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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第3章

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第2話 旅立ちの準備



「奥様、こちらの生地はいかがでしょうか。王都で流行している最新のシルクでございます」


 領内で最も腕が良いと評判の仕立て屋が、恭しい手つきで鮮やかな青色の布を広げた。

 窓から差し込む陽射しを受けて、生地は水面のように艶めいている。


「素敵ね。でも、少し派手すぎるかしら」


 私は布の感触を確かめながら、眉を寄せた。

 王都行きが決まってからというもの、屋敷の中は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 特にセバスチャンは「ヴォルグ家の威信にかけて、完璧な準備を整えねばなりません」と張り切り、領内中から商人や職人を呼び寄せている。


 応接間は、色とりどりのドレスや宝飾品、子供用の礼服で埋め尽くされていた。


「いえ、決してそのようなことはございません。奥様のプラチナブロンドには、これくらい鮮やかな色がよく映えます」


 仕立て屋が熱弁を振るう。

 商売っ気もあるだろうが、その目は真剣だ。

 彼らにとっても、辺境伯一家の王都入りは一大事なのだ。

 「田舎者」と侮られないよう、最高の技術で送り出そうとしてくれている。


「ママ、みて! リナ、おひめさまみたい?」


 視線を下ろすと、薄桃色のドレスを着たリナが、くるりと回って見せた。

 フリルとレースがあしらわれた可愛らしいデザインだが、子供の動きを妨げないよう丁寧に仕立てられている。


「ええ、とっても可愛いわ。本当にお姫様みたい」


 私が屈んで頭を撫でると、リナはきゃっきゃと嬉しそうな声を上げた。

 その隣では、ルカが濃紺のジャケットに身を包み、緊張した面持ちで鏡を見ている。

 小さな蝶ネクタイが、背伸びした少年の愛らしさを引き立てていた。


「ルカ様も素敵よ。立派な紳士に見えるわ」


「ほんとう? ……パパみたいに、かっこいい?」


 ルカが期待に満ちた瞳で私を見上げる。

 最近の彼にとって、カイド様は絶対的なヒーローであり、憧れの対象だ。

 かつて恐怖していた相手と同じような服を着られることが、誇らしくてたまらないらしい。


「ああ、かっこいいぞ。俺よりもな」


 背後から低い声がかかり、ルカがパッと顔を輝かせた。

 カイド様が執務の合間を縫って様子を見に来たのだ。

 彼もまた、王都での式典用に新調した礼服――ヴォルグ家の紋章が入った漆黒の正装に身を包んでいる。


「パパ!」


 二人が駆け寄り、カイド様の足元にまとわりつく。

 カイド様は相好を崩し、ひょいとリナを抱き上げた。


「よく似合っている。……王都の貴族たちも、この可愛さには腰を抜かすだろう」


 親馬鹿全開の台詞だが、誰もツッコミを入れない。

 周りの使用人たちも、微笑ましそうに目を細めている。

 平和だ。

 この光景だけを見れば、これから向かう場所が「伏魔殿」であることを忘れてしまいそうになる。


「カイド様、衣装合わせは済みましたか?」


「ああ。窮屈だが、仕方ない」


 彼は肩を回しながら苦笑した。

 普段の軍服とは違い、飾り立てられた礼服は動きにくいのだろう。

 それでも文句を言わずに着ているのは、これが「家族を守るための鎧」だと理解しているからだ。


「エレナ、君はまだ決まらないのか?」


「ええ。迷ってしまって……」


 私はテーブルに広げられた数枚の図案に視線を落とした。

 どれも素晴らしいデザインだ。

 けれど、私の心の中には拭いきれない不安の影があった。


 王都の社交界。

 そこは、値踏みする視線と嘲笑が飛び交う場所だ。

 『浪費家の娘』『売られた悪妻』というレッテルを貼られている私が、あまりに華美なドレスを着れば、「辺境伯の財産を食い潰している」と陰口を叩かれるだろう。

 逆に地味すぎれば、「辺境暮らしで落ちぶれた」と笑われる。


 正解がない。

 どう振る舞っても、悪意ある人々は攻撃の材料を見つけ出す。

 その矛先が、私だけでなくカイド様や子供たちに向くのが怖かった。


「……エレナ?」


 私の沈黙を不審に思ったのか、カイド様が心配そうに顔を覗き込んできた。


「顔色が悪いぞ。やはり、無理をしているのではないか」


「いいえ、大丈夫です。ただ、少し……昔のことを思い出してしまって」


 正直に打ち明けると、カイド様の表情が曇った。

 彼はリナを下ろし、使用人たちに目配せをして下がらせた。

 部屋には私たち家族だけが残される。


 カイド様は私の手を取り、そっと握りしめた。


「君を守ると誓った。……どんな雑音も、俺が切り伏せる」


「暴力はいけませんよ」


 私が茶化すと、彼は真面目な顔で首を振った。


「剣は抜かない。だが、君を傷つける言葉を吐く口は、二度と開かないようにしてやるつもりだ」


 物騒なことを言っているけれど、その声音は温かかった。

 

