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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第八章 辺境大戦
112/272

112.ギュルディ帰還


 シーラの奇行種的行動は、ソレを見てしまった加須高校生が、乱数調整でもしてるのか、と思わず口にしてしまうようなものであったが、おおよそ一週間ほどで行動は落ち着きを取り戻した。

 お目付け役であるコンラードのこの時の苦労はとても涙無くしては語れぬものであったが、それでもシーラが自身の感情を受け入れさえすれば、そうした不安定さも落ち着いてくる。

 一週間かけてゆっくりとシーラは、そこら中に迷惑をまき散らしながらも自分の感情との折り合いをつけ、いつも通りのシーラを取り戻した。

 ギュルディがリネスタードに戻ってきたのは、ちょうどシーラが落ち着いて少し経ってからのことで。

 戻ってきたギュルディを出迎えたシーラは、それまでの照れっぷりや動揺っぷりが嘘のように落ち着いた様子で、穏やかに、晴れやかにギュルディの帰還を喜んだ。


「おかえり、ギュルディ」


 この時の笑顔は、ギュルディの記憶に強く残った。

 シーラの笑みは何度も見てきたが、何故かこの時の笑顔だけは、特別なものに思えてならなかった。

 それをギュルディは、久しぶりにしばらく離れていたが故のものだと考えた。

 或いは、ギュルディにとってリネスタードでの時間は、その大半がシーラと共にあった時間であり、そんなリネスタードに戻ったことを『おかえり』と評してくれる存在に心地よさを感じたせいかとも。

 いずれにしろ悪い感情では全くないので、ギュルディも快く笑って返せた。

 そのギュルディの笑みに、その日の夜シーラがベッドの上をごろごろ転がり回るハメになっているとも知らずに。





 魔術師ダインは若い頃から優れた魔術師、研究者としての名声を得ている人物だが、ランドスカープ王立魔術学院の人間からはあまり好まれてはいない。いや、はっきりと言ってしまえば嫌われてすらいる。

 ダインの側が魔術学院を嫌っているのは、魔術学院では権威主義が横行し魔術師としての本分を見失っている、なんてもっともらしい理由があるが、ダインが嫌われているのはこのせいだけではなく、ダインは研究のための条件が良いという理由だけで一度ランドスカープの魔術学院を出て隣国アーサの招きに応じてしまっているのだ。

 挙げ句、アーサにて大事件を起こしアーサから放逐され、ランドスカープ魔術学院に戻ることもできず辺境にて細々と研究を続けていたのである。

 その大事件とは。

 当時魔導建築学の権威であり魔法防壁理論という画期的な技術を有していたダインにアーサの王オージンが城壁の建造を依頼した。

 これを引き受けたダインであったが、城壁の完成が間近に迫ったある日、突如オージン王より依頼した条件と城壁の出来が違うといちゃもんをつけられ、アーサの国より追放されてしまったのだ。

 ランドスカープの国では、魔術学院には嫌われていても魔術師ダインの名声は全く衰えておらず、ダインを非難するよりも、オージン王がダインへの報酬をケチったという噂のほうが信じられてしまっていた。

 アーサの国ではオージン王の言った、ダインが契約に背いたという理由を結構な人間が信じているが、ランドスカープではダインはオージン王に騙された可哀想な人物と言われている。




 リネスタードに帰還したギュルディが、留守していた間の各種報告を受ける中、明らかに桁が間違っている報告を見つけこれを問いただしたところ、桁は間違っておらず、その、現実の数字とはとても思えぬ金額を既に消費してしまった後であると知った。


「え? いや、待て。これ、今年のリネスタード全体の一年分の予算とほぼ同額……」


 ギュルディのその顔を見て、報告者と共に説明を行なっていた高見雫は、大きく顔を歪めた。


「は? ちょっと待ってくださいギュルディさん。そこで驚くんですか? このありえない馬鹿みたいな浪費は、ギュルディさんの肝入りで行なわれたって話でみーんな受け入れ難きを無理やり受け入れたんですがっ」

「いやいやいやいや、ちょっと待て。何処の世界に工房の研究費にこんなバカげた額の予算を通す奴がいる。ていうかこれ、三つの研究がそれぞれ別々に予算取っておいて、これを後からくっつけたってどー考えてもわかっててやってるよなコイツら」


