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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第七章 サーレヨックでの戦
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104.殿こそが戦の華よ


 シェルヴェン軍後方待機組は、別段見晴らしの良い場所に陣取っているというわけでもないので、開戦早々自軍がぼこぼこにやられていることなぞわかってはいなかった。

 ただ、オーヴェ千人長が放っている斥候が、敵軍の声の近さから容易ならざる事態が起こっていると察しえたのは、さすがに歴戦のオーヴェ千人長麾下と言えるだろう。

 オーヴェ千人長直下の斥候の幾人かが、開戦直後だというのに忙しなく動き始めたのにはそういう理由があり、程なくして前線ではとんでもないことになっていると知れる。

 報告を受けたオーヴェ千人長は、さすがに数度聞き返しはしたものの、どうにかこうにかこのありうべからざる現実を受け入れることができた。

 オーヴェ千人長の長い戦歴に照らしてみても、軍事的常識を考えてみても、この時点でシェルヴェン軍が兵数に劣るボロース軍に突き崩されているのはありえぬ事態なのである。

 あまりの口惜しさに歯噛みするオーヴェ千人長。


「おのれ、奴らめの自信のほど、深く探らなんだ我が身の不覚か」


 遅まきながら、本陣より予備兵力でもあるオーヴェ千人長の部隊に、左翼の応援に入れとの指示がきた。だがその報せを受けている最中に次の指示、中央を支えるためにその前面に出ろ、という指示がくる。

 本陣は相当に混乱していることがそれだけでもよくわかろう。

 そしてもう一つ。涼太たち三人もまたオーヴェ千人長の下へと訪れてきた。

 涼太は前線の動きをここの誰よりも正確に、かつ素早く見知っていたのだが、実際に陣が崩れ、兵が散っていくようになるまで、どうにもならないほどの事態であると認識ができなかったのだ。

 今回のことで、何処まで崩れたらもう立て直しがきかなくなるか、といった涼太なりの基準のようなものができてきてはいたが、今の段階で他の将たちと比べて圧倒的に判断が遅れるのは致し方ないことであろう。

 涼太の口から、本陣が崩れかけていること、右翼左翼共に持ち堪えられそうにないことを聞くと、オーヴェ千人長はそれを涼太が知り、他の部隊ではなくオーヴェ千人長のところに真っ先にきたことに驚いた。

 それが最も適切な動きではあったのだが、そう判断できるほどの情報なぞ、たった三人の兵が手にすることなどできるはずがないのだから。


「俺には魔術がある。アンタたちも不思議に思わなかったか? サーレヨックの砦で、アンタたちの動きが全部筒抜けになっていたことに」


 魔術は万能ではない。それは相応の教養を持つ者なら誰しもが知っていることだ。だが、だからこそ逆に、戦場で有用な魔術は貴重で重宝されるもので。

 その価値を知っているオーヴェ千人長は当然、何故初老の千人長にそれを報せなかったのかと問うが、涼太には涼太の必然がある。


「寝返った俺の諜報魔術を、すんなり信じてもらえるわけないだろ。俺の遠くを見る魔術のことはもちろん伝えてはあったが、まあ、だからと頼られることはなかったわな」


 性格の悪い小隊長が疑わし気な目を向ける。


「はあ? 遠くを見るだけで、どーやって戦況把握なんてできんだよ」


 涼太は、とても苦々しい顔で言う。


「……やっぱそれ、気になるよな。うん、わかってた。やりたくないけど、いいよ、わかったよ、やればいいんだろやれば」


 涼太が合図すると、その左右の脇を凪と秋穂がそれぞれ支える。そして、せーの、の掛け声と共に、二人は真上に向かって涼太を放り投げた。


「「「「はあ!?」」」」


 小隊長たちの声が唱和する。

 涼太の身体は、殺意すら込められているだろう超絶高い高いを食らって、空高くまで舞い上がる。

 そして、当然だがある一点で上昇の勢いを失い、そこからは重力加速度の通りに落下してくる。


「おいっ!」


 思わずそう声が出てしまったのは、オーヴェ千人長だ。この中で唯一、この三人に対しそれなりに好意的であるというのがその理由であろう。

 だがどうにもならない。あれだけの高さから落下すれば、まず間違いなく死ぬだろう。

 それを、全く同じ場所から動かないままであった凪と秋穂が、投げた時と同じように両脇を支えて受け止め、綺麗に地面に着地させてやった。

 着地した涼太はというと、すぐに何かを言おうとしてできず。


「わ、悪い、ちょっと、待ってくれ」


 そう言った後で腹を押さえて荒い息を漏らし、しばらくそうした後、引きつったままの顔で言う。


「とまあ、こうすれば、遠くも見えるだろ? いいか、これでわかってくれよ? その必要もないってのに何度もやったりしないからなこんなこと」


 そんなこんなで、驚きはあったものの涼太の言い分と、この状況でどう動くにしろオーヴェ千人長が全てを取りまとめて動くのが効果的で効率的だと考えた、というのは妥当な判断であると認められた。

