108.戦には負けたが、敵にも味方にも勝っている
ボロース軍騎馬隊を指揮するミーメの副官は、秋穂とミーメの戦いを見てもどちらが有利とも不利とも判断できずにいる。
だがそれが、明確にわかる形になってきた。
「馬鹿、な……」
あの、辺境最強が、竜の血を引く人外が、百の兵をすら凌駕する人の形をした神罰が、為す術なく打ち据えられる姿を見せられようとは。
両者共、既に剣はない。だが黒髪の女は、拳のみであの頑強なミーメに対し痛打を与え続けているのだ。
それまでの激しく変化に富んだ攻防から一変し、今はどちらも単純な動きしかしていない。
ミーメが何をすることも許されず、ただただ一方的に女が何度も何度もミーメに拳を突き立てている。
ある種の滑稽さすらあろう。ミーメと黒髪の女とで遊んでいるのではないか、なんて場違いな考えすら浮かんでしまう。
だが両者の表情を見ればそれが誤りだとすぐに知れよう。副官は、ああまで必死なミーメの顔を見たことがない。
不意に、そう突然に、副官はその名を呼ばれた。彼が目を離せずにいる当人ミーメより。
殴られながらも、ミーメは必死に言葉を紡いでいる。副官は一言一句たりとも決して逃さじと聞くことだけに集中する。
「俺の戦いを伝えろ! お前は絶対に死ぬな! いいか! あの男に! なんとしてでも全てを伝えるんだ!」
副官はその男を嫌っている。だがそれでも、今ここでミーメがそう言う理由もわかる。
ミーメが倒れたならば、ボロースでコレを殺せる男はもうたった一人しか思いつかない。
副官が気に食わないのも、その男の持つ圧倒的才能故だ。ミーメが、もし敵に回したのならミーメ率いるワイアーム戦士団ですら、敗北を覚悟せねばならぬ相手だと言っていたほどの男。
ボロースでもまだその名は一部の者にしか知られてはいない。だが、軍務に精通している者ならば絶対に見逃してはいないだろう男。
オッテル騎士団は何を血迷ったか彼に商人の真似事をさせているが、本来ならば軍務につかせ、その大いなる才を存分に発揮させてやるべき、ヴェイセルという男。
副官はミーメが既に敗北後を見据えている事実に愕然とし、そしてこれを覆さんと周囲を見渡す。
兵が報告に駆けてきた。
「わ、ワイアーム戦士団のお三方、す、全て、討ち死にされました! あの金色のナギに! 三人共が討ち取られてしまいました!」
副官はその報告を聞いた後で、もう一度ミーメの背を見る。
その背に、副官は無数の夢を乗せていた。ボロース軍が最強の名をほしいままにする夢、伝説に残るような英雄と共に戦場を駆ける夢、歴史に語られる英傑の傍でその補佐をし名を遺す夢。全て、叶わぬ夢となり果てた。
人生全てを賭してもよい、そう思えるほどの相手を見捨てるのに要した時間はほんの瞬きするほどで。そうできる者こそが、戦場で生き残れる指揮官であろう。
「全軍退却! 引け! 引けええええい!」
余計なことは言わない。この命令を聞けば各人が、その状況に合わせた逃げ方をしてくれるだろう。
後は副官がどちらに逃げるかを身体で示してやればいい。
まだ黒髪のアキホはミーメにつきっきりで、金色のナギもここまで来ていない。なら、今が、今しか、その機はない。
もちろん退却すら容易ではない。だが、是が非でもそうせねばならぬ。副官は、あの、竜の血を引く辺境最強の男ミーメに後事を託されたのだから。
副官の命に従い、騎馬たちはようやく逃げに動き出せた。一塊となって敵歩兵の包囲を突破せんと動くと、敵歩兵たちは素早く展開しその矛先より逃れる。
副官は続く者たちを見ながら指示を出し続ける。
だが、彼は後ろは見ても、決してミーメのほうを見ようとはしなかった。
無数の拳打を浴びせられたミーメが膝を折ったのは、副官と彼を取り囲む騎馬群がシェルヴェン軍の弓の射程から外れた、ちょうどその時であった。
途中から、ミーメは秋穂の拳にも反応するようになっていた。
だからこそ、一撃が意識を刈り取るようなこともなく。来るとわかっている拳が相手ならば、受けるミーメの側にも覚悟ができる。けどそれは苦痛を長引かせることでもある。
