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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第七章 サーレヨックでの戦
100/272

100.運が悪い


 もう凪は絶対に我慢できなくなっている。そんな確信があった涼太は城壁上から峰の入り口までを走る。


「離しなさい秋穂!」


 案の定である。

 揉めている二人の傍に行くと、涼太は二人の耳元で説明をする。

 モルテンの現在位置から峰の終点までを、涼太は遠目の魔術で確認していたのだ。

 どう説明すればわかりやすいか、城壁からここまで走ってくる間にまとめておいた涼太の言葉に澱みはない。ないが、これで伝えきれているかの自信もない。

 距離はそれほどでもないのだが、峰の様子を口頭で伝えて夜の闇の中を走らせるなんて真似、いかな凪と秋穂であろうとできれば涼太もやらせたくはない。


「……以上だ。モルテンのいる場所から残り五十メートルもない。だが、注意すべき箇所は絶対に忘れるなよ」


 喜色満面とはこのことか、といった顔の凪と、やはり同じく今にも抱き着きそうなぐらい喜んでいる秋穂。


「涼太! やっぱり貴方は世界一頼れるわ!」

「涼太くんがかっこよすぎて私の目がつぶれそーだよ!」


 じゃあ行くか、と二人が同時に前に出る。どちらも先に行くつもりだったらしい。一応凪が先に行くという話になっていたはずなのだが。


「……秋穂?」

「あの岩場なら、私の歩法のほうが適切だよ」

「悪いけど、山歩きなら私が上よ。涼太、私が落ちたら秋穂に報せて。秋穂の出番はその時よ」


 むむー、と口をへの字に曲げる秋穂と、殺気すら感じられるほどに真剣な顔のアッカ団長だ。


「リョータ、そいつで、いけるのか?」

「凪ならな。これで駄目なら砦は諦めて、逃げられるうちに逃げ出しちまおう」

「それができりゃ、こんな無茶してねーよ」

「そいつは残念」


 涼太が凪の背中を叩く、次に秋穂がそうすると、凪は振り返ることもせず、最初の一歩を無造作に踏み出した。

 あっという間に暗闇の中に凪の姿が消える。

 その様に兵たちが皆声を出して驚く。


「うおっ! 行きやがった!」

「嘘だろ! あれ全然見えてねえだろ!」

「え? 今何処だ? もう真っ暗すぎて本気で見えねえ。こっわ、こんなところよく走れるなアイツ」


 凪はモルテンとは違って、灯りを一切持たずに飛び出していったのだ。モルテンの時のように陽気に観戦なんて真似はできない。

 兵たちの声と、篝火のぱちぱちと爆ぜる音、それと山の音が聞こえる。だが、目でも耳でも、凪の存在を確認することはできない。

 一人の兵士が、首をかしげながら言う。


「なあ、リョータってよお、遠くが見える魔術を使うってのは聞いたんだが、暗闇も見通せるってな初耳だぜ」


 涼太、何を言っているんだコイツは顔。これに答えてやったのはミッツである。


「いや、遠くにあるものが近くにあるように見える、ってことなら、遠すぎて暗い場所も見えるだろ。お前だってさ、暗くてもすぐ目の前になら何があるかわかるだろ」

「え? え? え?」

「…………いや、もういい。そーいうもんだと思ってくれ」


 へー、といったよくわかってない顔をしているのが半分。残り半分の半分は、そうだったのかーと感心顔。全体の四分の一が、そりゃそーだろ、と知ってた顔である。

 当然暗い中で見えるていどにしか見えないし、モルテンが灯りで峰の位置を涼太にも見えるように教えてくれたからこその遠目の魔術である。

 何かしら目印みたいなものがないと、闇雲に遠目の魔術を飛ばしても目当ての場所を探すのに時間ばかりかかってしまうだろう。

 モルテンの時と違って、凪が突っ込んでも兵たちが盛り上がることはない。

 別段凪に含むところがあるわけではなく、単純に見えないのだから盛り上がりようがないのである。

 峰があるはずの方向には、分厚い闇の壁が広がるのみであった。






 峰を走りながら、凪は思った。


『思っ、てた、以上、にっ、怖いわこれっ』


 モルテンが照らしていった峰の形は覚えてはいる。いるのだが、実際走ると自身で外から見ていた時に想像していたものとはだいぶ違ってくる。

 とにかく、大きく足を踏み出すことは絶対にできない。

 小さく小さく、そして素早く足を回転させることで速度を出す。全く見えないわけではないし、峰の形を覚えていることから次に視界に入ってくる地面の形を予測することもできる。

