第8話 凱旋のラッパ
空が白み始めると同時に、屋敷を包んでいた喧騒は嘘のように静まり返った。
庭には無数の魔獣の死骸が転がり、黒い血が芝生を汚している。
それは凄惨な光景だったけれど、私たちにとっては勝利の証だった。
生き残った騎士たちが、疲労困憊の体を引きずりながらも、互いの無事を確かめ合っている。
「……終わった」
私はエントランスの階段に座り込み、深く息を吐いた。
緊張が解けた途端、全身の力が抜けていく。
隣ではカイド様が、泥と血に汚れたマントを脱ぎ捨てていた。
「怪我は、ないか」
彼が私を見下ろし、心配そうに尋ねる。
その顔には無数の擦り傷があり、鎧の一部は砕けている。
満身創痍なのは、どう見ても彼の方だ。
「ええ、私は無事です。……セバスチャンやアレンが守ってくれましたから」
私が答えると、カイド様は安堵したように目を細め、そして視線を庭の隅へと向けた。
そこでは、避難していた子供たちが、恐る恐る地下から出てくるところだった。
「パパ!」
ルカの声が響く。
彼はリナの手を引き、一直線にカイド様のもとへ駆けてきた。
その目には涙が溢れているが、顔は笑顔だ。
「ルカ、リナ」
カイド様は膝を突き、両手を広げた。
二人がその胸に飛び込む。
泥だらけの鎧など気にもせず、子供たちは父親に縋り付いた。
「よかった……パパ、しんじゃったかとおもった……!」
「こわかったよぉ……!」
「すまない。……遅くなったな」
カイド様は二人を力強く抱きしめ、その頭を大きな手で撫で続けた。
その光景を見て、周囲の騎士たちや使用人たちも、涙ぐみながら微笑んでいる。
その時。
パァーッ、パパパパーッ!
高らかなラッパの音が、朝霧を切り裂いて響き渡った。
「これは……」
アレンが顔を上げ、屋敷の正門の方角を見た。
そこには、朝日に照らされた騎士団の本隊が、整然と隊列を組んで帰還してくる姿があった。
先頭には、カイド様の旗印――銀の狼が描かれた旗が翻っている。
「本隊だ! 本隊が戻ってきたぞ!」
誰かが叫んだ。
歓声が沸き起こる。
カイド様が先行して屋敷の危機を救ってくれたが、残りの部隊も魔獣の残党を掃討し、無事に帰還したのだ。
「全軍、帰還いたしました!」
副官の一人が駆け寄り、カイド様に敬礼する。
その顔は疲労に満ちていたが、誇らしげだった。
「報告します。北の森の魔獣は、ほぼ壊滅状態です。……我々の勝利です!」
「うおおおお!」
騎士たちが兜を投げ上げ、歓喜の雄叫びを上げる。
避難していた領民たちも駆けつけ、口々に感謝の言葉を叫んでいる。
それは、長い恐怖の夜が終わり、本当の朝が来たことを告げる凱旋の歌だった。
「……よくやった」
カイド様が立ち上がり、騎士たちに向けて拳を掲げた。
「お前たちの勇気が、この領地を守ったのだ。……胸を張れ!」
ワッと歓声が大きくなる。
その熱気の中で、私は静かにカイド様を見上げた。
彼は英雄だ。
領民を守り、部下を鼓舞し、そして家族のもとへ帰ってきた最強の騎士。
けれど、私にとっては、ただ一人の愛する夫だ。
「カイド様」
私が呼ぶと、彼は振り返り、照れくさそうに頬を掻いた。
「……かっこつかない姿を見せてしまったな」
「いいえ。世界で一番、かっこよかったですよ」
私がハンカチで彼の頬の汚れを拭うと、彼は嬉しそうに目を細めた。
「……ただいま、エレナ」
「おかえりなさい、あなた」
私たちは自然と寄り添い、互いの温もりを確かめ合った。
もう離さない。
二度と、こんな思いはさせない。
その決意が、言葉にしなくても伝わってくる。
「さて、忙しくなるぞ」
カイド様が気持ちを切り替えるように言った。
「怪我人の手当て、屋敷の修復、領民のケア……やることは山積みだ」
「ええ。でも、大丈夫です」
私はルカとリナを見た。
二人は今、避難してきた子供たちに囲まれ、「うちのパパ、すごいでしょ!」と自慢している。
その姿を見れば、どんな疲れも吹き飛んでしまう。
「私たちには、最強の応援団がついていますから」
「……違いない」
カイド様も笑った。
その笑顔は、朝日よりも眩しく、そして力強かった。
凱旋のラッパは鳴り止まない。
それは戦いの終わりを告げると同時に、私たちの新しい日常の始まりを告げているようだった。
傷ついた屋敷も、荒れた庭も、きっとすぐに元通りになる。
いや、今まで以上に美しい場所になるはずだ。
だって、ここには「愛」という最強の魔法がかかっているのだから。
私は空を見上げた。
赤く染まっていた不吉な空は消え、澄み渡るような青空が広がっている。
その下で、私たちは歩き出した。
手を取り合い、未来へと続く道を。




