エチュードと手の故障
9月の2回目の八重子先生のレッスンは、順調に進んだ。
ショパンのエチュード 25-10は、自分としては、精一杯の
演奏をした。まだ、自分の演奏に不満は残る。
もう少し、音を軽くしたい。軽々と弾いてるように テンポの変化や
ダイナミクス(音の強弱)を出したい。
でも、八重子先生は、OKを出してくれた。
「よく弾けてる。エチュードの技術的な部分は、受験生としてはクリア。
曲想は、まだ裕一君としては不満が残ってそうな顔だけど」
そんな顔してたんだ?僕。この間も山崎に自分でも意識してなかった気持ちを
言い当てられるし。ひょっとして感情がすぐ顔に出るタイプだったのかな。
「先生のおっしゃる通り、まだ、足りないです。オクターヴが続くけど、
僕は、もっと軽々と弾きたい。曲自体、重くなりがちだから」
「やっぱりね。でも、今の裕一君の技術力では、これが精いっぱいのはずです。
もちろん、練習をつめば出来るようになるでしょうけど。
このエチュードとしての練習目的はオクターヴを弾く事ですが、オクターヴは
手に過剰な負担がかかりますから。
すこしづつ練習を重ねていくしかないですよ」
そこは、西師匠にも注意された。
ピアノを練習しすぎて(もしくは誤った練習で)、手の故障・病気
になるピアニストは多い。
もっとも多いのは腱鞘炎か。僕はショパンのエチュード「革命」を、実力もないのに
速い速度で弾き、この腱鞘炎になりかけたうえに、スランプになり・・
八重子先生の話を聞いてて、僕はまた、脳内タイムトリップをしかけた。
「裕一君。中学校の時の失敗を思い出してるのかな?
もう、その事にひきづられるのは、やめましょう。
裕一君は、こうしてもう一度、ピアノの前に戻ってきたでしょ?
それでいいじゃない。」
レッスン中に、先生にこういう形で励まされるとは。
昔の事を思い出したのも、エチュード「革命」も課題としてだされるな と
それで、前のようになるのが不安なのかもしれない。
「先生、エチュード「革命」は、ショパンのエチュードの中では、難易度は
どのくらいなんでしょうか?」
さりげなく聞いたつもりが、先生は、ピンときたようだ。
「ははあ~。因縁のあるエチュードだからね。弾くのが不安?
ショパンのエチュードの難易度は、一律にはいえないのよ。
その人によって 得意な音形とか曲想とかあるでしょ?
裕一君が、この曲でつまづいたのは、左手の技術力にあうテンポで
弾かなかったこと。どんな曲でも同じことがいえるけど、実力にあった
テンポで最初は練習しないと。」
先生の話を僕は深くかみしめた。
ベートーヴェンのソナタ「告別」は、1,3楽章は上手く弾けた。
「ソナタのほうは、私がみる部分はこれでクリアしてる。
後は西師匠に仕上げをしてもらって。」
ヴァルトシュタイン(ソナタ21番)の1楽章も、八重子先生の所ではOK
八重子先生は、西師匠の指示で、僕の下稽古をしてもらってる形で、
基礎・基本的な事をみてもらっている。
ヴァルトシュタインも、西師匠のところでは、ボロボロに言われるだろう。
「西師匠からの連絡。ショパンのエチュードで、今までさらってきた曲の
総復習をするので、心しておくようにって。
くれぐれも、練習しすぎないようにって
それと、前回、時間がなくてできなかったけど、はい。自由曲のくじ引き
好きなのをひいてね」
ああ、そうだった。自由曲をきめるんだっけ。
レッスンはしないけど、弾いてくるようにって。
クジで、今回は、メンデルスゾーン「無言歌集」から2曲。
楽譜は家にあったけど、ほとんど手をつけてなかった曲集だった。
レッスンが終わり、先生に挨拶をして、わかった。
先生の顔がちょっと違うきがする。具合が悪いとかそんなんじゃなくて、
雰囲気が違う。悪い事じゃないのはわかる。
あれ?もしかしてって感じたけど、先生には言わなかった。




