176.王都決戦第一幕終了
鬼哭血戦十番勝負が終わっても当分の間はこの話で王都はもちきりとなる。
誰が強い、誰が弱い、そういった話は皆大好きなのだ。酒場などでは全く見知らぬ同士が同時にこの話題をしていて、意気投合したり喧嘩になったりと王都民の共通の話題になっている。
そんな中でも、アキホの名は特によく語られる。
辺境最強戦士ミーメを倒した、そんな話から始まり、聖都シムリスハムンでの千人殺し、鬼哭血戦への横入り、そしてそんな武名に恥じぬ激しい戦いを見せた鬼哭血戦十番勝負だ。
初戦であり、印象としてはより後の戦いの方が残るものなのだが、何せ最初の印象が強すぎた。
さんざん美人だ美人だと噂され続けていながら、いざ出てきた本物は噂なぞでは語り切れぬほどの絶世の美女だ。
そんな美人が、戦いが始まると殴るわ殴られるわ。戦いの素人が見ても興奮できる、戦いの玄人が見ても唸らせられる、そんな見ている誰しもが納得し満足する戦いを見せ、そして勝つ。
全十戦、終わってみれば一番見応えのある戦いは第一戦であったという話だ。
秋穂は鬼哭血戦十番勝負において、最も武名を上げた戦士だといってよかろう。
そんな秋穂と比べてしまうと、どうしても凪は話題性に劣る。
玄人目には、それはそれは高度な駆け引きであり、戦いであったと思えるものであったのだが、素人目が見た凪の戦いは、ずっと双方動かなかったと思ったら、いきなり凄い速さで動き出しお互い一閃してそれで終わってしまったというだけなのだから。
そこに珠玉の技術が詰まっている、というのは理解できたとしても、見応えがあったかどうかと問われれば素人は首をかしげるであろう。
「なあああああんでいっつも秋穂ばっかりなのよ!」
そんな凪の愚痴に対して、秋穂がいつも言っていることを代わりに涼太が言ってやる。
「とりあえず、誰よりも先に敵に突っ込む癖、どーにかすればいいんじゃないか? 大物ってなどんな時だって後ろの方に控えてるもんだろ」
「今回は私が一番後ろだったでしょ!」
「だから一番おいしい敵がお前のところ行ったろ。それで秋穂より目立てないってんなら、そりゃお前の戦い方に華がないってだけの話だし、そもそもお前、剣術にそーいうの求めてねーだろ」
「悪かったわね! 地味な戦い方で!」
喚く凪に、秋穂は絡まれそうだったのでニナとシグルズを連れて避難済み。シーラは会合に向かうギュルディのお供で、エルフ組はせっかくの王都だからと外に出向いている。
コンラードが馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに言い捨てる。
「巡り合わせに文句を言っても仕方なかろう。お前が秋穂の真似をして剣を捨てていたとしても、あの男が乗ってくれるかどうかはわからんだろうしな」
「アイツの前で剣捨てるなんてしてたら隙ありーって嬉々として斬り掛かってきてたわよ!」
十年来の友人ランヴァルトも頷くこと間違いなしな納得の一言である。
コンラード相手にぎゃんぎゃん喚いている凪を、控室のベッドに横になっていた壮年の男ユルキは不思議そうに見ている。
涼太が、この部屋では一人関係者ではないユルキを気遣って声を掛ける。ユルキは鬼哭血戦十番勝負の七戦目で敗北し重傷を負った戦士だ。彼は涼太の治療によって一命をとりとめ、今は大事を取って安静にしているところだ。
「どうした? 痛むか?」
涼太から見ればユルキは倍近く年上であるが、そういった相手と対等であるという顔をして話をするのにも随分と慣れた。
「いや、な。戦う様や、その恐るべき気配からは考えられぬほどに……その、普通の女子に見えるなと」
「剣術がどんだけ上手かろうと、人間以外の何かに生まれ変わっちまうなんて話でもないんだから、当然っちゃ当然だろ」
「…………」
彼が無言である意味を涼太も理解している。ユルキの目からは人間以外の何かに見えていたのだろう。
バツが悪そうに凪から目を離し、ユルキは涼太を見る。
「リョータ。そろそろ話してくれないか。お前は何故私を生かした?」