最後の十発。この時にはもうミーメの抵抗は薄く弱弱しいものとなっていたが、秋穂はミーメがそうしたように、拳打を打ち込む隙を見つければ即座にこれを打ち込み、決してその威力が衰えることはなかった。
秋穂は勝利のその瞬間まで、いやさ勝利した後でも、この戦い方でミーメに勝てるかどうかの自信は持てていなかった。それでも他に手は思いつかず、ただやられるだけなどということも認められずこうしたのだ。
驚くべきことに、ミーメは生命活動が困難になるほどの打撃を受けても尚、膝を屈することなく立ち続けていた。
死の間際に襲いくる壮絶な苦痛をも耐え抜き、心中はさておき、ミーメもまた最後の最後まで抗うことをやめなかった。
そして遂に、正中線、顎下、喉ど真ん中への一撃を許してしまう。
呼吸が止まれば、人外ミーメとて生命活動を維持すること能わず。ゆっくりと、その膝を折った。
秋穂の残心はミーメの反撃に備えてのこと。だから動かず隙を見せるミーメに追撃の拳を放つことはなく。
ただミーメの右手首を握ったままで、膝をつき首を垂れるミーメに向けて拳を構えた姿勢を維持し続けていた。
秋穂が警戒しているのだ。他の兵士もミーメはまだ動けると考え近寄ることはできず、こちらは秋穂に任せ追撃に動き出す。
「秋穂!」
そんな秋穂に声を掛け、平然と近寄れるのは不知火凪以外にいない。
ミーメが既に事切れているのもわかっているので、特に警戒するでもなくミーメの身体を押して倒し、秋穂が握る手を開かせてやる。
「秋穂! ああもう! またやったわねアンタ! そんだけ出血してたら意識なくなるのも当たり前でしょ!」
秋穂は答えない。答えられないが正確なところだ。凪はぷんすかしながら秋穂の身体の手当てを始める。
シェルヴェン軍小隊長の一人が二人に駆け寄ってきた。
「おい、アキホに息はあるのか?」
「まだね。そっちはどう? 手助けいる?」
「いや、もうこちらの仕事はほぼ終わりだ、引き上げる。馬に乗せられるか?」
「ああ、それいいわね。馬お願い。もうっ、ほんとうにっ、秋穂はいっつもこうなんだからっ」
ぶちぶち文句を言いながら出血を止めるていどの手当てをし終えると、何処からもってきたのか馬を一頭小隊長が引っ張ってきていた。
そして小隊長は、凪と一緒に馬の背に秋穂を乗せながら、秋穂に言う。
「おい、お前、聞こえてないかもしれんが。よくやったよ。本当に、よくやってくれた。あのミーメを仕留めるなんてな。おかげでこちらに大した損害はない、ナギ、アンタもだよ。あのバケモノ三人を引き受けてくれたおかげだ。ありがとう」
秋穂を乗せると馬を引きながら後退する。凪は少し照れくさそうに答えた。
「今は味方でしょ、私たちはやって当然の仕事をこなしただけよ」
一部で思わぬ逆転劇が行なわれていようとも、ボロース軍対シェルヴェン軍の対決の勝敗を覆すようなことはなく。
シェルヴェン軍は大きく崩れながら後退し、これを半包囲する形であったボロース軍は追撃に動く。
後退を防ぐ楔となっていた騎馬隊が引き下がったことで、シェルヴェン軍はどうにか秩序立った後退を行なうことができた。
それでも潰走一歩手前であり、部隊によっては完全に逃げ道を失ってしまったところをボロース軍の追撃により壊滅させられていた。
特にシェルヴェン軍本陣は完全に狙われており、執拗な追撃に四苦八苦している。
オーヴェ千人長率いる部隊もまた退却進路の選定に苦慮しており、可能な限り他部隊と合流するようにはしていたが、それでも逃げ切れるかどうかわからぬ、いつ敵の大部隊と遭遇するかわからぬ緊張に満ちた逃避行の最中にあった。
そこに、一人の斥候がきた。
「やっと見つけたー。隠れるの上手すぎでしょ」
少女、ニナである。
小娘、ガキ、そういった外見でしかないニナであったが、凪が口添えしたこともありすぐにニナはオーヴェ千人長の前に通される。
そこでニナがオーヴェ千人長に渡したものは、ボロース軍追撃部隊の展開図であった。
「リョータから伝言ー。これ描いたの丸一日前だから、そこからどう動いてるかはわかんない。だからその辺は自分で判断してーだって」
ニナが涼太の下を離れてから一日で合流したわけだから、その時点での最新図である。
