八重子先生のレッスンと曲の解釈の違い
八重子先生とのレッスンは、今回はショパンのエチュードが
中心になった。
「しまった。そういえば、黒鍵の仕上げ忘れてたわよね。
そうでした。で、練習してきました?」
もちろんです。西師匠の所でガッチリ説教されましたし、
結局、エシュードだけで、家では3曲、練習したかな。
「黒鍵」を弾き始める。
リズムにのせて、指がダンスするように動くこの曲。
僕は、好きな曲なのに、ある時、最初の出だしが、
”じゃんけんしょ~あいこでしょう~♪”って聞こえてしまって。
はまった。左手のリズムなんだな。先生からは、音の粒は揃ってきました。
それ以上の解釈は、とりあえず、おいておいましょう との事。
同じ楽譜なのに、演奏者が違えば、テンポも違うし、時に別の曲に聞こえる。
僕レベルだと、ここまでなのだろう。
25-5のエチュードは、僕は旋律を綺麗に出したいと思って弾いた。
先生は、難しい顔をして、
「若干だけどね。右手の2の指で弾く音を、遠慮して弾いてない?
音の長さはOkだけど、そこは個性というか弾き方なのね。」
といって、そのまま黙ってしまった。
僕はもう一度、今度は意識的に右の2の指の音も、大きさは均等になるよう
弾いた。気まぐれなお嬢さんっぽい感じでて、こっちの弾き方もいいんだけど。
結論、持越し・・かな
譜読みの10-8は、まだ”音符を弾きました”段階で、先生も僕の演奏に
苦笑いだ。あからさまに練習不足だった。
次は間があくので、25-10の譜読みを課題で出された。
この曲って、オクターブ(左右とも)がすべてで、本当に練習曲だ。
「この曲は、あまり練習時間を長くしないで、ちゃんと休憩をいれてね
オクターブはただでさえ、手に負担がかかる練習だから」
ベートーヴェンのピアノソナタ22番のほうは、1楽章で
ひっかかった。
あまりにも、ノッペリしてるって、言われた。
「のどかで、私は好きなんだけどね。でも、ベートーヴェンはもっと
若々しく弾いたんじゃないかな。リズムをかっちりだして、もっとアップテンポで」
「2楽章が、速くでスケルツオなので、1楽章は逆にノンビリとゆったり
弾いた方が、バランスがいいかなと、思ったんですけど」
僕は、この曲の1楽章については、最初からこう弾きたかった。
田舎道を散歩してるような。
「それも一理あるけど、前の21番はワルトシュタインよ。あのダッダッダッダ
の激しいリズムの曲。当時だから騎兵隊でも押し寄せてくるような雰囲気。
で、後の23番は熱情。重低音の和音でffで弾いたり、単音を続けて緊張感
出したり、どっちも画期的。
その間の曲だから、それほど、ノンビリも弾かない方がいいと思うけど」
またもや、考えこませてしまった。
なにか申し訳ないような気がした。
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家で、ソナタを練習してると、ひさびさに父のチャチャが入った。
「なにそれ?その気の抜けたベートーヴェン。それだと作曲者が化けてでる」
僕が八重子先生の所でした意見をいうと、話を聞いて、即、却下された。
「そういうノンビリ雰囲気は、別の作曲家で挑戦したらいい。
ベートーヴェンの21番23番の時の心境を考えると、当然、八重子先生の
意見のほうが、正論だな。そこは、学んできた年数の差ってところかな」
父、曰く、交響曲「田園」も、今までのまさに”田園”のノンビリムードでなく、
今は、リズムにのって農民が躍るような曲風が主流らしい。
ベートーヴェンの研究が進んだ結果だという。
いつまでも、いろんな解釈がでて、その都度賛否両論があがる。
これがクラッシック音楽が長らくそのまま続いてる理由なのだろう。
元がいいから飽きがこない。作曲者がいないので、解釈が分かれる。
ついでに、ベートーベンは楽譜は悪筆で有名。
研究のしがいもあるだろう・・




