169.シーラの変化
シーラが殺したのはどうもラルフの父であるらしい。
その辺の事情は事前にギュルディが調べてくれていたのだが、それを知ったところで、とシーラは特に聞きもしなかった。
だが、因縁は戦いを盛り上げるものでもあるからと、復讐者ラルフがシーラへの復讐を誓った経緯なんてものを、対戦の前に闘技場の放送がとうとうと語ってくれていた。
数年前シーラが王都圏で大暴れした結果、貴族家が三つ、完全に取り潰しになってしまった。
これをシーラが単独で為したというのだから、ランドスカープ中でシーラ・ルキュレが恐れられるのも無理はなかろう。
ラルフはこの内の一家の郎党の出で、家が取り潰しになった結果、ラルフの一家が持つ権益も失われ、残された母や兄妹は慣れぬ貧乏生活に耐えきれず亡くなった。
貴族の一族は、ただその一族のみで存続しているわけではない。長年にわたって何代も仕え続けてきた平民たち、郎党と呼ばれる者たちもおり、貴族が没落すれば彼らもまたそうなる。
この辺は、シーラとは言い分の異なるところでもある。
それらの貴族の当主を殺し、邪魔をしようとした、もしくは当主を殺すのに邪魔だった一族も殺し、配下郎党も殺したのは確かにシーラだが、別に全滅させたわけではない。
後を継げる者も残っていたし、周囲の貴族の助けを得られれば、もしくは王の承認が得られれば家の存続は可能だったはずだ。それでも貴族位継承を許されなかったのはシーラのせいではないし、ならば滅ぼしたのもシーラではないだろう、というもので。
きっかけであり主因であるのは間違いないのだからシーラが滅ぼしたで正しいのだろうが、全部を自分のせいにされるのに納得がいかない模様。
闘技場に出る前にそんな話を聞かされてしまったシーラであるが、だからどうした、というのが偽らざる本音だ。
剣を握っているのだから、殺した殺されたなんて話はいつでもついてまわるもので。結果として、恨みを買うのも当然のことだろう。
だからとソコに配慮してやるのも馬鹿らしい。配慮するということは大概の場合において、恨まれないように代わりに自分が死んでやる、といった話になるのだから。
殺さずに問題を解決する方法なんてものは、戦士に求めるのが間違っている。殺して問題を解決する術を学んでいるのが戦士であり、戦士に問題の解決を望む、強要する、となればそれはもう殺すか殺されるかしかない。
そんなシーラの考えを、憎悪の目でシーラを睨むラルフに言ったところで、きっと意味はないのだろう。
『家族、かぁ』
多少なりとシーラの考えに、以前と比べて変化が生じている部分もあるし、ラルフの怒りを理解できる部分もある。
それでもシーラの答えは明快で。理由はどうあれ敵であるというのなら、自らのありったけを用いて殺すべし、である。
いや、ほんの一瞬、自分の未来と重ねてみて僅かに迷いが生じた。それこそ即座に振りきれるていどではあったが。
当初、ラルフと会話した時に感じた、あまりにも甘い、という印象から、戦士同士の戦いというものがどういうものか教えてやる、ぐらいの勢いはあったのだが、今は多少は面目の立つ形で殺してやろう、に変わりかけている。
そして闘技場内にて、シーラはラルフと対峙した。
『……うわー、そーくるかー……』
ラルフの顔は、誰が見ても明らかなほどの死相を浮かべている。
体調もあまりよろしくはなさそうだ。そして何より、漂う気配がもう、取り返しのつかないところにまでいってしまった感が凄い。
これは、暗殺者の中でも秘中の秘とされている術だ。
その名も、毒霧の術。
自身の衣服や体表に毒を塗り、戦闘により体温が上がってくると、この毒が気体となって術者の周囲を漂うようになる。
これにより、傷を与えるでもなく、対峙した敵に気付かれることなく毒を与えることができるという術だ。
