120.リネスタードの進軍
懲罰軍一万を撃退した、との話がボロースに伝わってから、ボロースに属する街は大きな動揺に包まれていた。
普通に考えればありえないことだが、王都の軍を撃退した余勢をかってボロースに攻めてくるのではないか、と考えたのである。
そして、懲罰軍撃退に際し、普通では到底ありえぬことが起こっていたため、その噂は真実となってしまう。
常識的な判断をした冷静さを保った者たちが皆、一万の兵と戦したばかりでこちらに攻めてくるなどありえぬ、と断じた直後、リネスタードより五千の軍が進発したのである。
また、大半の者が予想した展開を大きく覆し、リネスタード軍は瞬く間にボロースとの境界上の都市を陥落させていった。
圧巻だったのは、リネスタードほどではないものの堅固な城壁を頼みとしていた都市を、ただの一撃で屈服せしめた機動要塞カゾである。
要塞が城壁に向かって突っ込んだとして、これを止め得る存在などありえず、そしてこれほどの質量を受け止められるほどの城壁などというものも存在せず。
そして、城壁は一撃で砕け大穴が空いたというのに、突っ込んだカゾはほぼ無傷であったのだ。これを繰り返せば城壁なぞ幾らあっても無意味だ、と理解したその街は即座に降伏を選んだ。
カゾの活躍はそこだけですぐにリネスタードに戻っていったが、城壁を頼みに援軍を待つ、といったボロース側都市の戦略は早々に破綻することとなった。
ソルナの街は、物資の集積所として好都合な立地にある。なのでボロース軍はここを一時的な軍の集結地とし、とにかくかき集められるだけの兵をこの地に差し向けた。
ボロースの街で兵を集め出兵していたのでは、ソルナの街含むここら一帯の防衛は到底間に合わぬ。
なのでソルナの街が中心となって周辺都市からの徴兵を行ない、リネスタードと対峙するという形である。
ソルナの街の近くには、ボロースより派遣された代官が治めている都市がある。今回この急場にあってここら一帯の都市への命令権を与えられたその代官は、集められるだけの兵をソルナに集め、援軍がくるまでの間、徹底的に敵軍遅滞に努めるつもりであった。
だが、これがうまくいかない。兵は、多少の遅れはあるが予定していた数が集まりつつある。しかし、物資の集積が滞ってしまっている。
「何をやっている! この私に恥をかかせる気か!」
代官はそう怒鳴るも、集められた各都市の代表たちもどうとも答えようがない。
ソルナの街を統治している貴族が、集まった皆を代表して意見を述べる。
「……川を用いた運輸がソルナの最も大きな運搬手段です。これを制限されてはどうにも……」
「ふざけるな! 私にはわかっているのだぞ! ボロースよりの物資徴収令が気に食わんのだろう! 貴様等の街を守るためのものだということもわからず! 自分勝手な真似ばかりしおって!」
各街にはボロースより軍を維持するための物資を集めるよう命じられている。もちろんボロースに代金なんてものを払うつもりはない。それを気に食わないと思っているのも事実だ。
だが立場はわかっているので徴収命令に逆らうつもりもない。問題はこの物資をソルナに運ぶ手段であった。
それまでソルナの街にあった船便を使わず、他所の街、具体的に言うのであれば代官が治めている都市の船便を使う、と彼が決めたのだ。
ソルナとその街とでは船便の規模が違う。物資を集めることはできても、船で運ぶ段になって船便の不足から目詰まりを起こしてしまい、物資が予定通り集まらなくなっているのだ。
で、それを物資を差し出すのを妨害しているせいだろう、と代官は言うわけだ。
ソルナを治める貴族は考える。
『言ってることが幾らなんでも無理筋すぎる。こちらを責めることで運搬に関し更なる負担をこちらに押し付ける腹だろうな。ふん、ボロースの代官も質が落ちたものだ』
貴族は低姿勢に出てはいるが、この代官の言うこと全てに従うつもりなぞさらさらない。
「代官殿、いえ、総司令。運輸に携わっている者に著しい不手際があったという話を聞いておりますが」
