105.凪の剣
ボロース軍騎馬突撃部隊の進路は、総大将ミーメ・ボロースの副官が指示している。
ミーメはこれを副官に完全に任せっきりにして自分は好きに暴れている、ように見えるがその実、副官の指示を一言も漏らさず聞いており、いつ、どこで、だれに、どういった指示を出すのが良いのかを副官の指示を聞きながら考えている。
幼少の頃より武に傾倒していたミーメであったが、ミーメの師であった人間は、ただ剣を振り身体を動かすのみではなく、剣術の理を理解させることにも力を入れた。
それは身体に覚えさせる、というものではなくれっきとした学問だ。
当然幼いミーメはこれを大層嫌っていたが、ミーメの師は棒で打ち据え木に縛り付けてでもこれらをやらせ続けた。
そうしていざやってみれば、学ぶのは自身が興味を持って取り組んでいる剣術のことなのだから、自身に向かぬと自覚はしていてもそれ自体はつまらぬことではなかった。
そうやってミーメは座学、系統立って物事を学ぶというやり方を身に付けていった。
副官は、ミーメ・ボロースという人間の世評から、そういったことは一切やってこなかったと思っていたのだが、いざこうして軍務を教える立場になってみると、ミーメは驚くほどに素直な教え子であった。
ミーメが戦を覚えるのに数度の会戦が必要と考えていたのだが、既にこの一戦のみで、一隊を任せるていどならばこなせてしまうだろうほどの成長を遂げていた。
『こんなにも教え甲斐のある方であったとはな。なるほど、剣術の頂に立つほどの方と考えれば、学ぶということもまた疎かにしてこなかったからこそ、という話であろうか。かのヴェイセルめを比較の基準にしておるところは気に食わんが、オッテル騎士団で商人の真似事をしておる愚か者なぞ、ほどなくミーメ様ご自身が超えていかれよう』
副官は騎馬隊を停止させ、小休止を取らせる。
ちら、と一度隣接する林に目を向ける。
伏兵に向いた林であるが、もしあの場所に兵を伏せていたのなら、副官ならば見ただけでその気配を感じ取ることができる。
兵の集団を隠しおおせるというのは、なかなかの難事であるのだ。
そもそもからして、あの林に兵を伏せ待ち構えるなどと、よほどの博打好きでもなくば決してやるまい。小休止で休む時間を考えれば、ここでの休息は安全である、と断じてしまってよいだろう。
『それがわかっていて尚、一度は目を向けずにはおれんのだから、我ながら心配性なことよな』
騎馬たちは全騎がその場に停止し、騎乗したままで水と食事を取る。
ゆっくりと体を休めるべきであるのだが、なんやかやと皆興奮した様子のまま話をしている。
その音は、副官すら意識を緩めたその瞬間に聞こえたものだからこそ、副官の全身が恐怖と驚愕に震えた。
『まさか!』
その音は、兵たちの最初の一歩だ。
一斉に林から飛び出してきた兵たちは、副官が振り向いた時にはすでに走る勢いをつけ坂を駆け下ってきていた。
油断ではない。
それが突撃を命じたオーヴェ千人長にはよくわかった。
だが、油断していなかろうと対応しきれぬ仕掛けをしたオーヴェ千人長は、予定通りに、急な攻撃に対策の指示を出したあの指揮官目掛けて攻撃指示を下す。
騎馬が一騎、逃げるではなく副官の前に入る。その佇まいでわかる。アレが、辺境最強、竜の血を引く戦士ミーメであろうと。
だがオーヴェ千人長はその次の動きには思わず目を見張ってしまう。
ミーメに続き、三騎が更にその前に入る。その三騎もまたとてつもない化け物だ。
ワイアーム戦士団、恐るべき戦士が集うと聞いてはいたが、これほどとは思ってもみなかった。
『……このようなことがあるから戦は侮れんのだ。まったく、辺境はいつから人外魔境と成り果ておったか』
