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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第七章 サーレヨックでの戦
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107.秋穂とミーメ


 ミーメ・ボロースはこれまでの剣士人生において、こうまで得体の知れない剣士は見たことがない。


『くそっ! 体捌きの体系が違いすぎるっ! なんでこの動きで戦闘が成立しちまうんだ! 先が読めなさすぎてすんげぇおっかねえんだよ!』


 ミーメがこれまで見てきた学んできた剣術とは全くその系統を異にするもので。

 そんなところに重心を置いたらその次の動きに支障が出る、そういった動きを平気でやらかしてくれたうえで、その次の動きでミーメがあるはずの隙を突くことができない。

 むしろそうすることでミーメの剣を誘導しているフシすら見える。たとえ誘導であっても、その体勢ならミーメの剣撃を防げるわけがない、と踏み込むミーメであったがそこでミーメには理解できぬ動きでぴしゃりと攻撃を跳ね返してくる。

 そして時折脛なり腕なりに叩き付けられる剣の威力たるや。

 秋穂は女性であり、筋骨隆々たる雄々しき男の多い剣士たちと比べれば、その体躯に劣りそれは当然膂力にも影響があるはず。

 優れた戦士にはそういった道理が通用しないこともあるが、それでも秋穂ほど小さな身体の持ち主が、ミーメの骨にまで響くような痛撃を放ってくるということに驚きを禁じ得ない。

 ミーメの身体の表皮は竜の鱗と呼ばれていて、刃物をどう当てようとも斬るなんて真似はできないミーメ独自のものだ。

 とはいえミーメは知っている。達人と呼ばれる領域の戦士は、このミーメの皮膚にすら傷をつけてくると。ずっと幼い頃より持っていたこの皮膚を、ミーメの師は容易く斬り裂いてくれていたものだ。

