心の平穏
赤ちゃんの幽霊の鳴き声で、レッスンが上手くいかなかった主人公・裕一。
いろいろ考えた末に、ある事を試してみる
東京の師匠・西先生からの電話の内容は、僕の予想通りだった。
八重子先生の赤ちゃんは、本当に突然、具合が悪くなってそのまま死亡。
その時、八重子先生は、演奏会がこれから始まるって時で行けなかったそうだ。
(演奏会をキャンセルするとその分、払い戻しが大変って事は僕にもわかる。まして室内楽といえば、他のメンバーの事もあるし)
八重子先生は、後悔と自責の念で、精神的にかなり参ったそうだ。
その後も、情緒不安定状態が続き、演奏活動を止め自分の故郷にご主人と帰ったが、
ピアノも弾けない状態だったそうだ。
(弾くと、自分の赤ちゃんの事を思い出すのだすのかもしれない)
やっと、ここ2年ほど、落ち着いてきたそうで、東京の西師匠が、音楽を教える事で心のリハビリになればと、去年、生徒を紹介。いろいろあったらしいけど、その生徒は、めでたく大学に合格。
八重子先生は、本格的にピアノ教師になる決心をしたそうだ。
僕の時は、もう行く前から先生は具合が悪そうだった。
あの時、強引にでもレッスンを断っていればよかったかな。
八重子先生との初回レッスンの報告もついでにした。
僕が緊張して上手く弾けなかった事も。(本当は違う理由だけど)
もちろん、先生が具合が悪そうだった。とは言ったけど。
2週間後のレッスンまでに何か方法を考えないと。
何も思いつかないまま夕方に。
居間に行くと、台所で祖母が夕食の仕度をする所だった。
「だめだよ。まだ無理しないで、ばあちゃん」僕があわてて祖母をとめた。
「もう、大丈夫だよ。あの熱は、赤子にあてられたのと、旅行疲れだから」
祖母は、完全復調かな。気分がいいのか、顔がいきいきしてる。僕は安心した。
僕は、ばあちゃんの手伝いをしながら考えた。
赤ん坊は八重子先生の気分に左右されてるのかも。で、赤ん坊の気分に親も影響される。
それじゃ、どうしようもないんじゃ・・・とりあえず、先生の気分を平穏になるように
仕向けたらどうだろう?
東京の西師匠から聞いた話を祖母に話して、僕の先生への考えを言ってみた。
祖母はちょっと難しい顔をした。
「そうかい・・・自分が演奏会などせずに家にいれば、子供の異常を発見する事が出来たかも、って思ってるかもしれない。そうだったら、もう生涯の負い目になってしまうね。心の病がまた出てきたか、それともあかちゃんの負のオーラの影響が、ここにきてに出てきたか」
そんな八重子先生に心の平穏をとりもどす、僕なんかが出来ることは、・・・ないかもしれないが。
悩んでるうちに、レッスン当日。練習はしっかりしてきたけど。
(音楽室で、ロックを大音響でかけて、フーガを練習してみたりした)
家に行くと、先生は、また具合悪そうだ。赤ん坊の幽霊は元気に泣いてるが。
僕は、そういえば、赤ん坊の名前を知らなかったので、聞いた。
「隼人 っていうのよ。元気な男の子になって欲しくてね。生まれた時、未熟児だったから。名前は強そうにって」先生は、そう話すと哀しげに隼人君の写真を見た。
名前には由来や親の思いがあるんだな。そういえば僕は知らない。自分の名前の由来を。
僕は八重子先生の事情を知っているけど、先生は僕の事を知らない。、それってフェアじゃないよね。
僕は、僕の事をかいつまんで打ち明けた。
”父が指揮者で母がバイオリニスト。両親とも演奏旅行で、僕は物心つく前から、祖父母の家のお手伝いさんと秘書に育てられたようなものだって。”自分の失敗もあらいざらい白状した。その事で先生が匙を投げるのだったら、それはそれだ。
驚いた事に、先生は、僕の事情どころか、両親の事も知らなかった
(東京の西師匠が、余計なプレッシャーにならないように、事情を伏せたのだろう)
先生は驚いていたけど、だからといって態度を急変させるような事はなかった。
僕は一人の生徒としてみてもらってるんだ。ありがたい。
先生は、僕の母の事を聞いてきた。似たような境遇だったからかな。
そこで僕は、寒い日に薄着でグランドで僕の練習を見学し、びしょぬれになり祖母に怒られた事、年上の父(指揮者)に、説教をしたこと。そして、母は母なりに、僕との事を悩んでるらしい事。
先生は、興味深げに聞いていた。
30分くらい話しをしてただろうか、その間、先生の具合は少しかはよくなったようだ。
隼人君も静かに話しを聞いてるようだ。
うん、少しわかってきた。先生に足りないのは、他の人との会話なんだ。
隼人君が逝ってしまい、哀しみのあまり家に篭もってしまったのかも。
親戚なり友達なりいただろうに、タイミングが悪かったのかな。
どうしたらいい?シマちゃん、わかる?先生の所の飼い猫に聞いてみた・・返事はないが
レッスンの残りの30分、何か、先生と話しの出来る曲を弾こう。
僕は、自分で暗譜で弾ける曲を弾きたいとお願いした。
曲は、ドビュッシーの「子供の領分」から「象の子守唄」。
隼人君に聞いてもらう為だと、先生に言った。でも、隼人はもう・・と言いかける先生に
僕の弾く曲を、きっと隼人君は天国で聴いてます。心をこめて弾きます。と返した。
隼人君は、そこにいるけどね。僕はこの手の嘘が上手くなった。




