177.閑話と誰も得をしない話
リネスタードのダイン魔術工房に滞在中のエルフ、イングは部屋の中央でうつ伏せに突っ伏して倒れているスキールニルを見下ろしている。
うつ伏せになっているスキールニルは、より具体的には高橋留美子的に空でもすっとんでいきそうな格好をしている。
周囲にはたくさんの本が散らばっており、普段几帳面なスキールニルらしからぬ有様となっている。その寝相含めて。
イングはうつ伏せになりながら横を向いているスキールニルの顔を覗き込む。
「うわー、こんな幸せそうな顔のスキールニル見るの何百年ぶりだろ」
夢の中でも研究をしているのか、はたまた本の続きを読んでいるのか。
それも無理はない、とイングも思う。
「ここ一月ほど、ほんっとに面白い日々だったからねー」
あまりに既存の技術体系と違い過ぎた様々な技術たちの出所を、当然イングもスキールニルも訝しがった。
これに対し、数日間ほどリネスタード上層部で話し合いがあった後で、エルフ二人にもこの情報を開示することになった。つまり、タクミやシズクは異世界より来た人間であると。
この情報を共有しているのはリネスタードでも極一部であり、ほとんどの者は「イセカイ」国という遠い国から来たという話で納得している。
加須高校生たちの情報秘匿能力には著しく問題があるため、彼らがやらかしても上手く誤魔化せるようなカバーストーリーが作られたというわけだ。
基本的には、加須高校生が接する人間を制限することでこれを守る形である。そしてそんな制限があることを、大半の加須高校生は知らない。
そうやって守っている情報を、エルフ二人に開示することには当然抵抗もあったのだが、イングとスキールニルの二人が疑問を持った時点で最早手遅れであり、この二人が本気で情報を得ようと動いたならどうやっても防ぐ手立てはない、とダイン魔術工房交渉担当は言うわけだ。
そんな疑問を持たせた当人であるダイン魔術工房がそう言って情報開示をリネスタード合議会に迫るわけだから、言われた方はまるで納得がいかないのであるが、今リネスタードにはダイン魔術工房を押さえられる人員がほとんどおらず(こうした政治的なことに首を突っ込むことが滅多にない連中であるが故にこそ、この方面が一時的に手薄になってしまっていた)結局合議会は押し切られてしまった。
そして、エルフ二人も加須高校校舎にあった書籍を翻訳したものを、読む権利を得たのである。
魔術がなく、しかし大いに発展した科学技術のある世界。そんな世界の書籍たちを、貪るようにスキールニルは読んでいる。無論、研究にも顔を出すし、議論をするとなればスキールニルも呼ばなければ本気で怒る。
時間が足りない。眠るのが惜しい。もっと次を、早く先に。夢のような時間が続いているスキールニルであった。
「それに、私とスキールニルがこれだけ張り付きになって学んでいるっていうのに、まだまだ終わりなんて全然見えないんだから、ほんっとにサイコーだよねココ」
イングは眠るスキールニルの肩をゆすって起こしてやる。これからまた面白い実験を見せてくれるというのだから、これを見逃すわけにはいかないのだ。
「ほら、スキールニル。前に言ってたタキオンランスの実験、もうすぐ始まるよ」
寝ぼけ眼であったスキールニルの目が、イングの言葉で一発で覚めた。
加須高校校舎改め、機動要塞カゾの屋上には、最初に起動した時にはついていない装備が置かれている。
天に向けてまっすぐ聳え立つ鉄の塔である。
塔、というよりは煙突に近い。人の背の数倍はある長さの細い鉄の円柱が、屋上に立っているのだ。
今回の実験には、魔術師ダインが同席している。
「さて、ではようやくコレが飾りではないと証明してやれるな」
イングは横目にダインを見る。
「私はまだ懐疑的かなー。その鉄の筒、本当に大丈夫なの? 今なら吹っ飛んでも私が守ってあげられるけどさー」
