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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第十二章 王都血戦
185/272

185.ベルガメント侯爵暗殺事件(前編)


 シェルヴェン領軍千人長オーヴェ。

 知る人ぞ知る戦上手で、数多の武勲を持つ王都圏でも屈指の将軍だ。

 だが彼には、運が悪い、という当人にもどうしようもない欠点があった。

 ここ最近での不運は、サーレヨック砦を攻めた時だ。

 オーヴェ千人長のもとには必勝の策を携えた援軍がおり、直接配下ではないこの策をもたらした者を重用するだけの度量をオーヴェ千人長が持ち合わせていたことから、砦占領はほぼ既定路線と言っていいほどであった。

 だがこれを、理外の展開により覆されてしまった。

 サーレヨック砦を守るドルトレヒトに雇われた軍に、直前にドルトレヒト軍に壊滅的打撃を与えたはずの化け物二人が参陣したのである。

 そんな意味の分からない展開のせいで、オーヴェ千人長は用意した策を潰され、正面攻撃も防がれ、と踏んだり蹴ったりであった。

 また、その力量に嫉妬した味方の将軍に指揮権を奪われ、続くサーレヨック平野での野戦ではボロースのミーメによる理不尽極まりない攻撃力を叩き込まれ敗走するハメに。

 さらにさらに、敗走の最中、配下が何故かどうしてかどういうわけか同行していた化け物二人に対し暗殺を仕掛けてしまい、危うく部隊が全滅しかけるような目に遭う。

 敗戦の責をその味方の将軍に押し付けることができた、と見ることもできるが、そもそもオーヴェ千人長が全ての軍を把握していれば、あそこまでの敗戦はありえなかっただろう。相手がミーメ率いるボロース軍であったとしても。

 とはいえオーヴェ千人長は、それでも戦上手と呼ばれているのだ。

 凪と秋穂という考え得る最悪の敵が突如現れたというのに、サーレヨック砦の攻防戦ではこの二人が最も得意とする野戦、もしくは林中でのゲリラ戦をほぼ許さず。

 砦に押し込めた状態で戦い続けることに成功しており、凪には即死すらありうるほどの危険な行為を強要している。

 そしてボロース軍との戦いでは、ほぼ全軍が崩れている中、孤軍奮闘し全軍の撤退を助けるばかりかあろうことか敵軍の総大将ミーメを討ち取るというありえぬ武勲まであげている。

 またその後の配下の暴走で、凪、秋穂両名を狙ってしまった時も、決定権を持つ涼太と秋穂が共にオーヴェ千人長への警戒心を持つ中、凪の信頼を勝ち得ていたオーヴェ千人長は(それが真実ではあるが)千人長が指示したことではない、と凪に信じてもらえたおかげで、襲撃を直接指揮した二人の損失で事を収めることができたのだ。

 これらは運が良くそうなったのではない。オーヴェ千人長がそうできるよう人を揃え、装備を整え、訓練していたおかげである。オーヴェ千人長という人間が普段より積み重ねてきた言動が、凪の信用を得るに足るものであったおかげである。