渡された地図のあまりの精度の高さに、オーヴェ千人長と小隊長たちは言葉もない。性格の悪い小隊長が、どうにかこうにか一つだけ突っ込んでくれた。
「そ、そんで、当のリョータはどうした?」
「リョータの足じゃすぐに逃げないと逃げきれなくなるからさっさと逃がしといたよー」
「はっ、腰抜け野郎が」
なんて憎まれ口にも力がない。この地図が正しいものであるのなら、これをオーヴェ千人長が用いれば退却はほぼ間違いなく成るほどのものであったのだから。
オーヴェ千人長も苦笑するしかない。
「……ミーメを討ち取ったアキホといい、あの手練れを三人まとめて斬って捨てたナギといい……お前ら、本当に何者なんだ」
ニナはそんなこと言われてもわからないので、普通に凪をじっと見た。
凪はもちろん、涼太を評価されてご機嫌顔である。
「ふっふーん、涼太はそれとわかりづらいけど本当に凄いのよ」
そしてこの場には怪我塗れではあるが秋穂もいる。
秋穂はニナの頭をよしよしと撫でてやっている。
「ニナもよくここまで来てくれたねー。危なくなかった?」
「私だってこのぐらいは余裕でできるし。……っていうかアキホ、動いて大丈夫なの?」
見るからにヤバげな怪我だらけの姿であるが、そのとてつもない体力故か秋穂は平然とした顔だ。
「ま、なんとかね。なんならここ最近稽古つけてあげられてないし、相手したげよっか?」
「……負け戦のうえ追撃かけられてる中で稽古なんて言われても……」
オーヴェ千人長はじっと涼太の地図を見た後で、決断したことを宣言する。
「よし、本隊との合流はしない。このまま西進して川を迂回するぞ」
千人長の意図を、小隊長たち全員は即座に察する。そして笑い出した。
「なるほど、本隊を囮にしようということですな」
「ははははは、さっすが千人長。あのクソジジイを囮にしようたあ最高にご機嫌じゃねえですか」
「逃げ道開くまではやってやったんだ、これ以上は自分でやってもらわんと」
「ま、本隊逃がそうってんで俺たち奥地に残されちまってますからね。このぐらいやっても神様ぁ見逃してくれまさぁ」
上機嫌な小隊長たちにオーヴェ千人長は苦笑顔だ。
「勘違いするなバカモン、今から合流したとて大した助力にはならぬ故だ。ほれ、さっさと準備してこぬか」
ニナはそのまま合流し、オーヴェ千人長隊は大きく迂回する形で戦場から離れる。
その道行は人里離れた荒野を抜けるものであり、敵襲を警戒しながらそうするのだから隊は常に緊張を強いられることになる。
だが、オーヴェ千人長隊はといえば敗走中とはとても思えぬ整然とした行軍であり、士気の低下があるでもなければ兵たちが不平不満を漏らすでもない。
見張りを交代制で行ない、気を抜くところは抜き、注意すべきところは注意し、これを各小隊長が兵士たちにきちんと徹底させられている。
この間、凪にも秋穂にもニナにも仕事はない。特に秋穂の行軍に関しては、鬱陶しいと思えるほどに気を配ってくれる。
それはオーヴェ千人長だけでなく、小隊長たちだけでなく、兵士たちまでもがそうしてくれる。その視線には確かな敬意がある。
この行軍において騎乗しているのは秋穂のみだ。オーヴェ千人長ですら歩いているし秋穂以外の怪我人もそうしている。それを隊の全員が認めてくれている。凪とニナにもその傍にあって、秋穂の世話だけしていればいい、という形になっている。
このまま行軍して、安全域までは後二日ほど。領地に戻るまでとなれば十日ほどか。
凪は小声で秋穂に言う。
「……踏ん張れそう?」
「ちょっと、キツイ、かな」
「安全域まで抜けたら……ううん、ここまでくればほぼリスクもない。明日にでも別行動しようか。ニナ?」
声を掛けるとニナが小走りに駆けてくる。
「ん」
「どう?」
「……変な動きは無い。けどそれが何も起こらないって保証にはならない。この軍なら、何しでかしてもおかしくないと思う。ナギは、危ないと思う?」
「思わない、んだけど。秋穂が気になるってね。多分、今、勘は秋穂の方が鋭い」
面白い基準だ、とニナは呆れ顔であるが、二人の判断には従うつもりだ。