涼太は思ったそのまんまの顔、とても驚いた顔をしていた。
「何故、って。俺は怪我人の治療を請け負ったんだから、そりゃ怪我してたら治すだろ」
「どう考えてもあの傷は致命傷だった。それを治療しようというのだから相当に無理をしたはずだ。とはいえ、俺にできることと言えば剣を振るうぐらい。それもここの面々を見た上で俺が役に立つなどとは到底口にはできん。それでも尚、俺を治した理由があるのだろう?」
「だから、俺はギュルディから怪我人が出たら治してくれ、って頼まれてんの。確かに、内臓の損傷を治せる奴はあまりいないだろうが、ギュルディが用意した治療担当はそれだけの腕があったってだけの話だ。礼ならギュルディに言ってくれ」
「いや、臓物に傷がついたらもうどーにもならんだろ、普通は。それは、代償はいらない、という話か?」
「そうだよ。俺が謝礼をもらうとしたらギュルディからだ。アンタは気にしないで傷を治すことだけ考えてくれりゃいいさ。てーか数日の間は無理してくれるなよ、もし傷口開いた時、俺が傍にいなきゃエライことになるからな」
「……傷口が開いたらリョータはまた治してくれる気だったのか……」
ユルキは剣士だ。だが王都で有力剣士を長くやっている関係上、貴族たちの勢力争いとも無縁ではいられない。
そもそもユルキが鬼哭血戦に出ることができたのも、その勢力争いの延長上にある話だ。
話を切り上げ、ユルキはベッドに横になる。
『この戦いに勝てれば、俺の人生の最絶頂期を迎えるだろう。そんな夢も見ていたんだがな。敗者にこの先の道行きは用意されていないだろう……』
後ろ立てになってくれていた貴族から一切の接触が無いのがその証拠だ。
今頃、次を考えて動いていることだろう。そういうものだと覚悟を決めて、自分の周囲がどう変わってしまったのかを確認に行こう、とユルキは思った。
鬼哭血戦終了直後にギュルディに接触を持とうとした者は数多いるが、その中で特に緊急性が高く、かつ高位の者を最初の会合相手に選んだ。ベルガメント侯爵である。
彼は会合の部屋にギュルディが赴くと、貴族らしい虚飾もそこそこにすぐに本題を切り出してきた。
「こちらは、ただちにルンダール侯爵への対応が必要だとの認識だ。ギュルディ、お前は?」
「同意します。おい」
ギュルディがそう言うと従者の一人がベルガメント侯爵に書類を提出する。
これはギュルディがルンダール侯爵に譲る予定の利権のリストだ。
中身を確認しながらベルガメント侯爵は安堵した表情を見せる。この表情も演技ではあるが、安堵したというのも本音ではある。
「こちらと同等の危機感を持っていてくれているようでありがたい。……ここまで大きく譲るとなると、ギュルディの所のみで対応する気か?」
「ベルガメント侯爵に援助の理由はないでしょう。ルンダール侯爵が素直に受け取るとも思えませんし」
「現状認識が正確なのはよいがな、そういうわけにもいくまい。こちらはお前との取引枠の幾つかを譲る予定だ。もちろん、ルンダール侯爵にも断れない筋のものだ」
「機嫌、悪化しませんか?」
「やむをえぬ。月末の支払いが滞るなんてことになったらアレがどう動くか私にもわからんし、それに、そちらでは掴んでいるか? ルンダール侯爵の所では今月だけでなく来月も支払いが足りなくなるぞ」
ギュルディが僅かに表情を揺らす。当然知っているのだが、ベルガメント侯爵に提出した書類は、ルンダール侯爵の所は一月の不払いで済むという想定で作られたものにしてある。
「そうでしたか。では」
「ああ、その分はウチで引き受けよう」
ここでベルガメント侯爵が一切支出をしなかった場合、ルンダール侯爵の恨みがベルガメント侯爵に向く恐れがある。
もちろん一番恨まれ妬まれるのは大いに名と利益を上げたギュルディであり、それはルンダール侯爵のみならず王都中の貴族たちにそういった目を向けられることになろう。