色々と欠点のある術だが、確かに、今この場でならば、極めて有効な手段であろう。剣士同士の決闘において、それも闘技場でそうするというのに距離をあけて戦うなんて真似はそうそうできるものではなかろう。
『本来は、見抜かれた時点でもうどうしようもなくなる術なんだけど、ね』
そもそも毒霧の術の存在を知る者が極めて稀で、更に対策を考えたことのある者となればもっと珍しい。
ただシーラは以前に一度、この術を食らったことがあるのだ。故に、その気配や佇まいから、毒霧の術を即座に見破ってみせたのだ。
『王都で手に入る毒で、毒霧の術に合うものは……』
候補は三つほど。その中で最も効果が強いとされる紫天花の毒が最有力だろう。
とはいえ、毒を充分な量吸わせるためには、相応の時間シーラの前に立っていなければならない。
そうできるほどの戦士かどうか、がまず最初にラルフに問われるのだ。
シーラの剣は重い。これはシーラが斬った死体を見た者は誰しもがそうとわかるものだ。類まれな剛剣にて両断された、そう見える遺体が多いせいだ。
ただこれを実際に受け止めた者は、その重さの質の違いに驚く。
重いモノが当たったではなく、重厚な壁を押し付けられた、そう感じるのだ。
ラルフもまたその初撃目を受けた時、あまりの剣質の異常さに大いに驚いていた。
それが対シーラ戦における最初の難関。だが、これをラルフは積み上げてきた基礎能力にてどうにか持ち堪える。
そして次の難関だ。シーラの戦いを傍目に見ると、その剣速の遅さに皆が驚くものだ。だが、いざ対峙してみると、この剣がとんでもなく速く感じられる。
ラルフがやろうとする全ての動きに対し、その先、先、とシーラの剣が回り込んでいる。
それは剣先だけがただそこにある、というのではなく、シーラが剣を振るう姿勢を整え十分な体勢を備えた上で剣を振ってきている、ということで、それはそのまま強く鋭い一撃を常に出し続けることにもなっている。
『何故だ! 何故私よりもコイツの方が速いのだ!?』
この理不尽に晒され、そのまま押し切られるかどうかが第二の関門となる。
シーラ独特のこの遅いけど速い剣の理由は、シーラの持つ近接戦闘に特化した極めて優れた観察力と洞察力にある。
シーラはこうして眼前に対峙しているだけで、僅かな重心の移動や、肉付きの違い、目線の向け方、呼吸、そういった情報より、敵の戦い方を見抜いてみせるのだ。
剣術を用いる相手ならばよりそれが顕著になる。シーラの膨大な量の敵との対戦経験から、今対峙している敵がどういった動きをするのかを未来予知の如く予測してくるのだ。
その圧倒的先読みを頼りに、シーラは剣の速さよりも常に強い姿勢を維持することを優先し、結果として強い姿勢から強力な剣撃を常に放てるようになった、という話である。
攻めも受けも、牽制の一撃すら必殺の一閃に匹敵する威力のものとなるのであるからして、ぬめる剣とは、決して弾かれることのない剛力によって押し付けられた剣閃を評した言葉なのである。
そんな理屈を、わからぬままにラルフはこれに対処する。
「この程度! 悪鬼の妖術何するものぞ!」
ラルフが誇るは、その圧倒的速さである。
身体能力もさることながら、一日の大半を剣術に費やすことで身に付いた凄まじき身体のキレを武器に、シーラの先読みをすら乗り越えんと挑みかかる。
そんな彼の姿勢が、どうにもちぐはぐに感じられるシーラだ。
『毒霧の術を使ってるのに防戦じゃなくて攻めに回る? 私に効くほどの毒なら、解毒薬なんてロクに効きもしないようなのしかないはずだけど』
そもそも毒霧の術は、相手に与えるより遥かに多い量の毒を自身で吸い込むことになる。
解毒薬の服用は当然であるが、それでも尚、術者は死を免れ得ぬ。この術において解毒薬は、相手に毒を十分に吸わせるための時間稼ぎでしかない。
