113.優れた者なればこそ誰より先に動くもので
オッテル騎士団団員ヴェイセルが、その男と知り合ったのは偶然であった。
ボロースは辺境で最も有力な勢力であるが、リネスタードをはじめ辺境全てをその支配下においているわけではない。
そういった都市勢力との揉め事もよくある話で。ヴェイセルがその街にいたのは、せねばならぬ商談のためであり、そしてそれはちょうど敵都市よりの襲撃を受けた時で。
ヴェイセルはオッテル騎士団正団員の名前をこれでもかと活用し、街中で集められるだけの兵を集め、兵数にして三倍近い差がある敵都市よりの攻撃軍を見事撃退してみせたのだ。
ここに、たまたま近くにいたワイアーム戦士団団長、ミーメ・ボロースが援軍に駆けつけてきた、という話だ。
「……すっげぇな、お前。何食ってりゃこんな芸当できるようになるんだ? つーかこれだけやっといて普段の仕事は商人です、っていったい何の冗談だよ」
ミーメと共にいたワイアーム戦士団の一人は、ボロース周辺で起きた様々な軍事的衝突に詳しい男で、ヴェイセルがこれまでにしでかした軍事的成功の数々を聞き知っていた。
これを聞いたミーメはもう驚くやら呆れるやら。
ミーメ自身は戦士としての戦いにしか力を入れてなかったが、それでも戦という戦士兵士の晴れ舞台に興味が全くないわけでもない。
そこはやはり男の子であり、戦士として強いというのとまた別枠で、指揮官として優れているという男に敬意を持つのである。
或いはこの段階でミーメが強くヴェイセルを欲していたのなら、ワイアーム戦士団への異動もありえたのかもしれないが、この時点でのワイアーム戦士団が欲するのは優れた戦士だけであり、商人として成功し始めていたヴェイセルもまたワイアーム戦士団で上を目指すよりオッテル騎士団にいた方が効果的に故郷の力になれると考えていたので、異動云々といった話にはならなかった。
だがミーメがヴェイセルを気に入ったのは事実であるし、機会があれば一緒に酒を飲むようにもなっていた。
何度目かの呑みの席で、酔ったミーメはヴェイセルに語った。
「そうだ、ヴェイセル。お前に俺の最初の名前、教えてやるよ」
「最初の?」
「そ、最初の名前。あまりに気に食わないんでガキの頃に大暴れして親父に変えさせた名前だ」
「……その頃からやりほーだいだったんですね」
「わはははは、そう言うなって。それにな、聞けばお前もわかってくれる。だってな、俺の名前『ファフニール』だったんだぜ?」
「ファフニール、古語? 抱きしめる、者、ですか?」
「おう。山ほどの黄金を抱えられますように、って名前なんだと」
さしものヴェイセルも大いに引いた顔だ。
子供になんて名前つけてんだあの人は、と自領の領主様に心の内だけで文句を言うヴェイセル。
「親父はさ、つまるところ、俺に金を稼げる男になってほしいってことだったんだろうな。ははっ、それが今じゃこのザマだ。そりゃ親父も失望するわ」
「……そう、なりたかったんですか?」
「いいや。どの道俺に商売は無理だったわ。つーか剣以外のことやってる俺が想像できねえ。でもな、親父に悪いことしたな、とも思うんだよ、俺はさ」
ふう、と息を吐くヴェイセル。
記憶の中のミーメは、世評に言われているような絶対無敵、孤高の最強戦士なんて印象ではなく、情に厚い親分肌の気の良い男だった。
「あんなこと言っておきながら、自分から商売始めるんだからな」
ヴェイセルは一人、自室でグラスを傾ける。
テーブルには火のついた燭台と酒と、二枚の手紙。
一枚目はレンナルトからの報告。レンナルトはヴェイセルの弟子で、軍才があると見た彼に、商売に力を注がねばならぬヴェイセルの代わりに軍で頑張ってほしいと弟子にした。
手ひどく裏切られたが、最後にこうして頼ってきてくれたことは素直に嬉しいと思えてしまう。
「お人好し、か。まあ、その通りなのかもな」
もう一枚は友人、ミーメからのもの。
オッテル騎士団の人間なんだから、と軍事の助言は極力聞かずにいてくれた。
豪放磊落な見た目や態度と裏腹に、友人と認めた相手限定の対応ではあるがかなり細かく気を使ってくれた。