「計算上はな。そもそも、出力が低すぎては意味がない、と言うて我らを煽ったのはお主であろうに」
「だからってこんなすぐにやらかすなんて思ってなかったしー」
「元々攻撃兵器への転用は予定にあったもので、砲塔の発注も終わっていた。お主らの協力で砲塔強化の術式がかなり良いものになったからの、これなら問題はあるまいて」
「鉱物での遮蔽率、まだまだ研究が足りてない部分も多いよー。ねえスキールニルもそう思うでしょ?」
「いえ、むしろイング様がいらっしゃるのですから、この手の実験は今の内にさっさと済ませておくべきでしょう。私はダインの判断を支持します」
「むむー、うらぎりものー」
三人でごちゃごちゃ言っているものの、実際の実験は他の者たちが主導して行なっているので、準備はすぐに整った。
新型魔導炉が出力を上げていく。
空に浮かべているわけではないが、そもそもこの新型魔導炉の出力がデカすぎるせいで、機動要塞カゾほどの質量が振動に揺れ始める。
ぼそりとイングが呟き、スキールニルが返す。
「これ、あんまりやりすぎるとカゾの耐久年数落ちそうだね」
「カゾの作り方はわかっているのですから、魔術を用いれば二号を作るのもそう難しくはないでしょう。作業量が膨大ですから、実際に作り上げるのに年単位の時間はかかるでしょうが、さすがにこのカゾならば数十年ぐらいはもつでしょう」
そんなことになったらリネスタードの石切り職人が首くくるよ、と笑うイング。この人、カゾの作り方真面目に聞いてなかったな、とこちらも苦笑するスキールニル。
そうこうしている間に、魔力に動きがあった。
ほんの一瞬、イングもスキールニルも天へと伸びる砲身を見て視線が鋭くなるも、直後、筒先より長大な光の柱が立ち上ると、目を細め、そして笑みを見せる。
「うん、お見事」
「見事、には幾分か足りていません。まあ、悪くはない結果ですが」
頭上に広がっていた雲は、貫いていった光の柱に散らされ真円が広がっていく形で消滅する。
角度のせいか見にくいが、伸びた光の柱は雲をすら容易く越え、更に彼方にまで伸びていった。
「飛距離の観測は、できませんね」
「少しぐらい上から見たていどじゃどーにもなんないだろーねー。エルフの森辺りから見れば、もっと上まで見えたかな?」
「横にして撃っては、マズイですねえ、流石に。海に向け海面に沿う形ならば……」
「スキールニル、聞いてなかったっけ? これ、武器転用を考えての実験だよ?」
「…………イング様、防げます?」
「うん。でも、私と、エルフの森と、ドヴェルグの洞窟ぐらいじゃないかな、完璧に防げそうなの。逸らすぐらいなら……それも工夫次第かー」
二人の会話の間、ダインはじっと砲塔を見つめるのみ。そして、ぼそりと呟く。
「すまんイング、もう少しかかるようなら頼めるか?」
「ん? え? もしかして、マズイ?」
「恐らく、新型魔導炉の出力、上がりすぎて落とせなくなっとる。で、放出量を増やすことで解決しようとして、砲塔がめげる」
あー、と天を仰ぐスキールニル。
「めげるとはまた慎ましい表現を。ダイン、放出量次第では屋上全て消し飛びますよ」
「屋上で済めば上々……っと、落ち着いたか。やはり元カゾコーコーの者は優秀じゃの。こんな複雑なシロモノ、よくもまあ見事に操ってみせるものよ」
「いやー、音と振動だけでそこまでわかるダインも大したもんだと思うけどねー。カゾコーコーの子たちは、この手の大型道具を使わせたら地上一じゃないかな」
「ふふっ、スヴァルトアールヴの連中と競わせてみたいですね」
「ドヴェルグ! せっかく連中に相応しい名前つけたんだから、スキールニルもそー呼んでっ。でも、人間にボロ負けするドヴェルグは是非見たい。顔中赤黒く染めて湯気吹いてるところ想像するだけで爽快な気分になるね」