 今秋穂の剣がミーメに傷を残せずにいるのは、ミーメがそういう受け方をしているだけだ。

 斬らせず弾く。天然の鎧であるこれが全身を隈なく覆っているというのが戦士ミーメのどうにも対処のしようがない点である。

 ミーメはこの生まれ持った皮膚を活かし、腕や足、胴などで敵剣を弾き防ぐ術を身に付けているのだ。

 並の剣士ならばこのミーメの受けの技にて剣なぞ容易くへし折られてしまうのだが、秋穂はそうはさせてもらえぬ相手であった。


『むしろ、斬り難いと見るなり打撃に切り替えてきやがった。くっそ、皮膚堅くっても重いのもらえば痛ぇんだよこっちは』


 もちろん受けを誤れば斬られる。ミーメは、斬られる緊張感の中戦うことに、全く慣れてはいない。

 ミーメの皮膚をすら斬れる剣士はワイアーム戦士団でも極少数しかおらず、彼らとの初戦はともかく、団員として迎えたあとはさすがに本気で殺し合ったりはしていない。

 そして今、斬るではなく打撃目的で剣を叩き付けてくるこの女の一撃は、これまで数多の剣士と戦ってきたミーメにとっても経験にないほど強烈なものであった。


『あーくそっ! 強ぇなあコイツ! 殺し合いがあんまりに久しぶりすぎて焦っちまってるよ俺!』


 ミーメの皮膚と異常な膂力から、まっとうに鍛えたていどの戦士では殺し合いが成立しないのである。なのでミーメが戦いと呼べるような戦い自体は実はそれほど多くなかった。

 そんなミーメの焦りを更に助長するのが秋穂の見慣れぬ体捌きだ。

 身体の動きが奇妙なうえ、何処から剣が飛んでくるのかまるで読めない。一度、秋穂の股下から剣が伸びてきた時はミーメは本気で幻覚を疑ったものだ。

 数多の剣術を見て戦ってきたミーメは、その膨大な戦闘経験から相手の剣術の傾向を読む術に長けている。

 だが、秋穂の剣術にはそういった常識的な判断が全く通用しない。学んでしまっているが故に、ミーメはこの動きに対応できずにいた。


『落ち着け、集中しろ、そんでもって、よく見ろ。絶対にある。動きの起こりはどんな剣術にだってあるはずなんだ』


 秋穂の動きを見切るためにこそ、ミーメは踏み出し踏み込み剣を振るう。

 無造作で不用意に見えるミーメの踏み込み、攻撃は、その実、敵を招き寄せる必殺の罠である。

 これに大抵の戦士は引っ掛かってくれるものだが、ここまで剣を交えればさしもの秋穂にもこの動きが隙なんてものではないと気付いている。

 剣術にとっては隙かもしれないが、鉄鎧のように頑強な皮膚を持つミーメにとって、そこで生じている隙は決して隙なんてものではないのだ。

 きちんと腕なり足なり身体なりで弾く形ができているのであれば、剣の命中はミーメにとって致命傷たりえない。だが、敵の身体を斬ることができる瞬間を隙であると己の身体に染み込ませてきたであろう剣士たちにとって、これは強烈な誘いの型となる。

 これを餌に、ミーメは秋穂との剣撃の時間を延ばし、秋穂の剣を見切りにかかる。


『……よく見りゃ、動きの起こり自体はそれほど小さくはねえ。ただ起こりから発生する動きがめっちゃくちゃ読み難いってだけで、起こり自体は見える』


 剣を振り上げようとした時、腕に力が籠められ、その様子が外部から見てとれる。そういった動きの直前に身体に発生してしまう反応を見て、敵の動きを読む。これが起こりを見抜くということである。

 厳密に言うのであれば、行動の起こりは絶対にあってしまうものであり、これを誤魔化すために小刻みに体を揺らしてみたり、逆に起こりだけを見せてフェイントにしたりといった技術が発達している。

 ミーメの剣種が変化する。

 それが重心の変化から生じるものだと察した秋穂が間合いを開きにかかるが、それでも、ミーメの剣は秋穂へと届いた。


「嘘だろ……」


 思わず呟いてしまった。

 ミーメの剣は秋穂の呼吸の間を見抜いた一撃であり、そのうえで秋穂の踏み出しの頭を押さえるよう動いたのだ。

 それは秋穂が剣の技術のみであったなら間違いなく捉えていた一閃。されど避けるは柊秋穂の持つ反射能力の高さ故だ。

 ここ一番、この一瞬のみ、といった場面で自身の最大限のポテンシャルを発揮するのは、そうできるような自身を保つことは、並大抵のことではない。

 それが、この秋穂の回避に繋がったのだ。

 辺境最強の戦士ミーメが、時間をかけて動きを見抜き、必殺を確信して放った一閃を外すというのは、一流の戦士が最大限を振り絞って尚届かぬはずの、そんな頂にある動きであるのだ。


『ああ、そうかよ、まだ届かねえのか。もっと先に行かなきゃ届かねえってのかよお前の剣には。いいぜ、行ってやるよ。せいぜい上から見下ろしてろまっくろ女。今からそっちに、昇っていってやるからよ』







 必死に誤魔化すのも、そろそろ限界が近づいている。秋穂自身にもそれはよくわかっている。

 ミーメが秋穂に対し決定打を打てずにいる理由はたった一つ、秋穂の中国拳法の動きに全く慣れていないせいだ。

 そして中国拳法の動きに慣れぬ戦士を、この慣れなさを利用して翻弄する術を秋穂はこちらの世界にきて数多身につけていた。

 ミーメの剣術は、どちらかといえば素直なものだ。こちらの世界の流派を幾つか見た秋穂であるが、ミーメの剣はどの流派というよりは自身に見合った形を様々な流派から取捨選択した結果、というこの世界においては珍しくも先進的なやり方をしていると思った。

 厄介極まりない異常に頑強な皮膚、そしてこれまで出会ったどの敵よりも遥かに高い膂力、これらはすぐに見てとれた。

 だがそこに加えてミーメの剣からは、基本を積み重ねた、応用を工夫し続けた、剣術に人生を捧げた者でもなくば至れぬ深く高い境地が見てとれた。

 剣を交えれば交えるほどに、最初に剣を交わした時の直感が正しかったとわかる。

 まず、そもそもからして生物として秋穂はミーメに劣っている。

 見た目は人類だが、どう考えても中身は、というか皮膚のことを考えれば外も人類ではない。金属の刃が通らない人類なんていてたまるものかという秋穂の主張は、この異世界においてすら万人の共感を得られるものであろう。