「なんだと!? 貴様! 私の配下に失敗を押し付ける気か!」
当然、代官の街の船便業者も理解していたはずだ。自身たちだけで全てを運びきることなぞできぬと。だから代官の命令でソルナの船便業者を強制的に従わせるつもりだったのだろう。
この機に乗っ取りでも仕掛けるつもりであったか。いずれ利権の幾つかをなし崩しに奪うつもりであったのだろう。
だが、ソルナの船便業者たちは全員が結託し、代官からの命令が出る前に、代官の都市の業者が偉そうにぞろぞろソルナに出張ってきたところで、さっさとソルナの街を離れてしまったのだ。大量の船を引き連れて。
元々この船は彼らのもので、それをどう扱おうと文句を言われる筋合いはない。もちろんソルナの危機にそのような真似をする馬鹿がいたのなら貴族は即座に処断していただろうが、このアホ代官にソルナの利権を持っていかれてはたまったものではないので、今回だけは彼らの見事な機転を貴族は陰で褒め称えてやっていた。
喚こうが怒鳴ろうが船はないのだ。なので陸の便で運ぶ、もしくは漁師から無理矢理徴収する、といった非常の手段が必要になろう。
それを各都市の負担でさせようという魂胆だろう。
『馬鹿馬鹿しい。付き合ってられん』
リネスタードとの戦という大義名分を前面に押し出してソルナの利権を奪うつもりだというのなら、貴族もまた同じようにこの大義名分を盾に代官の意図を挫くのみ。
それに、と貴族は他の都市の代表たちに目を向ける。
『リネスタードに降る準備をしているのは、どうも我らだけではないようだな』
ボロースとソルナとでは、忠義だなんだといった間柄ではないのだ。
例の戦のあり方を一変させた魔導技術、動く城、機動要塞カゾは、動かすのに大量の魔力が必要故に、長距離の移動には耐えられぬ、といった予想がボロース陣営では立てられていた。
だがその予測も何処まで信じられたものか。もしカゾがソルナの街にきたのなら、この代官の首を取ってでも即座にリネスタードに降るつもりの貴族である。
それに街の幾人かの有力者からは、ボロースとの取引が止まることになっても、リネスタードと新たに取引すればそれまでと同等の利益を得ることができる、という試算も出されている。
リネスタードは今、とても金になる都市であるのだ。
「はっはっは、実に痛快」
ギュルディが本陣の陣幕で上機嫌にそう漏らすと、傍にいるシーラはそのあまりの機嫌のよさに苦笑している。
「ほんっとギュルディって軍とか兵とか嫌いだよね」
「別に嫌ってはいない。ただな、常日頃、たかが商人如きとの間で問題が起こったところで武力で蹂躙してやればいい、なんて言っている連中が金でごろんごろん転がっていくのを見るのが楽しくて仕方がないだけだ」
ヴェイセルが提示した作戦案の改善部分は、そのほとんどが金で敵を弱らせる、といったやり方に関してだ。
もちろん、ソルナの海運業者がこぞって街から逃げ出したのにもリネスタードが絡んでいるし、そもそも、リネスタード側はボロースの代官が一時的な対リネスタードの責任者になることも、そうなった時集積場となったソルナの街に自らの子飼いの船便業者を強引に連れ込むことも読み筋の内であったのだ。この船便業者の主は代官お気に入りの姪っ子の嫁入り先である。
ヴェイセルがリネスタードによるボロース攻略に自信を持てたのはその圧倒的な情報量故だが、ギュルディが対ボロース戦にて勝利を確信していたのはリネスタードのとんでもなく伸びた経済力故だ。
金で殴れる相手ならば、ギュルディはもう絶対に負けるつもりはなかった。
ソルナを中心とするボロースとの隣接都市群は、リネスタードより出兵して二月ともたずその全てが陥落した。
ここまでは金の力が大きな影響力を発揮してくれていた。だが、ここからはそう容易くはいかないだろう。
それでもギュルディに焦りはない。
ソルナを陥落させたことで、これまで表立って振る舞うことのできなかったヴェイセルを正式にリネスタード軍に迎え入れることが可能となった。