「品がないから嫌です。そういえばダイン、このタキオンランスにはまた愉快な名前の由来はないんですか?」
「ああ、これはそのまんま、光の槍って意味らしいぞ」
「槍、ですか。なるほど、光の槍とは、なかなかに言い得て妙というもので。で、コレ、使い物になるんですか?」
既に光を放つこともなくなった砲塔は半ばから溶け落ち、屋上の床が砲塔の台座を中心に沈み込んでしまっている。
その状態でもまだ砲塔の熱は逃げきっていないようで、砲塔はぐずぐずと音を立てて溶け続けている最中だ。
ダインはお手上げだ、と両手を上げる。
「一発撃つ毎に砲塔と台座を壊していては到底ワリに合わん。このザマでは狙いなぞ定められんし、コレの狙いが逸れてしまえば下手すりゃ山すら削りかねん。そんなもんおっかなくって運用できるかっ」
他にも光線変換装置の不具合など、問題点を次から次へと列挙していくダインは、不機嫌そうではあるがやたら早口であったり聞く相手のことなんか欠片も考えず自分の思考のみに集中しているあたり、こうした失敗から何かを見出さんとする作業も嫌いではないのだろう。
もちろんスキールニルもこういう作業は大好きだ。すぐにダインと一緒になってああでもないこうでもないと語り出す。
二人を見ながら、イングは呆れるやら感心するやら、といった微妙な顔をしていた。
『どー考えても人間には不相応な出力の魔核を動力に使ったと思ったら、研究も安全確認作業もそこそこにこれを増幅して最大出力でぶちかます手段をすぐに考えだすんだもんなー。人間ってさー、絶対安全とか危険回避とかそーいう発想持ってないでしょー』
人類の平均値をリネスタードのイカレ魔術師たちに求めるのは、あまりにもあんまりな話であろうて。
高見雫はその実験が行なわれる話を聞いていたのでそちらを注視していると、もう馬鹿でもわかるぐらいはっきりとそれが見えた。
知らされていなかった者も、誰しもがそちらに目を向ける。天に向かって、まっすぐに光の柱が立ち上っているのだ。
雫のいる場所はカゾからはそれなりに離れた場所であったが、やはり雫の目にも光の柱に見えている。決して、光の線ではなかった。
『アイツらはいったいどこに行こうとしてるのよ』
そんな台詞を、ただただ進むことが楽しくて仕方がない連中に言ったところで意味はないということは、これまでの経験で雫もよく知っている。
最近はそれがどう楽しいのかを恋人からよく聞いているので、それなりにではあるが理解もできるようにはなってきた。
そして、雫が自身の執務室に戻ると、そこにもまた何処に行きたいのかがよくわからないのが一人。
「……というわけで! コイツを王都の研究者と語り合いたいんだ! 王都行きの許可をくれ!」
「アンタ、今王都がどーいう状態がわかってて言ってる?」
「さあ? ギュルディ様が行ってるんだろ? なら色々と配慮してくれそうだよな」
彼は加須高校生の一人だ。ついでに言うと、自分の興味のあることにしか熱心にならない類の、どうにもならん馬鹿である。
生命の危機にあった頃はそれでも自制はできていたのだが、昨今は加須高校生もそれなりに裕福な生活を送れるようになっており、そんな中で彼は自分の進むべき道を見つけてしまったのである。
「リネスタードには言語学者っていないんだよ。それでも王都にはそういう研究進めてる人がいるらしくてさ、論文も、ほら、写しをここに持ってきてあるんだ」
せめても生産性を上げるだの、利便性を上げるだのといった方向に動くのであれば趣味全開にも目はつぶる。だが、研究が形になったところで一銭にもならないようなモノに金は出せない。
「たとえばシィ、って言葉だ。これには日本語の死と同じ、死ぬって意味があって、こういう両言語の共通点を探っていくと、言葉の持つ音にも意味があるってわかる。だからこそ、ラをワと発音することもあるって部分が、単なる方言とはまた違った必然があるって思えてきて……」
