バッハ「シャコンヌ」
母は、バッハのシャコンヌにとりつかれたのか。。裕一の苦労は続く
ここ数日、家中、母さんに振り回されている。祖父は腕組みしながら、医者に診せる事も
考えてた。祖母はこれ以上、体力を落とさないために、献立を工夫してる。
アリサさんと僕は、母さんといつも言い争いだ。
「シャコンヌ」を練習中の母さんは、ちっとも幸せそうでも楽しそうでもない。
眉間にシワを作り、試行錯誤してる。これが華やかな演奏家の裏の顔なのかもしれない。
それでも、練習の時間も密度も度がすぎてると思うよ。母さん。
学校では、そろそろ中間試験。今回は試験対策のプリントは、脇坂と青野頼りだ。
落ち着かない気持ちのまま、なんとか僕なりに頑張ったけど、成績は、前回より下がってしまった。
特に数学が無残で、青野に”数学の点数悪いんだって?元気だせよ”と慰められた。
”青野、言っておくけど、数学のテストの点数は、お前のほうが1点低いんだからな”
と念を押したが、わかったかどうか。
一方、脇坂は医大を目指すつもりなので、成績は抜群に飛びぬけての学年一位だけど、僕はなんとか2番手についていた。今回はその順位を落としてしまった。数学の点数の悪さが響いた。
もちろん、ピアノは頑張る。それでも音大は無理と烙印を押されたら、僕は進路を考え直さないといけない。成績がよければ進路の選択しも増えるから、勉強も頑張るつもりだ。
母の練習しているバッハのシャコンヌは、ソナタとパルティータでなる曲で、3曲のうち2番めの曲。その2番目の曲の中のパルティータ(組曲形式)の中の最後の曲だ。
主題が提示され、3部構成の変奏曲で出来ている。
この間、ネットで調べたのだけど、この曲だけ有名になり、いろんな楽器用に編曲されたものもある。
母さんの弾くシャコンヌを、CDで何度か聞いてみた。
正直、よくわからなかった。何か、細い刃先の上を渡り歩いてるような緊張感がある
一つの主題から3つの変奏でもりあがり、最初のテーマにもどる。
バイオリンは、4つの弦のある楽器で、4つ同時に弾き続けることはできない。この曲を最初に僕が聞いた時、"母さんと後、誰が演奏してるの?”なんて、小学生のころ都築さんに聞いて、笑われたのを覚えている。そう、僕が小学生のころ、すでにCDを母は出していたんだ。
あれからもう10年たつったのに、まだこの曲に母さんは、弾きな直したい所でもできたのだろうか
試験も終わって2週間。僕は母さんの練習を聞いていて、少しだけわかってきた。
母さんは、自分のシャコンヌの演奏を、変えようとしてる。
それも、自分で弾いていた曲想とは反対のほうを目指してる。音色も違う方向だ。例えるなら、前はガラス細工だったのに、今は石造りの建物を目指してるかんじだ。難しい作業に熱中してるんだ。
僕の考えを母さんに聞くと、
”やっとわかってくれたのね。だから母さんにもっと練習時間を頂戴”だって。
それは出来ないよ。母さん。僕だってバッハをさらってる最中だ。時間が足りないくらいだ
その週の金曜日に、突然、釧路の繁之伯父一家がやってきた。
これから知床へ行くのだけど、一緒に行こうだって。あいかわらずのマイペース。
と、思ったら、祖父と打ち合わせての事だとか。もう僕と母さん、アリサさんの分の
宿泊予約もとってあるそうだ。すごいサプライズだ。まあ、2泊三日で、1日学校を休む事になるけど。
学校はいい。残念なのはは部活に出られないという事。
今は部活は、僕にとって、気の休まるただ一つの場になっていた。
もちろん、だらけているわけじゃない。部活で体を動かしてる間は、母さんの起す揉め事を忘れていられる。悩みも忘れられる。
伯父達は金曜の夜に来たので、知床出発は土曜日になるかな。
もちろん、僕もピアノを弾けないが、母さんもバイオリン持ち出し禁止になった。
なるほど、祖父は考えたんだ。少しでも楽器から離れたほうが、いいのではと。
ただ、母さんは行かないと言い張った。3日間、練習が出来ないのがつらいらしい。
まあ、バイオリン禁断症状がでるのか?
母さんの意見は無視だ。アリサさんがすばやく荷造りをし、僕は音楽室に鍵をかけた。
祖父は母さんの休養にと思ってるだろう。それに祖父母にも少し休養が必要だ。
ただ僕は、母さんの”新しいシャコンヌ”の出来上がりに、
この小旅行が少しでも役に立つってくれればと願う。
出発当日、天気は快晴。町は紅葉まっさかりだけど、知床のほうはどうだろう。
練習出来ない禁断症状で苦しむだろう母さんを横目に、僕は少しウキウキしながらドキドキしてる。
母親と旅行するだなんて、高校生男子には苦行以外のなんでもないだろうけどね。
母と旅行する僕をマザコンを呼んでくれてもいいよ。
ただ、母さんが起すだろうトラブルを想定出来ない。楽器を練習しないと母はどうなるのだろう?
母が、突然、"帰る”って行動にでたらやっかいかも。超絶方向音痴の母に、知床で迷子に
なられたら、僕らはお手上げかもしれない。これは注意が必要か。
僕は繁之伯父に母の行動について注意してほしいと頼んだ。伯父は祖父からも頼まれたそうだ。
僕は”息子”というより"春香さんのマネージャー”っぽくなってきたかも。
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