157.対軍剣術、完成
真っ赤な鎧の騎士が中心となっていた集団を突破すると、そこから少しの間組織的な抵抗が弱まった。
最前線であった場所の隊長と、少し奥まった場所の赤い騎士とが、対凪秋穂の中心であったのだろう。凪も秋穂も、そういうものが戦いながら当たり前にわかるようになっていた。
散発的な抵抗を粉砕しながら主道を進んでいくと、抵抗がどんどんと薄れていき遂にはなくなってしまう。
そこからは、敵が全くいない空間が広がっている。
凪と秋穂が抜けてきた道には、全てを殺してから進む、とかもうやっていないのでそれなりの数の兵士が残っていて、凪と秋穂に追いすがってきている。
そんな彼らの必死の献身を見て、凪は内心呟く。
『健気なものよね』
そんな健気な彼らに向かって、より正確にはその前にいる凪と秋穂に向かって、次なる敵が姿を見せた。
「「騎馬!」」
ずらりと並んだ騎馬たちが、一斉に主道を駆けてきたのだ。その勢いは間違いなく、凪と秋穂の後方より迫る健気な兵士のことなぞ一切考えていないだろう。
秋穂が面倒くさそうな顔をするのを凪は見逃さなかった。
「今度は任せて!」
先頭切って突っ込んでくる騎馬に、凪もまたその正面に小走りに駆けていく。
己の身長よりずっと上にある馬の顔が勇ましく凪へと向かってくる。
しかし凪の目は、馬の頭部ではなく、その脚部に向けられていた。
右、左、と間を合わせ、そして衝突寸前、勢いよく前に飛び込む。
馬の右前足が持ち上がった瞬間だ。これを左手で掴み、下に潜り込みながら右の肩を馬の右前足の付け根に添える。
馬は右前足を大地につこうとしてこれを凪に阻害されたのだ。この時の馬の重心は、当然右前足側にかかろうとしている。
完全に重心が乗ってしまう前に、凪の両足が大地を強く蹴り出す。それこそ秋穂の震脚もかくやという威力をもって。
下から振り上げた右腕は、右肩に乗せた馬の右前部を支えるのみならず、その勢いを誘導する。
ぐわり、といった勢いで、馬の前半身が浮いたかと思うと、次いで馬の後ろ半身が勢いよく跳び上がる。それは、周囲で見ている者には何故そうなったのか全く理解できぬ挙動だ。
そのまま馬は上に人を乗せたままで、前方に空中一回転をしてしまう。そして、上の人間を押し潰す形で、馬は背中から凪の前方に落下した。
『見極めたわ! 騎馬背負い投げ!』
この瞬間、双方の世界で初めて、騎馬を背負い投げるという快挙が成し遂げられた。
凪が騎馬背負い投げと名付けたこの技は、どちらの世界においても馬に一本背負いを決めてやろうなんて考える馬鹿は存在しないので、凪以降は失伝待ったなしである。
見極めたの言葉通り、この技のコツを完全に掴んだ凪は、次にきた騎馬に対しても背負いを狙っていく。
騎馬の側も、突っ込んで馬で轢くか、横を通り過ぎて槍で突くしか手がないため、凪が騎馬の正面に立つのを防ぐのは困難だ。そもそもそこは、騎馬にとっては対人戦闘において必殺の間合いである。
今度はもっと上手くやれた。
「いよいしょおおおおおおおお!」
女の子の声で女の子らしからぬ雄叫びをあげながら凪が騎馬をぶん投げると、この騎馬、仲間の他の騎馬に向かってすっとんでいった。
当たり前だが、馬は重いのだ。似た機能を持つ鉄の塊であるバイクと比べても、重さがその倍近くはある。
コイツを、いかに重心操作の術に長けているとはいえ、肩に背負って遠くにまでぶん投げるというのは相当な出来事であろう。
主道の中心でそうした時、主道の端、建物にぶち当たって馬が潰れるぐらいには飛距離がある。
秋穂は、ひらりひらりと馬の突進をかわしながら(普通は馬ほどデカイ生き物の突進をこうも簡単にかわせはしない)交錯の際にその足を斬って動きを止めているのだが、凪ほどの積極策は望めない。
「あれもきっと前々から考えてたんだろうねー。ギャグなのか本気で技として考えたのかは判断に迷うところだけど」
有効な攻撃手段であるのは確かだ。
馬を自身に招き入れ、これらを全て嬉々としてぶん投げている凪をさておき、秋穂は敵の動きを見る。
騎馬隊の隊長が随分と焦っているのがわかる。