ギュルディはこれからそのための対策に奔走することになる。今回の話し合いでは、その忙しいギュルディに代わってルンダール侯爵を押さえる役目をベルガメント侯爵が請け負うという形でまとまった。
現在、王都圏には三つの頭がある。
内の一つ、ルンダール侯爵は多数の摩擦を抱えながらも長く共にあったもう一つの頭であるベルガメント侯爵とは、それなりではあるが信頼関係がある。
一方残る一つであるギュルディとは、ルンダール侯爵の弟でありギュルディの父でもある者に対しギュルディは唯一父だけは許すつもりはない、と公言しており、ルンダール侯爵自身も今回の鬼哭血戦十番勝負にて大いに面目を潰された相手であることから、敵対関係と言っていい間柄にある。
そしてベルガメント侯爵側からすれば、ギュルディと辺境との間に数多の取引を抱えており、経済的にも友好を維持することがお互いの大いなる利益に繋がる関係だ。
なのでここでルンダール侯爵を押さえに動くことは、ギュルディへの貸し、という形にもなる。
もちろんルンダール侯爵の暴走を止めること自体も、王都が安定していることが王都に多くの利権を持つベルガメント侯爵にとっての利益に繋がるものである。
話すべきを話し終えた後で、ベルガメント侯爵はギュルディに愚痴のように呟く。
「……こうなることはわかっていただろうに。そうまでして鬼哭血戦での勝利、必要であったのか?」
「十番勝負を持ち出した侯の一人勝ちですな。エルフの参戦、断れなかったんですよ」
少し驚いた顔を見せるベルガメント侯爵に、それを見て驚いた顔をするギュルディ。
「意図してのことではなかったのか?」
「そちらこそ、私を追い込む策だったのでは?」
負けを付けさせられぬ戦士がお互い数人いて、これを事前の話し合いで調整したはずなのだ。
その上で博打になる部分もあり、だが総じてギュルディ不利でまとまっていたはずなのだが、こういったものがエルフの登場で全部台無しになってしまったのだ。
わざとらしく嘆息してみせたベルガメント侯爵は言った。
「今後はお互い連絡を密にしよう。こんな馬鹿げた後始末を何度もやりたくはない」
「まったくもって、同感です。……ベルガメント侯爵は、随分と簡単に私の王都入りをお認めくださっているように見受けられますが」
「ルンダール侯爵の威勢を落とす一翼となってくれるのだろう?」
「その意思は全くありません。が、経済活動の活性化は望むところですな」
それが、結果的にルンダール侯爵の勢力を削ぐことに繋がる。丁寧に暴発を抑え込みつつ、少しづつ着実にその力を削いでいく。そういったことを、ベルガメント侯爵はギュルディとならばこなせるだろうと確信している。
ベルガメント侯爵はこの会合で、ギュルディに対し最も注意すべき点に関して一切言及しなかった。
ベルガメント侯爵がそこを注視している、とギュルディもわかっているだろうが、言葉にも態度にも対応にも出さぬままそうし続ければ、隙が生じることもある、そういうものだとお互いがわかっているため、そうしているのだ。
『王との親疎はやはり計りかねるな。追放の際、王はギュルディを擁護するようなことは一切しなかった。その後も王がギュルディを助けた様子はなく、ギュルディが辺境で力を付けたのはその全てがギュルディ自身の力だ。少なくとも王からそういった動きがあったことはない。本来ならば王を恨んでいてもおかしくはないのだが……』
ここで王の長所であり短所でもある部分が出てくる。王は、己が定めた法に対し、国の誰よりも従順であるのだ。
国の制度がギュルディを貴族位から追放すべしと断じたのであれば、王もまたそうであるように行動する。それが己を慕う若者であっても、配慮の言葉をかけることすらしない。
それでも、だからと恨んでいるなんて簡単に決めつけたりはしない。そんな単純な相手ではないとベルガメント侯爵は見ているのだ。ギュルディも、ゲイルロズ王も。
王都の中を歩き回るのに、秋穂がその顔を晒したままで歩き回ったらとんでもないことになる。それは顔の美醜関係なく、今はそういう時期であろう。