 絶望顔でその場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪える雫は、報告書の末尾を見るよう勧める。


「その三つの研究。ダインさんと、ベネディクトさんと、バカタレ橘の三人がそれぞれ責任者の奴です。あの三人はギュルディさんと特に近いから、何か考えがあるんだろうって……っていうか、何度も確認の報告書類、送りましたよね?」

「……あ、ああ、それは、一応見てる。が、あの三人の立場固めのための必要経費だと……いやいやいやいや、でもな。ここまでの額ではなかった……」

「橘にはこの手の書類誤魔化すの無理ですよ。ダインさんにしてもベネディクトさんにしても、研究畑の人間にこういう小細工は……」


 そこまで雫が口にして、雫とギュルディ共に思い出した。魔術師ダインがアーサで起こした事件のことを。

 書類誤魔化して予定を遥かに超える予算をぶんどっていたなんて話であったのなら、アーサの王オージンが事件の詳細を公表しないのもわかる。文官が研究者如きに書類で騙されたなんて恥晒しなことを口外できるはずもなく、だからと名声高きダインを処分するのも難しかろう。

 雫の肩がわなわなと震えている。


「まさか、ダインさんが……」

「アイツっ、アーサで同じことして、それがバレて追放されたって話じゃ……」


 雫とギュルディの脳裏に、やってやったわとからから笑うダインの顔が思い浮かぶ。

 両者共、想像の中だけで三回ほどぶっ殺してやった後で、大きく深く嘆息する。


「今更、だな。モノはもう完成しているんだし……」

「運用試験の立ち合い、お願いできます? かけたお金分ぐらいの価値は確かにあるとは思いますけど、何せ運用が難しいですからねぇ」

「……いや、正直これ書類見ただけじゃどーいうもんだか皆目見当がつかんのだが」

「ああ、うん、わかります。でもきっと、見ても理解はできないと思いますよ。運用方法は見ればわかると思いますが、まあ、その、色々とやらかしちゃってるシロモノでもあるんで」


 雫とギュルディは、ダイン工房の面々の顔を改めて思い出す。

 ダインとベネディクトと橘拓海がやらかしたとして、それに気付いたとして、それでもあの工房の連中は、悪いことをしたなんて欠片も思わないのだろうと。

 先程想像したダインと同じ顔で、ベネディクトも拓海も他の研究員たちも、全員が集まってわっはっはっはっは、と笑っている様が容易に想像できて、もう何もかもを投げ捨て逃げだしたくなってきた雫とギュルディであった。





 オージン王の傍近くに仕え、長く軍事に関する忠言を続けてきた男トーレは、自身が赴いた先の隣国の軍の様子を見て、心底から失望の溜息をついた。


『あれほどの大言壮語の後で出てくるものだ。どれほどかと思えば……』


 アーサの国の人間からすれば、ランドスカープという国の人間は理不尽なほどに剣が好きすぎる。

 携行に便利なものであるのは認めるし、予備武器としての剣のあり方に異論を述べるつもりもない。だが、弓より槍より剣を好む軍隊という存在は、トーレの美意識からすれば考えられぬものだ。

 常時国の何処かしらかで戦をし続けているランドスカープという国に、アーサの国と比べても異常に能力の発達した剣士が多いことは認めている。

 だがそれは、別に剣でなくてはならない理由にはならない。槍士や弓士でもいいではないか、とトーレは思うのだ。

 そもそも集団戦闘において剣を縦横自在に用いるなんて行為は害悪でしかなかろう。兵が密集し盾と槍とを構えた時の強さを、本当にコイツらは理解しているのだろうかと。

 騎馬への対策もそうだ。槍でも弓でも対策はできるが、剣だけはない。剣だけは、騎馬が相手ではどうにもならない。なのにどうして、剣しか持たぬ兵士が当たり前の顔で軍に参陣しているのだろう。