レンナルトからの手紙もミーメからの手紙も、どちらも当人の手書きではない。死後、その遺言を手紙にして送ってくれたものだ。
瓶を手に取りグラスに注ごうとすると、空になっていることに気付く。
これで二本目であるが、全く酔えない。大して酒が強いわけでもないのだが、今日だけは酔いたかったのだが、どれだけ飲んでも酔える気がしない。
手紙には、二人が得た凪と秋穂の能力が書かれている。つまり、二人が命懸けで得た情報を用いてどうにかして凪と秋穂を殺してくれ、という話だ。
それができるのは、ボロースではヴェイセルしかいない、と二人共がそう考えてくれたのだ。
そんな大切な二枚の手紙をヴェイセルは、順番に一枚ずつ、燭台の火にくべた。
「……どうにも、ならんよな」
ボロースがリネスタードと戦うことは最早決定事項だ。
ボロースの領主フレイズマルが嫌がろうと、リネスタードの新領主ギュルディがより有効な戦略に気付いていようと、ボロースとリネスタードの激突は領民たちの共通認識になってしまっている。
それは辺境のみならず王都圏にまで広がっており、フレイズマルもギュルディも強固な権力基盤を確保できてはいるが、それでもどうにもならぬほど、戦の機運は高まってしまっていた。
である以上、ヴェイセルは自らの持てる手腕全てを駆使し、リネスタードの情報収集に勤しんだ。
次々と集まってくる雑多な情報を一人でまとめ、整理するのは大変な作業であったが、ヴェイセルの求める精度での精査はヴェイセル自身がそうするしかない。
ヴェイセルが自身の頭の中で組上がっていく図式を眺め、そして出した結論は。
「ミーメさん、レンナルト。悪いが俺は、リネスタードにつく」
地力で比較するならば若干ボロースの方が力があるだろう。
だがリネスタードは立地条件においてボロースに勝る。そして何よりも、ボロースについてはヴェイセルの目的であるソルナの街を守ることができない。
ボロースが対リネスタード戦において有効な立ち回りをするには、ソルナの街に前線拠点を置くのが一番効果的なのだ。そしてそうなってしまえば当然、リネスタード側はソルナに十分すぎるほどの物資人員が集まったところで、切り札を叩き込んでくるだろう。
ナギ、アキホ、シーラ。シーラはさておき、残る二人の本当の恐ろしさを、理解できている者はさんざん被害に遭っているボロースにもおるまい。
戦で大きく武名を上げたこの二人だが、最も有効に活用しようと思ったならば絶対に戦場に出してはならない。
シーラも含むあの恐るべき三人を、討ち取る可能性が唯一あるのが戦場なのだ。この三人、戦場に出さずに後方攪乱要員として運用した場合、有効な対処方法は存在しない。
馬より速く走り、音もなく街へと忍び入り、個人戦闘においては絶対的な強さを持つ。こんなイカれた存在に有力者暗殺に徹されたら、ボロースは半年もその体制を維持できないだろう。
そして世界で一番初めにこの恐るべき後方攪乱戦術の標的になるのは、ソルナの街であろう。
もしヴェイセルがリネスタードの指揮官であったなら、ソルナの街に集まった兵や指揮官だけでなく、ソルナの街自体も立ち行かなくなるほど徹底的に叩き見せしめとする。
「ま、地力の差も、もう随分と埋められてしまってるようだがな」
ここ最近のリネスタードの躍進はヴェイセルの予想をすら大きく超えている。常識外の何かが働いているとヴェイセルは見ている。
そしてその恐るべき躍進が常識外れに凄まじいものであると、気付いている者もほとんどいないのだ。現在リネスタードが持つ底力を、恐らくはフレイズマルですら見誤っているだろう。王都圏は言うに及ばずだ。
「いや、王都圏には、気付いている奴、いるっぽいな」
対リネスタードにアクセルソン伯が一万を動員することは、可能性としてはありえたが、これは上限値いっぱいだ。
リネスタードを警戒する何者かがいるのだろう。一万の軍があるのなら、更に大きな一手を加えれば今のリネスタードをすら大きく弱体化せしめることが可能だ。
だが、総じてみてみれば、最終的にボロースがリネスタードに勝つことは難しい。そして、ソルナがリネスタードにつくとしたならば、それが許される猶予は後僅かだ。
