127.十聖剣
シムリスハムンという都市には教会の人員を教育するための施設があり、各地の神父は皆ここで十分な教育を受けている。
もちろん、いかな神の信徒とはいえ好んで僻地に赴任したい者もおらず、また赴任先によって神父の役目のやり易いやり難いがあるため、各地の神父間でその待遇に差異が生じるのも仕方のないことだ。
ならばどこでその差をつけるか。
人同士の繋がり、そして誰しもに共通の価値、お金である。
コネとカネ。実に分かりやすい話であるが、教会は万人の幸福を謳っているため、外面を整えるぐらいはする。
信徒たちの信仰こそが彼ら教会の力の源であると、彼らもよくよく理解しているのだ。なので自らその権威を貶めるような真似は、極力避けようとする。
そのうえで、多数の信徒を教え導く労苦に見合った見返りを、求める者もまあ、それなりにはいるのである。
聖堂騎士の中でも、特に優れた剣士である十人を十聖剣と呼ぶ。
個人で集団をも駆逐すると言われている一騎当千の強者ばかりであり、それは決して教会の権威に支えられてのことではない。むしろ彼らはその武威にて教会の権威を支える側の者である。
そんな選ばれし戦士の一人、閃光剣のヤーンと呼ばれる男がシムリスハムン大聖堂の入り口より外に出てきた。
威風堂々、そんな言葉がよく似合う。立派な体躯に剛直な顔つき、歩くその姿は見る者が見れば彼の卓越した体術の一片なりとを察することもできよう。
そんなヤーンは、彼にしては珍しく顔に出てしまうほどに上機嫌であった。
すれ違う人間たちも、ヤーンのそんな顔は珍しい、と驚いた様子であったが、十聖剣という教会内ではある種特別な立場にあるためか、彼にそれを気安く告げるような者はいない。
だがたった一人、それを真正面からつっこめる者がいた。
「……ヤーン? なんだ、いったいどうした。アンタのそんな機嫌のよい顔を見るのは久しぶりだぞ」
こちらはヤーンとほぼ同等の背丈ではあるが身体は細身で、しかしこちらも戦士らしい引き締まった身体つきをしている。
天翔けるクリストフェル。ヤーンと同じ、十聖剣の立場にある者だ。
「む、クリストフェルか。……ふむ、コイツは参ったな。お前さんも来るとは」
「何の話……」
そこまで口にしてクリストフェルは、この大聖堂に足を運んだ理由を思い出し顔が強張る。
「お、お前っ! まさか同じことを考えたか!」
「うーむ、やはりか。しかしいかなお前とて、黒髪のアキホは譲りたくはないなぁ」
そう、ヤーンが上機嫌の理由だ。彼はたった今大聖堂にて聖卓会議の人間たちに黒髪のアキホ討伐を申し出てきたのだ。
辺境最強、竜の血を引く人の域を大きく超えた偉大なる戦士ミーメを打倒したという者が、教会に牙をむいたと聞いて、居ても立ってもいられず許可を取りにきたというわけだ。
そしてそれはクリストフェルも同じで。
どちらもちょうどシムリスハムンに滞在しており、この話を聞くなりすぐに動くことができたのだ。
恐らくは同じように考える十聖剣は他にもいよう。
基本的に十聖剣のメンバーは流動的なもので。彼らは常に周囲に武威を証明してみせなければならないのだ。
こういった競わせるようなやり方は教会らしからぬものであるが、死者の館エーリューズニルに招かれる勇敢な戦士たれ、というお題目を考えればあながち外れたやり方でもない。
もちろん教会指導者側としては、彼らが率先して教会の敵を屠ってくれることを期待しての処置である。
それに、とヤーンは続ける。
「もう一人も先約がある。そちらはご指名あってのことでな。となるともう俺かお前か、しかなくなるわけだ」
「悪いが早い者勝ちだなんて言葉で納得はせんぞ。もう一人は誰だ?」
「メルケルだ」
む、と少し考えこんだ顔になるクリストフェル。苦笑するヤーン。
「確かにメルケルならばもしかしたら話せば譲ってくれるやもしれんが……さすがに十聖剣三人がかりというのはどうかと思うぞ」
「だからと諦められるものではあるまい。もう一人の金色のナギなる者も、相当な使い手らしいな」
「聖堂騎士二人が瞬く間に斬られたらしい。引き連れていた五十の兵ごと、な」
「うむむむむ、やはり諦めきれぬ。よし、メルケルの所に行くぞ」