 徴兵により集まる兵というものには土地柄が当然出るものだが、それにしたってこれはないだろう、と思えてならないのだ。


「ははは! どうだ軍師殿! 我が精兵の調練は!」


 その集まった兵たちが勇ましく剣を打ちあう様を見ながら、上機嫌にそう語るのはトーレの今回の上司になるアクセルソン伯だ。

 軍の動きを見せてほしい、とお願いしたら多数の兵士たちが一斉に一対一で剣を打ちあい始めたでござる、といった風情だ。

 曖昧な返事を返しつつこの軍の他の士官の顔を見る。彼らはトーレの表情を読んだのか、一斉にトーレから顔を逸らした。


『ああ、よかった。少なくとも士官たちはコレと同程度ではないんだな』


 少しした後、士官の一人がアクセルソン伯に次の動きを見せましょうと言ってくれたおかげでどうにかこの無意味な剣戟を終わらせることができた。

 一通りの調練が済んだ後で、細かな解説を軍の士官に頼むと、そこでもまた失望するハメに。


「伯はああいったわかりやすいものを好みますが、最初に剣の技量を見せることも重要だと言われれば確かにその通りでもありまして。どうもトーレ殿はお気に召さなかったようですが」

『剣の技量で趨勢が決まるような戦をするな馬鹿者が』

「どうですかな、トーレ殿にはあの中で気になる戦士でもおりましたか?」


 トーレにはよくわかっている。あの多数の兵たちの中に、剣に優れた者が混ざっていてこれを見抜くことができたかどうかを試さんとしているのだと。

 だが、そんなもの見る気もなかったトーレだ。


「いえ、申し訳ない。私は剣の打ち合いより、その後の行軍や陣構えの動きのほうが興味深かったもので」

「はっははは、そうですか。ならばそちらの話にするとしましょうか」


 もう見るからにトーレを見くびった顔をしている。このていども見抜けんのか、といった話なのだろうが、トーレはこれから当分の間、コレに付き合わなければならないと思うと暗澹たる気持ちになる。

 その日一日で概ねこの軍の雰囲気を掴んだトーレは、翌日からは鋼の如き自制心を発揮し、優れた剣士をきちんと見つけ、彼らが望む優れた指揮官像を演じてみせる。

 何が滑稽かといえば、そんなトーレの演技に対して対抗心を燃やしてくるこの軍の指揮官たちである。


『馬鹿馬鹿しくてやってられん』


 といった本音を漏らすわけにもいかないトーレは、それでもこの軍の士官や指揮官たちと上手くやっていくべく声を掛け、褒め称え、時に叱責し、共に呑み食い、調練を指揮し、短い時間ながら彼らに溶け込まんと努力した。

 アーサの軍とはあまりに違い過ぎることに絶望しかけたトーレであるが、確かにこの軍にも良いところはある。

 歩兵の斬り込みに関しては、これをまともに食らったら陣を整えていても一撃で食い破られかねないほどの威力を持つであろう。槍構えを剣にて強引に突破する手法なんてものまであるのだから、いっそ天晴と言ってやりたくなるほどだ。

 これを指揮して敵と戦わねばならぬ立場のトーレには天晴なんて言っている余裕はないが。

 実際に作戦が開始されるまでまだ時間はある。こういった調練を行なう猶予をオージン王がトーレに与えてくれたのは、これあるを見越してのことか、と王に対し畏敬の念を新たにする。

 できればこの時間は戦場や敵戦力を把握する時間に費やしたかったトーレであるが、そこはもうアーサより連れてきた者たちに丸投げするしかない、とこちらもまたオージン王より連れていくよう言われていた部下たちに任せることにしたのである。


『つくづく、我らアーサは恵まれた国であると思う。参謀たちが必死に練った軍略の是非を決する立場におられるオージン王に、十分な軍事の知識と経験が備わっているのだからな。翻ってリネスタードを見るに、ギュルディなる者はどうだ? 経済に長けるとは聞いたが、軍略はあるのか? 金儲けの延長で兵を動かすていどなら、大いなる戦略軍略の中の一つとして兵を動かす意識がないのなら、悪いが私の相手にはならんぞ』






 楠木涼太は、得た情報をどう仲間たちに伝えるかで少し悩んだが、取り繕っても結果は一緒だ、とあったことをそのまんま伝えることにした。

 アクセルソン伯が一万の兵で、辺境リネスタードへの懲罰軍を編成したと。

 聞くに堪えない業腹な出兵理由を添えてあるが、そこは大して重要ではないのでスルー。

 こういった理不尽な出兵はランドスカープの王がこれを制するのが常であるが、リネスタード領主ギュルディが王都圏よりその経済力のほとんどを離脱させていたことにより、一時的に協力者たちが動揺しており、その隙を突かれたという形だ。王に公平さがあったとて、王に近況を伝える者がいなければその公平さは発揮されない。