そしてラルフの剣術だ。
何処までもまっすぐに、恨みに心を歪めている人間とは到底思えぬ、愚直で誠実な剣だ。
彼はルオナヴァーラ流剣術を学んでいるようだが、この術理を丁寧に学び、その鍛錬法を真摯に行なってきたとよくわかる剣筋である。
そうした彼の特性と、シーラの洞察力が合わさって、ラルフという人物像が見えてくる。
『……うん、つまりこの人、根はものすっごく良い人、なんじゃないかなー……』
物事に対し誠実な人間は、当然周囲の者に対してもそうするものだろう。興味の向いたものに対してだけ誠実な人間もよく見るが、ラルフはその誠実さがそれ以外にも当たり前に向けられる人間だと思われる。
人の善性を疑いきれていないからこそシーラを前にした時も平気で背中を見せてきたし、観戦にきている多数の人間に対して誠実であらんと全力で戦いに挑むのだ。
彼の剣が言っている。勝つためには相手の能力を上回らなければならない。勝利とは決して、隙を窺い弱みを狙うような行為の積み重ねではない、と。
正直な感想として、彼は暗殺には心底向いていないと思われる。
そこから更に一歩、考えを進ませる。
『情熱的な所もあるんだろうね。そして、だからこそ、利用された』
ラルフはシーラを殺すための集団の中の一人らしい。数十人の規模の集団であり、彼らは元貴族だったり郎党だったりとそれなりの富裕層でもあった。
そんな人間が、剣術の鍛錬だけに専念するような生活を送れるように、いったい誰が金を出したのだろうか。
いつかシーラを打倒する、ソレに金を出す人物には当然心当たりはある。王都圏で貴族層に恨みを買っている自覚はあるのだ。
ただ貴族たちも遊びに金は出せないだろう。彼ら数十人の集団は、目で見てわかる形で成果を出し続けなければならない。シーラと戦う以外の方法で。
『別に、数十人全員が強くなくてもいい。中にたった一人、地獄のような鍛錬を続け、人生全てをかなぐり捨てるような鍛え方をして強さを身に付けた人がいれば、それで貴族からの投資は続けて受けられる』
ギュルディから聞いている。ラルフ一党の中で、まともに戦える者なぞ半分もいないと。その中で、王都圏で一流と呼ばれる域にまで磨き上げられたのはラルフ一人であったと。
『そもそもこの毒が、私に効かないものだったら彼は無駄死にになる。私にどの毒が効いてどの毒が効かないのか、わかっているのは私だけなんだから』
シーラに対し復讐すると貴族から資金を引き出したのはこのラルフという男ではないのだろう。毒霧の術を使うと決めたのも。
そしてこれを決めた者にとって、これだけの技量のラルフであっても、あくまで替えの利く駒でしかない。
実際に挑み、そして惜しいところまでいった、という実績があれば、残った者たちは当分の間支援金を受け続けることができる。きっとそれが目的なのだろう。
このラルフという男に毒霧の術をさせるという、あまりに物が見えていない判断を考えれば、指示を出した者が本気で復讐を考えているなんてことはシーラには到底信じられない。
彼の剣が速ければ速いほど、その剣捌きが見事であれば見事であるほどに、哀れさが募っていく。
彼がここ数年必死になって磨いてきたものを、誰かが無惨に踏みにじったのだ。
そう、過去形だ。既にラルフの命は踏みにじられた、後である。毒霧の術を行使した以上、彼の死は絶対だ。そして。
『ごめんね。もう半年以上前に確認してあるんだ。私に、紫天花の毒は、効かないんだよ』
楠木涼太がこの世界にきて、理不尽に怒り喚いたことは何度もある。
だからこれはそんな話の内の一つに過ぎない。
「毒が! 効かないって! なんだそりゃああああああ! ふっざけんなよ! 酒にも酔うし薬も効果がある! なのに! 毒は! 無効ですって意味がわかんねえだろうがああああああああ!」
