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八重子先生との最後のレッスン

「残念なお知らせ。12月はレッスンは、これで終わりになりました。」


八重子先生のそんな一言で始まったレッスン。

なんでも、里帰り出産するそうだ。(といっても先生の実家は同じ釧路市内)

本格的に冬になる前に(厳冬期は1,2月なんだ)、今は、簡単な引っ越しをしてる

最中。八重子先生とのレッスンは、これで最後となる。


レッスン、最初は、受験の曲に選んだ一つ、バッハの平均律集2集から5番。

堂々として明るい曲だ。僕は八重子先生を祝福でもするように思いをこめて弾いた。

前奏曲の最初が、華やかなラッパのファンファーレに聞こえるから。


思えば、最初の頃、レッスンは、先生の生後まもなく死んだあかちゃんの声で、うるさくて

ひどいものだった。僕はピアノを弾けば、この世のものでないものが

”見える”体質なんだけど、弾く前から声が聞こえたのは、初めてだった。

祖母は玄関外で、泣き声で具合が悪くなったほどだ。

八重子先生自身も、体調が思わしくなかった。

ちょっとしたきっかけで、先生が子守歌のようにピアノを弾き続けたおかげで

可哀想なあかちゃんの魂は、天へ帰っていった。


本格的な練習はそれからだったよな・・


「こら、裕一。フーガで考え事するんじゃない。別の曲に聞こえるじゃない

ここは、聖歌隊がクリスマスの歌を厳かに歌ってる感じでしょ」


おっと、つい感傷的になってしまった。

別の曲に聞こえたんだ。僕の心はピアノをとおせば丸見えなんだ。


次はエチュード。

「10-4を受験で弾きますけど。僕から先生へお祝いのエチュードを

弾かせて下さい」

僕は、25-1のエオリアンハープを弾いた。

どうか、赤ちゃんが生まれるまで、先生がこの曲の中にいるような、平穏で幸せな日々

がおくれますようにと。

この曲の別名は、”牧童”。春の草原のような曲だから。


「・・ありがとう。本当にありがとう。私は裕一君の弾いたこの曲を

大事に胸にしまっておく。いつでも取り出せるようにね」

八重子先生、目がウルウルしてる。

八重子先生に伝わったかな。僕の先生へのお祝いと感謝の心。


それから、シビアな練習に入った。

まずは10-4.左右のテクニックを披露する曲だけど、もっと抒情的に弾きたい。

そして、なおかつ、テンポは遅くならないで。


”そこのところ、もっとパンってはじける音ね。”

”徐々にクレッシェンドして、テンポ、気持ちは前のめり”

”左手のそこの所、重い。もっと軽く”


テクニック的にも、実はまだまだなのだ。

”自分は弾いてるつもりで弾けてない処がある”

それを心しないと。


次の曲、ベートーヴェンのソナタ ワルトシュタインは、自分でも恥ずかしく

なるくらい、まだ未熟だ。

この曲は、テクニックは完璧以上に弾けないとダメなんだと思う。

広がりもあり、交響曲のような響きもありの曲を、軽く弾いてます

って余裕でないと。


先生は、この曲は苦手なほうらしく、一緒に自分も弾きながら、

”この曲って、私は、ぴんとこなかったのよね。なんか偉そうっぽくて”

そう、ワルトシュタインっていう貴族に献呈された曲で、

献呈された人は きっとこの曲のように、ポジティブで度量が広く、時に機敏に

物事に対処する人だったのかもしれない。


レッスンが終わり、先生と紅茶タイム。

今までのお礼を改めてして、顔を上げると先生は泣き笑いしてた。

「裕一君がきてからは、主人も私もいいこと尽くし。

主人は、裕一君の叔父さん秘蔵の楽譜を、おおいに指導に役立たせてる。

私は体調もよくなるし・・それにね」

外は冷たい風が吹いているけど、中は先生の温かいオーラにみちてるようだ。


「もし、よかったら、赤ちゃん 生まれたらメールでもくれると

嬉しいです。僕は出来ませんが、父に ”八重子先生の赤ちゃんに献呈する曲”

を作ってもらいますから」

「あら、何よりのお祝い。曲を献呈されるなんて」


なごりはつきないけど、先生宅をあとにした。





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