うやうやしく、わざとらしさの欠片も感じさせぬ様で、降伏を受け入れてくれた感謝と、以後リネスタードのために働くことを誓ってみせたヴェイセルに、耐えきれずシーラが噴き出してしまったことでギュルディもヴェイセルも我慢をやめ、一緒になって笑っていたものである。
そのままギュルディの傍が定位置となったヴェイセルが、自身がリネスタード軍から離れソルナに戻っていた間の戦況を改めて確認すると、概ね予定通りに事が進んでいることに安堵する。
「問題らしい問題はないようですね」
「気は抜けんがな。ただ、そうだな、予定通りと言おうか。兵たちがまともに戦う機会がないと文句を言い出したぞ」
「そりゃまあ消耗しないようにしてますから。どうしようもない部分ではありますが、緒戦の頃はどうしても文官にこそ手柄が集中してしまいますね」
「戦で文官が手柄を立てるという字面が既におかしい」
「リネスタードの文官って、文というより商ですよね。よくもまあこんな歪な組織作ったものですよ」
「……それに関しては、作ったというか出来上がったらそうなっていたというか。そもそも王都圏で官僚っていったら大抵は貴族かそれに連なる者だぞ。辺境にそんなもの求めるな」
ヴェイセルは新しく自らの上司になった者の横顔を見る。
官僚には権限が与えられるものであり、それはその人間と周囲の者に利益をもたらすという意味でもある。
そんな立場に、貴族やそれに連なる者以外の者をつけるということが、どういうことかわからぬギュルディではなかろう。
『辺境だから、人材が足りぬから、といった後ろ向きの理由でそうしているわけではなさそうなのがな……』
王都圏出身の貴族らしからぬ。ヴェイセルから見たギュルディにはそんな印象が強い。
『これを意図的にやっているのだとしたら、或いは、権力構造そのものの変革を志している、なんてこともありうるか』
一瞬脳裏をかすめた、簒奪、の言葉に蓋をして、ヴェイセルは思考を眼前の問題に向け直す。
今ヴェイセルがしていることは答え合わせである。
ヴェイセルが、ギュルディや情報分析官たちと徹底的にすり合わせた計画に現実が、どれだけ適合しているのかを確認する作業だ。
創造性を伴う楽しさはないが、本当に上手くいくのかという緊張感はある。
物事の計画を立てそれを実行に移した時、常にこの緊張感はつきまとっていたものだが、これを深いところまで共有できる者がいるというのは初の体験だ。
そしてそれはとても、素敵なことだとヴェイセルは思うのだ。
レギン・ボロース。
ボロース領主フレイズマルの三男で、貴族の一員でありながら本格的に鍛冶仕事に打ち込んでいる変わり者だ。
お貴族様の道楽ではなく、実際に一人前の鍛冶師として活動できるだけの知識技術を持っていて、鍛冶屋やそういった技術者の立場をよくよく理解できる稀有な貴族であるという特性から、様々な平民より頼りにされている。
そういった時真っ先に絡んでくるのは、当人はそれをさほど好んではいないが、金の問題である。これと付き合い続ける中で自然と商取引に関しても詳しくなっていった。
それが領主フレイズマルの目には好ましいものと映ったらしく、彼は何かとレギンの仕事に配慮してくれる。
そしてそれがまた平民たちには頼もしいと見えるようで。扱っている取引金額的には次男オッテルの方がずっと上であるが、よりたくさんの平民との繋がりをレギンは持っていた。
そんなレギンであるから、彼の下には驚くほど速く、多くの情報が集まってくる。
「……どうなっている。幾らなんでも脆すぎるだろう」
リネスタードが遂に対ボロースの軍を挙げた。そんな話が聞こえてきてから実際に軍同士がまともに激突したことはない。
せいぜいが小競り合いていどであったが、それが既におかしいのだ。
リネスタードとの勢力境界付近には警戒のための人員や兵力を配置してあったし、如何にリネスタードからの軍を押さえ込むか、援軍を待つまでの間堪えるかを準備してあったはずなのだ。