だが、焦るだけだ。有効な対策は思いつかぬらしい。馬は前に進む生き物であるからして、前から突っ込んではダメと言われてはどうにもしようがなかろう。
馬を走らせながら矢を射るような真似ができるのは、一部の騎馬民族ぐらいのものだ。
だがそこで、騎馬隊の隊長は即座に撤収の指示が出せていない。その能力が無い、なんてことはないだろう。秋穂は教会の軍をなめてはいない。きっと撤収の指示を出すのに問題があるのだ。
『騎馬が暴れるために、空間を空けたのが問題、かな』
凪に見えるように秋穂は前方へと走り進む。
すると、それはよほどしてほしくなかったことなのか、騎馬隊の隊長の悲鳴のような命令が聞こえる。
行かせるな、止めろ、そんな命令というか懇願というかな言葉は、秋穂の判断の正しさを物語っていよう。
凪も秋穂の企みに乗ったのか、すぐに続いてくれた。
そして、無理矢理突っ込んできた騎馬を処すること数騎。その先に続く主道には兵の姿はない。
騎馬の動きを確保するために、ここをがら空きにせざるをえなかったのだろう。そしてその先に、遂に、主道の終わりが見えていた。
「凪ちゃん! 騎馬は無視! 一気に行くよ!」
「りょーかいっ! 後一踏ん張りいってみよっか!」
追いすがる騎馬たちよりも、まだ本気で走った凪と秋穂の方が速い。その事実に愕然とした顔をしている騎馬隊隊長の顔が見えた。それ以降彼の姿を見ることはなかったが。
主道を抜けきり、一気に視界が開ける。
思わず、感嘆の声をもらしてしまったのは凪だ。
「うわーお」
苦い顔でうめき声のようなものを発したのは秋穂だ。
「うええ」
シムリスハムン大聖堂。その前の広場は大聖堂のテラスから、集まった群衆を見下ろすことができるような造りになっており、ここには元々多数の人間が入れるようになっていた。
そこに、兵士がずらりと並ぶ。もちろんずらり一列ではない。ずらずらずらり、といった感じで幾重にも兵の列が連なっており、この時の凪と秋穂は知らないが、シムリスハムン大聖堂前広場には、なんと千を超える兵士が集まっていたのだ。
これだけ暴れて、これだけ殺して、辿り着いた先に千の兵士である。
正確に人数を探る術がないからこそ、凪も秋穂もその兵数を見誤った。それほどに、千の兵、それも総大主教の閲兵を受け精兵となった彼らの威容は恐ろしいものであったのだ。
「……これが三千って話なんじゃない?」
「今までのぜーんぶ前座だったって? 勘弁してよー」
だが、ここにきても前向き凪がブレることはない。
「ま、今までと違って、大将の首だけ取ったらあとは大聖堂に乗り込んじゃえばいいんだし。狭い建物の中なら三千が五千だろうと大して差はないわよ」
「実際にコレを目にしておきながら、そんな大雑把な計算ができるの凪ちゃんぐらいだよね」
とはいえ、今更、ここまで殺しておいて、じゃあやめたは通用しない。
そして、ここで討ち取られては二人の目的は果たせない。教会の主要人物を、教会の総力を突破したうえでぶっ殺して見せるのが、今回の作戦の骨子であるのだから。
「おーっしっ! やったるわよ秋穂!」
「あーもうっ! いいよ! ここで死んでみせればいいんでしょ!」
二人共、ヤケになった顔で、二人で並んで千の兵士の群へと突っ込んでいった。
ちなみに、ヤケになっているのは凪と秋穂の二人だけではない。
「騎馬隊は何をやっているのだ!?」
総指揮官の怒声に答えられる者はいない。
騎馬隊が負けるのは一応考慮に入れていたし、薄い可能性ではあれど無傷で突破されるなんて可能性もあるかも、と思うぐらいにはこれまでの報告を信じる気にはなっていた。
だが、騎馬隊が徒歩の二人に走って振りきられるのは幾らなんでも想定外だ。
幕僚の一人が、顔をくしゃくしゃに歪めながらついぼそりと漏らしてしまう。
「うわぁ、本当に魔獣なんだなぁ……」
「馬鹿なことを抜かすな!」
即座に総指揮官に怒鳴りつけられ、彼は肩をすくめて引っ込んだ。
総指揮官は、つい先ほど総大主教猊下よりのお言葉を賜ったこの場所に乗り込まれてしまったことに、心底腹を立てていた。
「何故だ! 何故誰も私の指示を守らない! 言われたことを言われた通りにやればいいだけだろう! 貴様ら雑兵にも理解できるよう、簡易で簡素な命令にしたではないか! なのにどうして言う通りにできんのだ! 貴様ら全員! あの二人に金でももらっているのか!?」