 オーヴェ千人長の判断は決まっている。

 主力部隊はほどなく後退を始めるだろう。これに合わせ、無傷で残っている後方待機組である予備兵力が殿を引き受け、可能な限り味方を逃がす、というものだ。

 涼太は、それが間違った判断で見当違いのことを口にしてるのかもしれない、とビビりながらだが口を挟む。


「なあ、今味方本陣の裏にまで抜けてきている、あのミーメ率いる騎馬隊はどうするんだ? あれが味方の布陣と俺たちとの間を動き回ってたら、味方は退却すらできないぞ」

「本陣の裏に今? おい、リョータ、だったな。何故そこまで正確な場所を?」

「必要もないのにやらない、そう言っただろ。ついさっき飛んだ時、一番ヤバそうなミーメの部隊の現在位置は確認しといたんだよ」


 小隊長たちの半数は感心顔をしたが、残りはうさんくさげに涼太を見る。そしてオーヴェ千人長は。


「……そう、か。それは、確かな話なんだな?」

「ああ、本陣を後ろから突いてるのは、本陣の後退を防ぐつもりみたいだな」


 ちなみにこれは遠耳の術で直接ミーメの部隊の者から聞いたので、戦術的にもきっと間違った判断ではないのだろうと思って加えた一言だ。


「うむ、その判断で間違いなかろう。リョータ」

「ん?」

「よくやった。値千金の情報だ、それは」


 思わぬお褒めの言葉に涼太がびっくりしている間に、オーヴェ千人長は部下たちに大声で指示を出す。


「これより我が部隊は殿を務める! いいか! 本隊の撤退を助けるため! 我らは敵将ミーメ率いる敵騎馬隊への突撃を敢行する! 歩兵で騎兵への突撃を成功させねばならんのだ! 各員、決して気を抜くでないぞ!」


 それがどんな無茶な作戦であろうとも、オーヴェ千人長からの命令ならば小隊長たちは全員、それこそ性格の悪い小隊長すらこれに異は唱えぬ。


「おーっし、やっと出番か!」

「負け戦二連かよ! ならせめて俺たちだけでも勝っとかねえとな!」

「あの枯れ木ジジイの吠え面見られるってんなら負け戦も悪かねえさ!」

「敵将いるってこたぁ敵本陣ってことだよな? うはは、敵本陣がこっちの本陣攻め立てて、そこを俺らがぶっ潰そうってことか。悪かねえ話だなおい」


 全員、これより死地に入ろうというのに、怯えるどころか喜び勇んでいるではないか。

 そのまま小隊長たちは各隊に伝達に向かう。そして残ったオーヴェ千人長に、凪が声を掛ける。


「ねえ、その突撃。もちろん私たちも混ざっていいのよね?」

「……無理はせずともよい。退路の確保もまた立派なお役目であろう」

「なによ、まだ信用できないの?」

「そうではない。此度の殿はまごう事無き死地となろう。お前たちにそこまでの義理があるわけでもあるまい」

「義理、ねえ。義理というか、私と秋穂が出る分、涼太とニナは引き上げさせてほしいって要求ならあるんだけど、それで交換条件ってのはどう? 乱戦になったら魔術師はどうしようもないわ」

「当然の判断だ……が、なるほど、確かに、退路の確保すら魔術師の身では危ういか。常ならば魔術師を真っ先に逃がすのは当たり前なのだが、今のリョータの立場ではちと難しくもあるというのは確かにその通りかもしれん。いいだろう、死地に付き合えナギ」