それらが全て機能していない。境界付近のまとめ役を期待していたソルナの街は一戦すらせず陥落し、戦時特例ということで置かれていた代官はほうほうの体で逃げ出すのが精一杯であった。
瞬く間に、と言うしかない勢いでボロース勢力圏は削り取られていっている。
それでも境界付近の都市が日和見するのは仕方ないと割り切ったとしても、その後、ボロースの流通網にがっつり食い込みボロースと共にあることが大きな利益に繋がっているはずの都市までもが次々陥落していったのだ。
それはつまりボロース一族との血の繋がりがある貴族たちが治める地であるという話でもあったのだが、何処もかしこもまともに戦うことすらできぬ有様だ。
どうしてそうなったのかなどの情報を、レギンは民間から集める術に長けていたので色々と知ることができた。
というか降った連中の幾人かはレギンに言い訳の手紙を送ってくれていた。
『コイツらの自己弁護の部分を差し引くにしても、そのほとんどで、降るしか手はない、ってところまで追い込まれている、か』
援軍が間に合わない。つまるところそれに尽きる。
降った街は、援軍がくるはずの街道を塞がれ、籠城するだけの物資が失われ、兵員が次々離散していく状況に落とされ、戦う前に抵抗の術を奪われていることがほとんどであった。
恐るべきことは、リネスタード軍が街に辿り着く頃にはそういった状況が既に立ち上がってしまっていて、リネスタード軍による降伏勧告の最初の一回に抗することすら難しかったというのだ。
『こちらの内情を各都市毎に徹底的に調べ尽くしてある、か。そんなもの防ぎようがない部分もあるが、しかし、ここまで徹底してくるとは……』
そろそろボロースの街より出立した迎撃軍がリネスタード軍と相対するはずだ。
だがこの時点でリネスタード軍は最初に出立した五千だけではなく、降伏した各都市から集めた兵を含め七千を超える数になっているという。
またボロース軍の武威は直前の戦で失墜しており、その最大の原因であるところのミーメ・ボロースを討ち取った黒髪のアキホも敵軍にいるとなれば、戦の勝利を無邪気に信じる気にはなれぬ。
レギンの耳には市井の話だけでなく領都の話も聞こえてくる。
領主フレイズマルは相当荒れているらしい。備えていたものが何一つ通用しないのだから。そもそも、レギンに話は通っていないが、リネスタードに懲罰軍が向かったのも父の差し金であろうとレギンは疑っていた。
なのに一万の軍勢は謎の魔導技術に粉砕され、勢いそのままに攻めてきたと思ったら、まるで十年以上も準備に時間をかけたかのような老練で緻密な策略を駆使してくる。そんな精妙な策略を、都市一つではなく幾つもの都市を相手に用意してあるのだ。
また、この度晴れて嫡男の立場を得たオッテルはといえば、ソルナ陥落に大激怒らしい。街にいたヴェイセルが虜囚となったことが許せぬとのことで。
「ヴェイセルの名は聞いたことがあるが、アレを冷遇していなかったかアイツ? お前はいらんと追放して、戻したと思ったらまたすぐ追放して、それで追放先で虜囚になったからと怒ってると。……ほんっとうに、アイツは愚かな時はもうどうにもならんほどに愚かだな」
あれで勢いがついている時のオッテルはかなりの力を発揮するのだが、脇を固める人員がいないことには抜けが多すぎてどうにもならない。
フレイズマルはオッテルに今回の件を任せるつもりはあったのだろう。そうするための人員配置にしていたフシは各所に見てとれる。だが、リネスタードの侵略速度があまりに速すぎることから急遽方針を変更したのだろう。
リネスタード迎撃に出ている軍は、今ボロースの出せる最強部隊だ。リネスタードと違って古くから辺境での有力一族であったボロースは、如何に強い軍を編成するかの術を各種心得ている。正直、リネスタードが多少金を稼いでいようとも、軍同士の激突となれば勝負にならない、というのがボロース貴族たちの認識であり、その意見にレギンも賛成だ。
