橋田参上
「お、上野、アケオメ」僕もあわててかえした。
「友達なんだってね。丁度よかった。橋田君の師匠から、彼の課題曲を
一度聞いてくれと、頼まれてね。一緒に聞いていきなさい」
橋田に、よろしくと言って、僕は控えの椅子に座った。
何か、クラっときたような。疲れかな。
「西師匠、よろしくお願いします。俺の先生、てんで認めてくれないし」
彼は、まず、バッハから、平均律2集1番を弾いた。
(うん?なにか、ここってこんなに、ゆらすんだっけ?って処が何個か)
ショパンのエチュードは、難曲「木枯らしのエチュード」だ。
すごい、テクニックで翻弄されそうだけど、情感たっぷりな分楽しい演奏
(でも、ちょっとやりすぎのような・・)
ベートーヴェンのソナタは、28番。僕がこの間、悩んでたやつだ。
その第3楽章。うん、きっと1,2楽章はいいのだろうけど、僕なら3楽章は
もっとカッチリ弾きたい。
「どうですか?西先生。僕の演奏、出来てるでしょ?」
先生は苦笑いしながら、”橋田君、君、やりすぎです”
橋田はその言葉に、残念なようだ。
「僕が、細かく口を出すのは差し控えるけど、自分で”やりすぎてる”って感覚はあるかい?」
橋田は西先生を睨むように見ながら、
「確かにバッハは、ちょっと今はハリキリすぎたかなと。上野もいるし。
テンションアガった。でも、ショパンはバッチリです。
三村先生が問題にしてるのは、ベートーヴェンのソナタです。
正直、どこが悪いかわからない」
橋田は自信家だけど、その様子は、若干、虚勢をはってるようだ。
28番は、僕も苦労したんだ。結局、仕上がらずに 僕が希望した21番にしたけど。
西師匠が、28番、3楽章をサラっと弾いた。
うんうん、このくらいでないと、かえって1,2楽章との対比が上手くでない。
聴くのは簡単。批評するのもさ。
と、突然、僕は指名された。裕一君、弾いて見なさいって・・
え?でもあれはまだ未完成です。と抵抗したが、結局、
3楽章を弾いた。未完成と自負するだけあって、ひどいもんだったけど、
それでも前よりかは曲想がスムーズに頭に入ってくる。
第九効果?
橋田は、うmmmとうなってるだけだ。
「橋田、僕もこの間までこの曲に挑戦してたけど、途中リタイアしたんだ。
この曲って、これまでとは別の難しさがあるみたいだ。曲中、地雷ばっかりだしさ」
「わかった。わかんないけど。。でも、僕はこの曲を受験曲にするって決めたし、
それより、裕一の受験曲も聞かせて欲しい」
いや、もう時間も遅いから先生に迷惑だし。
「いいでしょう。裕一君、今日のショパンのエチュードを聞かせてあげなさい」
師匠命令とあれば、、でも、集中力とぎれてるし、僕は10-4をなんとか
力を、絞り出して弾いた。
橋田は、ニヤっと勝ち誇った顔だ。こいつめ。
「まったく。二人を足して2で割るとちょうどいいかもですね」
はい、おっしゃる通りです。ショパンは今日はボロボロでした。
先生のお宅から出て帰る途中、橋田からも言われた。
「裕一、お前、痩せたんじゃないか?根のつめすぎか?
体力ないと、余裕もでてこないぞ。ソナタは、21番だっていうじゃないか。
あの曲、体力勝負の所があるから、もっと体力つけないと」
「そんなにヤセたかな・・うん。ありがとう。今日から食事、気を付けるよ」
帰りにデパートで、野菜でも買うか。それと おいしいお握りが食べたい。
ばあちゃんのお握りが、最高なんだけどな。
「ああそっか。お前、あの家で一人でいるのか。
お手伝いさんもいないって、いってたものな。」
「いや、わけあって、同級生が二人。男子3人の気楽さで食生活が適当だったかも」
とにかく食事の材料と思って、僕の扱えそうな野菜を かたっぱしから買った。
ブロッコリーはゆでるだけだし、ミニトマトなら洗うだけ。
いろいろ悩んでると、
「なんだ、野菜が食べたいんだ。俺にまかせろ。」
橋田はいろいろ野菜を勝手に買い物かごに入れてった。
橋田、ついて来たんだ。ってか、それに気がつかない僕はどうかしてる。
「今日、お前んちにおしかけ料理をする。そして、ピアノの練習を一緒にする。
そういうんで、どうか?俺、正直、28番で困ってるんだ」
料理も勉強もありがたい。山崎と脇坂には事後承諾になるけど、そこは料理で勘弁しておう。
あと、橋田の情報で、おいしいお握り専門店に行き、ゲット。
4人分だから、15個でいいな、って橋田の計算だ。どこからその計算、出るんだ?
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家にもどり、山崎に橋田を紹介。
「今日の料理人。野菜が必要といったら、料理してくれるそうだ。
でも、橋田、家はいいのか?あのお母さんは?」
「ああ、今、父親の所に戻ってる。俺はレッスンがあるから、東京にとどまったけど」
橋田の所、単身赴任だったっけ。
受験のためとはいえ、先生が東京にいるってのは、便利なような不便なような。
「山崎、お前、痩せたとかないか?今日は、西師匠にも橋田にも、
僕が痩せたと、心配された。一緒に暮らしてる山崎も痩せたんじゃないか」
山崎は、はあ?って顔でシゲシゲと僕を見て、
「本当だ。やばい。体重計のって計ってみろ。むしろ、俺は、太ったぞ。
ピザの食いすぎがまずったな」
やっぱり、僕は痩せていた。体重計にのったら3kg減ってた。
橋田の料理は、手の込んだものでなく、肉じゃがとかお浸しとか、
簡単で効率的に野菜がとれる料理ばかりだった。
お握りは、評判の店とあって 本当においしかったけど、さすがに15個は
多いんじゃないか?
途中で脇坂が帰ってきたので事情を説明。
橋田を 野菜の料理人 と紹介して、本人からどつかれた。
「ありがたい、自分でも体重を増やさないよう、気を付けていたんです。
体重といえば、裕一はヤセましたね。もっと炭水化物をとって」
「そうなんだ、僕、心配で。食べないじゃなく、食べられなくなってるのかなって、
で、心配してここまでついてきたわけ。」料理人兼母親役、ありがとう橋田。
そしてその夜は、お互い、悩みと愚痴の言い合い。
練習しては、お互いを批判しあい。橋田は一晩、泊まっていった。