 そのうえで、剣術も凄い。これだけ人類と力の差がありながら、基礎を疎かにせず研究を重ね、この年にして老練さすら感じさせる巧みさを持つ。


『なんなのこの人!? なにをどーすればこんな生き物が育つかなあ!』


 全てにおいて秋穂を上回っている。はっきりとそうわかる相手なんて秋穂の経験にもない。秋穂の祖母ですら、体力だけは秋穂の方が上だと思えていたのだから。

 敢えて言うのであれば、凪がエルフの森で戦ったあの見た目からは全くそうだとわからない老エルフだ。アレだけはもう、見ている秋穂にもどうにもならないと匙を投げたくなる相手だった。

 そんな化け物と比肩するようなのが、今秋穂目掛けて剣をぶんぶん振り回してきてくれているわけだ。


『だめ、だめ、だめ、だめっ。ぜーんぶ試したけど、まるで勝てる気がしないっ。勝ちの目が見えない。っていうか明らかにそっちのが強いんだし少しぐらい油断してよー。こっちの微かな隙も絶対見逃さないって貪欲さはどっから出てくるの!?』


 ミーメの必死さも秋穂の焦りも、お互いに全く通じてはいない模様。心の内を容易く読まれるようでは剣士として未熟にすぎるであろうから、これはこれで正しいあり方でもあるのだろうが。

 何かないか、と必死に探り続ける秋穂であったが、先に動いたのはミーメであった。


『っ!?』


 考えてではなく身体が勝手に反応した。

 ミーメの重心の変化を察し、間合いを広くすることで対応した矢先、秋穂の予測を大きく上回る形でミーメの剣が秋穂へ伸びてきた。

 理屈上ではもうどうにも受けられぬ一撃を避けられたのは、剣士の本能か何かとしか秋穂にも言いようがないものであった。

 ミーメより驚愕、動揺の気配が伝わってくる。より優れた受けの技を予想はしていたミーメであったが、この本能に根差した回避は予想外であったのだろう。さしものミーメも、理によらぬ避けを予測することは不可能だ。

 ただ、衝撃の度合いとしてはミーメより秋穂のほうが上だが。


『ここから更に上、あるんだ……』


 秋穂の動きに慣れ、ミーメはその本領を発揮し始めていた。

 そして秋穂にはもう、純粋な地力でこれに抗することはできなくなっていたのだ。

 それはもう秋穂の知る戦いではない。

 頭を真っ白に薄め、身体の反応のみを頼りに、そして自身の身体が反応してくれた動きに合わせて、続く攻撃や次なる受けの構えをとる。

 考えたら負ける。

 何故なら幾ら考えてもミーメの動きは秋穂の思考予測の上をいくのだから。いや、秋穂にできる受け避けを上回った動きをしてくるのがわかっており、それをされては早々に秋穂の受けは破綻する。だから、秋穂自身にすらできるかわからぬ受け避けを行なわなければならない。

 そんな意味不明な行動を成立させるのは、秋穂がこれまで何年も積み重ねてきた上位者との対戦経験、祖母との手合わせの日々だ。

 最初の内はもう必死に集中し、意識を思考に振り分けぬようしていたのだが、ふと、ミーメの表情からその意識を察せるようになった自分に気付く。

 怒っている、戸惑っている、つまり、秋穂の動きは理不尽すぎると文句を言いたいのだろう。

 程なくして、秋穂がミーメと繋がったことにミーメも気付いた。

 ミーメもまた秋穂同様、秋穂がもうどうにもならぬほどに追い込まれていることに驚いていた。

 そして両者が繋がってしまったことにより、ミーメと秋穂と、両者の間の技量差を双方が正確に認識する。


『ああ、そうか。俺の方が強い、か』

『うん、そうだよ。私の方が、弱い』


 それでも、秋穂にミーメを討ち取る刃があるのは事実であるし、もしそうでなかったとしても、ミーメにここで手加減をする意思はない。そんなことは思いつきすらしない。

 大前提である、どちらかが死ぬまでやる、という暗黙の了解は決して失われることはない。

 少しづつ少しづつ、ミーメの剣閃が秋穂を捉えだす。

 少しでも被害を小さく、損傷を抑えるように立ち回る秋穂。勝ち目なんて一つも見えやしない。だがそれでも、時を稼いで敵の失策を待つ。それが、ほぼ唯一の上位者を崩す手筋であるのだから。