魔術によって毒の影響下にある人物から毒を取り除くことは極めて難しい、これはわかる。とてもよくわかる。
既に毒が効果を発揮していて、その結果人体に悪影響が出ているとしたら、この影響を緩和する、もしくは逆の状態をぶつけることで相殺する、なんて真似をする必要がある。
それは毒によって効果が全て違うことから、それぞれの効果に合った、もっと言えば毒に合った魔術が必要となる。
そしてそうした場合、毒を受けた人物の症状を見て、それがどの毒が原因であるかを特定できなければならない。それは魔術師ではなく薬師、もしくは医者の領分だ。
それにしたところで、現代世界の医者ですら、毒物の特定には広範な知識と経験が必要とされているというのに、ちょっと聞きかじったていどの涼太が毒を判別しようなぞと愚かしいにもほどがある。
故に、魔術師が毒への対策をするとすれば、毒物が体内に摂取されぬような形にする魔術を使う、となる。
「おう、そうだよ。そういう理屈に合った話は実にいいねえ」
ただその魔術も、毒だけを排除する方法なんてものはない。ありえない。というか特定の毒物のみを排除する方法はあるかもしれないが、全ての毒物を精査判別して排除除去する魔術なんてもの、あるわけがない。
毒消しや治療が神の奇跡であるとするサブカル文化は、実に合理性のある話だと思われる。神の奇跡の合理性に関しての議論は置いておくとして。
である以上、その魔術は口から入った全てのものが体内に吸収されるのを防ぐ魔術、となる。この術を使い続ければ餓死するというのも納得のいく話だ。
「そうそう、それならわかる。これはこれですげぇ技術だと思うけど、道理だとも思う。酸素だけは別なところに異議を申し立てたいが、そこまで研究してる時間はねえ。胃と肺の違いかね? ……まあ、それはいい。いいとしておく」
その辺の魔術と毒との関係に関しては、涼太がベネディクトに教わった話に特に文句はない。
ただその先の話だ。
優れた戦士に、毒は効かない、なのである。
これはこの世界では遥か昔からそういわれていて、過去には、これほど強力な毒を飲んでも死なない、とやってみせることで自身が如何に優れた戦士であるかを示してみせていたという。
毒自体の種類が少なかった頃はこれが通用したのだが、今は毒も多くの種類があり、同じ毒でも毒性をより強化する手法なんてものもあることから、共通の指標とすることが難しいためあまり行なわれなくなっている。
またこれらも、強さ、という指標自体が曖昧なものであり、何処まで強いから何処までの毒が効かない、とするのがとても難しい。
「だ! か! ら! 効かないじゃねえだろ! なあああんで頑張って強くなったら身体が勝手に有害か無害かを判別して有害分の無毒化をしてくれましたなああああああんて話になりやがんだよおおおおおおお!」
涼太のこの叫びは、涼太のみならず加須高校生皆が共有してくれるものであったが、こちらの世界の人間にしてみれば、空から地面に向かって物が落ちる理由を問われているようなものだ。実際にそうなっているのに、それがおかしい、なんて叫ぶことの方がよほど滑稽であろう。
涼太はこの毒が通じない、という部分をどうしても信用することができなかったし、凪と秋穂に関しても、通じない毒はあるのだろうが、通じる毒も存在するということから基本的に毒は全て警戒する、としている。
一方シーラであるが、こちらは潤沢な資金と毒物への知識を用いて、各種毒物が自身に効果があるかどうかを、一定期間毎に確認する、なんてことをしていた。
一度効かないと判別されたものはその後も効かないままであることから、強さの変動により新たに効かない毒物ができたかどうかをシーラは確認するようにしていたのだ。