 だが、それでも、真っ暗闇の中、この細い道を駆けるのには尋常ではない集中力がいる。

 今この時、矢なんて飛んでこられたら対処なんてできそうにない。

 そもそもこの暗闇では飛来する矢なんて見えっこないのだから、避けるのは絶対に無理で、闇だから当たらないと信じるしかない。

 実際に、モルテンが走った時にはもう射られていた場所を抜けているのに、敵側から攻撃の音はしない。

 今日は新月でこそないものの、月は細く小さいもので、星明かりをすら頼りにできるほどの暗い暗い夜である。

 作戦上は、暗闇を駆ければ敵方に気付かれる恐れはない、という話であるが、あのバリスタや弓がこちらに狙いを向けていると思うと、それだけで身をすくめたくなるほど恐ろしい。

 剣で受ける、目で見て避ける、ができるのなら、凪は殺意もそれほど怖いとは感じない。だが、暗闇はよくない。見えない、感じられないというのは本当に恐ろしい。


『あれかしらね、肝試し的怖さ?』


 全然見当違いのことを抜かす不知火凪さん。だが、怖い怖いと言いながらも足は進めている。

 かなりの距離を敵に気付かれぬまま稼いだ、そう思っていた凪の足の下のほうから、心臓にびくりとくる声が聞こえた。


「おいっ! 上だ! 人が走ってる!」

「ばっ、馬鹿言え! この暗闇の中どうやって……」

「げ、いた。本当にいた。え、あれ、獣じゃないよな? 人だよな?」


 そんな声に、ふと凪は思う。


『ああ、獣、四つ足、ここ走るならいっそそっちのがいいわね。足四本のほうが安定するし何より、地面に視点が近くなるから地形見えるのが今よりずっと速くなる』


 自分もやってみようか、なんて現実逃避をしてみても、敵は動きを止めてはくれない。

 最初の音だ。

 ひゅん、という音が二つ。これは本当に怖い。自分を狙っているとわかっている矢が、何処を飛んでいるのか全く見えない。

 矢を払い落とす、矢を見てから避けるなんて真似のできない一般兵士の気持ちがようやく理解できた凪だ。

 矢の本数も増えている。こんなそこら中からひゅんひゅんと音がする中を、運を頼りに走らなければならないとは。

 戦場を駆ける時のほうがより命中率の高いだろう矢が降り注いでいるのだが、真っ暗闇の中でそうされるのはまた別格の恐ろしさがある。

 矢の飛来音に加えて、バリスタの発射音も聞こえるようになった。バリスタの矢は、ひゅん、ではなく、ごう、という音がする。

 モルテンの時と違って灯りをつけていない凪の位置が極めてわかりづらいため、峰下からの矢ですら当たらないのだから、バリスタなんて峰に当てることすらできず音でビビらせるぐらいしか意味がないものだが、それだけで十分に仕事を果たしているとも言えよう。

 走りながら色々とアホなことを考えていた凪だが、ソレが近づいてくると自然と表情が硬くなる。

 この峰で唯一、火の灯る場所。

 峰下から凪を狙っている連中も、凪があそこを通過する瞬間を狙っているだろう。

 また見方によっては、モルテンは倒れたその身体で峰の道を塞いでいるともとれる。

 現に、モルテンの身体の周辺にはまだ凪が現れていないというのに、矢が射られてもいる。もちろんこれは、凪が通った瞬間に狙えるよう試し打ちをしたのである。バリスタでこれをしてしまうほど馬鹿ではない模様。うっかりバリスタでモルテンを吹っ飛ばしでもしたら台無しである。