「ねえ、ママ。おうとって、こわいところなの?」


 ルカが不安そうに私のスカートを掴んだ。

 子供は敏感だ。

 私の微かな動揺を感じ取ってしまったらしい。


 いけない。

 私が不安な顔をしていたら、この子たちまで萎縮してしまう。

 せっかくの初めての家族旅行なのに。


 私はしゃがみ込み、ルカとリナの目を見て微笑んだ。


「ううん、怖くないわ。ただ、人が多いから迷子にならないか心配していたの」


「まいご?」


「ええ。だから、お願いがあるの」


 私はカイド様を見上げた。


「衣装の色を、合わせませんか?」


「合わせる?」


「はい。私たちの服に、共通の色や意匠を入れるのです。そうすれば、遠くから見ても『ヴォルグ家の家族だ』とすぐにわかりますから」


 それは、単なる迷子防止以上の意味を持っていた。

 私たちは一つのチームだという意思表示。

 誰にも分断させないという、無言の主張。


 カイド様は瞬時に私の意図を理解したようで、ニヤリと笑った。


「なるほど。それはいい案だ」


 彼はテーブルの上の見本帳から、深い青色のリボンを取り出した。

 それは「ヴォルグ・ブルー」と呼ばれる、辺境伯家を象徴する色だ。


「俺の瞳の色であり、北の氷河の色だ。……これを全員の衣装に取り入れよう」


「わあ! パパとおそろい!」


 リナが歓声を上げる。

 ルカも嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、僕はネクタイを青にする!」

「リナはリボン!」

「私は、ドレスの差し色に使いましょうか」


 方針が決まると、迷いは消えた。

 仕立て屋を呼び戻し、私たちは具体的なデザインの打ち合わせに入った。

 カイド様も積極的に意見を出し、子供たちも自分の希望を口にする。


 そこには、かつての冷え切った空気など微塵もなかった。

 あるのは、これから向かう戦場への準備を楽しむ、結束した家族の姿だけだ。


 数日後。

 出発の朝が訪れた。


 屋敷の前には、ヴォルグ家の紋章が入った豪奢な馬車が停まっている。

 その周りには、護衛の騎士たちと、見送りの使用人たちが整列していた。


「忘れ物はありませんか?」


 セバスチャンが最終確認を行う。

 彼は今回、屋敷の留守を預かることになっている。

 新人たちの教育と、領内の管理のためだ。

 代わりに、信頼できる副執事と侍女数名が同行する。


「ああ、問題ない」


 カイド様は短く答え、ルカとリナを抱き上げて馬車に乗せた。

 子供たちは窓から顔を出し、興奮した様子で外を見回している。


「行ってきます、セバスチャン!」

「おみやげ、かってくるね!」


「はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 セバスチャンは深々と頭を下げた。

 その目元が少し潤んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。


 最後に、カイド様が私に手を差し出した。


「行こう、エレナ」


 その手は大きく、温かかった。

 私はその手に自分の手を重ね、ステップを上がった。


 馬車の扉が閉まり、御者の掛け声と共に車輪が動き出す。

 ガタゴトという振動が伝わってくる。


 窓の外を流れていく景色を見ながら、私はふと、この屋敷に来た日のことを思い出した。

 あの時は、絶望と諦めだけを抱えていた。

 まさか数ヶ月後に、こうして夫と子供たちに囲まれて、胸を張って王都へ向かうことになるとは。


「……緊張しているか?」


 隣に座るカイド様が、そっと私の肩を抱いた。


「少しだけ。でも、楽しみのほうが大きいです」


 嘘ではない。

 不安はあるけれど、それ以上に、この家族とならどんな場所でも大丈夫だという確信があった。


「パパ、まだつかないの?」


 出発して五分も経っていないのに、ルカが聞いた。

 カイド様が吹き出し、車内が笑いに包まれる。


「まだだ。たっぷり五日はかかるぞ」


「えーっ! そんなにー?」


 子供たちの賑やかな声を聞きながら、私は王都の空を思い描いた。

 待っていなさい、意地の悪い貴族たち。

 今の私は、あなたたちが知っている「惨めな男爵令嬢」ではない。

 氷の辺境伯に愛され、天使のような子供たちを守る、最強の母親なのだから。


 馬車は北の街道をひた走る。

 その車輪の音は、新しい物語の幕開けを告げるファンファーレのように、力強く響いていた。


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