「行くぞ、って、俺もか?」
「当たり前だ。ほら、急ぐぞ」
クリストフェルに付き合わされ、ヤーンも共にメルケルという三人目の十聖剣の下へ向かう。
彼は宿舎の一室にて、既に出立の準備を進めているところであった。
メルケルはヤーンやクリストフェルと比べると背は低い。だが戦士らしい横に広い体躯をしており、こちらもヤーンに負けず劣らずの戦士然とした風貌の男だ。
「ヤーンと、クリストフェルか……二人揃って何の用だ?」
すぐにクリストフェルが自らの望みを伝える。するとメルケルは即座に深く大きく頷いて返した。
「それはいい。クリストフェル、お前が加わってくれるのならば打てる手が増える。どうも司教様の手紙によれば、敵は十聖剣でもなくば歯が立たぬ相手だという。司教様はそうはおっしゃっておらなんだが、事によっては我らと同格の敵が出てくるかもしれんのだ。しかも、かの地には忌々しき不可視の暴威、シーラ・ルキュレがいるというではないか。用心するに越したことはない」
ヤーンが表情を険しくする。
「シーラはボロースに出兵中と聞いたが」
「司教様に手出しをしておいて、戦力を集めぬほどの馬鹿がそうそういるとも思えん。で、だ。クリストフェル、お前の望みは黒髪か金色との戦いであったな。ならば私は司教様の護衛に専念し、貴様とヤーンとで二人を討ち取る刃となる、それで良いか?」
「はっははは! さすがメルケル! やはり貴様は話せる男よ! 任せておけ! 俺とヤーンの二人が揃えばシーラだろうと黒髪だろうと斬れぬ者なぞおらんわ!」
話がまとまるとメルケルは即座に出立する。
同行するのは従者たちとメルケル同様即座に動けた数人の聖堂騎士だ。
彼ら一行は強行軍でリネスタードを目指す。メルケルは剣士の腕比べには興味が無い。あるのは、現在辺境の地にてロクな従者も護衛もなく、心細い思いをしているであろう司教様を一刻も早く安心させてやることだけであった。
リネスタード合議会議員の男は、周囲への根回しをしている余裕すらなかった。
自身では手が回らぬので、同じ合議会議員で自身と近しい者に皆への根回しを依頼しつつ、この許諾を得ぬままに先に動く。そうせねば間に合わない。
彼は必死だ。
リネスタードの利益を守るためには、涼太たちと教会との衝突をなんとしてでも阻止しなければと。
そんな彼が司教が滞在している街に向かったのは、とりあえずまとめられる分だけはまとめることができた司教への損失補填を提示するのと、ギュルディに対しての司教側の要求を聞く、という形で交渉の時間稼ぎをするためだ。
だが、彼が驚愕の顔を見せたのは、既に司教の傍に教会の切り札、十聖剣が控えていたからだ。
騎乗しつつ馬を使い潰すような強行軍でもなければ、こんな早く応援が来るはずがない。
そして十聖剣をそこまでして派遣するほどの事態であると、司教側は認識しているということで。
司教は男の考えなぞお見通しだと言わんばかりに笑い、言う。
「ちょうどいい、紹介しておこう。十聖剣が一人、灰燼のメルケルだ。お主にも心配をかけたな。だがもう大丈夫だ。教会が蛮地の暴力に屈することなぞ決してありえぬ。全てを薙ぎ払う神の威光を、どうやらお主にも見せてやれそうだ」
司教もこの男が話を穏便にまとめようと奔走していることはわかっていた。
だから、十聖剣の派遣はこの男には言わなかったのだ。そしてトドメの一言を告げる。
「後、二人。十聖剣が来ることになっている。ここまで教会のために尽力してくれたお主だからこそ教えてやるのだぞ。避難するつもりならば早々に動くがよかろう。なに、リネスタードを離れたとて、私の名のもと配下商人の一人に加えてやるぐらいはしてやってもいい」
これはすなわち、教会全体としてナギ、アキホをその敵と認め、討ち滅ぼすべく動くということだ。十聖剣を三人も動かすというのはそこまでのことである。
そうなってしまえばもう、法的に許されていようと、全ての管区の教会勢力はその敵を滅ぼすべく動くことになる。
そんな話をたった二人に対し行なうというのは、あまりに大仰にすぎよう。つまりこれは、凪を秋穂を狙うのみならず、十聖剣とそれに伴う聖堂騎士たちがリネスタードに駐在し、教会の利権の確保に動くという宣言でもある。