目深に被った状態でも視界が通る魔術がかかっているフードは、最初にリネスタードを出た時から愛用しているものだが、本当に重宝する。
そんな秋穂を最後尾に、ニナとシグルズの子供二人は、王都の中を興味深げに走り回っている。二人というか、走るシグルズに追うニナといった感じであるが。
「おおっ、あの果物は見たことないぞ」
「しーぐーるーずー、いい加減にあっちこっちうろつくの止めなさいっ。ごめんねアキホ、アイツほんっと馬鹿だから」
「まあまあ、物珍しいのは私も一緒だし。あー、しぐるずー、そっちじゃなくてこっちだよー」
秋穂が指示した方角を見て、ちょっと驚いた顔をするニナだ。
「そっちなの?」
「そ」
三人は、娼婦街を夕暮れ時に訪れようというわけである。
そして娼婦街に入る直前、秋穂に促されニナとシグルズは奥まった路地に入り、そして秋穂は言うわけだ。
「じゃ、ここから跳んで、屋根の上まで行くよ」
「「え」」
二人が何を言う間もなく、秋穂は跳躍し壁を二度蹴って建物の上へと消える。
すぐに顔だけを端から出して手招きしている。王都において、他人様の建物の上だったりを勝手に移動するのは当然犯罪行為だ。それを、当たり前に要求されて困惑するのも当然だろう。
だが、ニナもシグルズもお互いを見て頷き合うと、すぐに秋穂の後に続く。
二人は四度の跳躍が必要だったが、建物の庇やとっかかりを用いてどうにか屋根の縁を両手で掴むところまで跳べた。
そんな二人の腕を掴んで腕力のみで持ち上げる秋穂。そうして言うわけだ。
「うーん、まだまだ鍛錬不足だね。基礎能力の向上はどんな時でも怠らず常に行なっておくこと」
基本的に負けず嫌いなニナであるが、さすがに秋穂や凪と張り合おうとは思わない。
秋穂にそう言われれば、素直にうんと頷いて返す。そんな素直なニナに驚き顔のシグルズと、その驚いたシグルズを見て機嫌を悪くするニナだ。
三人はそのまま屋根伝いに移動し、目的地である娼館の上に。
「三階だけど、行ける?」
屋根の上から壁を伝って三階の窓より入る、という意味である。
夕暮れ時であるからして、日の光は弱まり、つまり視界が悪くなっていると。
どう、といった顔でニナがシグルズを見ると、シグルズは屋根から少し顔を出して下を覗き込む。
「ん、このぐらいならだいじょーぶ」
秋穂がニナを見てニナが頷き返すと、じゃあ、とまず秋穂がお手本を見せる意味でするするするりと屋根から滑り降りていく。
そのまま木窓の前に立ちこれを開く。が、開かない。しかし秋穂は慌てず騒がず、親指を木窓の端に突き刺す。その一撃で木窓に穴を開けるとその先にあったとっかかりが外れ、あっさりと窓は開いた。
中に滑り込んだ後で手招き。シグルズ、ニナの順で部屋に入る。
そこでも秋穂が採点を。
「んー、シグルズはちょっと時間かかっちゃったかな。アレだと上見てる人がいた場合、見間違いだーとは思ってもらえないよ」
シグルズは失敗したーという顔。そんな話をしている間に、ちりんと鳴らした鈴の音を聞いて使用人が部屋に入ってきて、ようやく落ち着けるようになったのである。
秋穂は、この娼館で一番の娼婦であるリナに、シグルズとニナの二人を紹介したかったのである。
この二人が王都で揉めた時の避難場所になってあげてね、と秋穂が頼めばリナにも断ることはできない。
その要求を受け入れた後で、リナは秋穂を呼んだ理由を話す。
「ギュルディ様に、賭けの勝ち分回収のための後ろ盾になってほしいのよ。ぶっちゃけ、勝ちすぎたわ」
そう言って賭けの勝ち額を告げると、三人共の顔が引きつる。
最早個人がどうこうするような金額ではなくなってしまっている。その上で、勝ち分の金額を得るのではなく、その金額をもって買い取りたいものがあると。
そのための仲介を一緒に頼みたいということだ。
「何を買うの? いや、それ抜きでも相当な額持ってかれると思うけどいいの? ギュルディはお金のことに関して、絶対に甘い判断なんてしてくれないよ?」