 アクセルソン伯の背後には当然ボロースの影がある。現在ボロースは王都圏と揉め事の最中であり、これをリネスタードが利用する前にアクセルソン伯を用いて動きを制しにかかった、というのが貴族たちの見方だ。

 だがそれでも一万の出兵は規模が大きすぎる。よほどボロースが張り込んだか、と貴族たちは考えたが、実際はボロースよりの支援要請を受けた隣国アーサからの援助により一万の出兵が可能になったのだ。

 一万の兵を養うに足る莫大な物資糧食はアーサより供出されており、その一万の兵からして、徴兵分以外の傭兵団の大多数はアーサ国が金を払って雇い入れている。

 もちろんこれをボロースによる支援であると取り繕うぐらいの配慮はする。

 またこのアクセルソン伯は血の気の多さでも有名な男で、自身も剣術を修めている一角の剣士である。


「ついでに言うのなら。平民になったギュルディに調子に乗ってちょっかい出して、商売でぼっこぼこにぶちのめされた、と。それで仕返しに兵一万出すってんだから、やること中世だよなぁ」


 商売に負けたから兵士を出すという話も、一人の怨讐を理由に一万もの兵を出すという話もだ。

 こんな馬鹿げた戦で死ぬ兵士が哀れでならないと思えなくもないが、実際に戦をしてみた印象としては、その感想は的外れだったとわかる。

 戦をする兵士にとっては、原因も理由もどうだっていいのだ。敵がこちらより強いか弱いか、どうすれば勝てるのか、どうすれば生き残れるのか、それだけだ。

 徴兵組であれば理由がやる気に繋がる者もいるかもしれないが、傭兵たちにとっては仕事でしかないのだ。そして迎撃する側からすれば、攻めてくる側の理由が正しかろうと逆に愚かであろうと、ぶっ殺して叩き返す以外にやるべきことはない。

 敵軍の規模、位置、距離と時間を涼太が説明すると、状況の深刻さを理解したのか凪と秋穂の表情が強張る。

 宿に戻った直後は、念願の超高級下着を山ほど抱えて上機嫌絶頂であったのに。

 ちなみにこれ、費用対効果のあまりの低さに涼太が購入に難色を示したものだ。


「平均的自作農の年間所得とほぼ同額の下着ってどーよ? さすがにそれは無意味な贅沢ってやつじゃないのか? これ数枚でちょっとした家が一軒買えちまうんだぞ」


 これに対し、凪も秋穂も猛烈な遺憾の意を表明する。


「待って! 涼太待って! あのね! これは唯一無二なの! 金額云々の話じゃないの! ね! ゼロかイチかの話なんだから金額なんて、払えるかどうかだけが問題なのであって値段が高い低いは問題じゃないの! ね! わかってよりょおおおおおおたああああああああ!」

「りょーたくんお願いっ! ねえこればっかりは見逃せないんだよ! 見逃したら取り返しがつかないの! ねっ! だからおーねーがーいーっ! 買って買って買ってよおおおおおおおおお! やだああああああ! これ買ってくれなきゃやだああああああ!」


 凪さん必死の説得と、秋穂ちゃん全力の駄々により、店の前でこれをやられてどうしようもなくなった涼太は仕方なく許可を出すことに。

 女の子に下着を買ってと女性用下着の店で駄々をこねられれば、常時見た目枯山水を維持できる涼太とて妥協を余儀なくされるものだ。

 許可を出した後、涼太は逃げるように宿に引き返していった。そして凪と秋穂はえらい時間をかけて予備含む下着の選択に取り掛かったのである。

 この時、見た目ではなく実用性と肌触りを優先させる辺りは武侠女の面目躍如であろう。胸部に関しては、この下着の上にその膨大な質量を包み支えるに相応しい二枚目の下着をつけるぐらいであるからして。

 最初、凪と秋穂とニナの三人でこの下着の店を訪れた時は、凪と秋穂の強硬な姿勢にも、あまりに常識はずれな下着の値段にニナが頑として購入を許さず、涼太の裁定を仰ぐという話になったものである。

