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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第5章

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第3話 ママのお腹



 窓の外では、夏の日差しが木々の緑を鮮やかに照らしている。

 本来なら、ピクニックにでも出かけたくなるような快晴だ。

 けれど今の私には、そんな眩しささえも少し辛かった。


「……うっ」


 私はベッドから起き上がろうとして、すぐにまた横になった。

 世界がぐるりと回るような感覚と、胃の奥からこみ上げてくる不快感。

 つわりだ。

 妊娠初期は軽く済んでいたのに、ここ数日で急激に症状が重くなっていた。


「奥様、大丈夫でございますか」


 枕元には、心配そうな顔をしたメイド――かつてマーサの横暴に耐えていた、古株の若い娘だ――が控えている。

 彼女の手には、レモン水を浸したタオルが握られていた。


「ええ、ありがとう。……少し、休めば治まるわ」


 冷たいタオルで額を拭ってもらうと、少しだけ気分が楽になる。

 けれど、体のだるさは消えない。

 何も食べたくないし、匂いを嗅ぐだけで吐き気がする。

 これが「母になるための試練」だと言われても、正直なところ逃げ出したい気分だった。


 コンコン。

 控えめなノックの音がして、扉が少しだけ開いた。


「ママ……?」


 小さな声。

 ルカとリナだ。

 二人は扉の隙間から顔を覗かせ、不安そうに私を見ている。


「お勉強は終わったの?」


 私が弱々しく微笑むと、二人はおずおずと入ってきた。


「うん、おわったよ。……ソフィア先生が、ママぐあいわるいから、しずかにしてなさいって」


 ルカが私のベッドサイドまで来て、心配そうに顔を覗き込む。


「ママ、だいじょうぶ? どこかいたいの?」


「ううん、痛くないのよ。ただ、少し気持ちが悪いだけ」


「アカチャン、元気ないの?」


 リナが涙目で聞く。

 子供たちにとって、私が寝込んでいる姿はショッキングなのだろう。

 今までどんな時でも、私は二人の前では元気な母親でいようとしていたから。


「赤ちゃんは元気よ。……元気すぎて、ママに『休んでてね』って言ってるのかも」


 私が冗談めかして言うと、二人は少しだけ安心したようだ。

 けれど、まだ心配の色は消えない。


「ママ、なにかたべる?」

「リナ、プリンもってるよ。あまいよ?」


 リナが大事そうに抱えていた小瓶を差し出す。

 おやつのプリンを、私のために残しておいてくれたのだ。

 その健気さに胸が温かくなる。

 でも、今の私には甘い匂いさえも辛かった。


「ありがとう、リナ様。でも、今は食べられないの。ごめんね」


「そっか……」


 リナがしゅんと肩を落とす。

 その姿を見て、ルカが何かを決意したように顔を上げた。


「ママ、待ってて。僕たちが、元気になるお薬もってくる!」


「え?」


「行こう、リナ! アレンに聞いてみよう!」


 ルカがリナの手を引き、二人はパタパタと部屋を出て行ってしまった。

 止める間もなかった。

 お薬なんて、アレンが持っているわけがないのに。


「……あの子たち、大丈夫かしら」


「ご安心ください。屋敷の中ですし、ソフィア先生もついておられます」


 メイドが優しく言ってくれた。

 そうね。過保護になるのは私の悪い癖だ。

 あの子たちは、自分たちなりに考えて行動しようとしている。

 その気持ちを信じてあげなくては。


 しばらくして、廊下から再び足音が聞こえてきた。

 今度は、少し重い足音も混じっている。


「失礼します」


 扉が開き、カイド様が入ってきた。

 その両手には、ルカとリナが抱えられている。

 そして、その後ろには困った顔をしたアレンがいた。


「カイド様……お仕事は?」


「早退してきた。……アレンから、子供たちが『ママを治す薬を探して庭を掘り返そうとしている』と聞いてな」


 カイド様が苦笑しながら、二人を下ろす。

 ルカの手には泥だらけのスコップが、リナの手には摘みたての薬草(ただの雑草だが)が握られていた。


「だって、本にかいてあったんだもん! もりの奥には、万能薬があるって!」


 ルカが必死に弁解する。

 どうやら物語の本を真に受けて、庭の植え込みを探検しようとしたらしい。


「気持ちは嬉しいけど、危ないことはしちゃだめよ」


 私が諭すと、二人はしょんぼりと俯いた。


「ごめんなさい……。ママに、元気になってほしくて……」


「僕たちが、なにもできないのが、くやしくて……」


 ルカが唇を噛む。

 無力感。

 それは、かつてカイド様が抱いていた感情と同じだ。

 大切な人が苦しんでいるのに、代わってあげることも、治してあげることもできない。

 そのもどかしさが、小さな胸を痛めているのだ。


 カイド様が、二人の頭に大きな手を置いた。


「何もできないなんてことはないぞ」


 低い、落ち着いた声。


「ママは今、戦っているんだ。……新しい命を守るために」


「たたかってるの?」


「ああ。剣や魔法ではないが、命がけの戦いだ。……だから、俺たちにできることは、ママが安心して戦えるように支えることだ」


 カイド様は私の隣に座り、汗ばんだ額を拭ってくれた。


「静かに見守ることも、応援することも、立派な手助けだ。……薬草を探すよりも、ママの手を握ってあげるほうが、ずっと薬になる」


 その言葉に、ルカとリナは顔を見合わせた。

 そして、泥だらけの手を服でゴシゴシと拭いてから、そっとベッドに近づいた。


「……ママ、手、にぎっていい?」


「もちろんよ」


 私が手を差し出すと、二人は左右から私の手を握りしめた。

 小さくて、温かい手。

 土の匂いがするけれど、それが今の私には何よりも心地よかった。


「がんばれ、ママ」

「アカチャンも、がんばれ」


 二人の声援が、心に沁みる。

 不思議なことに、あれほど酷かった吐き気が、すっと引いていくような気がした。

 これが「手当て」というものなのだろうか。


「ありがとう。……すごく、楽になったわ」


 私が微笑むと、二人はパッと顔を輝かせた。


「ほんとう!? やったあ!」

「ママの手、あったかい!」


 カイド様も、愛おしそうに私たちを見つめている。

 彼の手が、私の足元に置かれ、優しくマッサージを始めた。

 血行を良くするためだと、本で読んだのだろう。

 その不器用な優しさが、今は何よりも頼もしい。


「……俺たちはチームだ。辛い時は、分け合えばいい」


 カイド様が言った。

 そう。

 かつては孤独だった私たちだけれど、今は違う。

 苦しみも、痛みも、喜びも。

 すべてを分かち合える家族がいる。


 私はお腹の中の子供に語りかけた。

 聞こえるかしら。

 あなたのお兄ちゃんとお姉ちゃんは、こんなに頼もしいのよ。

 そして、パパはこんなに優しいの。

 だから、安心して育ちなさい。


 窓の外から、夕方の鐘の音が聞こえてきた。

 屋敷は穏やかな夕暮れに包まれている。

 つわりの辛さはまだ続くだろうけれど、もう怖くはない。

 私には、世界最強の「看病チーム」がついているのだから。


 私はカイド様と子供たちの温もりに包まれながら、静かに目を閉じた。

 吐き気ではなく、幸福感で胸がいっぱいになるのを、感じていた。


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