一応、言いたいことは全て言わせてやるつもりではあったが、これ以後もこの調子で言語学もどきの解説が続くと思われたので、雫は即座に打ち切りを宣告する。
「うん、予算は出さないから、王都に行きたいんなら自力で勝手に行きなさい。もちろん、許可も出さないから、リネスタードから逃げた場合は追っ手を出すわ。逃げ切る自信ができたら、好きになさい」
男は、何故かとても驚いた顔をしていた。今の説明で、雫が納得し満足してくれると心底から考えていたのである。
「仕事外の時間に趣味でする分には文句は言わないから、仕事時間中はきちんと写本作業をしなさい。それをやるからこそ、貴方に給金が支払われているのよ」
「…………あれは、もう嫌だ。俺には向いていない。そもそも……」
趣味でする分には文句を言わない、というのは雫にとって最大限の譲歩だ。この世界において権力者である雫が命じたのならば、この男はソレを学ぶことすら許されなくなる。きっとそのことを男は一生かかっても理解することはできないだろう。
これ以上は完全に時間の無駄だ。雫は合図を送ると室内に衛兵が入ってきて、この男をつまみ出す。
雫は加須高校生のまとめ役ではあるが、馬鹿をなだめるのは決して雫の仕事ではない。少なくとも今はもう、そんなことに手間を割いてやるほど暇ではない。
自身の机の上にある書類を手にする雫。そこにはギュルディから要請のあった王都への物資人員運搬計画が書かれていた。
物資はさておき、必要人員がかなり多い。それも諜報員のみならず戦闘員にも召集がかかっている。
「向こう、そんなに状況悪いの?」
リネスタードで最も頼れる戦士コンラードに加え、極地災害指定してやりたくなるよーなのが二人、そして人の形をした死そのものがいて、それでも戦力不足ということだ。
現在、ボロースの経済圏はそちらはそちらで管理されるような形にまとまってきている。リネスタードは近隣の都市群を含めリネスタード経済圏として、リネスタード合議会が全てを差配する形だ。
ボロースの方はまとめきるのにまだ時間がかかるだろうが、リネスタードはリネスタード経済圏内でならば統制は取れている。
「もし、ギュルディさんが王都でコケても、どうにかは、なる」
長期的視点で見るのであればそれは致命的なことかもしれないが、雫が見えるていどの未来までならばどうにかできる。
基本的にリネスタードもボロースも、ギュルディ直轄の領地だ。代官なんて立場の者もいるが、それはあくまで補佐的な立場でしかなく、王が領主に与えるような自治権に似た権限はない。
だが、そのていどの権限でも、リネスタードをギュルディの手を煩わせずに運用するぐらいはできる。きっと、それをギュルディは期待しているのだろう。
「期待に応えられなければ……考えるまでもないか」
罷免されて終わりだ。せめても降格程度で済ませてはくれるだろう。
それは、悔しい。
雫に野心なんてものはないが、自身が認めている優れた相手に己の能力を認めてもらいたい、と思うのは人間ならば当たり前の感情だろう。
そして雫が合議会議員であり続ける限り、リネスタード内での加須高校生の立場はそうそう脅かされることはないだろう。
うしっ、と気合を入れ直す。
「橘のあのたのしそーな笑顔は、私が絶対に守ってみせるからね」
それはつまり、あのダイン魔術工房の魔術師たち全員を守ることにも繋がってしまうのだが、雫はそこのところは都合よく目をつぶることにしている。
ギュルディと涼太は貴族同士の会合に出向いている。
護衛にシーラを付けるのが今の不穏当な王都情勢には相応しいのだろうが、シーラを護衛につけて出向いた場合、出迎えた方がそれを極端な意味に受け取る可能性があり、また当然ではあるが心底嫌がるのもわかっているので、同行できない場合も多い。
