133.意外っ、それは潜入調査
楠木涼太の持つ魔術、遠目、遠耳の魔術は、遠隔地に不可視の浮遊する目と耳を飛ばし、遠くの景色を見、遠くの音を聞くことのできる魔術である。
この魔術の一番恐ろしいところは、その知名度にある。
他にも多種ある魔術の中には、知名度の高い魔術もあり、魔術師でなくともどういった魔術なのかを知っている、といったものがある。
だがこの遠目遠耳の魔術は、魔術師にすらその存在を知られていない、極めて知名度の低い魔術であるのだ。
諜報において有用な魔術が、専門家である魔術師にすら知られていないということが、どれほど恐ろしいことか。
存在を知られていないのだからして当然、何処もこの魔術への対策なぞ用意していない。それが故にこそ、涼太はこの世界で諜報においては好き放題することができたのだ。
それが、遂に、通じぬ状況に出くわしてしまったのだ。
「あー、こりゃイカン。完全にお手上げだ」
王都圏の端っこの方に、スンドボーンという街がある。ここを標的と定めた涼太たち一行はこの街の傍にまできた。
ここでいつものように教会施設を魔術で探ろうとした涼太は、魔術が全く通らないことに気付いたのである。
驚いた顔で凪。
「え? 結局遠目遠耳の魔術、通らなかったの?」
「ああ。あの様子だと、他の魔術も全部通らんだろうな」
秋穂は眉根を寄せている。
「ここ、確かに教会関係者にとっては重要かもしれないけど、あの大きな建物全域に対魔術の準備整えるほどなの? そもそも、魔術でそんなことできるの?」
「建物なんかだと、魔術が施されてから時間が経てば経つほど、他の魔術の通りが悪くなるんだ。あの建物にかかってる魔術自体には、阻害なんて効果はないっぽい。多分、劣化を防ぐ魔術だと思う。けど、随分長いことそうされているせいで、俺の魔術じゃまともに通らなくなってる」
「長いってどれぐらい? そんな建物、王都圏だとちょこちょこあるものなの?」
「ベネが言うには、力を持つようになるまで百年以上はかかるらしい。俺の魔術をほぼ完全に防いじゃってることを考えるに、あの施設は築数百年とかそういうレベルの話だろ」
疑問は晴れないのか、秋穂は言葉を続ける。
「敷地全部ダメなの? 建物の中だけ?」
「敷地全部だなぁ。これはもうどういう理屈なのか俺にもわかんないんだけど、敷地を囲む石壁の内は、空からでも目が通らない。なんか透明なドームが覆ってる感じだ。信じられるか? あのアホ広い敷地、全部魔術通らないんだぜ?」
その教会施設は、敷地内だけで数百人の人間が生活できるほどの面積があり、スンドボーンの街の三割ほどの大きさがある。
特に中央に立っている長方形の建物は、総部屋数が五十六十あってもおかしくないほどの大きさだ。
透明なドームの外から見る、聞くといった行為はできるため、敷地内の屋外を見張ることはできるかもしれないが、それでは涼太の望む精度の情報は得られそうにない。
どうしたものか、と首をかしげる涼太。そこに、凪が嬉しそうに顔を出してきた。
「ねえねえ、涼太の魔術で調べらんないんならさ、私、一ついい考えがあるんだけど」
「却下だ」
「却下だよー」
「なんで即答なのよ!」
「だって凪ちゃんがそんな嬉しそうな顔で言ってくることなんて、絶対ロクでもないことだろうし」
「何よ! 前からずーっと考えてたすっごい良いアイディアなのよ!」
「……不安しかねえ……けど、一応聞くだけは聞いてやるから言ってみろ」
凪のアイディアとは。
凪と秋穂ならば、相手を騙して敵地に潜入したとして、そこでもし敵にバレても力づくで脱出も可能だろう。それはつまり、他の潜入捜査員とは比較にならないほど余裕のある捜査が可能だということだ。
秋穂がすぐにそのアイディアの問題点を指摘する。
「私たちが顔出したら即バレない? バレなかったとしてもやっぱり問題は起こると思うんだけど」
「そうね! だから私たちが自分で顔に傷をつけておくのよ! もう二目と見れない勢いで!」
涼太。それでもやっぱりお前らの顔は目立つと思うぞ、と。
秋穂。髪の色でバレるんじゃないかなー、と。
ちなみに、涼太の治療魔術ならば、あるていどの古傷すら治癒可能なのは既に確認してある。こんなことができる涼太の治癒魔術の性能の高さも、偽装の役には立つだろうと凪は胸を張る。
そして涼太と秋穂がそれぞれ問題だと思った点は。
「あー、髪の色なら他の魔術師に頼めばどうにかなる」
「んー、顔は、傷だらけにする前提なら誤魔化せるかなー」