 彼は確かに運が悪いが、その上でも、彼の戦上手としての評価は微動だにしない。そういう人間である。

 ではあるのだが、やはり運が悪いというのもまたオーヴェ千人長の特性であり、それが、またしてもここで彼に致命的な状況をもたらすのである。


 ベルガメント侯爵の屋敷に招かれたオーヴェ千人長は、戦に出る時よりよほど緊張してしまっていた。

 別段オーヴェ千人長がベルガメント侯爵に対し何か交渉をしろ、という話ではなく、世間話をし、侯爵の問いに答え、ほんの一時間ほど共に過ごせばいい、それだけだ。

 そういったものが重要であるのだ、社交の場においては。これをすることでオーヴェ千人長はこの派閥の中で強い立場を得ることができ、彼の主もまた同様である。

 たった一時間だ。それが終われば屋敷を出て、恐らくは二度とベルガメント侯爵の屋敷に招かれるなんて栄誉はないだろう。

 ベルガメント侯爵はこの日、オーヴェ千人長以外にも会見の予定があり、全部で六人の貴族と会うことになっている。オーヴェ千人長はその中の一人にすぎない。

 その一人が、その一時間が、偶々、ベルガメント侯爵暗殺決行の時間と重なってしまった、とそういうわけである。




 その日、ベルガメント侯爵の屋敷には五十人弱の人間がいた。

 ほぼ全員がベルガメント侯爵の郎党であり、一族はいない。侯爵家の一族はそれぞれに役目を持っており、王都の別宅や王城で勤務しているし、嫡男含む一家は侯爵の領地で暮らしている。

 郎党以外では、侯爵が会談している部屋の窓際に立っている月光イラリと、今月の収支予測を持ってきた商人が一人いるだけだ。

 侯爵は屋敷一階の応接室にて、オーヴェ千人長との会談中。高位貴族との応対にあまり慣れていないオーヴェ千人長に、ベルガメント侯爵は内心で苦笑している、そんな穏やかな会談である。

 侯爵のすぐ傍には腕利きの戦士が護衛としてついており、イラリは何故か一般的な護衛のあり方とは違う位置である窓際に立っている。

 その理由は、幸か不幸かすぐにわかることとなる。

 イラリが、すいっと立ち位置を変える。

 窓の前を通り、そして侯爵の傍に立つ。会談の真っ最中に、当主の許しも得ずに話の間に割り込んできたのだ。護衛に立つ戦士が、それを止める暇すらなかった。


「全員、表情を変えずに聞いてください。窓から見える視界内に、隠密に長けた者が三十ほど潜入しました。窓は閉めません。こちらが気付いたと知られるのを防ぐためです。声も控えめでお願いします」


 護衛の戦士が問う。


「邸内の兵を集めるか?」

「いえ、兵だけではなく全員を。その動きで気付かれるのがよろしいかと」


 護衛の戦士は承諾を得るべく侯爵に目を向けると、彼は黙って頷く。護衛の戦士はすぐに部屋を出ていった。

 彼が出るとイラリは侯爵に問う。


「窓から見える範囲で三十です。本気で侯爵閣下を仕留める気であるのなら、残る三方にも兵を回しているでしょう。閣下には、その状況で誰が敵であるか、思い当たるフシはございますか?」


 何かの間違いでは、と問いたいのを堪え、侯爵は思考を巡らせる。


「今この時、私を狙えるのなぞギュルディかルンダール侯爵以外おらん。……だが、三十以上だと? それでは……」

「恐らく、百を超える数を動員しているかと。そうでもなくば確実に侯爵は仕留められません。襲撃は精鋭五十で、残る五十は包囲し脱出を防ぐ目的で配備します。これで、ほぼ詰みです」


 イラリの話を聞きながら思考を進めていくと、侯爵は自らの絶望的な失策に気付き、青ざめた顔で机に両手をつく。


「馬鹿、な。今、ここで、ルンダール侯爵が……それはつまりギュルディも……ああ、なんという愚か者だ。足りぬ金はギュルディが出せばよい。そんな単純なことに、どうして気付けなんだか」


 ルンダール侯爵がそうであったようにベルガメント侯爵もまた、ルンダール侯爵を共にランドスカープを支える柱石の一つであると認めていたのだ。

 お互い勢力争いはすれど、どちらかが滅びるようなことはお互いに望んではいない、と信じていたのだ。どちらが失われてもランドスカープという国全体が弱体化を免れえぬからこそ、そんな真似はしないと、長年の付き合いでそう信じてしまっていたのだ。