「いい、ニナ。今日いっぱい、出された食べ物は食べちゃ駄目よ。それで明日には隠れてここを出る。秋穂、その時はしんどいけどもう一踏ん張りね」
「うん。よろしく」
凪はそれほど疑っているわけではない。だが、秋穂は、怪我がひどく消耗の激しい秋穂は、急ぎこの部隊から離れるべき、と考えていた。
そして凪は秋穂のこの根拠のない勘に従うべき、と言っている。凪自身は、この部隊の人間を好ましいと思っているのに。
「つまりは、だ。それこそが罠になるって寸法よ」
性格の悪い小隊長は、実に似合いの下衆い笑みを見せる。
彼に賛同している小隊長は彼の他には一人のみ。他はオーヴェ千人長も含め完全に気を許してしまっている。
兵士たちもかなりの数があの武勇に魅せられてしまっている。だが、だからこそいいのだ。
「連中がアキホやナギに気を許してるってのは紛れもない事実だ。だからこそ信じるだろうさ。そいつが、あの化け物をすら仕留める隙を作る。わかんだろ? そういう機微ってやつをよ」
彼が語り聞かせると、オーヴェ千人長隊の中でも凪や秋穂に友人仲間をやられた恨みを決して忘れられぬ兵たちは皆大きく頷いた。
何よりもあの秋穂が、強がってはいるがかなり消耗している今こそが唯一と言っていい好機なのだ。秋穂を庇えば凪も動きが鈍くなろう。ニナはそもそもからして対処可能な相手だ。
「ああいういつ敵に回るかわからねえようなのはな、そうできる時にきっちり殺しとかねえと後で絶対後悔することになるのさ。千人長は俺が説得する。だからお前ら、ビビるんじゃねえぞ」
性格の悪い小隊長も含め、殺意を隠すことはそう難しくはなかった。
凪と秋穂が暴れたおかげで死人が減ったのは事実で、アレを利用すれば戦況を優位に運べる存在だと認めてはいるので、アレを殺さないという選択を自身に納得させることもそう難しくはなかったのだ。
そのうえで、どちらも選べるが殺しておいた方が良い、と考えた連中が集まって、こうして奇襲を仕掛けようとしているのだ。
恩義を感じる者もいる。共に死地を乗り越え戦友と認めた者もいる。恩義を感じて尚殺すと決めた者がいる。そもそも敵であるからして恩なんて言葉が脳をかすめてすらいない者もいる。上手くやれば死体で遊ぶぐらいはできるかもと思っている者もいる。
それがわかっていて、誰がそうであるかを正確に見抜くことのできる男がこれを計画した、だから今、こうなっているのだ。
三人共確実に寝入っている。それは確認済みだ。わざとらしく周囲に石を投げたりして音を鳴らしてみても、反応は一切なかった。見張りが機能していれば反応せずにはいられなかっただろう。
「よし、やれ」
薄暗い闇の中。月明かりと星の瞬きのみを頼りに、集まった兵たちは一斉に矢を射放った。
戦場で討ち死にした、そう言い張れる最後の場所であるのだ、ここが。
そして凪たちを受け入れてくれた兵たちを信じるのと同じぐらい、凪たちに殺意を向けていた連中の意思が挫けていないことを信じていた秋穂は、その最後の機会が過ぎるまでは決して警戒を怠ろうとはしなかった。
凪たちを殺して戦死したことにする。そんな話をオーヴェ千人長が受け入れるものか、といった疑問には、少し考えればすぐに答えが出る。
実際に凪、秋穂、ニナの三人共が死んでしまっていたのなら、オーヴェ千人長はその話を受け入れるしかない。千人単位の集団の長をやれる人間だ、その程度の損得勘定は当然できよう。
さて、それでは連中がどうやって凪たちを仕留めるかだ。
周囲を完全包囲しての矢雨は極めて有効な手段だ。だが、それだけで仕留められると思うほど性格の悪い小隊長も抜けてはいない。
火矢、毒矢、そして、縄の両端に鉄の重りを付けた投擲武器を使う。
これは恐るべき身体能力を誇る敵の動きを止めるために用いられる武器で、本来はミーメやワイアーム戦士団に対し用いるつもりで準備したものだろう。
矢なぞよりよほど攻撃範囲の広いこれを多数投げつけ、身体の何処でもいいから巻き付けばそれが重りとなる。これを多数用いることで尋常ならざる素早さを制するのだ。
常人の力を超える存在は広く認知されているのだから、これへの対策も準備されているのだ。