「ぬめる剣のシーラ、金色のナギ、そしてミーメを殺した黒髪のアキホ。コレで、勝てると思っているのか? 何故あの動く城を持ってこなかった?」
はっきりと言って、今回のリネスタードの動きは不気味すぎる。まともに考えるのならたとえ同数の兵をリネスタードが揃えていようとも、ボロースの敗北はありえない。有象無象の都市から寄せ集めた兵士なぞ恐るるに足らぬ。
そんなことは早々に降ってしまった領境付近の都市たちもわかっていたはずなのに。ボロースが主力軍を差し向けたなら、リネスタードの五千なぞお話にもならぬ、はずなのに。
レギンの心の内に、焦燥がじわりと染み入ってくる。
「……もし、主力同士の激突で敗北してしまうのならば。負けてから動いても間に合わぬ。会戦で下手な負け方をしてしまえば、その後は一気に崩れかねん……」
ん? と一つ気になったことがあり、集まった多数の手紙の中から一つを取り出し中を確認する。
すぐに次の手紙を、更に別の手紙を、順に確認していくと、レギンが恐れていたことがどうやら現実であるらしいとわかる。
「馬鹿な……リネスタードは、会戦に勝利する前提で、既に各都市に調略を仕掛け始めている。戦は、これからなのだぞ。なのに……」
ボロース側は会戦での敗北なぞ想定してはいまい。だがリネスタードは、会戦に勝利したのならばそのまま一気にボロース領を削り取る準備を整えている。
「いかん。ここまでやるということは、リネスタード側には勝利に対し確信に近い何か、あの動く城のような何かを得ているということか。まずいまずいまずいぞ。今からすぐに……」
焦った様子のレギンは、そこで急に脱力したかのように足を止める。
思考が進み、会戦で負けたらどうなるかの未来予想図が着々と頭にできていくにつれ、その来るべき未来は、レギンにもどうにも覆すことのできぬ未来であるとわかったのだ。
「……もし、リネスタードが今会戦に勝利の確信を得ていたというのなら、会戦への誘いに乗ってしまった時点で、もう、ボロースに勝ちの目は失せていたということか……なんたることだ。ボロース家が、竜の血を引きし最も古き血筋の我が家が、敗れるというのか……」
レギンは自身の才覚に、相応の自信を持っていた。だからこそ、その才知が指し示した未来を疑うことができない。
ではその未来予想図に従ってすぐに動く、とできなかったのは、さしものレギンにとってもこの未来はそう容易く受けいれられるものではなかったせいだ。
もう何十年もずっと、レギンが生まれた時よりずっと、ボロースは平和で、繁栄していて、他所に侵略することはあっても他所から侵略を受けることなぞ考えなくてもいい領地であった。
それがもう後少しで滅びるとレギンは読んでしまったのだ。結局レギンが動き出せたのは、そこから二日後のことである。
涼太は、少し疑わし気な顔をしてヴェイセルに問うた。
「本当に、俺の魔術にそこまでの力があるものなのか? いや便利だし有利だとも思うけどさ。お前がさっき列挙したリネスタード軍がボロース軍に勝てない理由をひっくり返すほどとはとても思えないんだが」
「……馬鹿野郎。お前の魔術、本当に洒落になってないんだぞ。なんだってそんなもの私にまで教えたんだよ……」
「え、いや、そりゃヴェイセルが知ってりゃすげぇ上手く使ってくれると思ってな」
「ああ、ああ、お望み通り使ってやるよ。だがな、この魔術の存在だけは絶対に表には出さん。いいか、その魔術の実在が漏れたなら、たとえナギとアキホを敵に回してでもお前を拉致しようって奴がぞろぞろ出てくる。そういう魔術だと理解してくれ」
ヴェイセルは渋い顔をしながらギュルディの方を振り返り言う。
「どうしますギュルディ様。これ、勝ってしまいかねませんよ」
「うーむ。そりゃま勝てるんなら勝った方が損失が少なくて済むが。そうか~、絶対にヤバイ魔術だとは思っていたが、やはり軍事の専門家から見ても洒落にならん魔術だったか~」
「戦場の地形、敵の配置、移動状況、装備、人員、作戦、何もかもぜーんぶ筒抜けで戦できるとか、意味がわからなすぎます。後、一つだけ注意しておいていただきたいことが」