 ニナなどは、ここまで高い金払って上機嫌になったのに、あっという間に機嫌が急落したことにとても納得いかない顔をしていた。ニナにはリネスタードの街に大して思い入れがないのもその原因であろう。

 涼太の話を聞いた凪と秋穂は、急ぎ街を出ようとするがこれを涼太に止められる。


「間に合わないって言ったろ」

「でも」

「もうアクセルソン伯の軍は出立してるし、進軍速度次第じゃ交戦中だ。そのうえでもし野戦をしてたら決着がついててもおかしくはない」


 一万という未曽有の大軍を前に、どう対応したものか凪にも秋穂にもわからない。

 だが涼太はこれに対する周囲の反応を見て、より適切な対応を涼太なりに見つけていた。


「いいか、今のリネスタードなら、徴兵で五千だの六千だのの兵が簡単に集まる。ウールブヘジンの時とは違う。きちんと徴兵する猶予があるんだよ。そのうえリネスタードの城壁があれば並大抵の軍じゃ突破はできない」


 言われて凪と秋穂も思い出す。リネスタードの城壁は、世界遺産と見紛うほどの立派な威風を備えたものであった。


「ただ、籠城したら当然城壁の外は全部荒らされる。俺たちが出た時点でもかなりの生産拠点が城壁外に建ってただろ? 城壁外への拡大計画はあの時点でもかなりあったし、今はもっと広がってるはず。これらが全部潰されるのは痛い。痛いが故に、野戦に出ている可能性もある。だが、さすがに一万相手に五千六千で野戦はありえないだろ」


 そして、と涼太は続ける。


「敵は逆に一万の兵が災いするわけだ。どれだけの期間リネスタードを包囲していられるかだが。一万の兵を養ってやらにゃならんわけだから、何か月もそうし続けられるわけじゃあない。ギュルディたちも馬鹿じゃない。奪われて困るものは全部城壁内に持っていくだろうし、包囲だけで得られる利益なんて微々たるものだ」


 つまり、結果としてどちらも大損して終わり、というのが涼太の、そして王都圏有識者たちの意見だ。

 ただこの間にボロースが王都圏との揉め事を収め、対リネスタードの準備を整えることができる。ボロースがリネスタードに対し有利に戦うための布石、という見方である。

 無論アクセルソン伯や彼に投資した者たちにはまた別の目論見があろうが、最終的にはそういった形に落ち着くという見立てであり、それは涼太にも正しいものの見方であると思えた。何より、王都圏にいる涼太が繋ぎを取れるギュルディ配下も同じ意見である。

 涼太の考える今できることは、王都圏で出来得る限りの情報を収集し、これを直接ギュルディたちに持ち込むことだ。完全包囲中の街へだろうと、凪と秋穂ならば侵入は可能なのだから。