 この難所を、凪はどう通るか。


『決まってるわよ。あそこにいるのは、モルテンなんだから』


 走りながら剣を抜き、難所に、モルテンに辿り着く。

 一歩、踏み出した凪。二歩目は倒れるモルテンの背中に。


『空より、大地より、モルテンのほうが信じられる』


 凪は跳ばず、回り込みもせず、モルテンの背中を踏みつけ足場とし、この上で飛来する矢を切り払った。

 モルテンがどんな人間かなんて凪は知らない。会話した回数など数えるほどでしかなく。それでも、ここまで走りきり、倒れて尚、峰を灯し続けるモルテンは、信じられると凪は思ったのだ。

 確かに足場は安定しない。それでも、凪の能力を超えるほどの不安定さでもない。

 そしてここが勝負所と見据えた時の凪の集中力は、到底余人の及ぶところではない。十本の矢の内、実に八本までもが命中軌道にあったが凪はその全てを一閃のみで切り払う。

 飛来する矢が見えるようになるのは、モルテンの身体が燃える火により照らされた、ほんの僅かの間だけだというのに。

 バリスタの轟音が迫る。凪の意識が向いたのは内の一つ。残りは全部、音の仕方から脅威になるとは思えなかった。音だけでそれを判別できるほどに、凪の五感は研ぎ澄まされている。

 振り切った剣を膝の前方に投げ、自身はしゃがみこむようにして手を地面につく。既にモルテンの身体は抜けかけている。

 顔前にある剣を口でくわえるのと、頭上を強風が吹き抜けるのとが同時に起こる。ほんの少し後、凪の足裏が優しくモルテンより離れる。強く足が大地を蹴ったのはその後である。

 一歩分。加速が遅れた。意味がある行為だとも思わなかったが、それでも凪は、咄嗟にそうしてしまった。

 それを、悪いことだとも思わなかった。

 ここから先は未知の領域。涼太より口頭にて説明を受けたのみで、暗闇の中を駆けなければならない。

 なのにその時凪が一番気にしていたのは、涙を堪えることだった。

 集中していた時は気にならなかったが、通り抜けた後でその感触を思い出した。足裏を通して、モルテンの身体から生者の気配を感じられなかったことが、そうであると改めて知らされたことが、とても悲しかったのだ。

 共に戦場を駆けた戦友と呼ばれる存在がどういうものなのかを凪はまた少し、理解できた気がした。







 シェルヴェン軍の軍議は、重苦しい雰囲気を漂わせていた。

 結局、昨晩行なわれた必勝の策は、二人の敵兵による英雄的活躍により完膚なきまでに粉砕されてしまった。

 単身崖下に乗り込んできた金髪、金色のナギと呼ばれる化け物は、崖下に待機していた兵の全てを蹴散らし、崖を登攀中だった兵を投石にて全滅させた後、悠々とその場を立ち去っていった。

 異常事態である。

 たった一人の兵の存在が、千を超える軍の去就を変えてしまうというのだから。

 しかもあのナギ以外にもう一人、黒髪のアキホと呼ばれる化け物まで控えている。

 そもそもこの二人、ドルトレヒトの街を襲撃したという話もあったそうだ。それが何故ドルトレヒト側について戦っているのかといった疑問もあるが、それは実際に戦う立場になっている以上考えても意味がない。少なくとも軍にとっては剣を向けてきているという事実だけで十分だ。

 この軍の指揮官であるオーヴェ千人長は、集まった小隊長全てに向かって問い掛ける。


「で、どう思う?」


 やってられん顔で、性格の悪い小隊長が口を開く。


「どうもこうもねえよこりゃ。小細工するにゃこっちの兵を小分けすることになるが、百以下の規模で何しようと、アレ一人に突っ込まれたらそれだけで終わっちまうぞ。話にならねえ」


