでもその安全を確保することがより優先されるのだが、そこまで事情を知らぬユルキは当たり前に、涼太がギュルディに迷惑をかけることを避ける気持ちが理解できた。

 ギュルディの宿の権威を傷つけるような真似は、当然味方側である者たちからも配慮して避けるべきことである。

 苦々しい顔でユルキは問う。


「……ナギもアキホも、いないのか」

「コンラードも他も全員留守だ。俺一人しかいないし俺一人で対処するよ」

「ぐぐぐぐぐぐ、それは、認められん。くそっ、だがな、あそこにいるクスターは知っての通り、鬼哭血戦で私を斬った戦士だ。私が手助けしたとしても、アレを一人押さえるのが精一杯だぞ」


 目を丸くして涼太。


「アンタも混ざる気か? そこまでの義理はないだろう」

「馬鹿を言うな。千切れた腸を繋いでもらっておいて、命の借りが無いなぞと言えるわけがなかろう。お前がやるのなら、私もやる」


 そうかい、と苦笑する涼太。


「なら、なんとかなるか。前に立って、壁してくれてればいい。後は俺がやるよ」

「お前が優れた魔術師であることは認める。だがあそこにいるのはクスターとその同門たちだ。誰一人、侮ってよい戦士はおらんぞ」

「なめちゃいないさ、もちろん俺も全力でいく。アンタが本気で腹をくくってくれてんなら、絶対に勝てるから心配すんな」

「えいくそ、そんなあっさりと私を信用するんじゃない。ああ、もう、本当に危なくなったら全てをさておき逃げてくれよ。私の命より、お前のそれを優先してくれねば私が意地を張る意味がないんだからな」


 これから死地に入る、なんて到底思えぬ晴れやかな笑みで涼太は答えた。


「ああ、それがアンタの望みだってんならそうさせてもらうよ」


 しかし、と涼太は思う。


『俺も、ギュルディも、かんっぜんにこれは見落としてたな。ギュルディにはどうもこっちに言ってない思惑があるみたいだが、それにしたってギュルディの宿に正面から突っ込んでくる馬鹿がいるのは想定外だろ。コイツらが宿の戦士とぶつかったらどうなるか……ははっ、それを判断できる人間もいないんだもんなー。ここは用心して俺が出るっきゃねー』


 凪と秋穂がリネスタードのギュルディの宿でそうしたように、涼太もまたギュルディの宿の戦士が多数損失するような事態を、受け入れることはできないのである。






 涼太とユルキの会話を、ギュルディの宿の戦士も聞いていた。

 当然涼太が前に出ることに彼は難色を示したが、俺の意向を優先するように言われてるだろ、と言われれば彼にも返す言葉はない。

 若いとはいえあの凪と秋穂を従え、ギュルディとも対等の立場を維持している人物の判断に、口を挟むのは容易なことではなかろうて。

 ただそういった機微は、とりあえず乗り込んできた貴族には全く通用しないようだ。


「ようやく出てきたか。ははっ、護衛はたったの一人か、惨めなものよな。さあまずはそこに跪け」


 そんな貴族に傍の戦士が耳打ちすると、彼は少し驚いた顔をした後で、今度は大口を開けて笑い出した。


「はっ! ははははは! 何を連れてきたかと思えばよりにもよってクスターに敗れた負け犬を引っ張ってきたか! それで、はははっ! どうにかできるつもりだったか? 鬼哭血戦十番勝負に出た戦士ならばどうとでもなると? はーっはっはっはっはっは! 愚か、愚か、愚かよのう!」


 涼太の前に構えるユルキの悲壮な表情が、何よりも雄弁に貴族の優位を語ってくれているようで。

 貴族は笑いながら一つ手を振る。やってしまえ、という意味だが、そんな貴族に対しまっすぐな視線を向けるのは、誰あろう戦士クスターである。

 主に物を言うのは不敬であるが故にこそ、こうして態度で意思を示す。本来そこまでするほど身分に差などないのだが、この手の度を越した遜り方を貴族はとても好んでいる。

 にやりと笑い、答えてやる。


「よかろうクスター。そこの物覚えの悪い負け犬に、ほんの少し前の出来事を思い出させてやれ」


 これによりクスターにユルキとの一騎打ちの許可が出たのである。

 涼太はとりあえず宿の外でやるつもりだったのだが、どうも宿のこの部屋でやりあうことになりそうだ。それを不満にも思ったが、あまり口出しできる空気でもなさそうなので今は黙っておくことにした。

 確認すべきは一点のみ。

 ぼそぼそとした声でユルキに問う。


「悪いが、一騎打ちだろうと何だろうと、アンタが死ぬのは許容できない。俺が必要だと判断したら口も手も魔術も出すからそのつもりでな」

「その余裕の理由を、後で絶対に教えてくれよ。もし、クスターを斬れたのなら俺は命を賭して奥の馬鹿も斬るぞ、いいな」


 この状況下で、ユルキはそれでも勝ち筋を見定めていた。それも、涼太の力を借りぬ形で、だ。

 これまでは剣好きの兄ちゃんといった印象しかなかったのだが、ここ一番でのやりとりで、随分と深くまでユルキを知れたと思えた。


「俺が、アンタを簡単には殺らせないけどな。それでよきゃ好きにしろよ」

「……だからそれは私の台詞だというに」


 直前に敗北した相手だというのに、ユルキは怖じることなく剣を抜く。屋内だろうと何処だろうと、やるとなればやるのが剣士だ。実戦派のランドスカープの剣士は皆、そう教えられ育ってきている。ユルキにも、クスターにも、一々場所を変えるなんて発想はない。

 涼太は対戦相手であるクスターをじっと観察する。

 こちらは貴族のような馬鹿ではないようだ。ユルキに対し侮るような態度はとっておらず、剣に詳しくない涼太の目から見てもそれとわかるほどに張り詰めた空気を作り出している。

 剣にての一騎打ちにて絶対はありえぬ。だが、その上で、必勝を期して剣を抜く。

 戦うために最も理想的な精神を維持するために、矛盾如きは当たり前に飲み込み噛み砕く強烈無比な意思の力を持つ。

 それはクスターのみならず、ユルキもまたそうできる。それが、鬼哭血戦十番勝負に出てくる剣士なのである。


「二度目の幸運はないぞユルキ」

「私はリョータを守ると決めた。何が何でもな」


 一言づつ告げ合った後で、両者は激突する。


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― 新着の感想 ―
[一言] この作品、敵も味方も良いキャラが多すぎるんですよね。 だから、たまにこんなクズを見ると安心してしまいますw
[良い点] 涼太から何がでてくるのか楽しみ まだ回復と遠見遠目しか見せてないよね
[良い点] 戦士ユルキのような、まともな感覚の現地世界の人が頑張るお話、とてもわくわくします。死んだりせず、ギュルディに拾われて強く生きて行って欲しい。 [気になる点] え、リョータは自衛もあやしいと…
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