 封鎖されている街への、凪と秋穂という援軍も籠城中の兵たちの士気の助けになろう。そういった形で役に立てばいい、と涼太は考える。

 今、涼太には戦争というものがよく見えている。それは凪も秋穂も一緒だ。

 戦争では具体的にどういったことが起こるのか、それを実地体験した三人はそれ以前と比べて、戦争に関してはもう見える世界が違ってしまっている。

 できることとできないこととを、情報を基に自分で判断できるようになっているのだ。






 リネスタードの侠人コンラードは、シーラとの(強制的に付き合わされている)鍛錬の日々に確かな手応えを感じていた。

 それまで、恐るべきことだがコンラードは剣術というものを系統立って学んだことはなかった。

 それまでの喧嘩の経験から上手くいった剣の振り方をしていただけだ。それだけで一角の戦士として認められてしまうほどの、恐るべき運動センスの持ち主だったのである。

 だが、シーラとの鍛錬の中で、剣術というものをきちんと基礎より学び直すことになり、それまで感性頼りだった戦い方に理屈が伴うようになった。

 ただそれだけで、シーラが思わずにっこりしてしまうほど劇的に脅威度が上がったコンラードだ。

 身体を動かすのは嫌いではなかったのだから、剣術を学ぶということ自体はそれほど苦にはならなかった。

 全身から滝のように汗を流しながら、森の片隅にぶっ倒れているコンラードは、首だけを動かしまだ元気に動き回っているシーラを見る。


「おーい、まだ続けるか?」

「もーちょっとー」


 シーラは森の端にいる。

 端っこの木に向かって、全力で右腕を振り回す。この一撃で葉の生い茂る緑為す巨木がへし折れるのだから、人外認定もいたしかたないところであろう。

 次にシーラは、残った木の根の傍に手を沈める。片腕を思い切り地面に突き刺すのである。見た目には手が液体の中に沈んでいっているようにしか見えない。

 そして木の根を掴み、全身でこれを引っ張り上げ幾重にも張り巡らされた木の根を地面より引きずり抜く。

 ぶちり、ぼきり、そんな音と共に、根の周辺を掘り返したうえで牛に引かせてようやく引きずり出せるような巨木の根を、たった一人で根こそぎ抜き取るのである。

 シーラの身体の数倍はあろう根の塊をそこらに放り投げた後、さしものシーラも疲れたのかその場に腰を下ろす。


「あー、つっかれたー」


 コンラードは周囲を見渡す。そこにはコンラードがへし折り引っこ抜いた木が三本、そしてシーラがそうした木が二十一本、転がっていた。

 午後の鍛錬の時間だけでこのザマであるのだ。まるで減る様子もない移住農民たちが、耕す土地に困らないのはこういった理由がある。

 これは彼らのためにしていることではなく、シーラ曰くの鍛錬である。基礎的な能力を上げるためのもので、どうせやるのなら他の人が得するようなことにしよう、ということでこうしているらしい。

 剣術の鍛錬ならばともかく、こればっかりはさしものコンラードも泣き言を言いたくなるぐらいしんどい鍛錬である。

 シーラもそれまで基礎鍛錬とやらはほとんどしてなかったのだが、凪と秋穂から勧められてやってみたらしい。

 この後、少し休んでリネスタードの街まで走って帰るのだ。

 これがまたきっついもので、何度走ってもコンラードはシーラに追いつくことはできない。だが、誰も見ていなくても真剣に鍛錬はこなすあたり、コンラードはヤクザな立ち位置の似合わない根っから真面目な人間なのだろう。

 汗だくになりながら街に戻った二人は、ギュルディに呼ばれてその屋敷に向かう。

 どちらも、きちんと汗を流して着替えるぐらいは当然にする。貴族となったギュルディに気を使っているとかではなく、いっぱしの大人として当たり前のことを当たり前にやっているだけだ。

 シーラなどはそれができただけで驚かれるのだから、周囲から如何に見られているかがわかろうものである。

 二人がギュルディの執務室に入ると、ギュルディは早速本題に入った。


「王都圏のアクセルソン伯が兵を挙げた」


 シーラ、コンラード、共に空気が変わる。


「兵数一万。大軍だが、対応できない数じゃあない。だが、大いなる懸念点がある」


 首をかしげるシーラに、渋い顔のコンラードだ。


「城壁の外のモノが惜しくなったか」

「そういうことだ。リネスタードもな、周辺都市への徴兵と雇える傭兵を合わせれば最大で八千揃えられる。コイツがよろしくなかった。合議会でも、迎撃地点を選べるのなら野戦でも勝てるのではないか、という意見の持ち主が多い」


 怪訝そうな顔のコンラードだ。


「ん? そんな判断ができる奴いたか? 軍事の専門家なんて、ギュルディが雇った傭兵団の団長ぐらいしか頼れそうなのいなかったと思うが」


 嘆息するギュルディ。


「能力はなくても権限はある。合議会の持つ権力とはそういうものだ。正直、予想を大きく超えてリネスタードは膨らみすぎた。城壁外の資産を移動できる分は城壁内に持ち込むとしても、今回の戦で生じる損失額があまりにもデカすぎる。人員は揃っているんだから、無理をしてでも徴兵して数を揃えて討って出るべきでは、という意見も、経済的な観点からは間違ってはいないんだ」