 たとえ最後の最後まで敵に失策がなく、粘り凌いだ努力全てが無に帰すことになろうとも、惜しむことなく悔いることなく、無様でも、惨めでも、必死になって生にすがりつく。

 ジャイアントキリングは、潔さからは決して生まれないものだ。

 先に捨てるは当然四肢からだ。

 胴は僅かな傷でも中身がこぼれる危険が生じる。頭部は言わずもがな。

 正中線だけはどうにか守り、無理な姿勢で受け、無理な体勢でかわす。

 座視できぬ出血を伴う傷は、もうどれだけあるか数える気にもならない。それでも動脈損傷だけはなんとか回避する。

 傷が増える度、秋穂は不利を、ミーメは有利を確信していく。だからと秋穂が致死の刃を持つことをミーメは決して忘れないし、秋穂はミーメがその程度で緩んでくれる男だとも思っていない。

 だが、ミーメは、秋穂の極限を知らない。だからそこに秋穂は最後の仕掛けを仕込む。

 最後の最後、失策の一つも見出せぬとなれば、ただ一度の反撃の余力を残したままで死を迎えることは、如何な忍耐力の持ち主であろうと容易いことではない。

 ミーメの剣が、秋穂の首横を浅く薙ぐ。これだけは受けてはならぬ一撃。ミーメが秋穂の超常の回避をすら凌駕し始めた証の一撃。

 直後、秋穂の剣が音もなく進み出た。

 意を消した剣。

 焦燥に満ちた表情で、態度で、動きで、状況で、攻める意志を極限まで薄めたか細い糸のような剣。

 頑強な皮膚を持つミーメだからこそ、剣を皮膚で受ける技術を持つミーメだからこそ、取るに足りぬと判断してしまうような突き。


『てめっ!』


 そうしてしまいそうになる自分を必死に制し、ミーメは攻めに回そうとしていた剣で秋穂の突きを弾いた。

 今攻めなくてもいいのだ。秋穂が己の意を消すことに注力した剣であるのだから、突きながらにしてミーメの剣を受けてこれを保持する体勢にはなっていない。

 それまでミーメがどれだけの強打を打ち込もうと決して折れることのなかった秋穂の剣が、枯れ木の枝をへし折るような容易さで、甲高い音と共に折れ弾かれた。

 折れただけではない。完全に秋穂の手から弾き飛ばされてしまった。秋穂にミーメのような剣をすら止める皮膚はない。後は次なる返しの一撃で終わり。それこそ目をつぶってでも当たる。


『あ?』


 ミーメの右手首に感触が伝わった。

 秋穂は右手に握った剣で突き込んできた。ならば逆手である左手は空いている。それはミーメにもわかっているが、右手での突きの体勢から同時に左手でミーメにすら通じる打撃を放つのは不可能だ。