 ここでベルガメント侯爵を殺すような真似をすれば、国を真っ二つに割る大戦となろう。

 その戦いを優位に進めるべく王都の敵対貴族を片っ端から始末しておく。そこまでしても戦は起こるし、決してルンダール侯爵陣営が一方的に有利ということにもならない。

 王都住みの貴族が失われたとて親族はそれぞれの領地にいるのだから、これが黙っているなどありえない。

 だからこそ、ルンダール侯爵やギュルディがそうしているように、隙を縫うような、誰がどう殺したかがわからぬような少数による暗殺のみを警戒していたのだ。

 だが、両者のそうした備えすら、ベルガメント侯爵を欺く手でしかなかった。

 そしてルンダール侯爵が本気で暗殺者たちを動員したならば、どう足掻いても今のベルガメント侯爵の備えでは防ぎようがない。ルンダール侯爵が金の問題を度外視して集めた精鋭たちは、イラリやランヴァルトをもってすら個人で対抗するのは不可能であろう。

 絶望し、机に手を突いたまま身動きの取れぬベルガメント侯爵。だが、イラリはまるで水を得た魚のように精彩に満ちた動きを見せる。


「執事殿、集まってくる屋敷の者たちには家具を使って廊下に壁を作らせてください。後は二階で執務中のオルバン執事をこの部屋に、それと、下女の一人が赤子を連れてきていたはずです、その下女と赤子を共にこの部屋に。以上の三人は極めて重要な役目がありますので、必ずこの部屋に集めてください」


 同席していた執事も咄嗟にどう動いていいかわからなかったのだが、イラリが迷いなく言葉を続けると、彼も侯爵の了承を得た上でこの指示に従う。

 移動途中、どうしてイラリが下女が赤子を連れてきたことまで知っているのだろう、と首をかしげてはいたが。

 イラリは再度侯爵に向き直る。


「閣下。できうる限りの手は打ちます。ですが、現状はどうしようもないほどに絶望的です。ですので、最優先である閣下のみの脱出を前提に策を用意いたします」

「……そう、か。そうなるな」


 ベルガメント侯爵の失策のせいでこうなったのだ。そのせいで、屋敷の郎党たち全てを見捨てなければならない。これを心苦しいと思うていどの人間性は侯爵も保持している。それを表に出さずにすむ自制心も持ち合わせているが。

 こうして屋敷の人間がばたばたと動いている中、ベルガメント侯爵の対面に座っているオーヴェ千人長は、忙しない動きの中から一人取り残されていた。


『さーて、どーしたものかのー』


 オーヴェ千人長にも理解できている。はっきり言って、もうどうにもならない。巻き込まれてしまった不運を嘆き、死を迎え入れるしかない。主よりの、絶対に死ぬような目には遭うな、という命は達成不能となった。

 にもかかわらずオーヴェ千人長はとりたてて焦った様子もなく、集まってきている人間の一人の中で、まだどう動いていいかわかっていない使用人の一人に声を掛ける。


「これ、そこの者。聞きたいことがあるんだが、良いか?」


 そう言ってこの屋敷の内装と屋敷の周囲の図を、水差しからこぼした水で床に描かせる。

 これをじっと見つめながら、時折使用人に質問し、ふんふん、と頷き屋敷の外、庭や隣の敷地に関する話を聞き、指先で十度床を叩いた後で、呟く。


「成った」


 立ち上がったオーヴェ千人長はベルガメント侯爵に言う。


「侯爵、もしよろしければ、私の考えた脱出案、聞いていただけませぬか?」


 侯爵だけでなく、どうすべきか必死に頭を捻っているイラリも、まだこの期に及んで戦士たちによる迎撃で乗り切れると思っている護衛も、真っ青な顔で走り回っている従者たちも、皆が一斉にオーヴェ千人長に目を向けた。






 敵の配置予測から始まり、その襲撃の段取り、如何に侯爵を確実に仕留めるかの予想を淡々と告げたオーヴェ千人長。

 そこからこれらの攻撃への対策と、如何に敵の目を掻い潜るかの策略を順番に説明していく。

 その様からは迷いはもちろん、勇む様子も見られず、ただ静かに、しかし確信に満ちた口調で言葉を紡いでいく。

 時に突拍子もない話も出ているのだが、オーヴェ千人長がコレを語るとそれはまるで確定した未来の姿であるかのように思えてくる。

 オーヴェ千人長の話は、軍事に長けた者はもちろん、その素養のない者ですら理解できるようにしたものであり、知能が高ければ高いほどにオーヴェ千人長の策の緻密さを察することができるようなもので。