「ん?」
「この魔術の存在を知ったことで、戦史上で不可思議な選択とされている指揮官の動きの幾つかが理解できるようになりました。それは、近年に起こった戦でも見られる事例です。具体的には、王都圏、それも王軍の指揮官が時折やるとんでもなく正確な読みの理由は、恐らくこの魔術ではないかと」
ああ、なるほど、と頷くギュルディ。
「この遠目、遠耳の魔術の出所は王都の魔術師だということか。リョータ、ベネディクトは何と言っていた?」
「リネスタードに戻ってからさ、俺もこの魔術のあまりの利便性の高さにベネに再度コレの出所聞いたんだよ。そしたらやっぱりコレはベネが友人から教わった魔術だと。ただ、ベネの側でもこの魔術が極めて重要な魔術であると考え直してみたら、新しく見えてきたものもあったんだと」
「ふむ」
「ベネの友達は、ベネよりも先に魔術学院を追放されていた。追放の理由に遠目遠耳の魔術は関係していなかったが、追放の理由もあまり納得のいくものではなかったと。そして少ししてからベネもまた理不尽な理由で処刑されそうになったと。これから逃れるためにベネはネズミになったと言っていた」
「なる、ほど。遠目遠耳の魔術を、開発してしまったからこそ追放されたり処刑されそうになった、とそういうわけだな。……ん? 追放?」
「魔術研究の資料を奪うだの何処まで研究が進んでいるかだのといったところに当局が全く興味を示さなかったことで、ベネもその友人もこの魔術が原因であるとは思わなかったらしい。多分、殺すつもりで捕縛しようとして逃げられたもんだから追放って名目に切り替えたんだろ、だと」
ヴェイセルは少し納得のいっていなさそうな顔だ。
「これほどの魔術を広めぬよう動いていたわりには、その二人の魔術師にはあっさりと逃げられているのだろう? 王都圏の魔術学院のやることにしては、少々稚拙にすぎる気がするが」
「ベネはネズミになったんだぞ。そんなもん見つけられるわけないだろ。そしてな、その友人は、なんと瞬間移動の魔術を実用化しやがったらしい。ベネもその友人も、まだ実験段階の魔術を無理やり使ってどうにか逃げ出したって話だ」
ヴェイセルの額に深い深い皺が寄る。
「しゅんかんいどうって、そっちもそっちでむっちゃくちゃヤバイぞりょーた」
「おう、実験段階なもんで、足一本と右手が半分消えてなくなったらしいがそれでもヤバイ魔術だったと俺も思う。だがそいつも、リネスタード付近の森での魔術実験で干からびて死んだし、研究の過程はそいつの頭の中らしくてな、もう何処にもその魔術は残っていないんだと。後、遠目遠耳の魔術をどうでもいいヘボ魔術だとそいつもベネも思ってたらしくてな、すげぇぞんざいな扱いしてた」
ヴェイセルはリネスタードの最も有名な魔術師を脳裏に浮かべながらしみじみと呟いた。
「やっぱり、魔術師って連中は皆、絶対にどっかおかしい」
お前も含めてな、という涼太への言葉をギュルディもヴェイセルも飲み込んでいた。
懲罰軍からの降伏者であるベッティルに出されていた命令は小隊指揮官をしろ、というものであったはずなのだが、ベッティルが所属している中隊の中隊長は、軍隊指揮経験の全くない、地元で大農園の管理者をやってるからお前まとめろ、と言われた中年の男であった。
中隊長がそうであるからしてその下の小隊長はといえば、奴隷頭だとか自作農だとかそんな連中ばかりが集まっていて、到底戦のできる態勢だとは思えないものであった。
彼らはベッティルが如何にも兵士である、といった雰囲気を出しているのを見るや、こぞってどうすればいいのかを聞きにきた。
そして中隊長は彼らに対し、ベッティルが適切かつ見事な言葉をかけていると見るや自身の上司である大隊長に即座に打診する。
「なあなあ、あのベッティルっての。アイツに隊長やらせたほーがええじゃろ。ワシと代えてもらえんかのう」
「アイツ若いがいいのか?」