 禿げ頭の小隊長が言葉を続ける。


「……敵の動き、どうにも合点がいかねえ。ありゃ、砦からだけじゃねえ。砦の外に斥候置いてやがるんじゃねえか? そうとでも考えなきゃあの反応の速さと正確さはありえねえ。だがなあ、その外にいる奴がどうやって砦の中と連絡とってるのかがさっぱりわからねえ」


 また別の小隊長が言う。


「どうやって、はひとまず置いておこう。こっちの動きを察知する能力が高い、それだけを踏まえておけばいい。砦に押し込めていても小細工してたらすぐにバレるし、半端な布陣すりゃとんでもねえのが突っ込んでくると。おい、これなんかこっちが籠城してる側な気がしてきたぞ」


 小隊長たち全員が一斉に溜息を吐く。

 誰も口にしたくない結論を、オーヴェ千人長が告げる。


「つまり、正面より正攻法にて攻め立てる以外にないということか。……それともう一つ、今言うべきではないが言わぬわけにもいかぬ件がある」


 小隊長全員がじっとオーヴェ千人長を見る。


「ボロースからの援軍が五千であると聞いたシェルヴェン領より、同じく五千の援軍が既に出発している」


 小隊長全員、雷に打たれたかのようにびくりと震える。

 そして、オーヴェ千人長の言い方に引っ掛かりを覚え、禿げ頭の小隊長が聞き返す。


「既に、出発してる? そりゃ、ウチになんの報せもなく、国元が勝手に援軍を出したということですか?」


 そもそもからして、敵が五千の援軍を出すというのなら、援軍が来る前にドルトレヒトを落とせねば引くだけだ。それを、五千に対抗するために五千の兵を出すなんて話、誰も聞いたことがない。

 そしてこれを、前線に報せもせず出陣の準備を整え、出てから報せを走らせるなど、まともな軍ならばまずありえぬやり方である。

 性格の悪い小隊長が、苛立たし気に怒鳴る。


「あんの枯れ木ジジイか! 千人長の手柄横取りしようたぁ随分と上等な真似してくれるじゃねえか!」


 オーヴェ千人長はシェルヴェン領でも名の知れた戦上手だ。領主さまのお気に入りでもあるのだが、これを快く思わぬ将も多い。

 枯れ木ジジイとは反オーヴェ千人長の急先鋒である千人長の一人だ。こんな意味のわからない援軍派兵の裏に、こういった政治的意図があると考えるのは不自然なことではない。

 そしてこれを聞いた小隊長たちは、是が非でも援軍が来る前にサーレヨック砦を落とさねば、と考える。それをオーヴェ千人長は嫌ったのであるが、この情報を部下たちと共有しないというのもまたオーヴェ千人長にとってはありえぬ話である。

 オーヴェ千人長は小さく嘆息する。


「この件抜きにしても、砦には正面より当たる他はない。各人、考え得る限りの工夫をこらし、砦攻撃の準備を整えよ」


 小隊長たちは一斉に返事をした。全員、焦りと苛立ちも見えたが、それ以上に自信ありげだったのは、このサーレヨックの地で活用できるだろう工夫に心当たりがあるせいだ。

 そういった工夫を捻り出せることが、オーヴェ千人長が自身の軍の将に求める条件の一つである。






 シェルヴェン軍のサーレヨック砦への攻撃は熾烈を極めた。

 この攻撃をアッカ団長はこう評した。


「俺の中の城攻めの常識が変わっちまいそうなんだが……」


 普段、人を怒鳴ったりしない副長も、声をからすほどの大声で指示を出していたため、かすれた声で言う。


「コイツらが攻めてくるって知っていれば、絶対にこんな仕事は受けなかったものを」


 モルテンの代わりに小隊長になった男曰く。


「おう、俺知ってるぜ。シェルヴェンのオーヴェ千人長だろこれ。王都圏北部じゃ五本の指に入る戦上手だって聞いたな。うーむ、あれ嘘だったな。これ絶対北部一だろ」


 そして涼太だ。敵が何処から何をしてくるか全く予測できず、ほぼ常時遠目遠耳の術を展開しておかねば敵の動きを見切ることができず、アッカ団長だけにはもう遠耳の術の存在はバラすまでしてしまっている。