 最後にオーヴェ千人長はまとめる。


「……以上。可能な限りベルガメント侯爵の生存確率を上げた策を考えてみたのですが、如何なものでしょう?」


 それは当たり前のように屋敷の住人全てを犠牲にする策だ。オーヴェ千人長が述べた幾つかの小細工の中には、イラリがそのつもりで用意させていた策も含まれている。

 だがイラリにもここまでの策は用意できなかった。護衛の者たちも、己が置かれた立場をオーヴェ千人長の話により理解すると、やはりコレ以上の策は思いつけなかった。

 状況を理解している者は皆わかっているのだ。ルンダール侯爵がベルガメント侯爵を暗殺すべく仕掛けてきたのなら、絶対にこれを逃すような失策は期待できないと。

 だがそんな絶対の窮地にあることがわかっても、その上でオーヴェ千人長の策ならばベルガメント侯爵の生存を期待できる、それを聞いた誰しもが理解できた。

 オーヴェ千人長の言葉に、答えることができる者はこの場でただ一人。

 ベルガメント侯爵はゆっくりと皆を見回し、問う。


「頼めるか? お前たち」


 この一言で全員が覚悟を決めた。

 皆を代表して執事長が承諾を告げると、侯爵はオーヴェ千人長に言う。


「この場の指揮を委ねる。……私一人脱出したとて、その後が続かぬ。これへの対策はあるか?」


 侯爵もこの問いをオーヴェ千人長に問わねばならぬのは忸怩たるものがあるのだが、これに確実に正答を出せると今侯爵が確信できるのはオーヴェ千人長以外にいない。

 だが、もう一人、いてくれた。

 イラリが横から口を挟む。


「新参である私と、部外者であるオーヴェ将軍、この二人が適任かと」


 コレをオーヴェ千人長が口にするのも角が立つが、イラリがそうするのもやはり問題はあろう。だがオーヴェ千人長が言うよりはマシだ。イラリは立場的には侯爵の配下になるのだから。

 イラリが最初に呼んだオルバン執事は、この屋敷で最も背格好がベルガメント侯爵に似ている者だ。

 彼を身代わりに侯爵を逃がすというのが今作戦の骨子である。故に、長年仕えた信頼できる郎党を逃走に付き合わせるわけにはいかない。彼らは、この偽物の侯爵を守って必死に戦い玉砕せねばならない。

 今この屋敷で、イラリとオーヴェ千人長の二人のみが、侯爵を見捨てて逃亡する可能性のある人間なのだ。

 ベルガメント侯爵家の郎党、それも侯爵が執務を行なうにあたって同じ建物にいることを許されるほど信頼を得ている者が、侯爵を置いて逃げるなぞありえぬ話であるのだ。

 護衛の戦士長が、数多の感情を飲み込み言い添える。


「正に、その二人しかおりますまい。イラリ、オーヴェ将軍、お願いできますかな」

「お任せを」

「承った」


 侯爵が頷くと、護衛の戦士長はオーヴェ千人長の立てた策に従って全員に指示を出していく。

 ベルガメント侯爵郎党たちが、全員自らの死をも飲み込む覚悟を持っているわけではない。だが、郎党という生き方がそういうものだと教わり続けてきた彼らは、いざそういった場面に出くわしたならば、それこそが正しい選択であると考える。

 恐れ怯え震えあがりながら、自身の忍耐の限界まで、そうあり続けるのだ。


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[一言] 確定した盤面を知力で覆す。 今までは暴力だったから、ある意味新鮮ですw
[良い点] ダンプカーだかロードローラーだかの進路上で、必死こいて巣を造ってる蟻んこ達に見えてきた。 [気になる点] 時と場合によるっちゅうのは分かるんやが、未だにこの世界での「逸脱した個人」と「集」…
[良い点] 次回投稿2/25に感謝です! [一言] 千人長の豪運たるや
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