と相互に解決してしまった。
調査をせずに攻める手もある。敵戦力予想は立つし、攻めるだけならばそれほど問題にはならない。
現在、凪、秋穂、涼太の三人は教会から神敵指定を受ける前段階のところまできている。そこまで話がいっていないのは、単純に司教の殺害からまだ一月も経っていないからだ。
それでも、敵がどんな相手なのかを知った上で戦いたい、というのは凪と秋穂の希望だ。
殺したくない敵もいる。それを知った上でも、いざ剣を抜いてしまえばもうどうしようもない。敵は殺す以外に選択肢がない。
だが剣を抜く前ならば。涼太がアルベルティナにそうしたように殺さないで済む可能性も出てくるのだ。
凪、秋穂、涼太の三人にとって、敵を殺さずに済ませるというのは、それだけ難しいことであるという認識だ。
別に殺さないだけならば、剣を止めればいいだけだ。だが、その結果として自身や味方が死ぬのは許容できない。そう考えると途端に難しくなるのである。
とはいえ、涼太は二人の希望を受け入れることに肯定的だ。
「気分の悪くなることはしたくない。だから、気分の悪くなる殺しもしたくない。実に、端的かつ明快な論理だ」
ココを襲撃地点に選んだのもこの理由によるものだ。
そして、結局他に良い案もないことから、凪の作戦が通ってしまった。
王都圏に入ってしまえば、リネスタードの影響力が及ばなくなり、それは涼太たち三人が孤立無援になることとイコールである。
はずなのだが、王都圏に入っても涼太は協力者と連絡をつけることができていた。
「リョータ……こうして、実際に手を出す前に声をかけてくれたことは本当にありがたいと思っている。だが、だがっ、君たちは、よりにもよってここに手を出すつもりなのか……」
ギュルディがランドスカープ国中に張り巡らせていた商人網、涼太曰くの諜報網は、当然王都圏にも広がっている。
これを涼太たちが利用できるよう、ギュルディは事前に調整を済ませていたのだ。
涼太たちに積極的に力を貸すことで、その動向を誰よりも早く察知しようという試みだ。
この組織、基本的にはギュルディの指示の下動くようできているが、そのギュルディの指示というものが頻繁に出されるものではない。
リアルタイムでの情報伝達が不可能なこの時代、ギュルディからの連絡を即座に受け取れぬ場所にいる各地域の責任者には、自身で全てを判断し差配する権限が与えられている。
この地の責任者も、リョータたちとは初対面ではあるがギュルディからの伝達を受けており、その文面の裏をすら読んで彼はどう立ち回るかを判断しなければならない。
またこれは何処の責任者も一緒であるのだが、明らかに年下である涼太たちに対し彼らは決して敬語と敬意を欠かさない。
そういった相手として対応しろ、というギュルディよりの指示もあるのだが、彼ら自身が平民であることから、貴族という絶対的上位者が存在することに慣れているせいだろう。
涼太は苦笑する。
「むしろ真っ先に潰したくなる場所だろ。俺たち、別に大神ユグドラシルの信徒が嫌いってわけじゃあないんだし」
負けを認めさせるには信徒をどうこうしたところで意味はない。首脳陣を黙らせられなければ、という意味では、この街を攻めるのは効果的である、とこの責任者も理解できてしまう。
「そういう場所だからこそ、武力は相応のものが集まっています。むしろ、他の教会等には絶対にいないような連中がいるんですよ。……ああ、そうですか、その顔、わかってるって顔されたらもう私から言えることはありません」
その後に続けた涼太の説明に責任者は納得してくれた。
死人を減らすためにも、潜入調査に協力してほしい、と言われれば断ることはできない。彼は足のつかない形で魔術師を手配し、そして二人があの施設に入り込む段取りを整えることを約束した。
馬車、というよりは木の箱と言ったほうが適切であろうその乗り物には、当然車体の揺れを緩和するような気の利いた機構はついていない。
そして箱の中の椅子にも、クッションなんてものはついていないので、これに乗っている者たちは皆、上着や荷物を尻にしいて少しでも負担のないようにしている。
『……この馬車って乗り物。人間用にできてる乗り物として絶対に認めてやりたくないわねぇ』
貴族用の馬車ならもう少し気配りもあろうが、この馬車は平民、それも下層の人間を運搬する目的で作られており、これでもかと凪のケツを痛めつけにきてくれる。