「私が持つツテを頼ってもいいけど、その場合はリスクが大きすぎるのよ。そこで変に危ない橋渡るぐらいなら、半額持ってかれても確実に回収できるようにしときたいわ。柊さんたち経由でギュルディ様に頼むんなら、取引の確実性は担保されてると思っていいでしょ」
少し考えた後で、秋穂はリナに問う。
「ねえ、それだけお金あればさ、自分で自分の身請けもできちゃうんじゃない?」
「この店、王都でも三本の指に入る店だし、この仕事を続けるんなら店出たくないのよ。だからさ、私、この店の出資者の一人になろうかと思って」
ニナが目を丸くしているのを他所に、秋穂はぽんと手を叩く。
「ああ、それは上手い手だね」
「でしょ? これまで撥ねられてた上前も、これからは幾分かは私の懐に戻ってくる。もちろん、ここでの待遇も更に良くなるって話なんだけど、まあ、当たり前だけど前例なんてもの無いしさ、今後の経済活動も考えればギュルディさんと誼を持っておくのが良手かなって」
「具体的なやり方とか各所への調整とかもギュルディの商人に確認しとくといいね。きっと私たちだけで考えても、絶対に何処かに抜けがあるよ」
「そうなのよー。かといって信頼できる商人なんてもの捕まえられる気しないしさー」
そう聞くと秋穂はくすくすと笑いだす。
「私たち、それで最初に見つけた信頼できる商人がギュルディだったんだよね」
「なんという豪運。そんなに信じられる人なんだ」
「誠実だよ、少なくとも私たちに対しては。それ以上に、涼太くんと馬が合ったっていうのが大きかったと思うけど」
で、と秋穂は話題を急に切り替える。
「ねえ、ギュルディと涼太くんがちょっとぴりぴりしてる感じだったんだけど、鬼哭血戦終わって、何かマズイこととかってあるの?」
「そりゃルンダール侯爵の顔をこれでもかってほど潰してるんだし、マズイっちゃマズイんじゃないの? そこでルンダール侯爵とギュルディ様が揉めたとして、どんな流れになってどんな結果になるかなんて私には全くわからないんだけど」
「ふーん」
やっぱり次の敵はソイツか、なんて顔をしている秋穂に、リナは顔を整えてから言う。
「この王都で、ルンダール侯爵を見くびる人間いないわよ。侯爵の人格だの能力だのじゃなくって、ルンダール侯爵家を誰もが恐れてる。それは高位の貴族ですらそうなんだから、そこには相応の理由があると思う。ただ権力がある、お金がある、土地がある、そんな理由じゃない」
秋穂は無言。噂に聞くルンダール侯爵は、確かに聞く限りにおいては驚くほどの愚物でしかない。だが、そんな相手をギュルディはかなり警戒し配慮している。
「諜報に長ける、このただ一言が、本当に恐ろしいことなんでしょうね。寝物語ですらルンダール侯爵を直接悪く言う人いないんだからよっぽどよ」
この王都では、主要な建造物はそのほとんどが長い歴史を持つ魔力を帯びたものだ。
故に涼太の遠目遠耳の術はほぼ無力化されている。誰が何を企んでいるのかを見抜く絶対の優位は今回は無しなのだ。
これまでにない警戒が必要だ、そう秋穂は考える。
『結果が出たのが今日で、今日すぐ動き出すって話でもないんだろうけど』
居場所の特定が可能ならば、秋穂、凪、シーラの三人で突っ込んで仕留められない相手はいない、とも思えるのだが、ルンダール侯爵はそれまで全く無名であったマグヌスやラルフをここ一番で引っ張ってこれる人間なのだ。何処にそういった化け物がいるかわかったものではない。
案外に頼めばエルフ二人は協力してくれそうな気もするが、今後を考えるにそれはあまりよろしくないというのは秋穂にもわかる。
教会というこの世界で最大級に厄介な敵を倒した後ではあるが、秋穂はだからと次なる戦いがより楽になるなんて考えぬよう気を引き締める。
そういえば、と気になっていたことを問う秋穂。
「椿さんは来てないの?」
「あー、椿ねー。さっきまでいたんだけど、どうも愛人のオジサマがかなり損失被ったっぽいんで、慰めにいってくるって」
「…………椿さんも儲けてるよね、相当」
「そのぐらいの面の皮がないと、こーいうのはやってらんないのよ」