ミーメを含む四人の剣豪たちに向かい、オーヴェの兵たちが突撃していく。その先頭を走るは、離れた場所からだろうとありえないほどによく見える、跳ねる二つの金の尻尾。
『戦場に出るのならせめて髪ぐらい切らんか』
金色のナギ。彼女ならばあの四人の恐るべき気配にも気付いていように、その足並みに一切の怯えは見えない。むしろ加速していないかあれ、とオーヴェ千人長は目を細める。
騎乗していた内の敵の二騎が、凪の突進に合わせて騎馬から飛び降りた。
そして残る一騎は、凪に向かって騎乗したまま走り出す。
「馬鹿者!」
「よせっ!」
騎馬から降りた二人からの声。凪に向かって騎馬から突き出される長槍。
その光景は、見た者全ての理解を超える不可思議な現象であった。
凪が抜いた剣の長さは、間違いなく馬の首全てを斬り落とせるほどのものではない。なのに、馬の首がただの一刀で千切れ飛んだのだ。
いやその刃は馬の首のみならず、その奥、手綱をも両断している。凪は大地に足を付けたままだというのに。
もう騎馬の戦士が突き出した槍なぞ誰も見ていない。空を吹っ飛ぶ馬の首と、空中で後方へと跳んだ男とに目が向いている。
馬は凪の左方に抜けながら勢いよく崩れ落ち、そのどしゃり、という音と宙を舞う男が後方一回転して着地を決めるのが同時に起きる。
そして着地した男は、顔面神経痛みたいな顔で半泣きになりながら言った。
「あっぶねええええええええ! しっ! 死んだかと思ったああああああ!」
騎馬から先に降りた二人が何やら男をなじるような言葉を発しているが、遠目に見ていたオーヴェ千人長は苦々し気に顔をしかめる。
「あれを、かわすか。これはもう、私の目で判別できる域を超えておるわ」
つまりあの戦いの決着がどうなるのか、オーヴェ千人長には見当もつかないということだ。
それでも指示を出し、勝つための算段を整えなければならない。わからないことだらけで、兵がこなせるかどうかも定かでない指示を胸を張って出し続けるというのは、さんざっぱらそうしてきたオーヴェ千人長にとっても心苦しいものであった。
『しーくじったー』
凪の初太刀は、敵の手の内がはっきりしていないことから、大きく跳び上がるような真似をしない堅実な一撃であった。
それでも仕留められると思っていたのだが、馬に跨りながらあんなに器用に跳び上がるとは思ってもみなかった。
着地の直後を狙おうにも、残る二人が駆けてきていて不用意に間合いに踏み込むのはうまくない。
なので凪は、じっと三人を見据えながら一歩一歩ゆっくりと歩を進める。
一番初めに反応したのは、右端の男だ。
凪の大きな踏み出しを警戒した構えをとる。もちろんこれは所作によるフェイントであったが、これにきちんと反応できる男であるとわかる。
三人を一息に、といった踏み込みの気配を飛ばしてみると、左側の男も反応した。馬から跳んだ男は無反応。
凪が細かなフェイントで敵を探っている間にも、三人と後方にいる大男、ミーメは会話を続けている。
「あー、やっぱお前ら危ねえ。俺出るわ」
「ちょっ! 待ってくれよミーメさん! アホなのアイツだけだって! 俺ら違うっしょ!」
「アレと一緒にせんでくれ。おい、お前邪魔だからそこどけ」
「だーから俺が悪かったって言ってんだろ! そう邪険にすんじゃねえよ! つーかコイツ俺にやらせてくれよ! 俺なら……」
いまだに馬鹿面下げたままで一番前にいる男。跳んだ男に、凪は標的を定める。
一歩目。後ろ二人は一歩目から反応した。跳んだ男は無反応。跳んだ男が反応したのは三歩目だ。
後ろ二人は、跳んだ男の左右に分かれる。だが、跳んだ男を守る動きではない。
凪、罠だとわかっていても確認をせねばならず、跳んだ男にそのまま仕掛ける。