そう言って喚き散らす総指揮官の視界に入る位置に、幕僚の一人が移動する。そして、苦い顔で総指揮官を見る。
咄嗟に彼に対しても怒鳴ろうとして、どうにか堪える。総指揮官も長く貴族をやっていた男だ。感情任せに喚き散らすことがどれほどよろしくないことなのかは理解している。
それでも出てしまうのが感情というものだが、そういった時、それを口にして指摘しては貴族の面目を潰すことになる。だから彼に忠誠心を持つ者が、言葉によらず諫言を行なう。これは、そういうことである。
彼の意を受け、歯を食いしばりながら怒りを堪える総指揮官。
目をつむって意識を整え直した後で、静かな声で口を開く。
「……すまん、取り乱した。現在対応中の前列以降に、重装歩兵を並べ、更に後ろに射撃投擲部隊を配置させる。目新しい対応は必要ない。丁寧に、適切に、対処せよ」
総指揮官の言葉に、幕僚たちは一斉に動き出す。彼の指示を具体的に実現するべく、細かな調整をするのが彼らの仕事だ。
これを見る限りは、少なくともこの本陣は、総指揮官を中心に綺麗にまとまってはいるようだ。
が、一人の聖堂騎士がこの本陣へと駆けこんできた。
彼の顔には見覚えがある。剣術の腕だけならば十聖剣に匹敵するであろう、と総指揮官が見ている男だ。
だが彼は平民の出であることから万事控えめであり、決して身の程以上の栄達を望もうとはしない、総指揮官にとってはこれこそが平民出の聖堂騎士のあるべき姿、という男であった。
そんな彼は前線指揮官の一人であったはずだが、貴族ばかりのこの本陣に単身乗り込んでくるとはどういうことか。
暗殺、なんて言葉が一瞬総指揮官の脳裏をかすめる。護衛の二人を見て、問題無し、と判断すると飛び込んできた聖堂騎士の男に目を向ける。
ここで彼の立場を弁えぬ行動を咎めるのは総指揮官の仕事ではない。
幕僚の一人が彼の無礼を咎めると、彼は総指揮官にとって危険ではない距離で、総指揮官に向かって膝をついた。
「無礼は百も承知。ですが、早急に報告の要ありと判断しました。何卒、お聞き入れくださいませ」
いつもの総指揮官ならば相手にせぬところであるが、何しろ今は不測の事態が連続して起こっている最中だ。
ほんの少しでも情報が欲しいと思ってしまったらもう彼を咎めることはできなくなる。
「いいだろう、話せ」
「はっ。直ちに、本陣は後退を開始すべきです。もちろん、聖堂の御方々に避難を促した後で、でありますが。現状、我らの持つ手段では、あの二人の侵攻を食い止める術がありませぬ。兵による足止めが、何一つ通用しないのです。つまり、本陣までいずれ突破されますし、その先の大聖堂までも、あの二人に蹂躙されることとなりましょう。そうなる前に! 急ぎ行動せねばなりません!」
総指揮官は呆気にとられ、これに言葉を返すことができなかった。
よほどの重要情報であろう、と待ち構えていたのだが、出てきたものは避難勧告である。千の兵がいる陣の最奥、そしてその更に奥にいる聖堂の人間も避難しろ、と彼はこういうのだ。
意味がわからなすぎて言葉が出てこない。彼の勇敢さを疑っていなかったからこその思考の空白であろう。
頭が一瞬真っ白になってしまった総指揮官に代わって、幕僚たちがきちんと爆発してくれた。
誰も彼もが一斉に大怒号の嵐である。
総指揮官は、幕僚たちが発する言葉一つ一つに頷きながら、自身の静止してしまった思考を動かしにかかる。
「千の兵がいて止められぬ者なぞこの世におるものか!」
『うむ、まったくもってその通り。二人だぞ? 最悪、千人で雪崩のように押し込みかかれば取り押さえるぐらいは……』
「足止めのための策も数多授けてあったはずだ! それら全てをもう試したとでもいうのか!」
『広場にきてからほとんど時間は経っていないだろうに。……それまでにもう試した、ということか?』
「これだけの人の群、それも兵士の群をたった二人がどうやって突破するというのだ!」
『たとえ辺境の魔獣であろうとどうにもならんだろう、とは思うのだが。では、そもそもあの二人、どうやってここまで辿り着いた?』