 予備の武器を用いたとしても、ミーメの皮膚を相手にするにはやはり強い一撃が必要で。だから、そちらからは何もない、あっても問題ないと思っていた。

 なのに秋穂が最後にしたのは、ミーメの右手首を左手で握る、であったのだ。

 秋穂に力があるのは知っている。だから咄嗟にミーメは右手に握っていた剣を左手に向かって投げる。

 左手で受け取る。これで詰みだ。なのに秋穂はミーメの右手首を掴んだままで。間合いは近い。だがそれがミーメが秋穂を斬れぬ理由にはならぬ。

 剣を振り下ろそうと重心を傾け腰を回した瞬間、ミーメの目の前が真っ白に輝いた。




『見え、ねえ。何が、起き、た』


 目がちかちかと瞬きだし、視界の中心に青が見える。

 空だ。ミーメは上を見ている。


『やべっ!』


 秋穂はミーメより背が低い。上を見るなぞ首を斬ってくれと言っているようなものだ。

 驚き慌てて見下ろすと、そこに秋穂の黒い頭が見えた。

 動きは止まっている。ミーメが見せた隙にも一切反応せず。だが、近すぎる。

 自身がどういった状態なのかもわからぬのだからここは逃げの一手だ。

 後ろに下がろうとしたミーメの顔が、再び空を見上げた。見上げさせられた。


『なぐっ! られた!? 下から!? 見えなかったぞ! この俺にも!』


 再度見下ろす。そこには全く同じ体勢のままの秋穂がいる。

 一度目は何がなんだかわからなかった。二度目のコレはどうにか顎を下からやられたとわかった。そこから顎を殴り上げられたと推測する。

 だが、ミーメが見えなかった理由がわからない。

 秋穂ならば、ミーメをして見えぬほどの速さで手を動かすことは可能かもしれない。だが、手だけを動かす重さを伴わぬ攻撃では意味がない。

 ふと気が付く。ミーメは剣を持っていない。奪われてはいない。秋穂も剣を持たぬままだ。殴られた時、そのあまりの衝撃に剣を手離してしまったのだろう。


『って、嘘だろ。俺が剣から手を離す? 意識を飛ばす? 攻城槌だって俺なら耐えられるんだぞ?』


 そこでようやくミーメは、秋穂の体勢の不自然さに気付けた。

 秋穂の黒い頭が見える。ということはつまり、秋穂はミーメの顔を見ていないということだ。

 顔というより上体を見ていない。腹部、もしくはもっと下しか見えていないだろう。

 そうとわかるや即座に下半身を連動させぬ上半身のみの動きで仕掛けられるのは、ミーメという戦士が如何に身体を動かすということを理屈で捉えてきたかという証左になろう。

 だが、それでも。


『ぬがっ!』


 まただ。ミーメの顎が三度上へと跳ね上がる。

 微かにだが見えた。やはり拳だ。だが、それが恐ろしく速い。そして重い。

 顔を下に向け直しながら、ミーメは自らの認識を強引に改めにかかる。


『違うっ! 違うっ! 違うだろ! 見えたと思った時にはアイツの拳はもう伸びていた! コイツの構えは左前! 右の拳は大きく後ろに下げていた! なのに! 何故俺はコイツが拳を突き出す動きに気付けなかった!? 起こりを見逃すどころか拳を振りに動き出しても気付けないなんてことあるのか!?』


 重いのは当然だ。左前の構えで、奥に引いた右拳を体重移動と共に突き出しているのだから。それはミーメの知る技術ではないが、空手における正拳逆突き、ボクシングにおける右ストレートに相当する大振りだ。だが、そんな大きな動き、ミーメが見逃すなんてことはありえない。

 運が悪ければ、そういうことも起こる。それをミーメは知っている。

 きちんと対人訓練を積み重ねてきたミーメだ。そういった瞬間が生じることも知っている。圧倒的な技量差があれば、それを意図的に起こすこともできる。

 ミーメの動きだそうとするその出鼻に合わせて、ミーメが攻撃なり移動なりに意識を向けた瞬間に被せることができれば、その瞬間のみはミーメは敵の動きを察することができない。


『……ありえねえ。俺の動きを、これまでの戦いでこうまで完璧に見切った、ってのか?』


 ミーメを相手にそうするだけの技量とはどれほどのものなのか、ミーメ自身にもわからない。

 何故、そんなことが起こる。何故、いきなりそんな真似ができるようになったか、全てわからない。わからないなら、探らねばならない。

 秋穂の体勢。ミーメの腹部から下半身を見おろし俯き加減に立ち、眼前に立ったままぴくりとも動かず。構えは右の拳を大きく後ろに下げた左前の構え。そして、左の手がミーメの右手首を掴んでいる。