凪は隣の秋穂を見る。時折秋穂は尻が痛くてしょうがないので空気椅子の形で中腰になっていたようだが、今はとても不快そうに木の椅子に腰かけている。
馬車の中には凪と秋穂だけでなく、他にも六人の女が座っている。
皆、身なりはみすぼらしいが、その表情は明るい。
凪と秋穂はフードで顔を隠し、意識して無口であるようにしており簡単な自己紹介のみしかしていないが、彼女ら六人は馬車での道中、にぎにぎしく会話を交わしている。
六人の女性は、妙齢なのは凪と秋穂含めても三人のみで、残り五人は中年に差し掛かっている。
彼女らの会話を聞いていれば、その身の上もすぐにわかった。貧乏や犯罪的行為に巻き込まれたことが原因で奴隷商に身柄を預けられ、これを教会が買い取ったことで彼女たちは救われたと思っている。声が明るいのもそのためだろう。
一人若い女性のみが凪と秋穂をちらちらと見ているが、中年の女性たちはそれを望んでいない気配を出している二人に無理に絡んでいくことはなかった。
馬車での旅は三日間の行程で、粗末な食事や死ぬほど退屈な道中、プライバシーの欠片もない扱いに、何よりも変装のために王都で買った超高級下着を使わず現地の極めて低品質なものを身につけているせいで、凪も秋穂もとても不快な時間を過ごすことになる。
『気を使わなくていい分、野宿の方がマシだわ』
天上の美を備えているとまで言われている凪ではあるが、野外生活に全く抵抗がない人間でもあるので、この見た目でありながら清潔さを求めるべくもない環境や栄養補給しか望めない食事にもさほど抵抗はなかったりする。
秋穂は清潔さは極力維持したいと考えている一般的な現代人だが、必要があるのならば我慢はするし、食事に関しても最低限栄養補給さえできていればそれでいいや派、でもあるので、恐らくは涼太がこの環境に耐えようとするよりは上手くやれているであろう。
馬車がスンドボーンの街に辿り着き、その建物、街の名前の由来にもなっているスンドボーン大修道院に入る。
敷地内に入るとすぐに、敷地の中を通る小さな川に連れていかれる。見た目は完全に自然の川であるが、この不自然に都市内を流れている川は、水の便のために作られた用水路である。
ここで、馬車に乗っていた全員が身を清めるよう言われた。
八人の馬車の女に加え、水浴びには五人の女性が手伝ってくれた。
そこで始めて、凪と秋穂の削るだけで作られた超大雑把な顔面入れ墨が公開された。
「ひっ」
思わずそんな悲鳴を上げてしまうのは、集まった者たちが皆女性であるせいだろう。
顔中に刻まれたその傷痕は、事故で作られた、そう見ることも辛うじてできないでもない。
だがこれを見た者が真っ先に思い至るのは、この傷を刻んだであろう何者かの強烈な悪意である。
特に、身体にはこれといった傷がないのに、顔にだけ集中している傷を見れば、悪意の有無は明白であろう。
凪と秋穂以外の女性皆が固まってしまっている中、世話役の中年女性の一人が秋穂に布を手渡しながら言う。
「あらまあ。どう? まだ傷が痛むのなら薬、もらってこようか?」
秋穂は首を横に振る。そこでも言葉を発しないことから、話したくないことであると判じた中年女性はそこには一切触れぬままで、しかし凪と秋穂には特に親切にその水浴びを手伝った。
馬車に一人いた若い女性も、凪と秋穂の服の裾から見える肌の綺麗さと服の上からでもわかる胸の大きさを気にしていたのだが、この傷を見てはもう競う相手であるとは到底思えず、素直に同情の目を向けてきた。
そして皆が納得する。凪と秋穂が、フードを深くかぶりたがるのも、その薄茶色の髪を前にたらしたがる理由も。
水浴びの後も、その場にいた全員に生暖かく見守られながら、二人は宿舎へと連れていかれた。
ちなみに、二人が顔の傷を作っていた時の模様である。
「あはははははは。やっぱり凪ちゃん額の三日月向こう傷やりたかったんだ」
「秋穂こそ。その目の上の傷。それ前々からやってみたかったんでしょ」
「……お前ら、なんでそんなに楽しそうなんだよ……あーあー、そこらに血が飛び散っちまっちゃって」
美しく貴重なものを大切に思う気持ちは誰しもに、そう涼太にだってある。
これを、治るからと嬉々として傷つけて楽しむ感覚は、涼太にはない。
「ほらほら、秋穂これ見てー」
「ぶっ、あ、あはははははは。凪ちゃんそれ六なんとかってやつでしょ。槍持ってる人の」
「やっぱり秋穂わかってくれるわね。こういうの涼太は全然わかんないしねー」