「総大主教猊下よりお言葉を賜った我ら神兵が! 敵を前に引き下がるなぞ言語道断だ!」
『確かに、現時点での後退は教会の兵としてあるまじき判断だ。ただそれは、敵と味方の戦力比較には関係せん話だな』
「臆したか! 聖堂騎士の地位を受けながらなんたる無様よ!」
『それはただの罵倒だ。そう言いたい気持ちも痛いほどよくわかるが』
そんな騒ぎの最中、また別の兵が本陣に駆け込んできたようだ。
受付の兵は困惑した様子であるが取次ぎの報告にきた。
「その、前線より、大至急報告したきことがあると……三名の伝令がきております。いずれも、隊の副将ばかりでして……いかが、いたしましょうか」
隊の副将クラスを報告に寄越すというのはよほどのことだ。
これを聞かぬという話はない。だが、聖堂騎士に続いて三つの隊が動いたということに、底知れぬ不気味さがあった。
果たして三人の報告も聖堂騎士がしたものと同じであった。
多少の差はあれど、アキホとナギが殲滅ではなく突破を図った場合、これを食い止める術がないため、大至急本陣と大聖堂の避難を行なうべし、というものだ。
聖堂騎士も含め四人は全員、自分が無茶苦茶を言っている自覚もあるようだ。だが、それでも尚自身の言葉を翻しはしなかった。
幕僚たちに罵声を浴びせられても、絶対に説得を諦めようとはしなかったし、自らの意見を翻すこともない。本来の立場を考えれば絶対にありえぬ強硬な態度だ。
いや、総指揮官はそこに別のものを見た。
『強硬、というよりは、悲壮な顔つきをしておる』
だが、それでも、できぬはできぬ。
「お主らの言葉、よくよくわかった。保身を考えただのといった邪推はすまい。だが、それでも尚、シムリスハムンの大聖堂を背後に背負う我らが後退することはありえぬ。それだけは、教会の兵が絶対にやってはならぬことだ」
報告者四人共が、総指揮官の言葉の説得力を理解した。してしまったからこそ、四人共がとても苦し気な表情をしていた。
それでも食い下がれたのは、最初に報告にきた聖堂騎士だ。
「では、せめても、せめても大聖堂の方々の避難だけは、どうか。我らの死に、どうか意味と意義を与えていただきたい。あれらの足止めはならぬ、そう私は判断しました。ですが、尊貴なる方々が避難するまでの間、我ら一同、決死の覚悟でならぬをなしてみせましょう。どうか、どうか、伏してお願いいたしまする。どうか」
聖堂騎士の言葉に、残る三人もその場にひれ伏して懇願する。
総指揮官は貴族の優位を、平民との差を、明確にしてこそ秩序は保たれ、国は発展していくと本気で信じている。
だが、全てをかなぐり捨てた平民の一瞬の行動力を知ってもいたし、少なくともある一定の地位にある平民には十分な判断能力があることも知っていた。
「……よかろう。お主らの意見は意見として聞いておこう。私の名で、聖卓会議に避難勧告はしておく。だが、できるのはあくまで勧告だ。そもそも私にあの方々への命令権なぞないからな」
副官三人は総指揮官の言葉に、希望を見た、と嬉しそうに顔を挙げた後、深々と頭を下げ直した。
だが、聖堂騎士のみは頭を下げたまま。その様子を見て総指揮官は、心中を読まれたか、と苦笑する。
副官三人を前線に戻した後で、総指揮官は聖堂騎士のみと二人で話をした。
聖堂騎士が苦しそうな顔をしているのは、彼がなさんとすることの難しさをわかっているからだろう。
総指揮官は彼に告げる。
「聖卓会議への避難勧告にはお主が行け。私からの書状には今言ったことをそのまま書く。おそらく、聞き入れてはもらえんだろう。それでも、というのであればお主が自身であちらを説得せよ」
聖堂騎士は驚いた顔をしていた。総指揮官がそういった配慮をしてくれるとは思っていなかったのだ。
「私にも立場がある。これ以上は無理だ。どうだ、できるか?」
聖堂騎士は決然とした表情で言う。
「やります! やらせてください!」
「いいだろう。だが、私から言葉を添えることはできぬし、本来のお主の立場では、あの方々の前で意見を述べるなぞ越権にもほどがあろう。万事、覚悟して事に当たれ」
「はっ! ありがとうございます!」