「うひゃいっ!?」
跳んだ男、ちょっと考えられない跳躍をみせる。危ないと思ってから身体が反応するまでの速度が尋常ではない。そしてその跳躍の速さときたら。
『ああ、なるほど。コイツが囮ってわけね』
跳んだ男はめちゃくちゃ真顔でかわしているし、凪の動きに反応自体が遅れたのも演技とは思えない。天然っぽいコレを、残る二人が利用していると凪は察する。
跳んだ男は、凪を相手にしてすら囮を任せられるほど、回避能力が優れているのだろう。
左右から同時にくる。
左男の剣を弾き、弾いた勢いで右男の剣を払い落とす。
「何!?」
「なんだそりゃ!?」
二人の踏み込みは同時だった。だから凪は左男のほうへと踏み出し剣撃に時間差を作り双方を受けたのだ。
そうできるほどに、凪とこの三人とでは速度差がある。
「囲め!」
左男の叫び。
『あー、やっぱバレるか』
凪、思惑を外され渋い顔。
速度差がある、そう思わせるための立ち回りだったのだが、実際は違う。跳んだ男の左右に分かれた時から右男と左男は同時に仕掛けてくると読んで、剣の振りを予め決めておいただけだ。後は身体のキレで速度差を演出したのだが不発に終わった。
速度差を恐れて慎重な立ち回りをしてくれれば一気に圧し潰す手も取れたのだが、なかなか思う通りには動いてくれない。
それが手強い敵と戦うということでもある。
左肩を一瞬上げる。左男が反応する。これに合わせて右男に向かって踏み出し、そして一切そちらに目を向けていなかった跳んだ男に向かって剣を突き出す。
「あぶおっ!」
軟体動物のように身体をくねらせ剣先から逃れる。跳んだ男は二人に注意が向かっている間に、足音を立てず凪の正面へと接近してきていた。
突きを止め、刃を跳んだ男の肩に当てる。右男の剣が凪の右足に伸びる。凪の目が跳んだ男に向いているのなら、その位置は凪にとっての死角だ。
これを踏み込みの音のみで察し足裏を突き出し、靴の裏で剣を止める。そうできる靴裏を凪は使っていた。
左男も踏み込んできていたが位置が悪い。凪は当てていた剣を引き斬る。
同時に凪の身体が宙を舞い、右足は右男の剣を踏みつつ左足がぐるりと回転し、後ろ回し蹴りとなって右男の側頭部を強打する。
それでも右男、凪の右足が乗っかっている剣を強く引き下げることで凪を崩しにかかる。
そこに左男の三連撃。これぞ左男の必殺の型。凪をして反撃の余地を見つけられぬ恐るべき剣速を持つ。
だが、それでも尚、凪の防御を乗り越えるにはまだ手が足りていない。
片足を滑らせながら片足のみを地に着きながら、両手に握った剣にて三つの剣を全て弾く。跳んだ男が最後の一手を埋めにかかる。
片手平突き。身体を返しながら放つこの剣は大きく深く伸びるもので。後先なぞ考えぬ、三連撃の受けで揺らすことのできぬ凪の重心ど真ん中目掛けて放たれた一撃だ。
凪は咄嗟に片手を剣から離す。
指二本。これを揃えて突き出される剣先に当てる。恐るべき速度で迫る剣に向かってこんな真似をする度胸も大したものだが、本当に剣先に当ててしまえる目の良さもとんでもないものだ。
『んなあ!?』
跳んだ男、自らが放った剣のありえぬ挙動に身体を大きく崩してしまう。
己の全身全霊を込めた必殺の突きが、そっと添えた指二本で、斜め左方へとズラされてしまったのだ。
強い力でそうされたでもない。たとえ真横からはたかれようと潰されぬ速度と力があったのだ。なのに、剣はつるりと滑ったかのように斜めに逸れていく。
そしてこの剣が邪魔で、三連撃に続く攻撃を左男は放てない。僅かな躊躇の隙に、左男に凪の片手剣が振るわれた。
咄嗟に受ける。剣と剣が噛み合ってなる音とは到底思えぬ重苦しい衝突音。
「ぐむう!」