ただ降るだけでいいのならばもっと時間は取れるが、それでは今のソルナの繁栄は維持できない。
裏切りに等しい行為であるし、そこに後ろめたさは当然ある。だが、ヴェイセルが最も後ろめたいと思っていることは。
「……今のリネスタードに俺が行くんなら、それはきっと商人としてではなく軍人として参加するのが一番リネスタードのためになるんだよなぁ……」
それこそがヴェイセルが長年願い続けてきた望みである。友を、信頼を、裏切った先でこれが叶ってしまうことが、何より後ろめたいと思われるのだ。
燃え尽きてしまった灰を見下ろしながらヴェイセルは席を立つ。
他の誰にも知られていない。ヴェイセルがボロースを見限った瞬間であった。
ボロース領主フレイズマルの下に、アクセルソン伯出兵の報せが届いた。
距離が離れすぎているせいでかなりの時間差が生じてしまっているが、伝えられた内容はフレイズマルの満足いくものであった。
しかも、アーサ国側があまり漏らしたくはないと思っていた事柄を一つ、フレイズマルが送り込んだ諜報員が手にしていたのだ。
これを見たフレイズマルはその内容に驚きつつも、この情報を盗み取った諜報員の昇進と褒賞を即座に決めたほどだ。
「ここまで、ここまでやるつもりだったか、オージン王よ。兵一万によるリネスタード包囲を、一年維持するだけの物資を用意してあるとは……」
当初の従軍にはそこまでの物資はない。だが、常識的な量の物資とは別に、包囲が完了し次第一年以上包囲を続けられるだけの物資を送り届ける準備がしてあるのだ。
とんでもない話だ。これほどの物資の調達は、それこそ国一つの規模でもなくば成し得まい。
アクセルソン伯が着服しないよう、食料なりの物資のみで送り付けたという文を見た時は思わず吹き出しそうになってしまった。
「恐れ入ったよオージン王。そうか、リネスタードの脅威度はそれほどのものか。私ですら掴んでいなかったリネスタードの脅威を、隣国にいながらにして掴んでいたというのか。これが、アーサの国を百年以上に亘って治め続けてきた偉大なる王、オージン王か」
フレイズマルはオージン王の警戒度合いを理由に、リネスタードの現状を再度調査させることを決めた。より深く、非常識と断じるような内容をすら拾い上げられるように。
フレイズマルの思考は変わった。オージン王がそこまで警戒する何かをフレイズマルが手に入れなければと。
これでも一応フレイズマルはランドスカープの領主であり、アーサ国がこうまでして排除しようとする脅威がランドスカープに存在している価値を、彼もまた理解している。
王都圏、シェルヴェン領を主とする軍との揉め事は、フレイズマルの嫡子が失われるというあってはならぬ結末を迎えた。
それ自体は、フレイズマルは軽く失望するていどのことであったのだが、対外的には大きな事件であるため、シェルヴェン領や彼らに手を貸した連中から相応の物をむしり取るつもりであったのだが、今は一刻も早い和解が求められる。
この機会に、次男オッテルに王都圏との兵を用いたやりとりを学ばせようと思っていたのだが、オッテルにはむしろ今後のボロースに大きく影響するだろう対リネスタードで動いてもらわなければならない。
フレイズマルは武断の気質のある者に後を継がせるつもりなぞなかった。あくまでそれは対外的な姿勢でしかなく、実際は経済の動向に重きを置く者に後を任せたいと思っていた。
だからミーメが死んだことも、フレイズマルはちょうどよい機会としか思っておらず、残るオッテルとレギンはどちらも経済の価値と意味を知る者であり、後はどちらが継ぐことになろうと問題は無い、と思っていた。実に、都合の良い話であった、と思っていたのである。
フレイズマルにとって、竜の血を引き武の世界に身を置くことに価値を見出すミーメという息子は最後まで、己の血を分けた身内であると思えなかったのである。
領主フレイズマル、そして彼に近しい人間にとって、ミーメ・ボロースの戦死はとりたてて騒ぐようなことではなかった。