総指揮官が書いた書状を持って聖堂騎士は大急ぎで大聖堂に向かっていった。
『ふむ。嫌な感じがしたとはいえ、少々保険がすぎたか?』
総指揮官が聖堂騎士の行動を認めたのは、四人の直訴に多少なりと感じるものがあったからだ。
彼らの言動に感じ入ったということではなく、保険をかけておくべきリスクの臭いを感じ取った、というべきか。
もし問題なくこの場でアキホとナギの処理が済んだとしても、アレはあの聖堂騎士単独での暴走として処理することもできる。
そして何かの間違いで大聖堂の人間に被害が出てしまった場合、アレを送り込んだことで一応の言い訳は成立する。
いつもならばこんなにも薄い可能性に保険なぞかけないのだが、四人の直訴には、そうせねば、と総指揮官が思えるだけの真剣味があった。
秋穂の刃の柄側が敵の鎧に当てられる。
これを一息に引くと、先ほどからよく聞こえる麻布を千切り裂いたような音がして、金属鎧が斬れ裂け、その中の人体を損傷させる。
秋穂は剣先を進行方向に向けることはしない。自分の身体がまず先だ。これに続くように剣を握った手、そしてこの後から剣が続く。人と人との距離が狭すぎるせいで、剣を振り回す空間がないためだ。
敵の懐へ踏み出す一瞬。この間の取り方が超近接戦闘時の肝だ。
今斬り倒した敵が崩れ落ちるまでは彼の身体がブラインドになってくれている。この間に、次の敵の間合いの内に飛び込むのだ。
視線でのフェイント、挙動のフェイント、そういったちょっとした工夫一つで敵の攻撃機会を潰し、懐に踏み込んで刃を当てる。これを引き斬るのは、次の敵へと踏み出す時か更に別の敵の攻撃をこの身体を使って防ぎながらか。
この距離まで踏み込んでしまうとこちらの視界も制限されることから、これはかなりの危険が伴う戦い方だ。
それでも、この先にこそ、秋穂の目指す理想の形があると思えたのだ。
この距離での対集団戦闘を極めていけば、秋穂と凪が作り上げている対軍剣術の深奥へと至ることができるのではなかろうかと。
見れば、この距離での戦い方は凪のそれも秋穂のものと大差はない。
まるで敵に身体を預けるかのような近接の仕方をする動きは、とても正気ではこなせまい。
だが、今、これこそが、秋穂と凪の考える理想の動きであるのだ。
凪も秋穂も、まだスタミナに余裕がある内は、それこそ敵をぶん投げて続く敵を潰すなんてこともできたのだが、今は最小の動きで最大の効果を狙わなければならない。
そうなってくると、どこかの塾の名物である直進行軍みたいな真似はできず、敵兵の合間をすり抜けながら剣を当て引き、接近した敵の抵抗力を奪いつつ前進するといったそれまでとは比べ物にならないほど物静かな動きになる。
だが、それこそが、対軍剣術の真骨頂とも言うべき術理でもあった。
一度に八方より、多数の兵がそれこそ雲霞の如く押し寄せてくる。これを如何に迎え撃つか。
当然、待ち構えるではどうにもならない。それは秋穂がウールブヘジンとの戦いにおいて我が身をもって経験したもので、敵が消耗を強いる戦闘を続ければ、ほどなく秋穂ほどの戦士であっても体力が尽きてしまう。
なので凪と秋穂の出した最善は、こちらから踏み込み、敵に極力戦術を使わせぬこと、である。
凪も秋穂も、敵軍の集団に向かって自ら飛び込んでいくが、こうすることで敵の対応策を制限し、そして全周囲を敵が囲むという最悪のはずの環境の中で体力消耗を極力減らす戦い方として、敵の身体そのものを他の敵への盾とできるほどに近接する、というやり方を取る。
二人の速度が落ちぬ限りという条件付きではあるが、千人の兵の群に飛び込んでなお命があるのは、こういった二人にのみ許された術理に従った故のことであった。
そしてそれは傍目から見ると、殺意に満ちた兵の壁をすり抜け割り裂く、不可触の奇跡にしか見えぬというもので。
幾つかの対応を試した各隊の隊長たちが、揃って本陣に撤退を勧めたのはこういう理由であった。
これまで到底信じられぬような報告を受け続けた総指揮官が、今の、ようやくその理不尽な報告の元凶を目にできる機会を逃せるわけがない。
まるで招き寄せられるかのように、総指揮官は二人の姿が視認できる場所まで前進する。