大木を叩き付けられたかのような衝撃にも、左男は苦悶の声と共に堪えきる。
いや、堪えたはいいが剣先は防げなかった。
左男の右腕上部に、出血のないすぱりと裂けた傷痕が刻まれる。左男には何故受けたはずの剣先が届いているのかもわからない。
だが、どちらもそこまでだ。
凪もこれ以上は攻めきれず、右男、左男、跳んだ男、三者共痛撃に耐えかね後退する。
激突の結果。
右男、頭部に強烈な痛打をもらう。左男、右腕上部に深い裂傷。跳んだ男、左肩を深く斬り裂かれ左腕が上がらぬ様に。
そして凪、無傷。
「こ、これは……」
「なんってデタラメな奴だ」
「巧いし、速い。これが、金色のナギか」
凪は不安気な表情で口を開く。
「ねえ、一つ、聞いていい?」
三人は警戒しながら凪を取り囲むべくじりじりと動く。
「アンタたち、ワイアーム戦士団の短剣持ち、よね? 短剣も許されてない雑兵とかじゃないわよね?」
咄嗟に跳んだ男が反応してしまう。
「んだとてめえ! 俺たちがそこらの雑兵に見えるってか!?」
その怒った反応を見て凪は安堵したようだ。
「ああ、よかった。アンタたちみたいなのに百人も二百人も出てこられたらさすがに勝てる気しないもの。うしっ、やる気出たっ」
警戒する三人に向かって凪は踏み込む。
この三人が慎重な立ち回りをしてくれるのならば、凪は一気呵成に踏み潰す戦い方を選べる。
一つ間違えば即、死に繋がる。互いが踏み込みきってしまい取り返しのつかない距離、間合い。
そこで、互いの反応速度と剣技の冴えとを、比べ合いっこしましょうよ、と凪は突っ込んでいった。
敵本陣中央への突撃隊には、当然秋穂も加わっている。加わっているのだが、凪とは別の場所を走る秋穂は思うのだ。
『凪ちゃんさぁ、そーやって敵の一番堅いところ、一番強い護衛のところに真っ先につっこんでったらさ、当然敵の大将に届くのはその後になるよねえ。ならさ、敵大将いーっつも私が持ってくことになるのって、それって本当に私のせいなのかなぁ』
オーヴェ千人長より申し付かった命令は、可能ならばまずあの指揮官を落とせ、という命令だ。
ミーメ打倒をなしえなくとも、あの指揮官を落とせば敵騎馬隊の動きは大きく鈍るだろうというのがオーヴェ千人長の読みだ。それは秋穂も正しい考えだと思う。
ミーメが大将としての動きを優先させてくれれば、なんてちょっと期待をしてみた秋穂だが、やはりそうそううまくはいってくれないようで。
兵の集団から、ミーメの死角になる位置を滑り進み一気に敵指揮官を殺りにいった秋穂は、後五歩のところで身体を大きく後ろに逸らす。
秋穂のデカイ胸の少し上を、小さな竜巻が突き抜けていく。前髪が揺れる。
それは投擲された槍であり、彼方にまで飛んでいった槍は大地を削り進みしばらくは削り続けていたのだが、それを秋穂が見ることはない。
胸元の高さ、受けが難しいこの位置に向かって剣を薙ぐ秋穂。
駆け寄ってきていた敵将ミーメは、この難しい位置の剣も当たり前の顔で受け止める。
流そうとしていたようだがそれを許さず、秋穂は剣を押し込みにかかる。
ミーメも同じように力を込め、そして両者同時に弾かれたように距離を離す。互いの剣が砕ける前に剣を引いたという話だ。
ミーメも、秋穂も、周囲の気配に気を配りながらも、お互いから決して目を離そうとはしない。
そこまで集中せねばならぬ相手だと、最初の一合でお互い察したのだ。
ボロース軍の兵たちは、あのミーメを相手に攻め掛かった上でミーメが即座の反撃を仕掛けぬという、これまで見たこともない警戒っぷりに皆が驚く。
秋穂は、冷や汗を一筋流しながら、心の中で涼太に謝った。
『あー、やっちゃったかなぁ。ごめん涼太くん。この人、多分、私より、強い』