教会側は、少なくとも司教は、今回の件を大人しく穏便にまとめるつもりなぞハナからなかったと、ここでようやく男は知ったのである。
『まさか、最初からこのつもりで……』
そんな一言がつい漏れそうになるのを必死に堪える。
教会が進出する口実としては十分すぎるものがある。リネスタード側は聖堂騎士を斬ってしまっているのだから。
どちらが先に仕掛けたなんて話は誰の興味も惹かないのだ。結果、聖堂騎士が二人死に、司教が危機に陥ったというその事実さえあれば、リネスタードより大きな利益を吸い上げるための理由付けにはなってくれる。
リネスタードの街ど真ん中にシムリスハムンに負けず劣らずなほどの大聖堂を作らせるのもいい、街への総納税額の十分の一を教会への定期的なお布施として要求するのもいい、人員の手配をさせるのもアリだ。もちろん、これら全部やらせるというのもよろしかろう。
司教も最初からここまでするつもりはなかった。
だが、理由を与えられたならば躊躇することはないし、それが司教の恨みを晴らすことにも繋がるとなればなおさらだ。
司教は男の肩を優しく叩いてやる。
「何、心配するな。リネスタード、悪いようにはせんよ」
相手が司教とはいえ、この言葉を信じる気には全くなれない男であった。
涼太たちが泊まる宿に、一人の訪問客が訪れる。
涼太たちが教会に吹っ掛けたことは宿の人間も知っているので、彼らが宗教関係者を通すことはまずないのだが、その人物だけは別だ。
「おお、神父様。奥の応接室へどうぞ」
リネスタードの神父だけは、無条件の味方とまでは言わないが、少なくとも交渉相手としては信用できる相手だと認めている。
彼が一室に通され、少しして涼太と凪と秋穂の三人が部屋に入ってきた。涼太はバツの悪そうな顔であった。
「ああ、神父さん。もしかして何か無理難題でも吹っ掛けられたり、した?」
「リョータが教会側にきちんと配慮してくれていたことはわかっております。ですが、やはり、向こうにそれが通じることはなかったようで……」
三人が席に着くと、涼太はまず先に言ってやった。
「神父さんには教会の人間としての立場があることはわかってるから、教会の要求がどんなものであれ、それを神父さんのせいだなんだと騒ぐつもりはないよ。だからまあ、そんなに気負わず話してよ」
涼太の言葉に神父は少し驚いた顔をした後で、下を向いて深く深く嘆息した。
「……身内のはずの教会よりリョータの方がよほど気を配ってくれますよね。本気で泣けてきました」
神父の説明によれば、教会側からの要求は涼太たちに対しては無いままらしい。要求が全くないというのではなく、口頭にての要求が無い、ということだ。
リネスタードという街に対しての要求や交渉は既に動き始めている中でのコレはつまり、お前らに口で何か言うつもりはない、という話であろうと。
神父の言葉にも涼太は驚いた様子も無し。神父は頬をかく。
「……シムリスハムンよりの援軍の話は聞いていますか?」
「それ、言っていいの?」
「ああ、やっぱり知ってましたか。リョータの耳の速さはとんでもないと話には聞いていましたが、こうして直接聞くとやはり驚きますね」
「ギュルディの所には負けるよ」
「あそこに個人で対抗しようって発想が出る段階でおかしいんですよ」
ちらと神父が涼太を見ると、涼太はわかってると一つ頷いて返す。
神父は十聖剣のことも聞いていたが、これを口にすることはさすがにできない。だが、きっと涼太ならば十聖剣のことも耳に入っているのでは、と思っていた。
屋内にて天を仰ぐ神父だ。
「やっぱり辺境での戦では勝負になりませんか。ではリョータ、本題に入ります」
つまるところ神父が今日ここに来たのは、自身の命乞いの為である。
情報を流してもいい、だから今回の件、あくまで教会と司教の動きであって神父個人には敵対の意志はないことを認めてほしい、と、こういうわけだ。
辺境ならばさておき、王都圏にまで入ってしまえばさしもの涼太たちも、教会相手ではどうにもならないだろう。ならば涼太たちは辺境を動くまい。
となれば結局今回の揉め事は、教会がリネスタードに対し圧力をかけ、それにギュルディがどう対応するかが争点となろう。