そして現在特にやることのない凪と秋穂とコンラードがこれに加わり、四人で一緒に食事を取ることが多くなっている。
この面々だと、何かにつけて凪と秋穂がシーラをからかうのが最近の流れだ。
だがいいかげんそれも鬱陶しくなってきたシーラが、今日は別の方向に話を振る。
「もー、私の話なんてもー何度もしたでしょー。次はほら、コンラードとかの話にしなよ」
いきなり話を振られて、コンラードは綺麗に整え切られている肉からフォークを離す。
「俺?」
「そうだよ。コンラードのそういう浮いた話ってあんまり聞かないでしょ」
「そりゃ話してねえからな」
「だーかーら、コンラードが話すのっ」
露骨に話を逸らしにかかっているわけだが、凪も秋穂もコンラードの恋話にはそれなりに興味があるので、どちらもが視線で、ほれ話してみい、と話を促す。
コンラードはこめかみを押さえながら、しばし本気で考え込む。
ちらと凪と秋穂を見て、再び考え込んだ後、えいくそ、と顔を上げる。
「いや、わかった。やっぱりこれはお前らも聞いておくべきだ。おい、ナギ、アキホ。そういうことだから、恨む相手を間違えてくれるなよ」
コンラードがここで何故凪と秋穂に話を振ったのかわからぬ二人は首をかしげるが、コンラードは構わず話を始める。
それはまだコンラードが若い頃の話であった。
コンラードには子供の頃から仲の良い仲間がたくさんいた。
そんな連中の中でも、女で特に仲が良かったのが二人だ。どちらも気立ての良い娘で、コンラードのみならずたくさんの人に好かれる娘たちだった。
子供の頃からずっと仲良しで、だが当然、思春期に入ればなかなかにそうであり続けるのも難しくなってくる。
コンラードの周辺でも色だの恋だのといった話に浮かれる者が出てくる中、その娘二人も恋をした。相手はどちらも、コンラードであった。
コンラードは、この二人の娘がコンラードと仲が良く、またこの娘同士でも仲が良いのが心地よく思えていた。
だが、二人の娘のアプローチに対し誤魔化しが利かなくなってくると、コンラードも決断を迫られる。
この頃から行動力もあったコンラードは、決断を下すやすぐに行動した。
二人の娘を街に置いて、コンラードは別の街に出ていってしまったのだ。
「「「えー!」」」
凪と秋穂とシーラの抗議を聞き流しコンラードは話を続ける。
「どちらかを選べば、二人の間には優劣がつく。どっちも相手を見下すような娘じゃないが、それでも心のどっかにはそういう意識が残っちまう。今後も、ずーっと友達として付き合っていく二人の、邪魔はしたくなかったんだよ」
そしてコンラードとも。距離を空けて時間を置けば、自然と心も落ち着いていくものだ。
実際に二人の娘は数年後にそれぞれ似合いの相手を見つけて結婚し、仲の良い友達のままでいる。
そこから更に数年してからコンラードは街に戻ったが、その頃にはもうこの恋話は思い出になっている。コンラードも、その娘二人と、更にはその旦那たちとも仲良く付き合えている。正にコンラードが考える最高の形に落ち着いたのだ。
そして、やはり不満気な凪と秋穂とシーラに対し、コンラードはここからが本番だと話を続ける。
「この話をな。リネスタードにいた頃、リョータの奴と酒飲みながら話したんだよ。そん時、リョータがどんな反応したと思う?」
涼太は即座に断言した。コンラードもその娘二人のどちらかが好きだったんだろう、と。
コンラードが二人を好きでないのなら、街を出ずとも距離を置くことは可能だったはずだ。
コンラードがわざわざ街を出て何年も絶対に会えないようにした理由は、未練から声をかけてしまうようなことがないようにだ、と言ったのだ。
「勘の良い奴だとは思ってたけどな、まさかこれだけの話で見抜かれるとは思わなかったよ。でもな、リョータはお前らみたいな顔はしてなかったぞ」
その話をした後で涼太は、とても嬉しそうにコンラードの肩を叩いたそうだ。
