第6話 初めての胎動
それは、夏の夜の静寂の中で、突然訪れた。
私はベッドに横たわり、窓から差し込む月明かりを眺めていた。
カイド様は隣で規則正しい寝息を立てている。
ルカとリナは子供部屋でぐっすりと眠っているはずだ。
世界中が眠りについたような静けさの中で、私だけが目を覚ましていた。
つわりは落ち着いてきたけれど、お腹が少しずつ大きくなるにつれて、寝返りを打つのが難しくなり、夜中に目が覚めることが増えていたのだ。
(……眠れないわね)
私はそっとお腹に手を当てた。
少しだけ膨らんだ、温かい場所。
ここに、もう一つの命がある。
頭では分かっていても、まだどこか不思議な感覚だ。
その時。
ポコッ。
お腹の奥で、小さな泡が弾けるような感覚があった。
最初は、気のせいかと思った。
腸が動いた音かもしれない。
けれど。
ポコン。
今度は、はっきりと感じた。
内側から、誰かがノックをしているような、小さな衝撃。
「……あっ」
思わず声が出た。
心臓がドクリと大きく跳ねる。
胎動だ。
初めての、胎動。
「カイド様……」
私は隣で眠る夫の肩を揺すった。
起こすのは悪いと思ったけれど、この感動を一人で抱えきれなかった。
「……ん? どうした、エレナ」
カイド様が目を擦りながら身を起こす。
眠そうな声だが、すぐに私の異変に気づいたのか、表情が引き締まる。
「気分が悪いのか? 水か?」
「いいえ。……動いたんです」
「え?」
「赤ちゃんが、動いたんです」
私が告げると、カイド様は目を見開き、一瞬にして眠気が吹き飛んだようだった。
「本当か!?」
「ええ。……ほら、ここ」
私は彼の手を取り、自分のお腹に導いた。
カイド様の手は大きく、少し震えていた。
彼は息を止め、全神経を指先に集中させている。
シーンとした寝室に、秒針の音だけが響く。
ポコッ。
再び、小さな動きがあった。
カイド様の手の下で、確かに命が主張したのだ。
「……っ!」
カイド様が息を飲んだ。
その顔が、驚きと感動でくしゃりと歪む。
「動いた……。本当に、動いたぞ」
彼は信じられないというように、自分のお腹に置いた手を見つめ、そして私を見た。
その瞳は潤んでいて、月明かりを受けてキラキラと輝いている。
「生きているんだな。……ここに」
「ええ。元気な子みたいですよ」
私が微笑むと、カイド様は嬉しそうに笑い、そしてそっとお腹に頬を寄せた。
「おい、聞こえるか。パパだぞ」
不器用な呼びかけ。
お腹の赤ちゃんにはまだ聞こえていないかもしれないけれど、その声の振動は伝わったのか、またポコポコと動き出した。
「おっ、返事をしたぞ! 賢い子だ!」
親馬鹿全開のカイド様に、私は思わず噴き出した。
氷の辺境伯が、夜中にパジャマ姿で妻のお腹に話しかけている。
誰かに見られたら威厳も何もあったものではないけれど、私にとっては世界で一番愛おしい光景だ。
翌朝。
朝食の席で、カイド様は興奮気味に昨夜の出来事を子供たちに話した。
「本当に動いたんだ。ポコッとな」
「えーっ! パパだけずるい!」
ルカが身を乗り出す。
リナもスプーンを持ったまま目を丸くしている。
「リナもさわりたい!」
「もちろん。朝食が終わったら、みんなで触ってみよう」
私が提案すると、二人は猛スピードでパンケーキを平らげた。
食後のサロン。
私はソファに座り、子供たちが来るのを待った。
二人は手を洗い、汚れていないか確認し合ってから、恭しく私のお腹の前に整列した。
まるで儀式のようだ。
「……いい?」
ルカが緊張した面持ちで聞く。
「どうぞ。優しくね」
ルカとリナが、それぞれ左右からお腹に手を当てた。
小さくて温かい手。
二人は息を潜め、じっと待つ。
……シーン。
赤ちゃんは、気まぐれだ。
さっきまでは元気に動いていたのに、今は静まり返っている。
「……うごかないね」
リナが残念そうに呟く。
「寝ちゃったのかな」
ルカも肩を落とす。
子供たちの期待を裏切りたくなくて、私はお腹を優しく撫でた。
「ねえ、お兄ちゃんとお姉ちゃんが会いに来てくれたわよ。挨拶してあげて」
お腹の中の子に話しかける。
すると、まるで言葉が通じたかのように。
ドンッ!
今までで一番大きな衝撃が走った。
元気なキックだ。
「わぁっ!!」
子供たちが同時に声を上げ、飛び上がった。
「いま! いま、蹴った!」
「すごーい! 元気だね!」
二人の顔がパッと輝く。
驚きと、喜びと、そして「生命」に触れた感動。
その純粋な反応を見ているだけで、私は涙が出そうになった。
「僕の声、聞こえたのかな」
ルカがお腹に顔を近づける。
「おーい! お兄ちゃんだよ! 早く出ておいで!」
「リナおねえちゃんだよー! いっしょにあそぼうね!」
お腹に向かって話しかける二人。
その声に応えるように、赤ちゃんはポコポコと動き続ける。
まるで、家族の会話に参加しているようだ。
カイド様が私の肩を抱き、その光景を愛おしそうに見つめている。
「……賑やかになりそうだな」
「ええ。きっと、お転婆か、わんぱくな子ですよ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
初めての胎動。
それは、新しい家族の存在を、確かに実感した瞬間だった。
まだ見ぬその子は、もうすでにこの家の一員として、みんなに愛され、待ち望まれている。
私はお腹の膨らみを撫でながら、心の中で誓った。
この幸せな光景を、ずっと守り続けていこう。
生まれてくるあなたが、いつかこの日のことを知って、愛されていたことを誇りに思えるように。
窓の外では、夏の日差しが眩しく輝いていた。
季節は巡り、秋が来る頃には、この腕の中に新しい命がいるはずだ。
その日を夢見て、私たちは今日も笑い合う。
陽だまりのような、温かい愛の中で。