はっきりと言ってしまえば、毒は高い。とても高価だ。ソレがとれる地元であればそれなりに安く入手することもできるが、ランドスカープ各地から様々な毒を集めるとなれば、結構な金が必要になる。それをする金銭的余裕があり、また毒物の扱いに関しても知識があることからシーラは自身で確認するようにしていた。
シーラと同等の強さがあるから同等の毒が効かない、なんて話ではなく、この毒の確認は各個人毎にしなければならないものである。
なので常に毒を使われる恐れがあり、それなりの頻度で強さが変動するシーラでもなくば、一定期間毎に毒物を確認するなんて真似は実用的ではないのである。
シーラの重くねばりつくような剣を相手に、当たり前の顔で打ちあえる剣士なぞこの王都でもどれだけいることか。
ただ速いだけでは、動きを読まれるシーラを相手に凌ぎきることなぞできない。
そのためには、行動の起こりを極力排し、敵に読まれにくい動きを心掛け、そして、迷いなくこれらを実行する意思の強さが求められる。
そういった基礎的な、しかし純粋な剣士としての力量を備えていなければシーラの攻撃を凌ぐことはできないのだ。
結局のところ、シーラと戦いこれを打倒するために最も必要なことは、ただただ剣士としての力量を上げること、これに尽きる。
その点に関して、復讐者ラルフは十分な合格点をもらえる男であった。
少なくともこの闘技場の舞台に立つに相応しいだけの剣力があり、ぬめる剣のシーラを相手取ってすら、勝算を見込めるだけの剣士であったのだ。
『……本当に、惜しいね』
こんな優れた、素晴らしい剣士が、この戦いを最後に失われてしまう。
それを惜しいと思えるようになったのは、シーラが鍛錬というものを深く考えるようになってからだ。コンラードを相手に剣を教えるなんてことをしたのも大きい。
常のシーラなら、シグルズに剣を教えるなんて話も了承しなかったはずだ。これを認めたのも、どうせリネスタードにずっといるのだから、暇な時に剣を見るぐらいはいいか、なんて考えたためだ。
それが成長なのか退化なのか、シーラにもよくわからないが、ギュルディと共にこうして土地に根を張って生きるのも、悪くはないと思うようにはなっていた。
『こうして、私が変わっていること、ギュルディもわかってたのかな』
ギュルディと共にあることをそれほど抵抗なく受け入れることができたのも、こうしたシーラ自身の変化が理由の一端であろう。
触れれば貴族ですらぶっ殺すような抜き身の刃のようなあり方は、今のシーラの望むあり方ではなくなっていた。
『改めて考えると随分と変わっちゃってるっぽいけど、そうだね、自分じゃあんまり変わった気しないなー』
だって、と口に出して呟き、右足を踏み出しながら斜めに剣を振り下ろす。
シーラの剣は、この一撃をきっかけに速度を上げていく。
「なっ!?」
ラルフの驚きの声。シーラは笑っていた。
「いいよ、速いのがいいんなら、付き合ってあげる」
ラルフの剣速に、シーラのそれが追いついていく。
驚くラルフにシーラは教えてやる。
「私もね、学んだんだ。強くなりたいんなら、自分の形にこだわってちゃダメだって。今の自分の最高は、明日の自分より劣っているって信じられなきゃ、上にはいけないんだよね」
だからぬめる剣にいつまでも執着するのは、未来のより優れたシーラの剣へと至るためには、あまりよろしくはないということだ。
「そうやって作り上げた新しい形を、きちんと試すことができる友達がいるって、本当に幸せなことだと思うよ。ねえ、君にはそういう人、いるのかな」
強く歯を食いしばり怒鳴り返すラルフ。
「ここは! 速さを競うこの戦いは! 私の最も得意とするところよ! そこで負けるのだけは絶対に認められるものか!」