『まさ……か』


 心を読む魔術というものの存在を夢想した者は多いが、実際にそんな魔術があるという話は聞いたことがない。

 だが、この手首を掴むという行為が、心を読む魔術のために必要な所作であるというのなら、今ミーメが不可思議に思っている現象全てに理由がつく。

 ミーメの攻撃、移動、防御の意思を読み取られているのなら、その先を制して強力な一撃を放つことも可能。それこそ、起こりを見る前にミーメの行動を読めるということだ。

 そのタイミングで動かれたらミーメにもなす術はない。だが、きっかけが右手首にあるというのなら。


「がっ!」


 今度は声を堪えられなかった。

 右手首を強引に外しにかかろうとした瞬間、今度は顎ではなくミーメの左わき腹に拳が突き刺さった。

 ミーメは苦痛を堪えながら左手刀にて秋穂の身体全体を薙ぎ払おうとこれを振るう。

 今度の拳は左の二の腕に打ち込まれた。これはミーメの全身の力が腕へと伝わる直前に、二の腕にて止められた形である。当然手刀もそこで止まってしまう。


『クソッタレ! やり放題じゃねえか!』


 今度は、ミーメが窮地に陥る番になった。そう思うと、ミーメは背筋に冷たいものを感じる。

 これはさっきまでのミーメの誤解なんかではない。この技を破れねば、ミーメは死ぬまでコイツに殴られ続けることになる。

 今、この右手首を掴まれているこの体勢において、ミーメは秋穂よりも弱いのだ。






 中国拳法には聴勁という技術がある。

 相手の身体に触れることでその動きを察するといった技術で、この技術に熟達すれば、触れてさえいれば目をつむっていても相手の動きを察せられるようになるという。

 だがこれは本来、触れる秋穂の手が脱力した状態でなければならず、ミーメに外されぬよう強く握ったこの姿勢でそれが可能というのは、聴勁の理に反する。

 だからこれは聴勁とは似て非なる技術。ミーメが予測した通り、ミーメの予想に反して、秋穂はこの握った左手からミーメの動きを察し、しかしそれは魔術ではなく秋穂が聴勁修行にて身に付けた技術である。

 秋穂の意識は今、秋穂の身体にはない。

 もうそちらには意識を向けず、ただ脳が命じれば、身体が勝手に動いてくれると信じるのみ。

 秋穂の神経精神の全ては、ミーメを知ることに費やされる。

 左手から伝わってくる感触から、ミーメの全身像を思い浮かべんとありったけを振り絞る。

 秋穂にミーメを追い込んでいる、追い詰めているといった意識はない。ただただ、ミーメを知らんとするのみで。勝つだとか負けるだとかも失われていて、ミーメという戦士のみがその全てとなる。

 周囲を警戒するだの、俯瞰的に全てを見るだのといった意識も気配も全て吹っ飛んだ。

 過去も未来も、何一つ見えない。

 今のミーメが見えれば、それだけでいい。


 生き延びるためにはそれではだめだ。一騎打ちをしているからと一騎打ちだけに意識を向けるようでは戦場で生き残ることはできない。

 それでもそこまで一人に集中する理由はただ一つ。

 秋穂は、コイツに、負けるのが心底嫌なだけだ。たとえ周囲の敵兵に殺されることになろうとも、何がなんでもコイツにだけは負けたくはない、そう思っていただけである。

 ミーメが憎いわけではない。恨みがあるわけでもない。

 ただただ、一切言い訳の効かぬ今の一騎打ちの状況で、負けるのが嫌なだけだ。

 秋穂が引かない理由は、かつてアンドレアスがそうした理由とは違う。死をすら飲み込む自分でありたい、それも理由だ。だが今秋穂がそうしている最大の理由は。

 最後の最後まで勝利を諦めたくない、どうしようもないほど諦めが悪く、負けず嫌いなせいである。




『ははっ、負けるなこりゃ。また負けちまう。久しぶりだってのにまーた負け負けだ。でもいい。負けでもいいさ。また、明日もやろうぜクソジジイ。俺ぁさ、アンタがいなくなってからわかったんだ。俺ぁ、アンタを追っかけてた時が一番、楽しかったんだって。だから、またこうして一緒にやれて、すげぇ嬉しいんだ俺ぁ……』



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― 新着の感想 ―
[一言] 倒しちゃったらもう相手が居ないからと理由付けて近くに来たシーラに挑まず、 かといって強者を求めて実家から飛び出して放浪の旅に出ることもせず、 中途半端に自分の中で折り合いつけて、軍務とかにも…
[良い点] ミーメさんは強すぎるのに常識的すぎたのが敗因かな 雑魚だろうと斬れば斬るほど剣にツヤが出るとか言っちゃうシーラの狂気もなく 日本剣術の開祖達みたいに山ごもりなんかでの一人修行こそ肝要みたい…
[一言] 勝てないなら、勝てるところへ勝負を持っていく。 凄く好きな方法です。
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