それまでに教会側が実力行使に出ようとしても、それこそ軍を動かすとなればリネスタードも対応せざるをえず(そしてカゾが動いたなら規模がどれほどあろうと大地の染みが増えるだけだ)、軍以下の規模であるのなら凪と秋穂をどうにもできない。
それがわかっている神父が、保身のためにひねり出したのがこの交渉であった。
どっちつかず、なんて言うとみっともないような言い方であるが、どちらに対しても義理のある神父としてはこれが出来得る最大限だ。むしろ、教会と涼太たち三人を天秤にかけているだけ相当に涼太側に入れ込んでいるとも言えよう。
涼太は一応凪と秋穂を振り返ってみるが、両者共神父には悪い印象は持っていないので即座にこれを了承。
かくして神父は、涼太たちが辺境にて教会に勝っている間は、どうにか平穏な日々を送れそうにはなった。
そして、この平穏は教会側が涼太たちに勝ってしまっては終わりを告げることになるので、神父は最後に一言、付け加えてくれた。
「聖堂騎士にも色んな人間がいます。中には魔術の道具を駆使する者や、魔術そのものを戦いに用いる者もいるとか。くれぐれもご用心を」
リネスタード合議会議員の男が、司教の滞在する街からリネスタードに戻る帰途にて、彼は今回共に駆け回ってくれた腹心である甥っ子に言った。
「よく、顔に出さずにいられたな」
「出さないで、いられましたか。正直、顔に出ててもおかしくないぐらい驚きましたよ」
「だな。信じられるか? リョータはあれで十六才なんだと」
「十六って、私の半分じゃないですか……それでどうしたらあんな化け物みたいに鋭い人間ができるんだか」
「信じられんことばかりだ。相手はシムリスハムン司教様だぞ。そんな傑物を相手に、よくもまあ読み勝つなんて真似ができるものだ」
合議会議員の男は、司教との会合の前に涼太と話し合いの場を設けていた。
その場で涼太は言ったのだ。
『なあ、これは仮に、の話なんだが。もし司教が聖堂騎士の更に上、十聖剣を複数人動かしたとしたら、それはもう司教だけでなく教会全体で動くって意志表示になるよな』
その場合凪や秋穂のみならず、教会はリネスタード全体に対してももっと大きな影響力を振るえるよう動くことになる、と涼太は男に告げていた。
甥っ子が難しい顔で口を開く。
「ここまで読めてるってことは、次にリョータたちがするのは……」
「そりゃわざわざ襲い掛かってくるのを待ってやる義理もなかろう。戦は守るより攻める方が有利なものだ」
「来るのがわかっているのなら、教会の人間たちが何処を通ってくるのか、予測するのも待ち伏せるのも難しくはない。本当にそこまでやりますかね」
「やるから、皆が恐れるんだよ。辺境区でなら、如何に教会とはいえそうそう無理押しはできない。かといって少数精鋭の暗殺で仕留めるのはまず無理だ。力押しではどうにもならんだろう」
「……後はギュルディ様次第、と」
「どうなるかはギュルディ様が帰還されてから、だな。リョータたちがギュルディ様とも揉めるつもりなのか、ギュルディ様もリョータたちを見捨てるのか守るのか、もしくは追放等で波風立てず終わらせるのか……ただ、そこまでに下手をすると十聖剣に加え、司教様まで犠牲になっている可能性がある。それを考えると、さしものギュルディ様も、な」
ただ、この男も甥っ子も、凪と秋穂がリネスタードで大暴れしてきたことをよく知っているのだ。
そしてそれが故にこそ、その後伝わってきた風聞もその全てが事実であると信じている。
二人にとって、凪と秋穂はもう、常識では決して測れぬ超常の存在であると認識されてしまっている。
だから、彼らがしたような常識的な判断の通りに話が進むのか、まるで自信が持てないでいた。
後もう一つ、他所の街の人間には理解できず、リネスタードの人間のみが共有できていることがある。
それは、凪と秋穂の二人は、相手が何者であろうとも、その気に障るような真似をしたならば、後も先も知ったことかとぶっ殺すだろうと信じていることだ。
相手は貴族の子弟だぞ、司教様だぞ、なんて言葉で決して止まってはくれぬと、リネスタードの人間は皆が思っているのであった。
「不本意だわ」
「不本意だなぁ」
「妥当だ馬鹿め」