その怒鳴り声の中に、ラルフの心の声をようやく聴けた気がした。
毒霧の術も、復讐も、この速さを競う戦いの中で負けることに比べれば。そういうことだ。
シーラは口には出さず、くすりと内心のみで笑う。
『そうだよ。剣は、こんなにも楽しいんだから。後ほんの少しだっていうのに、きちんと楽しまないのはもったいないよ』
ラルフの精神が研ぎ澄まされていく。それと同時に、彼は自身の終わりが近いことも察する。
だが、それを無念に思うことはない。むしろ、終わりが近くなってしまったからこそ、できることがある、ラルフはそう考える。
『私の! 全てを今ここで見せてくれよう! 見よ! これが! 剣士ラルフの至った頂だ!』
その気配は隠しきれず。しかし必殺を期したラルフの攻勢を、シーラはそのあまりの速さのせいで、真っ向から受けて立つことを強要される。
剣閃は二つ。
歩法によって二連の剣撃を一つにまとめる珠玉の秘技。
シーラの経験による先読みが通用しない、ラルフが自身のみで編み出した秘剣は、シーラの二の腕を深く切り裂く。そう、急所を仕留めるはずのこの一撃をも、シーラは腕の傷だけで凌いだのだ。
『まだっ! まだああああああ!』
全身が悲鳴を上げる中、ラルフはこの二連の秘剣を放ち続ける。
一振りで剣が二つ飛んでくる。これを、止まらず何度も何度も繰り返す。
自身の身体が止まるのが先か、シーラを仕留めるのが先か。
『これで駄目なら死んでくれるわ!』
シーラをして、攻撃を差し込む隙も余地も見いだせない。
もうシーラにも余裕なんてものはない。必死の形相で受け、流し、そしてラルフの動きを見切らんとその剣だけに全ての意識を集中させる。
待てばいい。この攻勢はいつまでも続くものではないし、ラルフの終わりはすぐそこだ。だから、待ちきれればシーラの勝ちだ。
だが今のシーラの頭にもそんなことは抜け落ちている。勝つためには、斬らなければならない。
『一つ、たった一つが見えれば……』
その瞬間、シーラが動いたのは考えてのことではない。
ラルフの手癖だ。最も得意であるのだろう。だからこそ、連撃の繋ぎ方でソレを多用する。その二つ目に、シーラは無意識に合わせて剣を伸ばした。
一流の更に上、超一流と呼ばれる戦士が、一流の戦士たちを凌駕する理由が正にコレなのであろう。
ほんの一瞬の出来事だ。迷いなんてものはない。できる、と感じたなら身体が勝手に動いてくれる。それがどれほど危険のある動きであろうと、恐怖も気負いもなく、その危険域へと飛び込んでいける。
ラルフが突き出した剣に対し、シーラからも剣を突き出す。突き出しながら、下から押し当てるようにしてラルフの剣を弾き、自身の剣を突き入れる。
ラルフの剣は切っ先がそれ、シーラの肩の上部を削り飛ばす。だがシーラの剣はラルフの胸板へと吸い込まれていった。
『あっ』
『ああ……』
シーラはそこで正気に戻る。ここまで危険な真似をしなくても勝てたということに気付く。
ラルフもまた思考を取り戻した。だが、苦痛からかその思考も曖昧なものとなる。
『は、ははっ、負けた、負けたか。凄いな、コイツは。だが、今日で終わる命だ、なればこそ、もう少し、もう一踏ん張り、動けるだろう。ほら、動くぞ。もう一つ、コイツに見せてやりたい剣が、ある……』
大地に両膝をつくラルフ。
『どうして、だ。痛いのも、苦しいのも、慣れているはずなのに、どうして身体が動かない。………………あ』
そういえば、身体に毒をぬりたくっていたな、と思い出したラルフは、それじゃしょうがない、とその場に倒れ伏す。
曖昧な思考は、どうしてそんな真似をしたのかも思い出せぬままであったが、一つ、とても良い言い訳を思いついたので、それを口に出して言ってやる。
口に出したつもりだったが、言葉は声になることはなかった。