ただ、この武器を多数用意し適切に運用して難敵を屠ることのできる指揮官、兵士はそこらに転がってるわけではないのだが。
ニナの報告からこの武器の存在を知っていた凪の考えた対策は、縄を斬る、であった。
極力縄の中央部を斬るようにすれば、身体に絡みつく効果は著しく低下しよう。回転しながら飛来するコレの縄を一振りで斬り落とすには相応の技量を要するし、夜間にそうするというのならば更に難度は上がろう。
『ま、問題ないんだけど』
跳び起き、脇に置いていた盾を構えながら走る。
テントも無しの野宿であるからして、凪の寝ている姿は見えていよう。寝る場所が兵士たちから少し離れた場所であるのは、軍の中に女の子がいるという状況を考えればお互いの為になる選択である。
見えている相手に狙いを定めて矢を射ったのだとしたら、そこから移動すれば当たらなくなる道理だ。
矢が飛来する方向に向けてのみ盾を必要とするが、いっせーの、で矢を射ってくるのがわかっているのなら逆に凪にとっては御しやすい。
重要なのは第一射なのだ。不意打ちで放たれたこれの殺傷能力は、確かに凪や秋穂ですら対処は容易ならざるもので。
もし寝ていれば確実に、気付いていなければかなりの高確率で、わかっていても備えてなければ五分、そのぐらい死のリスクがあるものだ。
凪の予測では、いざ実行に動くとしたのならばもっと執拗で周到な備えがあると思っていたのだが、実働メンバーを集める動きを隠匿していた見事さとは裏腹に、最後の実力行使は案外に素直な攻め方をしてきてくれた。
『味方をすら騙す立ち回りには慣れていても、殺そうとする味方の反撃には慣れてない、そんなところかしら。暗殺のえげつなさでいうんならニナの発想のほうがよっぽどヒドいものだったわね』
秋穂とニナは、寝床にしていた地面のすぐ傍に掘ってあった一段低くなっているへこみに身を潜め、上から被せるように何枚もの盾を乗せている。
盾の上をこんこんかこん、と鳴る音に、その下に潜むニナが冷笑している。
「兵士としては優秀かもしれないけど、暗殺はヘタ。ナギとアキホをここで仕留めたいんなら、三百全部突っ込むか、味方ごと毒盛るぐらいしないと」
「……ニナはこんな状況でも落ち着いてるねー」
呆れた声の秋穂に、ニナはやはり笑って返す。
「落ち着くもなにも、こんな手じゃ殺されるどころか手傷だって負わないし。高いお金払って用意したナギやアキホにも効く毒を使ってるんだろうけど、盾で簡単に弾かれてると思うと笑えてくる」
うくく、と笑うニナ。二人の上からはひっきりなしに矢が当たる音が聞こえている。
そのこんこんかこん一つ一つに必死必殺の毒がある、風を切っても消えぬ火がついている、と考えると、さすがにおっかないとは思う秋穂だ。
「私は怖くてしかたないから、早く終わってほしいと思うよ」
ニナの笑いが更に大きくなった。
「あのミーメの前に立ったアキホに、この程度が怖いなんて言われても」
いや身体中しんどいし、本当に怖いんだよ、と続けると、やっぱりニナは笑ってその言葉を信じてはくれなかった。
怪我を負っているとはいえ、秋穂に対して近接戦闘は自殺行為だ。それぐらいは兵たちにもわかっている。
それは当然凪に対してもそうであり、盾を片手に走り寄ってくる凪に対しては、散開しつつ射撃を継続する。これとは別に、秋穂の周囲に矢を降らせ続ける人員も確保しておく。
二射目、三射目からは、実は毒も火もなしだ。矢筒の中の鏃に予め毒をつけておく、なんて危なっかしい真似は絶対にしない。暗殺者ならばそうしても危険は少ないよう矢筒を工夫しているかもしれないが、兵士のそれは普通そんなことはしていない。
色々と工夫もあるし、小隊長たちの指揮能力も高いものだ。
だがこの襲撃、最初の一射でケリをつけられなかった時点で、ほんの僅かも傷を負わせられなかった時点で、勝ちの目は一つも残っていなかった。
凪一人を相手に瞬く間に兵士たちは蹴散らされ、騒ぎを聞きつけた他の兵士たちがこの場に現れる頃には、襲撃者たちの半数は逃げ散ってしまっていた。
残る半数は凪一人に斬り殺され、そして首謀者たる性格の悪い小隊長ともう一人の小隊長は、敢えてそうした凪によって生きたまま捕らえられていた。