「……あれは、なんだ?」
この発言は同行した幕僚が漏らしたものだ。
これまでの報告が現実のものであると証明する、正に生き証人そのものだ。優れたものを見慣れた彼らをして、これ以上の剣士は見たことがない、と断言できるほどの熟達した剣士の姿がそこにはあった。
彼らは口々に言う。あれこそが魔獣。魔獣の力を持ちし死者の国の剣士であると。
兵士たちもそうであるように彼ら幕僚も恐れ慄き、言葉を失ってしまっている。
そんな彼らの様子を、不思議そうに見ているのが総指揮官だ。
『おい、おい、ちょっと待て。アレ、どう見ても疲労困憊、限界寸前といった様子ではないか? 今にも倒れそうな顔をしているだろうに。何故誰もそれを指摘せんのだ?』
きょろきょろと周囲を窺ってみるも、誰も総指揮官と同じようなことを考えてるとは思えない。
総指揮官は十聖剣に選ばれるほどに剣術に長けている。貴族は軍の指揮をこそ学ぶべき、と考えてはいるが彼自身並々ならぬ剣士であるのだ。
だからこそあの二人の、恐るべき速さは決して人の手の届かぬものであるとは思わないし、それが遥か遠き道のりであると理解はできても、決して人外化生の所業であるとは思わない。
たとえば今のあの二人であったなら、総指揮官ですら認めざるを得ない剣士、王都随一と謳われたランヴァルトと比較すれば明らかにランヴァルトの方が上だと断言できる。
ここまで戦い抜いてきた体力は人間離れしているし、その点に関しては人外扱いも納得はできるが、今のあの二人を、総指揮官は周囲がそう思うほどに脅威とは思えないでいた。
『そう、か。これまでの戦果と、あの全身より放たれる鬼気、血臭に惑わされているのか』
さもありなん。確かに、たった二人で軍を相手に戦い抜けるほどの、傑物であるのは事実だ。
総指揮官は高らかに声をあげた。
「恐れるな! 敵のあの顔を見よ! これまで戦い散っていった戦士たちが積み上げたものが刻まれておる! もう一押しだ! 魔獣何するものぞ! 我らは神兵! 背後に大聖堂を背負った不退転の我らに敗北の二字はありえぬわ!」
誰もが恐れる怪物相手になお気を吐ける総指揮官を見て、幕僚たちは、この声を聞いた兵たちは、自らに与えられている命令の価値を知る。
これほどの将が率いている我らが、敗北するなぞありえぬと彼らは自信を得たのだ。
総指揮官は、別段珍しい采配をしたわけではない。
強力な個体を相手にする時に行なう手法をただ繰り返しているだけに過ぎない。
総指揮官は千という数の暴威を理解しているからこそ、見た目や戦歴の派手さに惑わされずそれを丁寧に繰り返すだけで勝てぬ相手はおらぬと考えた。
順当に戦い、順当に勝てる。
そういった圧倒的確信から発せられる命令の頼もしさよ。一番上が一切の迷いを持っておらぬのだから、これを伝えられた部下たちにも迷いはない。
本陣は、幕僚たちは、そして総指揮官は、自らの勝利を疑ってはいなかった。
総指揮官は生まれながらの貴族であり、爵位の継承者であり、人を従えることを当然と生きてきた者だ。
彼には数多の問題解決手段が与えられていて、彼はこれまでの人生で解決できぬ問題なぞほとんどなかった。
彼の望み通りに物事が運ばなかったのは、彼が持つものより高い地位、権威、権力を相手にした時のみで、だからこそ彼は自身の権勢を高めようと努力してきたのだ。
他者よりも多くを与えられているのは事実だが、だからと彼に能力がないというわけでは無論ない。むしろ、与えられた力を如何に効果的に活用するか、誰よりも熟知しているのは総指揮官である。
総指揮官にとって、生じた問題というものは解決できてしかるべきものであるし、そうできないのは自らより高位の者を相手にした時のみだ。
だから、彼には理解できなかったのだ。
『おい』
物事の道理が通じぬほどの。
『何故、止まらぬ』
圧倒的なまでの理不尽さを持つ。
『待て。これでは……』
暴力というものを。
『私に、届いてしまう、のか?』
最後の瞬間、二人が本陣前の兵列を抜ける瞬間まで、総指揮官はソレを信じることができなかった。
幕僚たち同様、とても驚いた顔をしたままで、総指揮官は首を刎ねられてしまったのだ。




