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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第1章

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第3話 秘密の改革


 私は腕まくりをして、厨房から勝ち取ってきた戦利品の入った籠をテーブルに置いた。


 子供部屋には、パチパチと薪が爆ぜる音が響いている。

 脅しが効いたのか、メイドたちは不服そうな顔をしながらも、薪と毛布だけは運んできたのだ。

 おかげで、冷蔵庫のようだった部屋の空気は、少しずつ緩み始めていた。


「さて、始めましょうか」


 私は籠の中から、小麦粉、卵、牛乳、そして貴重な砂糖と蜂蜜を取り出した。

 厨房での戦いは熾烈だった。

 料理長は「子供様方に甘い菓子など不要」と頑として譲らなかったけれど、「旦那様に直訴します」という私の切り札は最強だった。

 しぶしぶ渡された食材と調理道具一式。

 フライパンと、簡易コンロ代わりの魔石台もある。


 振り返ると、部屋の隅にあるソファで、二人の子供が身を寄せ合っていた。

 ルカとリナ。

 五歳の双子は、まだ警戒心を解いていない。

 まるで猛獣でも見るような目で、私の一挙手一投足を見張っている。


「……なに、するの?」


 リナがおずおずと尋ねてきた。

 ルカがすかさず、「話しかけちゃだめだ」と妹の腕を引く。

 その必死な様子に、胸が少し痛む。

 大人は敵。そう刷り込まれてしまっているのだ。


「美味しいものを作るのよ。魔法みたいにね」


 私はボウルに卵を割り入れ、泡立て器でカチャカチャと混ぜ始めた。

 リズミカルな音。

 子供たちの視線が、私の手元に釘付けになる。


 牛乳を入れ、砂糖を加え、振るった小麦粉をさっくりと混ぜる。

 前世の保育園で、おやつ作り体験をした時のことを思い出す。

 子供たちはみんな、ボウルの中の変化に興味津々だった。


「見ててね」


 熱したフライパンにバターを落とす。

 ジュワッという音と共に、芳醇な香りが部屋中に広がった。

 そこへ生地をお玉一杯分、丸く流し込む。


 甘く、香ばしい匂いが立ち上る。

 幸せの匂いだ。


 グゥ……。


 可愛らしい音が響いた。

 リナが顔を赤くして、自分のお腹を押さえている。

 ルカも気まずそうに視線を逸らしたが、喉がゴクリと鳴るのが見えた。

 あの冷たいスープには手を付けていないのだから、空腹は限界のはずだ。


「はい、焼き上がり」


 きつね色に焼けたパンケーキを三枚、皿に載せる。

 仕上げに蜂蜜をたっぷりとかけ、ナイフで一口大に切り分けた。


 私は皿を持って、二人の近くのローテーブルに移動した。

 床に座り込み、目線の高さを合わせる。


「どうぞ。熱いうちに召し上がれ」


 フォークを差し出すが、ルカが動かない。

 彼はじっとパンケーキを見つめ、それから私を睨んだ。


「……毒が入ってるかもしれない」


 五歳児の口から出る言葉とは思えなかった。

 貴族社会の闇を感じてゾッとするが、私は表情を崩さなかった。

 信頼を得るには、行動で示すしかない。


「そうね。用心深いのはいいことよ、ルカ様」


 私は自分用の一切れをフォークで刺し、口に運んだ。

 ふわふわの食感と、蜂蜜の甘さが広がる。

 最高だ。久しぶりのまともな食事に、私自身の頬が緩む。


「んー、美味しい! 毒なんて入ってないわ。ほら」


 私は口を開けて見せ、ごっくんと飲み込んだ。

 それから、二人にニッコリと微笑みかける。


「私の勝ちね。こんなに美味しいものを独り占めできちゃうなんて」


 その言葉が決定打だった。

 リナが我慢できずに飛び出してきた。


「たべる!」


「あ、リナ!」


 ルカの制止も聞かず、リナは私の差し出したフォークに齧り付いた。

 瞬間、彼女の青い瞳が見開かれる。


「……あまい」

「でしょう?」

「ふわふわ……あったかい……」


 リナの目に涙が浮かんだ。

 よほど美味しかったのか、それとも温かい食事が久しぶりだったのか。

 彼女は夢中で次の一切れをねだった。


 その様子を見て、ルカもおずおずと近づいてきた。

 私は新しいフォークを彼に手渡した。


「ルカ様もどうぞ。男の子だから、もっとたくさん食べないと大きくなれないわよ」


 ルカは警戒しつつも、小さな口でパンケーキを頬張った。

 咀嚼するたびに、強張っていた表情筋が緩んでいくのがわかる。

 美味しいものは、どんな言葉よりも雄弁だ。


 あっという間に、三枚のパンケーキは二人の胃袋に消えた。

 私はさらに追加で焼き続け、二人が満腹で動けなくなるまで食べさせた。