「ええてええて、アレが連れとる二人もそりゃあおっかねえ連中だで、戦はああいうのに任せるんがええ。ワシはよう知っとるんじゃ」
「そうか、アンタがそう言うんならそうすればいい。……なあ、後ででいいから少しこっちに話させに来てもらっていいか? 俺も、ほら、何せ学がねえからな。色々と教えてほしいこともあるのよ」
気が付けばベッティルは大隊の補佐なんて仕事までやらされていた。
元騎馬隊隊長は、大隊の斥候全てをまとめる役を押し付けられ、片刃剣使いはベッティルと並んで別の中隊の隊長をやらされることに。
「おい、ベッティル。この軍隊、本当に勝てるのかこれ?」
「知るかっ! 死にたくなきゃ俺たちでまとめるっきゃねえだろうが!」
元騎馬隊隊長は二人ほど焦った様子もなく、斥候から戻るなり二人に告げてやる。
「心配するな、他所はもうちょっとマシだ。それに、大隊への布陣命令、これかなりイイと思うぞ。伝令の出し方も綺麗なものだし、上には名の知れた指揮官がついてると俺は見たね」
そうだな、と最初に文句を言った片刃剣使いも納得する。
「小隊指揮官はともかく、兵士はそれほど悪くはない。俺たちがきちんと指揮してやれば、それなりには働けるか」
二人がフォローを入れてくれたことで少し落ち着いたベッティルは、よし、と気合を入れ直す。
「勝ちの目があるってんなら、仕事任されるのは好機とみるべきか。よし、いっちょやってやるか」
意外に気分屋なところのあるベッティルを、元騎馬隊隊長や片刃剣の剣士がうまいことのせてやると、今度は逆に元騎馬隊隊長の隊や片刃剣の剣士の隊が動きやすいようベッティルが配置や動く間を上手く計ってくれる。
そうして仕事をこなしていけば自然と手柄も立てられるようになるし、良い仕事をした隊は上から見てもわかるもので。
「ほう、やはりあの三人。当たり前に頭角を現してきたか」
ヴェイセルがそんな台詞と共にしんどい仕事を次々押し付けるようになり。それは同時に重要な仕事でもあることから、三人は更に手柄を立てていく。
ベッティルたち三人は当人たちが考えているよりずっと現在のリネスタードに必要な人員であり、需要と供給がかちりとはまった結果、三人の出世は思いもかけぬ早さになっていくのである。
敗北を餌にボロース軍首脳部を暗殺により壊滅させるヴェイセルの策が、実行にうつされることはなかった。
ギュルディは、何処か乾いた声であった。
「いやー、はっはっは、普通に勝ってしまったな、はっはっは」
疲労困憊な様子のヴェイセルは、この勝利の立役者である。
「実に、実に良い経験をさせていただきました。負けてもいい戦の采配をしろ、ですからなぁ」
「私にとってもお前の采配を見るのは勉強になったさ。とはいえ、私がこれを活用する事態にはなってほしくないものだが」
ヴェイセルは、今回の指揮はギュルディがそうしたという話になっているのだから、きっとこの後も軍を見るよう望まれる場面も多くなるだろうと思ったが、敢えて上司の機嫌を損ねる趣味もないので無言のままである。
平野にて、真っ向からぶつかりあうまっとうな戦であった。
ヴェイセルの持てる知識戦術の全てを振り絞った戦いであり、今回手柄を立てたリネスタード軍の兵たちはそんなヴェイセルに振り回されて相当にしんどかっただろう。
だが、勝った。
軍隊というものは、勝てば文句を言う奴はいなくなるのだ。
苦しい戦いを自身の奮戦で勝利に導いたという経験は、弱卒でしかなかった彼らを、きっと強兵へと導く第一歩となろう。
組織立った軍隊の育成は急務であるため、ヴェイセルは今回のボロースとの戦をそれにあてるつもりであった。
徴兵にて兵を集めた時、軍隊の核となる存在、小隊、中隊指揮官が必要なのである。
それまでリネスタードでこの役を担っていたのは農業従事者の中でも特に裕福な地主やその一族であったが、彼らがあまりに裕福になりすぎてしまった結果徴兵に応じる立場ではなくなってしまったのだ。
今のリネスタード軍ではソコがとんでもなく劣悪なのはヴェイセルにもよくわかっていた。