「ふん、偉そうに。向こうでミーメやワイアーム戦士団の相手ができるのなんて私か秋穂ぐらいなんだから、殿の主役はむしろ私たちよ」

「はっははは、なるほどな。確かにソレをお前たちが引きうけてくれるのなら、こちらは随分と楽ができそうだ」


 しかし、なるほど、とオーヴェ千人長は数度頷く。


「なによ?」

「いやな、確かにお前たちが味方になるというのなら、できることの幅が恐ろしく広がってくれるなと。本当に頼るぞ? いいのか?」

「だーからいいって言ってるでしょうが。……私が言うのもなんだけど、アンタ、腹芸苦手でしょ」

「はーっはっはっはっは、相手によるということよ。よし、では行くとするか」


 オーヴェ千人長の視線の先には、やってやるぜ顔をした雄々しき戦士たちが列を為して進んできている。

 それを、もう仲間であるように頼もし気に見やる凪を見て、秋穂はもう、本当にどうしようこれと思いながら嘆息する。


『凪ちゃんって、どうしてこうも簡単に味方認定出しちゃうのかなぁ……』


 かなり本気で、戦場の最中で隙あらばぶっ殺してやろうと思ってる奴らがいるのは秋穂には見てとれていた。

 オーヴェ千人長のように気の良い男も確かにいる。だが、執念深い悪意の塊のような人間も、確かにいるのである。

 これを見抜いて防ぐのは自分の役目か、と秋穂はきちんと気を張っておくことに決めたのである。






 殿突撃とかいう納得できるようなできないような文字列の名を持つ今作戦に、涼太は参加しない。

 シェルヴェン軍入りしてからは斥候部隊で仕事をしていたニナも合流し、二人で後方へと下がることに。

 殿突撃の作戦目標を聞いた涼太は、凪と秋穂の二人にきちんと釘をさす。


「いいか、あのミーメっての。ヤバそうだったらきちんと二人がかりでやってくれよ。シーラと同等だってんならそこまでやらんと負けの目がデカすぎるし、シーラ以上だってんなら尚更だ。いいか、絶対忘れんなよ」

「「はーい」」


 いつもの素直なお返事である。涼太の不安は全く解消されなかった。

 そしてニナだが、負け戦は嫌い、と明言していたニナだったがこの殿突撃には参加したいと言ってきた。

 凪、秋穂、そして辺境最強戦士ミーメ、これらの戦いを見たい、だそうだ。強者と強者の戦いは、その目で見るだけでも命を賭けるだけの価値があるものだ、というのがニナの主張だ。

 そういううっかり死んじゃってもいいや的な運用ができないからお前の雇用に当初皆難色を示したんだよ、と涼太が言うと、ニナは目を大きく開き、そして不安そうに問う。


「え、それじゃもしかしてまだ納得いってなかったり、する?」

「逆だ馬鹿者。今後も可能な限り死なないような運用を心掛けるから、お前もそのつもりでいてくれよ」


 ニナはその涼太の言葉にではなく、これまでのニナに対する扱いから、涼太たちの意図を了解する。

 涼太たちは、ニナを使い捨てにするつもりもなく、きちんと成長を促してもくれるし、同時に一人前の人間として仕事を与えてもくれる。

 それは、それこそがニナが望むあり方であった。


「へー、へー、へー、えっへへー、へへっへっへっへー、そーなんだー。にへへへへー」


 ニナは不意に涼太から顔を逸らし、まずは凪を見る。

 凪は笑いながらうんうんと頷いてやると、こちらでもまたニナの顔は笑み崩れる。

 次は秋穂に。秋穂が重々しく頷くと、ニナは、にへへー、と笑いながら秋穂の脇腹を嬉しそうにつつく。


「もう、しょうがないなあ。じゃあリョータは私がきちんと護衛したげるよー。だからナギとアキホは思う存分戦ってきてねー」


 涼太も凪も秋穂も、ニナを頼りとしている部分が確かにある。それがあるからこそ同行を認めたのであるし、これを年が若いだなんだと言わず大人と同等にきちんと活用してやることがニナ自身の望みであるとわかっている。

 だが、それでも、こうしてニナの年相応な子供っぽさを見て、安堵する部分があるのもまた事実であった。

 ニナが言っていた、まだ納得いっていない部分もあるのだ。ニナのような子供を大人として扱い、涼太たちの危険極まりない旅路に連れ歩くのが本当に正しい選択なのかと。

 それは、色々と割り切りの速い凪にも、必要とあらば冷酷な割り切りをする秋穂にも、迷いとして残っている。

 そしてきっとこの迷いは、どこまでもずっと残り続けるのだろうと。

 一応、涼太だけは自分なりの答えを見つけてはいる。

 遠目遠耳の術を多用する涼太は、この世界における子供の立ち位置というものを、凪や秋穂よりもよくよく見知っている。

 少なくとも平民の立場であるならば、子供の育成にそれほど金はかからない。産めば産んだだけ、その家の生産力は上がるのだ。

 生産力として期待しているのだからして、子供が労働をするのも当たり前で。そんな文化の中にあって、子供は子供らしく自由に育てよう、なんて考えは異端を通り越して薄気味悪いものであろう。

