音楽室の二人
僕には返せる言葉はない。父のいう事は事実だと一番自分がわかってる。
無言でピアノ室を出て、祖母の引き止める声も無視した。部屋に入ると布団を頭からかぶって寝た。起きたのは深夜だった。枕元にばあちゃんのお握り。
そういえば、夕食だよと起こされた記憶があるようなないような。
ばあちゃんのお握りをありがたく、ほうばりながら、思い立って音楽室に行ってみた。音楽室では、父がソファーで寝こけてた。傍にスコアがあって、見るとわけのわからん記号やら矢印だかが、書きたされていた。父は休暇も返上して勉強してる。母は、コンサート前には何キロだか痩せた。プロの演奏家になる道は、蜘蛛の糸のように細い。
その道をたどることが出来ても、絶え間ない努力が必要な世界。それでも僕は、憧れてやまないのだけどね。
ソファーの父に、2階から毛布を持ってきてかけた。
俊一伯父さんとの幻のようなデュオが、懐かしかった。
俊一伯父も、いろんな苦労したのかな。今の僕を見てきをもんでるのだろうか
音楽室に来たのは、へんな時間に起きて眠れなくなったから、難しい本でも読もうと思ったから。僕は
ショパンに関連する本を読んだ。
中学の時は、音楽史の勉強で習う事ぐらいしか勉強していない。ちょうど、練習曲と背景の説明という所を読む。
革命や別れの曲などの曲名はショパンがつけたものではないこと、バッハを敬愛していて、バッハを敬愛しえいた。全ての調での練習曲を作るつもりだった事。「革命」を作曲した時、ポーランドはロシアの進軍で、ワルシャワが陥落。ショパンは、身内の安否を気遣いつつ作曲したらしい事。
その時のショパンからの手紙や日記は情緒不安定が顕著だったそうだ。
へ~~と思ってるうちに寝てしまったらしい。ソファーでは父が、イスでは僕が寝てるのを見て、祖母は呆れたそうだ。
「裕一、起きなさい。学校に遅れるよ」僕はまだ半分寝てたらしい。
「いや、革命で、僕はフランスの学校へ。」と、寝ぼけて言ったそうだ。
裕一!!の祖母の声でやっと目が覚める。
あっと急がないと、ばあちゃんサンキュー。父はまだ寝てた。
学校につき、僕には数学以外、少しだけやさしいけど退屈な授業を受け、部活へ。
昨日の父の言葉はショックだったけど、日常は淡々と進んでいく。学校ではピアノの事は忘れられる。
部室で、佐々木先輩と桂田先輩が休部する事になった。両親の意向らしい。
桂田さんの友達の家で3人でオシャベリをしたりゲームをしたりして遊んでいたそうだ。そうしたかったなら、家族に話して、部を休めばよかったのに。両親に嘘をついた事が逆鱗にふれたか。
朝岡先輩は、腰が痛いの足首が痛いのと、ウダウダ言ってる。悪いけど自業自得だ。マッサージなら喜んでします というまじめな青野の言葉に、セクハラ親父と朝岡さんの言葉がかえってきた。まあ元気でよかった。山崎の怪我で落ち込んでたものな。朝岡先輩。
家に帰ると、母さんが父を怒ってる。父、なにやらかしたんだ?玄関を入ったところで足がとまった。
「雅之さん、あれほど言ったのに。ちゃんと睡眠時間とスコア読みなどの仕事の時間は、分けてください。体によくありません。この事は柿沢さんに、報告しておきます。」
父は、犬が耳をたらしてるようにショボンとしているのが、目に浮かぶ。
「それと、雅之、昨日、裕一に何を言ったんだい?昨日の裕一の様子は尋常じゃなかったよ。何もいわないけど、目が死んでいて体はこれから死ににいきますって感じだ。やっと最近、明るくなってきたのに」祖母がたたみかけた。。
「かあさん、でも、ピアノの事は、言わないと、裕一は立ち直れない。先にも進めない。」
ばあちゃんの言葉には強気だ。
「でもね、雅之さん。言い方って大事なのよ。あなたの事だから、途中経過とかもとばして、ズバリ言ったんでしょ?あなたの真意が伝わらないじゃない。」
え?父に”真意”なんてあったのか?昨日の父の言葉は事実だから仕方ないんじゃない。
そろそろ裕一が帰ってくるころだからの祖母の言葉に、盗み聞きをやめ、あわてて僕は、玄関の戸を開け閉めし、
「ただいま」と祖父のニッコリ顔を真似して居間へ。
「おかえりなさい」の皆の声が、涙がでるほど嬉しかった。
もちろん、僕は、平然とした顔をよそおったが。