「……それが、わざわざ勝てる勝負で博打をする理由にはならん。野戦で負けたら全てを失う。そして敗北の可能性は決して低くはない」

「それら全てわかっていて、口に出してきてるんだよ連中は。軍の指揮を執るのが私なのもよくなかったな。商人の理屈が通る相手だと思われている」

「かといって、お前以外に任せられる奴はいない。お前が軍事の専門家の補佐を受けて軍を率いるのが一番良い形でまとまる」

「まあ、な」


 正式に貴族になったギュルディであるが、コンラードとは相変わらず俺、お前、で通している。辺境というある種特別な空間故許されることであろう。

 そこでシーラが口を挟む。


「ずっと前に言ってた、軍事の専門家引き抜いてくるって話は?」

「全部失敗した。来たがるのは自意識過剰な馬鹿ばかりだ。せめても私自身の目が信じられるのならばまた別の手もあったのだろうが、軍事ばかりはどうにもならん。軍事に詳しい者に目利きを任せて良い人材を招いてもらうしかないし、そういった正攻法ではなかなか、な」


 優れた商人や官僚を見抜く目は、ランドスカープでも一二を争うと自負しているギュルディであるが、何せ軍事は専門性が高すぎる。

 コンラードは当たり前の判断を述べる。


「勝てるかどうかの判断すらつかんのに、討って出るなぞ論外だ。俺も軍事は門外漢だが、それでも間抜けに率いられた兵ではたとえ兵数に勝っていても戦に勝てんのはわかる。もしかしたらギュルディは軍事的に間抜けではないかもしれないが、相手がより優秀な将軍であれば結果は一緒だろう」


 ヤクザな仕事をしていたくせにこういう判断をさらっと言ってのけるのがコンラードという男である。基本的に物事の判断基準は固い男なのだ。

 ギュルディは肩をすくめる。


「全く同意見だ。だが、懸念点はもう一つある。アクセルソン伯は、確かに欠点はあるが決して愚か者ではないぞ」


 リネスタードが籠城を選んだのなら、アクセルソン伯は大した利益を得ることもできず引き上げるしかなくなる。そんな分の悪い、儲けのない戦をするものか、ということだ。

 じゃあ、とシーラが口を出す。


「籠城を選ばせない手があるんなら、私が潰しておこうか?」


 それはリネスタードの内部に潜む毒である。合議会がそう動いているというのも、事実を確認したわけではないが、アクセルソン伯の仕掛けとみることもできよう。

 ギュルディは首を横に振る。現状、リネスタードにおけるギュルディの持つ権力、発言権は、他に比する者がいないほど大きい。正式に領主の地位につく前からそうであったのだから、合議会を尊重するという姿勢を崩さぬままにギュルディは自身の意見を押し通すことができよう。

 つまり、籠城を選ばせないためにはギュルディをどうにかしなければならないということだ。


「伯の狙いはそこじゃない、気がするんだが……どうにも読めん。ボロースが何を条件にアクセルソン伯を動かしたのか、あの強気の兵数の意味は? ありえん話だが、兵一万を半年リネスタードに貼り付けておくだけの補給を整えていたのなら、その後の展開はとんでもなく厳しいものになっていくな」

「伯爵の領地全部搾り取っても出てこないだろ、そんなもの」

「まあな。かといってボロースにそこまでの余裕があるとも思えん。だから、どうにも気持ちが悪いんだよ。世の事柄全てを見知っていないと動けないなんて駄々をこねるつもりもないが、この件にはまだ妙な裏がありそうでな」


 以前のウールブヘジンの時もそうだったが、現状、隣国アーサがリネスタードに手を出す合理的な理由は存在しないのだ。である以上、警戒なぞするわけがない。

 得られる利益もないのに兵一万人分の補給を供出するなぞ、そんな可能性を考慮するぐらいならもっと先に考えておくべきことがある。ウールブヘジンという前例があって尚、だ。

 隣国アーサのみが持つ強力無比な力、ドルイドの予言の威力は、正にここにあるのであった。



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― 新着の感想 ―
[一言] なんか、戦争を一変させそうな兵器を開発してそうですね。 銃とかミサイルとか戦車とか地球全体絶対破壊ミサイルとか。 凪や秋穂なやシーラレベルならあっさりなんとかしそうですがw
[一言] 残留組にも面白エピソードいっぱいあったみたいで惜しい
[良い点] バカタレ共の発明で色んな意味でひどいことになるやつでは?ワクワクしますね。
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