 子供の教育に金と手間をかけている貴族や裕福な商人ですら、子供に求めるものは子供らしさなんてものではなく、一日でも早く大人になることである。

 無論、親子の情愛が存在せぬわけではないし、子供を愛らしきものとみる文化が存在しないわけでもない。だが大本がそうなのだから、その優先順位は低くもなろう。

 それがわかっていて尚、涼太にも迷いはある。


『理屈はどうあれ、子供が血反吐はくほど苦労しなきゃ身に付かないような技術持ってたらさ、悲しくもなるだろ』


 悲しくなってくるからニナの同行は断りたかった。そんな話を、間違ってもニナに聞かせたいとは思わない涼太であった。





 凪と秋穂は、サーレヨック砦にて歴戦の兵たちの動きというものをその目で見ることができた。

 はっきりと言ってしまえば、彼ら兵士は頭が悪い。

 ロクに文字も知らず、計算もできず、できて当然の損得勘定すら危うい。

 そんな兵士たちが、いざ戦争となると驚くほど効率的に動く。それが何故必要なのか、当人たちは全くわかっていないながらに最善の動きをとり続ける。

 普段のチンピラと大差ない有様を見ていると、その急激な変化に驚き戸惑ってしまうだろう。

 だが、長く戦場で生き残り最適化が進んでいる兵士というものは、何処もこんなものであるようで。

 オーヴェ千人長が率いる三百の兵も、一糸乱れぬといった整然とした移動ではないものの、集団として見れば全く乱れはなく、オーヴェ千人長が指示した内容からほんの僅かもズレることなく行軍を続ける。

 不意に禿げ頭の小隊長が秋穂に声を掛けてきた。


「おい、足止めろ。進みすぎだ」

「あ、うん」


 秋穂が足を緩めてすぐ、オーヴェ千人長が進路の変更を指示してきた。

 禿げ頭の小隊長は、これがわかっていたからこそ秋穂の進みすぎを注意したのだろう。

 秋穂もオーヴェ千人長の指示を聞いていたし、それに忠実に従っているつもりだったのだが、他のどの兵士も注意なんてされないのに秋穂だけ注意されたのだ。

 それを恥ずかしいと思う部分は当然あるにしても、秋穂にとっては驚きのほうが大きい。

 秋穂には、兵士たちと秋穂の違いがわからない。彼らと比べて秋穂の何が劣っているのか、それを見つけることすらできないでいるのだ。

 うむむー、と難しい顔で、秋穂は兵士たちや小隊長を観察しながら移動する。

 少しして禿げ頭の小隊長が、見かねたらしく声を掛けてくれた。


「お前、体力ありすぎて兵たちと足並みが揃ってねえんだよ。そんな難しい顔しねえでも、問題になるほどじゃねえから心配すんな」


 秋穂が悩んでいることをあっさりと見抜かれ、驚き顔の秋穂は問い返す。


「……どうして?」

「てめーはなあ、頭が良くてクソ真面目な貴族指揮官と同じ顔してんだよ。数度従軍すりゃ誰だって覚えることなんだから、今悩んだってしょうがねえだろ。わかったら余計なこと考えてねえで千人長の言う通りにしてやがれ」


 ぶっきらぼうにそう言う彼は、秋穂のことを嫌っていると思っていた。

 だが、この殿に参加すると決めてから、彼と同じように小隊長の幾人かは態度を軟化させている。

 面白いもので、小隊長が態度を緩めると、兵士たちもこれにつられる者が出てくる。

 当初よりはずっと敵視の視線は薄くなっていた。

 これを指して、兵士たちはチョロイと見ることもできるかもしれない。だが、ここは戦場であるのだ。

 彼らは、殿に自ら望んで参加するということの意味を、価値を、知る者だということだ。

 今秋穂が感じているモノは、サーレヨック砦でラーゲルレーヴ傭兵団の皆に感じていたものと一緒だ。

 それを、敵であったシェルヴェン軍の兵に感じることに、秋穂は戸惑わなかった。戸惑わないことに、戸惑っている。

 これは少し前に凪が感じたものと同種のものだ。

 ワイアーム戦士団の木の上を飛ぶ長剣使いに対し凪が感じた言葉にできぬ感情と、同じものであろう。

 敵と殺す相手はイコールであっても、そこに良い奴気に食わない奴、といった基準は含まれない。

 そして、こちらから決めた敵は気に食わない奴ばかりになるのは当然なのだが、勝手に敵になってしまった相手に関しては、こちらでそういった判別はできない。

 かといって、敵を殺さないという選択もまた受け入れられない。これまでを振り返ってみても、そんな馬鹿な真似をしていたらかなりの高確率で自身も、周囲の者も、死んでいたと思えるのだから。