「あの漫画面白いのにねえ。ほら、凪ちゃんこれこれ。ほっぺたばってんでござるー」
「あはははははは、いやそれ原作的にはもっと重い話でしょう」
ほっぺたにばってん印つけたり、左右の頬に三本ずつの線を引いたりと、鏡を見ながら実に楽しそうに自分の顔を切り刻んでいる。
見ているだけで痛そうな涼太は、全くそれを気にしている風もない二人に聞いた。
「……なあ、お前ら、それ、痛くないのか?」
「痛いに決まってるじゃない」
「痛いに決まってるよ」
だからすぐに治してちょーだい、と自分でつけた傷に、傷痕が残る程度の治療を要求された時、涼太が、何か違くねえこれ、と思ったとしてもそれは決して間違った感じ方ではなかったであろう。
水浴びの時、最初に凪に声をかけてくれた世話役の女性は、特に凪と秋穂を気にかけてくれた。
二人が何を言わなくても、顔の傷のことをしかるべき相手に周知してくれて、フードで顔を隠す許可を取り、あまり人目につかないで済む仕事に就けるよう手配してくれた。
それは皆があまり好まない力仕事であったりするのだが、そういう仕事だからこそ、きちんとこなしてみせればこの集団の中で役に立っていると示すことができるだろう。
自分がその集団の中で役割を得ている、役に立っていると自認できれば、厭世気分や後ろめたさも少しは緩和されるというものだ。
その後数日の間、世話役の女性は仕事を正確にこなせるように、やる気を出せるように、間違っても世を儚むなんてことのないように、凪と秋穂に気を配ってくれ続けた。
それはこの女性だけではなく、よく顔を合わせる下働きの女性たち全てが二人を気にしてくれていた。
見た目は顔を隠しがちなのでよくわからないが、体型は極めて女性的で魅力的な凪と秋穂の顔中に悪意による傷痕が刻まれていると聞き、彼女たちは高位の女性の嫉妬を連想したのである。
ただこの反応を見て、凪は少し怪訝に思う。
『所謂修道院っていうのとは、やっぱり違うわね』
女性修道院で好まれる修道女の資質の中に、不細工である、というものがある。
見目麗しい女性には男性からの誘惑が多くなるものなのだから、修道女として男性との関係を断たねばならないというのなら、修道院の観点からすればそれは望ましくない特性である。
だがここの女性たちは、修道女に二人が相応しい、なんて話は一切しない。普通の女性がそうするように、女性としての未来が断たれたことを憐れむだけだ。
そしてこの建物で仕事を始めてから五日ほどで、馬車で一緒だった若い女の子は別の部署へと連れていかれた。
その時の彼女はとても嬉しそうで、ここが事前調査にあった通りの場所であると凪は確信した。
スンドボーン大修道院。
それは二百年以上の歴史を持つ、ランドスカープでも最古の建物の一つだ。
建設当初は女性修道院であったスンドボーン大修道院であるが、時を経て今では男性の割合も増えてきている。
そして、その役割も変質してきていた。
スンドボーンの街はこの大修道院にいる多数の人間たちの生活環境を整えるために平民が集められてできた街だ。
なので街全体が修道院の影響下にあり、かつ、主要街道から大きく外れた土地であり、また基幹産業となるべき何もない場所であるため、人の出入りは極めて少ない。
そういった閉鎖的な環境は、この街独自の法を成立させるに有利なものであり、またこの土地はランドスカープ王国のものではなく教会所有の土地であり、これを理由に幾つかの特権を国に認めさせていた。
街で生活しているのは敬虔な信徒がその大半で、そうでない者は街から追い出されるような土地柄だ。
そういった条件全ては、宗教関係者たちが好き勝手をするために時間と金をかけて少しずつ整えていったものだ。
そして完成した。
スンドボーン大修道院は、宗教関係者のみのために全てが整えられた、歓楽街、売春宿なのである。
一つの街を丸々そのためだけに維持しているのだからご大層な話だ、と涼太は呆れ顔であった。
元々大神ユグドラシルは売春を禁止などはしていない。貞淑であることは美徳であるともされているが、そうでないからと神の意志に背いているという教義はない。
だが、やはりこういったものはあまり一般的には好まれざるものであり、聖職にある者としての面目を考え、こうした専門の場所を用意した、という話だ。
その性質上、教会組織の矛盾や腐敗が最もヒドイと言われているのもココであり、涼太たちが真っ先にここに目を付けたのもこれが理由であった。