 それでも、手が追いつかない。涼太自身もあちらこちらと駆けまわり、敵が次から次へと仕掛けてくる策を見破るのに全力を尽くす。

 

「城攻めヤベエ」


 人類の英知が全てここに結集されているのではないか、と思えるぐらい様々な手練手管を駆使してくるシェルヴェン軍。

 頭脳労働組は全員、青ざめた顔で敵への対策を頭から捻り出し続ける。

 そして肉体労働組だ。

 凪が城壁上で怒鳴る。


「ああああああ! しつっこい!」


 両手で頭上に持ち上げるは、己の身体の数倍はあろう巨岩である。

 投石機だろうと投げるなんて真似できそうにないコレを、凪と秋穂は結構な数、城内に運び込んでいた。

 こちらの攻撃を掻い潜って城門前へと急接近してきた攻城槌に対し、凪は城壁上からこの大岩をぶん投げて止めにかかる。

 この攻城槌、おっそろしく移動速度が速い。コレ以外の攻城槌はそうではなかった。この一つを、いや、ただの一撃を城門に通すためだけに、それまでの攻城槌はあったのだ。

 ご丁寧に運搬する人間の上にはひさしがついていて、矢や石程度ではどうにもならない。凪と秋穂の投石も、これは十人以上で運ぶものであり、一人二人を仕留められてもコレを止めるには至らない。

 だから、この大岩で攻城槌自体を止めにかかったのだ。

 だがその速度から機会は一度のみ。凪は、豪快に持ち上げた後、丁寧な投げ方で攻城槌を狙う。城壁上からの兵の視線が集まる。攻め手側のシェルヴェン軍もその一投に注目し。


「おっしゃああああああああ!」

「ああああああああああああ!」


 雄々しい雄叫びは凪と城壁上の兵士たちから。失望の叫びはシェルヴェン軍の兵士たちだ。大岩は見事に攻城槌に命中し、これの足止めに成功。

 そしてすぐに秋穂が凪の後ろ襟を引っ張る。


「わひゃう!?」


 凪の身体が城壁下から狙える場所まで乗り出したのに合わせ、下から一斉に矢を放っていたのだ。勢いのついてしまっていた凪の身体を、秋穂が引っ張って助けてやったのである。


「ホント、油断も隙もない」

「あ、ありがと秋穂。いやぁ、この相手に、下に降りるなんて真似してたら何されてたかわかったもんじゃなかったわね」


 凪は城壁から縄を垂らし、単身下で敵を迎撃しようと考えたのだが、絶対に敵は凪と秋穂対策を考えている、という涼太や団長の意見に従って自重したのである。

 秋穂が城壁からちょこっと顔を出して外を見る。


「王都圏でも屈指の敵らしいよ、コレ。良かったよ、こんなのがそこら中にいるなんて話じゃなくって」

「追撃した時からおかしいおかしいって思ってたんだけどねえ。強い軍隊ってつくづく洒落になってないわね。涼太の話じゃ、エルフの森まで追ってきたドルトレヒトの軍も相当ヤバかったらしいけど……」


 二人は同時に首をかしげる。


「でも、戦の強さじゃなくて純粋に兵の強さで言うんなら、あのウールブヘジンってのが一番強かったわよね」

「……軍隊って、何処もおっかないものって考えたほうがいいのかも」


 リネスタードを襲った謎の傭兵軍ウールブヘジンは隣国アーサより多額の金銭的支援を受けており、他の軍では考えられぬほどに良い兵士や良い装備を揃えられたのであるが、凪も秋穂も知らぬ話である。

 そしてドルトレヒト軍を率いていたレンナルトはボロース屈指の指揮官で、今こうして相対しているオーヴェ千人長は王都圏でも有数の戦上手だ。運が悪いとしか言いようがないのだが、人は誰しも、自身の経験を基準に考えるしかできないものである。