 食後の温かい紅茶(もちろん子供用に薄めて砂糖を入れたもの)を飲みながら、リナがほうっと息をつく。


「おいしかった……」

「それはよかったわ」


 さて、ここからが本番だ。

 お腹が満たされれば、次は心を満たさなければならない。

 保育士スキル、第二ラウンドの開始だ。


 私は籠の底から、厨房で貰ってきた「紙」を取り出した。

 食材の包装に使われていた厚手の紙や、使用済みの裏紙だ。

 この世界には玩具屋なんてものはないし、あったとしてもこの部屋には一つもない。

 積み木はいくつか転がっているが、塗装も剥げてボロボロだ。


「ねえ、これで遊ばない?」


 私は正方形に切った紙を手に取った。


「かみ?」

「そう。魔法で生き物に変えるの」


 私は手早く指先を動かした。

 山折り、谷折り、袋折り。

 前世で何千回と折った記憶が指先に染み付いている。


「はい、カエルさん」


 完成した緑色の紙のカエルを、テーブルの上に置く。

 そしてお尻の部分を指で弾くと、ピョンと跳ねた。


「わあ!」


 リナが歓声を上げた。

 ルカも身を乗り出して見つめている。


「すごーい! うごいた!」

「ふふ、こっちには鶴さんもいるわよ。羽を引っ張ると……ほら、パタパタ」


 動く折り紙は、娯楽の少ないこの世界の子供たちにとって、本物の魔法のように見えたらしい。

 二人の瞳がキラキラと輝き始めた。

 さっきまでの、光のない死んだような瞳とは大違いだ。


「わたしもやる! やりたい!」

「僕も……やり方を教えてくれるなら、やってやってもいい」


 ルカの素直じゃない言い回しに、思わず吹き出しそうになる。

 私は二人の間に座り、手を取って折り方を教え始めた。


「ここはこうして、角と角を合わせるの。そう、上手よリナ様」

「むずかしい……」

「ルカ様は器用ね。指先が綺麗だわ」


 褒めると、ルカの耳が少し赤くなった。

 この子たちは、褒められた経験がほとんどないのだろう。

 「厳しく躾ける」という名目で、否定され、放置されてきたのだ。


 私たちは夢中で紙を折り続けた。

 テーブルの上は、いつの間にか紙の動物園になっていた。

 カエル、鶴、兜、紙飛行機。


 ルカが作った少し歪な紙飛行機が、暖炉の風に乗ってふわリと舞った時、彼が初めて声を上げて笑った。


「飛んだ! リナ、見てろ、僕のが一番飛ぶぞ」

「ずるい! リナのも飛ばす!」


 キャッキャとはしゃぐ声が、冷たかった子供部屋に響く。

 その光景を見て、私は目頭が熱くなるのを感じた。


 これが、本来あるべき姿だ。

 子供は笑って、遊んで、食べて、眠るのが仕事だ。

 大人の都合や家の事情なんて関係ない。


 ふと、扉の方に気配を感じて視線を向けた。

 わずかに開いた隙間から、誰かが覗いていた気がした。

 メイドだろうか?

 監視に来たのなら、せいぜい報告すればいい。

 「奥様が紙屑で遊んでいました」と。


 しばらくして、遊び疲れた二人は大きな欠伸をした。

 満腹と暖かさ、そして適度な興奮。

 睡魔には勝てない。


 私は二人をベッドへ誘導した。

 真新しい毛布――これも脅し取ってきたものだ――を掛けてやり、トントンと背中を叩く。


「……えれな」


 半分夢の中にいるリナが、私の袖を掴んだ。


「あしたも、ぱんけーき、つくる?」


「ええ。作ってあげる。折り紙ももっと教えてあげるわ」


「……ん……やくそく……」


 リナは安心したように目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。

 ルカも必死に起きていようとしていたが、私のリズム良い背中トントンには抗えず、やがて静かに寝入った。


 二人の寝顔は天使のようだった。

 警戒心のない、無防備な寝顔。

 今日一日で、ほんの少しだけ距離が縮まった気がする。


 私はベッドの脇に座り込み、小さな手をそっと握った。

 冷たかった手が、今はポカポカと温かい。


「絶対に守るからね」


 誰に聞かせるでもなく、私は呟いた。

 この子たちの笑顔を守るためなら、私は悪女にでも鬼にでもなってやる。


 たとえ相手が、この屋敷の主である「氷の辺境伯」だとしても。

 初日以来まだ見ぬ夫、カイド・ヴォルグ。

 彼がこの状況を知ってどう出るか。

 敵となるか、それとも……。


 私は二人の寝息を聞きながら、明日からの戦いに備えて静かに闘志を燃やしていた。

 まずはこの子供部屋を、屋敷の中で一番居心地の良い場所に改造しなくては。

 私の「秘密の改革」は、まだ始まったばかりだ。


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