まだ若い頃の話のはずなのに、よくもまあ恋愛に振り回されず冷静に対処できたな、と称えるようにしながら。
「今のリョータよりは年食ってたからな。だが、その頃の俺より若いリョータが、アレを好意的に受け止めてくれるたー、かなり意外ではあった。この話を聞いて称えるなんてことしてくれるのは大概がおっさんかじーさんだからな」
大きく深く嘆息するコンラード。
「この話を、これまでずーっとお前らにしなかった理由も察してくれるな。これがリョータの今後の行動全てを示唆してるなんて言うつもりもねえ。けどな、ほんともう、こんな話をお前らにしたもんかどうか、本気で悩んだんだよなぁ……」
シーラは、あちゃー、といった顔で凪と秋穂を見ていて、その凪と秋穂はといえば、両者共自分の顔に感情が出たりしないよう必死に取り繕っている真っ最中である。
知らずにやらかすよりはマシ、と俺は思ったしお前らもそう思え、という言葉で、コンラードはこの誰も得をしない話を締めたのである。
凪と秋穂は王都の定宿になっているギュルディの宿の部屋へと。
それぞれに個室があるのだが、二人はどちらからともなく秋穂の部屋に二人で入り、二人は同時にベッドに頭から飛び込んだ。
まずは凪の嘆きの声が。
「もーだめだー、おしまいだー」
すぐに秋穂も続く。
「りょーたくんってさ! 絶対にアレ! 恋愛をタチの悪い流行り病かなんかだと思ってるよ!?」
「やっぱり今からコンラードに八つ当たりしにいこーよー」
「今の状況でコンラード敵に回すよーなことできるわけないでしょ。シーラの百倍は頼れるよ」
「あー、シーラもシーラよー、がんばってねーなんて適当なこといって逃げちゃって、自分は好きな人と一緒にいられるからってさー」
「もー、どーしよー、どーするのー」
「どーしよーもないわよー、涼太に力押しだけは絶対に駄目なんだから、もー打てる手はないー」
「アホー、りょーたくんのアホー」
「アホりょーたー、水たまりですっころんで泥だらけになれー」
さんざっぱら涼太を罵る二人であるが、では涼太がこういった話を受け入れるような人間だったとして、そこから話を進展させるつもりはあるのかと問われれば即答はできまい。
凪と秋穂と涼太は、三人でいるからこそ楽しいし、三人でいるからこそ生き延びてこれた、そう思っている。
色々な感情はあるにしても、この前提を崩すようなことを凪も秋穂もする気にはなれないのだ。
中学時代の楠木涼太が最も嫌っていたのは、恋人ができて浮かれる若手社員、である。
失敗は良い。一生懸命やって失敗したのなら納得はできる。
人間常に気を張り続けることはできないし、どうしても気が抜けてしまう、そんな失敗もいい、理解はできる。
だが、そうした失敗を、咎められることがないのが腹立たしいのだ。
涼太の父は、部下たちには特に厳しい人間であったが、結婚直後であったり、恋人ができたてであったりする若手が浮かれて仕事を失敗したり、気の入っていない仕事をしても、大目に見てしまうことがあった。
それは涼太の父だけではなく、他の管理職の人間も、一緒に働く同僚たちも、女ができたんならしょうがねえなあ、とこれを見過ごしてしまうのだ。
あまりにひどかったり、期間が長かったりするとさすがに改善に動くが、そういった時も感情的にならぬよう注意するなんて配慮までしてくるのだ。
涼太にとって、恋人ができたから失敗した、ということが他の失敗と比べて特別だ、という理由がどうしてもわからなかった。
誰しも通る道でもあるため、己の過去のやらかしを思い出しつい強く言えなくなる、なんて成人男性たちの男心を涼太が汲めるはずもなかった。
嫌っていたものに絶対になりたくはないなんて考えるのも、当然の話だろう。
『俺は絶対、大人な恋愛をできるようになるっ』
いまだ恋愛を知らぬ涼太には、その難易度の高さは見えぬままなのである。