むしろ散々武威を誇っておきながら大規模戦争に参加するや即座に戦死してしまった呆気なさを、これまでデカイ顔をされてきた意趣返しに声を大にして詰る者までいた。
だが、ボロースの勢力圏内において、ボロース一族で最も名が知れていて、最も民に人気があったのはミーメであったのだ。
おえらいさんが何をしているのかなんて民たちにはわからない。だが、ミーメだけはわかる。わかりやすいからこそ、民たちはこれを支持する。
そしてこれを後押しするのが実際にミーメと接してきた人物たちだ。武侠の者らしい価値観と規範を持ち、これに従い道を外れた者を誅するだけの力を備える。その武名のみならず、聞いた民の人気を集めるような逸話が多数存在するのだ。
この辺の民の意識というものを、フレイズマルは軽視している部分があった。結果的に、ミーメへの低評価が問題となる前にミーメが戦死してしまったため表面化することはなかったが。
しかしフレイズマルにとって嫌な負債も残った。
嫡男ミーメを討ち取ったリネスタードの黒髪のアキホに対し、報復を行なわないのは彼女の武威に怯えているせいではないのか、と民たちは噂したのである。
領主も王も、チンピラのボスですらこれだけは決して見逃せぬ、という点がある。すなわち、決してなめられてはならない、である。
なめられて黙っていないと思える相手だからこそ、ボロースの影響下にある者に対し、民たちは不用意な真似は避けるのだ。そうでないとわかれば、単純な世界に生きている者であればあるほど即座にそれを態度に表すだろう。それは大きくボロースの利益を損なう結果を生み出す。
当初、リネスタードへのアクセルソン伯の出兵に関して、フレイズマルは静観の構えであった。今兵を出せば、近隣で態度を決めかねている都市たちに、リネスタードかボロースかの決断を強いることになる。
だがボロースが動かず、アクセルソン伯の軍事行動に対しボロースと同じく静観を選んだのであれば敵対行為とはみなさない、という密約を通しておけば、中立都市たちは態度の表明を要求されず、決定的な決裂に至ることもなくどっちつかずで静かに嵐が過ぎるのを待つことができるのだ。一万の軍勢を相手に、リネスタードが音頭を取って一致団結、なんて話も通し難くなろう。
そういった楽ができる選択肢を、フレイズマルは選びにくくなってしまった。
民たち、というよりかはボロース勢力圏内の有力者たちが、ボロースがなめられるということに対し危機感を持ち、フレイズマルに積極的行動を促すようになったのだ。
元より民たちの間で対リネスタード戦の機運が高まっていたこともこれを後押ししている。
フレイズマルは優れた統治者であり、武力も経済力も領内随一のものを有するが、だからと有力者たちの意見を全て無視できるかといわれればそんなことはない。
このフレイズマルにも想定外の展開は、実はギュルディにとってもそうであった。フレイズマルはその聡明さと慎重さから、まだ動くことはないとギュルディは踏んでいたのである。
両者はボロース領のこの動きに対し同じ台詞を残している。
「「度し難い限りだ」」
ヴェイセルにとって商人としての活動は不本意の極みのようなものであった。
だがそれでもそこで学び得たものに価値がないなんて言うつもりもない。特に、商売は軍事よりも情報が重要であると認識することができ、既存の商人同士の情報のやりとりを学ぶことができたのは、ヴェイセルにとって大きな進歩と呼べるものだった。
金の、物資の動きを知ることは、その地域、国の命脈を握ることに等しい。軍略をたてるうえでこれほど重要な情報は他にあるまい、とすら思えてしまう。
ヴェイセルが得意とするのは関所の兵士の買収だ。
関所の通過を円滑に行なうための買収はよくあるが、更に一歩踏み込んで物資の関所の出入り数、量を調べさせる、といったことをヴェイセルはやっていた。
元々軍事畑の人間だ。兵士の扱い方の上手さは商人とは比べ物にならない。弱みにつけこむことも、思うが儘に操ることも、兵士一人二人が相手であるのならヴェイセルには容易いことだ。