 凪はふと気付いたことがあって、城壁を見渡す。

 城壁下より矢はひっきりなしに襲ってきてはいるものの、凪が顔を出した時に飛んできた矢は今城壁に飛んできている矢とは明らかに違う。


『射手の技量差? 弓勢が完全に別物じゃない』


 この疑問を秋穂に問うと、秋穂はもう一度ちらりと城壁から外を覗き込む。

 秋穂はゆっくりと手を顔の前に出し、顔を傾げながら手を握る。握力のみで秋穂は飛来する矢をぴたりと止めてみせた。


「……うん、やっぱりだ。特に巧い射手は、他の矢に紛れて私や凪ちゃんみたいなのを狙える機会を窺ってる」


 他の数多の矢を防ぐために必要な警戒を、するりと越えて矢を通してくるのだ。

 こういった僅かな緩みも許さぬ罠がそこかしこに散りばめられている。

 油断をせずとも意識の間隙をついて必殺を仕掛けてくる。これが、強い軍隊というものなのだろう。

 凪は、もう一人の知り合いを思い出す。


『傭兵生活それほど長くなさそうだけど、アイツ大丈夫かしらね?』






 攻城戦の機微といったものを、凪や秋穂や涼太よりも早く学んだのは折笠満、ミッツであった。

 何処までが危なくて、何処からは絶対にやってはいけないことで、比較的安全と思える行動はどれで、といった見極めができるようになるとできることが一気に増えてくれる。

 攻城戦どころかこの規模の戦も初めてのはずだったミッツは、既に他の兵たちと遜色ない動きができるようになっていた。

 学ぶ、ということをきちんと身に付けているからこそであろう。自身にとって必要な知識や技術を、如何に効率的に学ぶかの各種方法論はそれこそ小学生の頃から積み上げている。