秋穂とリナが話す後ろで、その邪魔にならないようニナとシグルズはひそひそ声で話をしていたのだが、この声が少しずつ大きくなってきている。
あまり我慢させるのも悪いか、と秋穂はこのぐらいで話を切り上げることにした。
秋穂は思う。
やはりギュルディの傍で物を見ていると、どうしても多少なりと偏った見方になってしまう部分があると。
ルンダール侯爵への印象などは正にソレだ。王都で生活しているリナやリナと接する人間が、そこまで警戒するような人間であるということは、ここでリナと話をしなければわからなかっただろう。
『敵は、強い。そう決めつけちゃった方が逆にいいかもね』
ルンダール侯爵の側近たちは、敗戦が決まった直後は呆然自失とした様子であったが、今ではもう自分を取り戻し精力的に動き始めている。
賭けや投資の結果を、如何に誤魔化し支払いをせずに済ませるか、を誰もが必死に模索しているのである。
元より力押しで不利益を飲ませる術には定評のあるルンダール陣営だ。こういうのは王都で最も得意な集団である。
そして彼らが必死に動き回るのにはまた別の理由もある。
不機嫌絶頂、大噴火間違いなしなルンダール侯爵の傍で、ロクな手も打たずにぼけーっとした顔を晒していられるほど度胸はよろしくないのである。
そんな彼らの動きを見守りながら、ルンダール侯爵は側近たちにすら教えていない接触方法で報告にきた者と話をする。
「即座に動かせるのは、三集団、五十人が限界です」
それはルンダール侯爵の予想を大きく外したものではないので、そのことに関して特に反応はしない。
「予算にはアテができた。精鋭はどれだけ動かせる?」
そう言って侯爵が予算額を告げると、報告者はそれでも声に否定的な調子が乗ったままだ。
「人数を揃えるだけでしたら二百は集まりますが、精鋭となりますと……追加で一集団といったところかと」
「随分と値が上がっておらんか?」
「何処も人員は辺境、もしくは教会絡みで使いたいというのが本音のようで」
もちろん、これだけの人数ではとてもとても侯爵の望む形にはほど遠い。
「では、準備に十日ほどくれてやる。十日後には第二陣の予算が入るから、それに合わせて万端整えよ」
そう言って告げた第二陣の予算額に、報告者も目をむいた。
「そ、そのような大金を何処で……」
思わずそんな言葉を溢してしまったのは、報告者は侯爵に諫言することも己の仕事である、と任じているからこそだ。
侯爵は笑って言う。
「アーサの王が随分と奮発しおったわ。最初の予算額を見るに、あれは本予算が届くまでにこの金で準備を整えておけという意味なのだろうな。猪口才だが、ふん、その剛毅さに免じて許してやろう」
ルンダール侯爵が抱えている多数の諜報組織、とはいうが、他所にはそれと知られていないが、実は侯爵の命令全てに条件なしで従うなんて組織はほとんどいない。
優秀な組織であればあるほど、用いるための条件は厳しくなっている。
前払い以外は絶対に話も聞かぬ者もいれば、後払いでも支払いのための準備を整えていなければやはり引き受けぬ者もいる。特に後者はルンダール侯爵家の経済状況を当たり前に把握してくるので、今のままの状況であったなら絶対に仕事を受けてはくれなかっただろう。
『私の一世一代の大勝負だ。ここで出し惜しみなぞありえぬ。ありったけを振り絞り、ルンダール家の恐ろしさ、思い知らせてくれん。私の代で、ルンダール家は再び恐怖の王、闇の主としてこの王都に君臨することになるのだ』
淡々と告げられるルンダール侯爵からの命令に、報告者は驚き恐れ竦み上がってしまう。
こんな大規模の戦いを王都で行なうなぞ、長きランドスカープの歴史にもそうそうあることではない。
戦ではない。暗闘だ。陰に潜み、闇に沈み、夜と一つになって事を為す。それを、圧倒的多数にて、王都全てを漆黒に包み込もうというのだ。
それがいったいどのような戦いになるのか、報告者にも想像もつかない。わかるのは、計画者であるルンダール侯爵のみか。
いや、恐らくはルンダール侯爵自身にとってすら。