商人としてのヴェイセルが成功を重ねている最大の理由がこれである。そしてヴェイセルがギュルディに注目したのもこれが原因であった。
ヴェイセルがやっているのとは全く違うアプローチで、驚くほどの情報を集めていると思われるギュルディを、ヴェイセルは最大限の警戒が必要な相手であると考えていた。
フレイズマルの仮想敵であるリネスタードにギュルディが入った時は、あまりの衝撃にその時もまた酒瓶二本をあけてしまうほどであったとか。
そんなわけでヴェイセルはリネスタードにて頭角を現す以前よりギュルディという人物に注視していたこともあり、その人となりは把握済みである。
商人をやっていただけあって、貴族にしては珍しいほどに、相手が貴族以外であっても貸しと借りをきちんと清算する人物であると知れている。
ならばヴェイセルが十分な成果を挙げることさえできれば、見返りにソルナの街の優遇も期待していいということだ。もちろんヴェイセルの側で、ソルナの街がギュルディにとって都合の良い存在になるよう調整せねばならないが、それは難しくはあっても決して不可能なことではない。
そこはソルナの隣町にあるヴェイセルが隠れ家の一つとしている場所だ。
この部屋には今、ヴェイセルが集めに集めた情報資料が整然と棚に並べられている。
紙もこれだけの量が集まると馬鹿にならない値段がするのだが、到底ヴェイセル一人の記憶に留めておけるていどの量ではないのだ。そして机の上にはヴェイセルがこれらの資料をもとに作り上げたまとめ書きがある。
このまとめ書きを見ながら、ヴェイセルは机の前に座る商人と話をするのだ。
「今の時点でボロース側からの寝返り打診は、正直意外ではありますね」
商人はその意図を表情には出していないが、彼がヴェイセルを警戒していることぐらいは誰にでもわかろう。
「一応、信用してもらえるような資料も用意したんだが、それよりも、そちらからの要求を聞き入れるって形の方がより信用は得られやすいだろ。少なくともアンタからの信用は得られやすいと俺は考えてる。どうだ?」
商人は即答を避け少し考えこむ。この商人はとても頭の回転の速い男であり、ヴェイセルの言葉に対し、有効な要求を思いついているのだが、それでも一度待って考える。
これはギュルディが特に自らに心掛けていることだ。この商人もまた、ギュルディと同じようにまずは丁寧に考える癖をつけている。
それはギュルディが自らの悪癖を消す目的で心掛けたことだが、商人はそうすることがギュルディが成し遂げてきた数々の成功に繋がると信仰している。つまるところ彼は、ギュルディ配下の商人である。
「まずは、資料を見せていただいても?」
「もちろん」
ヴェイセルがリネスタードと繋がらんとした時、直接リネスタードとのやりとりをするのはさすがに不用心であると考え、ギュルディ配下だと世間的には知られていないがギュルディ・リードホルムの威勢を知る者ならば部下になっているとわかる人物に繋ぎを取った。
これもヴェイセルがギュルディを面白いと思うと同時に最大限の警戒をする理由だ。
ギュルディは無理に自身が表に出てこようとはしない。幕下に加わった者も表向きは独立独歩の商人であると装うし、信じられぬことに上納金の納入を要求しない。
そのうえ、部下になった商人たちはそのほとんどが今ヴェイセルが話をしている商人のように、ギュルディ自身に心服してしまう。
人を集め魅了する術に長けた、もしくはあり方そのもので他者を魅了しうる人物は確かにこの世に存在する。だが、理性と損得に支配されている大商人を相手にそうするのは下手な貴族を騙すより難しかろう。
それでも、傍にいてギュルディの人となりを見続けた結果そうなるというのならば理解はできる。だがギュルディの場合、部下になった遠隔地の商人と直接顔を合わせる機会はほとんどないのだ。
だというのに、商人たちは利によって靡き、組織の内に入ってはギュルディの作り上げた組織構造に心服する。
寄らば大樹の陰とも言うが、大樹を装った枯れ木はそこら中にあれど、商人たちのような常に知性を試されている連中を納得させるほどの大樹はそうそう見つかるものではない。