 教育を受けているということは、学び方を知っているということである。この世界の人間たちにとっては考えられぬ速度でミッツは戦を学んでいっていた。

 教わって学ぶ、人を見て学ぶ、そして、実践し確認する。

 攻城戦開始から数日が経つ頃には、最早誰もミッツを新兵だなどと思う者はいない。

 むしろ、時折発する言葉はとても理に適っており、聞いている兵士がすんなりと頷けるものばかりで、城の防戦の中にあって、ミッツは中心人物の一人になろうとしていた。

 それは、或いはモルテンが生きていたなら防げたであろうか。

 他の小隊長ならば教えることができたであろうか。

 ただの兵士と、ミッツのように身体が大きく優れた戦績を残すような卓越した戦士とで、攻撃する側も対応を変えるのだ。

 他の兵士の時はそこに立っていて矢に当たるなんて考えなくてもよい場所で、ミッツは顎下より矢をもらってしまったのである。




「おしっ!」


 快哉を叫ぶ弓兵。その声を聞いて隣の弓兵が問い掛ける。


「おお、当てたか?」

「おうよ、あのデカイ二人の内の一人だ。一人は峰で死んだから、最後の一人だぜ。放った瞬間わかったね、こりゃ当たるって。正に会心の一撃だったぜ」

「なんだとー、デカイくせにやたら動きが速いってんで、結構な報奨金出てたろアイツ。くっそ、おいしいなおい」


 手柄首を取ったとの話を聞きつけ、周囲の弓兵たちが集まってくる。


「おい、やったのかよ」

「っかー、お前後で酒おごれよな」

「おいしいおいしい、アイツ、わかってるだけで五人も斬ってやがるからな。そういうのを仕留めてこその弓手ってもんだ」


 皆がその功績をたたえる中、一人の男が大きく嘆息する。


「いいよなぁ、お前は。俺さあ、あの黒髪の女に当てるだけは当てたんだぜ」


 は、と皆が一斉にその男を見る。

 黒髪の女と金髪の女はオーヴェ千人長が直々に、これを討ち取った者は一番手柄であると明言している相手だ。


「当てた!? おまっ! もしかして急所外したのか!?」

「ちげーよ。まあ、聞け。俺ぁな、アイツが城壁から一回顔出した後、もう一回顔出すかと狙い定めてじっと構えてたんだ。そしたらよ、出たんだよ、アイツの顔が」


 おおー、と皆が聞き入る中、男は言う。


「顔を出す場所も予想通りの場所でな。静かに、焦らず、射たと思うぜ。実際によ、まるで吸い寄せられるみてぇに矢があの女に向かって飛んでいくのよ。ところが、だ」


 男は渋い顔になる。


「当たった、刺さった、そう思ったんだよ。だがな、あの女、手を前にあげてやがった。それでな、事も無げにぽいっと矢を城壁の外に捨てて、焦った様子もなくふいっと奥に引っ込んじまった。わかるか? アイツ、俺の矢を、俺が本気で射った矢を、手で掴みやがったんだよ。意味がわからねえよもう」


 うわぁ、と全員に渋い顔がうつっていく。


「ありゃあ駄目だわ。正直、百回当てても仕留められる気がしねえ。アイツを殺るにはアイツが身体を出していてそれでいてこっちが気付かれていない状況だ。いや、アイツ俺が射る時俺の存在に気付いてなかった。なのに、矢は当たり前に止めやがったんだから、それこそ余所見でもしててくれなきゃどうにもならねえ」


 別の男が悩まし気に言う。


「……そういう真似ができる化け物だってんなら、下手にアレを狙うのは逆に悪手か?」

「アホ言うな。一番手柄ってのはな、なんとかして殺しちまわねえとこっちにとんでもねえ被害が出る相手って意味だろ。実際、あの女共の投石は洒落にならん。そいつを仕留める可能性が僅かでもあるのが俺たちだけなんだから、諦めるなんて言えるわけねえだろ」


 だよなぁ、と弓手全員、せっかくの手柄にも意気は大きく落ち込んでしまうのであった。




 首がとんでもなく熱い。

 ミッツは今自分がどんな状態でいるのか、わかっていなかった。


「おい、ミッツ。嘘だろ? そんなところにいて普通当たるか?」

「ありえねー、どんだけ運悪いんだよお前」


 声が出ない。何が起こったのか聞きたいのだが、それを問うことすらできない。


「おいどうした……うお、ミッツがやられたのか!? こんだけ頭良い奴でもやられちまうのかよ。モルテンも死んじまうし、今回の戦はいったいどうなってやがんだ」

「おい、ミッツ、聞こえるか? まだ生きてんのか?」


 どうやら怪我を負ったようだ。どんな怪我なのかが自分でわからないというのが恐ろしくて堪らない。

 はやく、急いで治療を、頼む。声は出ない。それでも必死に念じる。

 ミッツの手がゆっくりと上がっていく。これを取った兵士がミッツを勇気づけるように言った。


「わかった、後は任せとけ。お前はもうなんの心配もいらねえからな」


 伝わってくれた安堵のあまり、涙が出そうになった。そして彼は、言葉を続ける。


「じゃあな、ミッツ。お前みたいなお人好し、俺ぁ嫌いじゃなかったぜ」


 ミッツの身体に衝撃がきて、そしてミッツは何もわからなくなった。


 ミッツは運が悪かった。

 だが、その運の悪さによる死亡を、回避する術もあったのである。ミッツが自身を敵軍にとっての警戒対象であると認識していたのなら、或いはそんな不利益を物ともせぬほど優れた能力を持っていたのなら、弓手が今日一番の会心の一射をここで放っていなかったなら。

 モルテン他小隊長はミッツと同じ手では死なない。特にモルテンなどはその恵まれた体躯故、敵に警戒されることにも慣れていただろう。

 だがミッツはそれを学ぶ前に死んだ。矢が外れてくれれば、ミッツならばその矢の意味を察し以後に活かすこともできたかもしれないが、そうはならなかった。

 運が悪いと死ぬ、とは、つまりはこういうことなのであろう。


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― 新着の感想 ―
涼太を呼べば助かったのでは...
[一言] 一般の転移者が迎える戦の無慈悲さが非常に良かった。 増援も確定しているようですし、まだまだ終わらない。
[良い点] 戦場のリアルが、読んでいるだけで想像できます。 脱帽です。 [一言] 100話おめでとうございます!
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