『あ……』


 不意に思い出した。

 自然にそうなったからあまり気にしていなかったが、一人、敵であったはずの相手が、いつのまにかそうではなくなっていて、殺さずに済ましていた者がいた。

 アルベルティナ。話を聞いた時は殺すしか手はないと思っていた、恐るべき魅了魔術の使い手。

 そんな彼女は、涼太がいつのまにか段取りを整えていて、彼女が望む形での落としどころに落ち着いていた。

 後から知ったことだが、涼太が整えていた段取りはアラのあるもので、涼太自身も、どうしようもなければ彼女の殺害も視野であったのだろう。

 そんなアラのある段取りであってもそれなりに手間のかかるものであったし、周囲の状況が許す範囲内での話であった。きっと、敵を殺さないというのには、それだけの準備が必要でかつ条件がつくものなのだろう。


『予め準備をして、条件を確認したうえで、状況が上手く転んでくれないと、って話かな。あはは、戦場で剣を交えてわかるのは、良い戦士かどうかだけだもんね。良い戦士が、かならずしも殺さないでいるべき相手では、ない』


 考えて考えて、色々と認めたくないものも認めたうえで出た結論がこれだ。

 これでは戦場を、殺し合いを、厭う人間が多いのも無理はない、と苦笑する秋穂。

 だって秋穂は、今こうして親切にしてくれたこの禿げ頭の小隊長を、不器用さはあれどきっと彼はただ生きているだけで周囲の人間を幸せにするような人間であろうと認めたうえでも、もしかしたら斬らなければならなくなる、ということもまた認めなければならないのだから。

 そして彼を斬る場所が戦場であるのなら、きっと秋穂は迷いも戸惑いもなく彼を斬った後で、はじめてそこで彼の喪失を憂うのだろうとわかっていた。

 柊秋穂は既に、きちんと兵士にはなれているのだ。






 戦場の只中、それも敗戦気配濃厚な中にあって、その部隊は一兵卒に至るまで指揮官の指示から一切逸脱することなく、慎重で迅速な隠密行動を成功させた。

 三百もの人員が、その末端にまで神経が行き届いている一個の生命体であるかのようだ。

 大地を、勾配を、林中を、岩々の隙間を、自在に変形し滑るようにこれらをすり抜けていく様は、まるで意志を持った液体のようである。

 軍中にあってはただひたすらに指示に従うだけであり、凪も秋穂もその軍の非常識さを知ることはできない。

 だが、遠き場所にあって二人の安否を気遣う涼太だけは、その上空より遠目の魔術にてこれを見下ろし、そして戦慄する。


『いや、これ、もう、中世でやっていい動きじゃねえだろ』


 涼太の持つイメージとしては、現代の軍隊、それも精鋭の集まった特殊部隊が周囲にそれと気付かれず行軍していく様に近い。

 実際のソレを見たわけでもない涼太であったが、漠然とイメージしていた軍の特殊部隊といったものが正にコレであった。

 それこそ数万の軍をも動かしうる将、そして隊長たちが、三百の兵を細部まで管理した結果である。或いは、オーヴェ千人長たちはこういった少数での動きにこそ熟達しているのかもしれない。

 上空から見下ろす視点を持つ涼太だからこそわかる。

 この行軍速度は正に絶妙のもので。

 林の中に身を潜め、その端から眼下を見下ろすとその先には、僅かに開けた平地がある。そこは突撃を繰り返した騎馬隊が、一時その身を休め次なる動きを探るに最適な場所で。

 そしてその場所目掛けて、まるでオーヴェ千人長が運命を操り吸い寄せたかのように、ボロース軍総大将ミーメ・ボロース率いる騎馬隊が向かってきていたのである。


『すげぇ、本当に、歩兵で騎兵に突撃成功させちまうぞ、これ』


 サーレヨックの野における今会戦において最も重要な戦いが、もうすぐ始まろうとしていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] ぶっちゃけ、涼太達は才能の比重が大きいんですよね。 努力してないとは決して言いませんが。 たいして、オーヴェ達は才能に経験が加わった物。 そりゃ涼太達も驚きますよねw
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