故にこそ、寄るに足る大樹を見つけた商人たちは、ギュルディの下での繁栄を信じ懸命に努めようとするのだろう。
そんなシロモノをまだ十代の頃に作り上げてしまったギュルディを、ヴェイセルが警戒するのも当然であろう。そして今、ヴェイセルもまたこの大樹の傍に近寄ろうとしている。
ヴェイセルの目の前で、資料を見ていた商人が驚愕に硬直しているのがわかる。
『はっはっは、さすがのギュルディ配下もコイツ見てビビらんのは無理か』
その資料に書かれているのはヴェイセルがその知識の全てを動員し作り上げた、ボロースの滅ぼし方であった。
どの順番で何処の街からどうやって陥落せしめるか。オッテル騎士団にいて内よりボロースを見ていたヴェイセルでもなくば書けぬものだが、ボロースの内にいるからと誰にでも書けるようなものでは断じてない。
専門分野ではないにしても、この知能の高い商人ならば読めば資料の価値を理解してくれるだろう。
そしてこれを作り上げたヴェイセルという稀有な軍略家の価値にも。
商人はもう、信用するだのしないだのといった話は頭にない。これをギュルディに渡してしまえばそれだけでギュルディの大いなる利益となるものだからだ。
商人はヴェイセルに完全に降参した旨を伝え、そして一言付け加える。
「全てが終わって、どちらもが生き残っていたら、でいいです。どうかこの資料を作った際の一次資料、情報を併せて見せていただいてもよろしいでしょうか」
「ん? いや、資料はさっさと処分して……」
「それを処分するなんてとんでもない! 持ち続けるのが危険ならば、なんとかしてリネスタードに持ち込めませんか」
頬をかくヴェイセル。これはヴェイセルが必要だと判断したものをヴェイセルのみが見るために集めたもので。他者がこれを見ても整理すらおぼつかないものであろう。
ただ、それを要求されたことが少し意外であった。
『ギュルディのところにアホみたいな量の情報を集めて精査する機関があるのは知ってるが。幹部候補とはいえ、地方の商人ですらこの価値を認めこうまで積極的に協力しているとは……』
雑多な情報は、そのままでは無駄に紙を使った高価なゴミでしかない。これを精査し整理し役立てる人間がいてこそ、金をかける価値が生まれるのだ。
ギュルディ・リードホルムの打つ手が常に誰よりも一歩先んじているのは、集めた膨大な情報を整理できる人間たちを育てているからだ、とヴェイセルは思っている。
じっと彼を見つめ、ヴェイセルは告げる。
「手助けがいる。この資料、百通りのやり方で千回に分けて運ぶ分には、アンタに最初に渡した資料と違って見られたところで問題にはならないし、問題だと気付かれることもない。できるか?」
とんでもなく金のかかる行為だ、と言ってやったのであるが、商人は二つ返事で了承した。
一次資料とこれをまとめた資料が同時に存在するのだ。そうできる卓越した人物がこの二つを用いれば、ヴェイセルの分析能力は丸裸になろう。だが、ヴェイセルはそれを一切恐れない。
傲慢、増長、そう言うこともできるだろう。だが、もしそうやってヴェイセルの分析能力を見切るほどの人物がいるというのなら、それを証明できるというのなら、是非そんな人物に会ってみたいとヴェイセルは思う。
それが敵であろうと味方であろうと、これまでただの一度もこの分野において他者と比較して自身が劣っていると感じたことのないヴェイセルは、そういう人間が存在していることを夢見てやまないのである。
細かな段取りを話し合い、商人と別れた後でヴェイセルは苦笑する。
『まいったな。リネスタードじゃようやく軍人としてやっていけると思ってたんだが。配下の商人たちにこんな空気があるっていうんなら、商人やるのも悪くないなんて思えてきた』
ちなみに、このギュルディによるランドスカープ中に張り巡らされた商人網のことを知った楠木涼太君は、これどー見ても商人の組合じゃなくてスパイによる諜報網だよな、とのたもうたそうな。
またこの若さでこれだけのものを作ってしまう人間がギュルディであるからして、予言さんが、コイツマジやべえよ、とオージン王に警告するのも無理はなかろうて。