『……運が、良かったな。毒さえなければ私はもっと、強かったんだ、ぞ……』
戦いが終わり控室に戻ったシーラは、勝利者とは到底思えない苦々しい顔をしていた。
「かんっぜんに乗せられたー」
彼の剣があまりに真摯すぎたせいで、そうする必要なぞ何処にもなかったというのに、シーラは危険を冒してまで彼との勝負に踏み込んでしまった。
「大体さ、彼、色々と意外すぎるんだよ。復讐するって言ってるわりにみょーに態度が甘かったり、そうかと思ってたらいきなり毒霧の術でしょ? んでいざ戦い始めてみたら、当人毒も復讐も忘れたみたいに剣に熱中してるんだもん。それも、見てるだけで気分よくなってくるような綺麗でまっすぐな剣だったしねー」
そんなシーラの愚痴を聞いているのは、ギュルディただ一人である。他の者は怪我の治療だけした後で、気を使って二人だけにしてやっていた。
「見てるこっちは随分とひやひやさせられたがな。お前があそこまでてこずったの見るの、もしかしたら初めてかもしれん」
「強かったよ。乗せられたの抜きにしてもね。ただ、そうだね、あのマグヌスってのとやるよりはマシだったかな。アレは別格だよ。でも、最後の攻防だけならラルフくんの方が上だったけど」
本来復讐っていうのは、もっと凄惨で、救いのないものなんだけどなー、とまとめる。
そうだな、なんて同意の言葉をギュルディが口にしなかったのは、シーラが少し考えこんでいる様子だったからだ。
今回の復讐者はあまりそれを感じさせない人物だったが、こんな人の良い暗殺者なんてもの普通はいないものだ。来るのならもっと不愉快極まりないものがくるはずで。そしてそれは必ずくると断言できるぐらいシーラは敵を殺してきている。
シーラは寂しげに言う。
「やっぱり私……お嫁さんには向いてないのかなー……」
かなり気にしている風なシーラだったが、ギュルディは全くこれを真剣には受け取らなかった。
「何を今更。それに、私の妻なんて立場になるお前は、恨まれていようがいまいがいつだって暗殺の警戒が必要だろう。恨みなんてものよりよっぽど直接的な殺害理由になるんだぞ、利害関係ってやつは」
ギュルディがシーラの感情に同調してくれなかったことに不満気な顔を見せるシーラだったが、言われてみればその通りである。
うーむ、と悩み顔になるシーラ。
「となるとまずは居場所を特定されないところから……」
「それをお前が考えてどーする。私の妻には当然護衛の予算がつくことになるぞ」
目をぱちくりと瞬きひとつ。敵に狙われる、なんて話から予算という単語が即座に連想できなかったシーラだが、ギュルディは当然そういう物の見方をしてくる。
「私の家族の護衛に予算が割かれるのは当然だろう。お前がさんざっぱら文句をつけてきた護衛の質に関しても、金額さえ確保できれば十分に用意は可能だ。そしてどう守るかは護衛たちが考えるべきことで、私たちは基本的には彼らの指示に従う。少なくとも私が自分で考えてそうするよりはよほど効果的であろうよ」
「あー、うん、そっか。ごめん、人に守ってもらうってのが、ちょっと頭になかったよ」
「おいおいしっかりしてくれ。お前に死なれでもしたら、間違いなく私は仕事に支障が出るんだからな。下手な時にそうされて判断間違ったら、私も即座に後を追うハメになるんだぞ」
くすくすと笑うシーラ。
「そうなると、きっとギュルディは死者の館には行けないから離れ離れになっちゃうね。うん、一緒にいられるのはこの世の間だけなんだから、その間が少しでも長くなるよーに私もきちんと考えるよ」
「そうしてくれ。後、お前が死ぬとかそーいう話題は私が悲しくなってくるから控えめでよろしく」
今度は幸せそうに笑いながら、シーラは答える。
「うん、そうする」




