冒険者 ベルナール
「はじめまして。話は各方面から聞いてます。
『ずいぶんと酔狂な記者さんもいたものだな』というのが正直な感想ですけど、個人的に興味深くもある。最大限の協力を惜しみませんよ……もちろん、報酬もいい感じにもらってますしね」
そんな身も蓋もないことを言いながら手を差し伸べてきたのはベルナール氏だ。ぱっと見たところ氏はそろそろ40も後半に差し掛かろうかという年齢だが、〈大迷宮〉に関わる者なら誰でも彼のことを知っている。
彼こそが〈不屈の冒険者〉にして〈真の狩人〉であり、冒険者からも迷宮狩人からも尊敬される一種の超人だ。
そんな彼が、びっくりするくらいの軽装で私の前に姿を見せたのには、理由がある。
のめり込むように〈大迷宮〉の取材にとりつかれた私は、ある朝ブーケリッツ伯爵に直接呼びだされ、「熱心に取材をして頂けているのはとても嬉しいことだが、最近の貴方は無謀な行動が多すぎると現場から意見が上がっている」とお説教された。私としては反論もできず、かといって「もうちょっと身を慎みます」と言うこともできず、伯爵の御前でマゴマゴするという醜態を晒してしまった。
そんな私を見て、伯爵は苦笑すると、ひとつの提案を持ち出した。簡潔に言えば、これ以上取材で〈大迷宮〉に入り続けたいのであれば、3ヶ月ほど基礎的なトレーニングをしてほしいという提案だ(それにともなう諸経費その他についての細々とした話もあったが、ここでそれを詳細に語る必要はないだろう)。
この寛大な提案に、私は一も二もなく飛びついた。伯爵の提案は、3ヶ月に渡って私自身が訓練をせよというだけでなく、冒険者の基礎訓練コースを体験させてあげようという提案でもあったからだ。冒険者を目指すニュービーたちに直接話を聞けるのであれば、これまでとは違った角度から取材ができる。
……と、いう予定だったのだが、蓋を開けてみるとこの「3ヶ月の訓練」は私専用に設定された、完全にスペシャルなコースであることが判明した。その担当教官が迷宮探検の第一人者であるベルナール氏というわけだ。スペシャルにもほどがある。
かくして訓練初日となったのだが、ベルナール氏の指導方針はのっけからとても変わっていた。私に冒険者の標準的な装備を収めた背嚢(軽めだと言うが、それでも30kgくらいある)を背負わせると、山道を登りはじめたのだ。
一方で私はといえば、こう見えても軍隊で訓練を受けてきたという自負がある。いろいろあって軍の広報官となり、前線で奮戦する兵士たちの日常を銃後に伝える仕事を得て、やがて独立して報道の仕事に携わるようになったものの、これくらいの重さの背嚢を背負っての行軍は初めてではない。
そんな自信は、歩きはじめて30分ほどで崩壊した。
今回の訓練には、ブーケリッツ大洞窟の入り口付近までの、さほど厳しいとは言えない山道が使われている。私もこれまで何度も往復してきた道であり、今更こんなことが訓練になるとは思えなかった。
だが、現実はまるで違った。
止めどなく汗が流れ続け、視界を遮る。肺は焼けるように熱く、足の筋肉が痙攣しようとしているのを感じる。さすがに靴擦れは起こしていないが、登山ブーツが重くて仕方ない。
気がつくと私は荒い息をつきながら、しゃがみ込もうとしていた。
「はいはい、そこでしゃがんじまうと立てなくなりますよ。
休憩するときはそこらの木にでも凭れて。それからゆっくりと深呼吸してください。呼吸が浅いと疲れる一方ですよ」
ベルナール氏の容赦ない指導に従い、私は近くにあった大きなむき出しの岩に背を預けた。それから必死で深呼吸する。
そんな私に、ベルナール氏は水筒を差し出した。ゆっくりと、少しずつ、水分を補給する。
「まだ元気がありますね。
これが休憩の基本です。疲れ切ったところで腰を下ろして休憩を取ると、最悪そのまま死にます。これは山でも洞窟でも同じ。安全に行動するというのは、安全に休憩するということと、非常に近い関係にあります
……さあ、話してるうちに10分経過しました。行きましょう」
もうちょっと休みたいと思ったが、軍隊でも行軍中の休憩は10分が基本だ。私は気持ちを引きしめながら、体を岩から引き剥がそうとしてーー思わず体勢を崩しかけた。
危ないと思ったその瞬間、ベルナール氏ががっちりと私の体を支える。
「はい危なかった。
警備隊の連中からも言われているかもしれませんが、洞窟内部での事故というのは『転んだだけ』ということが結構多い。でも転倒して怪我をすれば、生きて地上に戻るだけでも大冒険になる。転んだ場所によっては、滑落してそのまま死ぬ。
もうお気づきだと思いますが、我々がさっきから足元の悪いところを選んで歩いているのは、その基本を学ぶためです。
ご存じかと思いますが、〈大迷宮〉内部はけして道が綺麗に整備されているわけではありません。手元の明かりだけを頼りに、延々と続く岩場を歩くというのが、あそこを歩くということです。
重たい荷物を背負って、極端な不整地を歩くことに慣れる。地味ですけど、これが〈大迷宮〉で狩りをする者が最初に学ばねばならない技術です。
記者さんはこれまで何度も〈大迷宮〉入りしてるらしいですが、完全装備で入ったことはないと聞いています。なのでまずはコレに慣れてください。逆に言えば、この技術を身につければ、それだけで大半のニュービーよりはマシな冒険者になれます」
私はつまらない自負をいったんすべて棚上げして、ベルナール氏の説明を心に刻み込んだ。なるほど、これはただ単に体力があるかないかだけの話ではない。歩き方ひとつとってもノウハウがあり、地道な訓練で体に覚えこませねばならない技術があるのだ。
かくして私たちは再び山道を登りはじめた。ベルナール氏はいろいろと細かなノウハウを教えてくれ、そして実際にその「ちょっとしたコツ」を実践してみると、遥かに疲労が小さくなるということを痛感した。
これくらいだったら最初から教えてくれればいいのにと思ったが、ベルナール氏の見解はシビアだった。
「『最初からできてしまう』奴のほうが、事故を起こしやすいんですよ。
『有望な新人パーティ』だの『押しも押されぬベテランパーティ』だのが、ある日突然遭難して、結局いまだに遺体が見つかってないなんて事態になったのを、俺は山ほど見てきましたんでね。
基礎を大事にするってのは、想像するよりずっと難しいもんですよ。基礎を守らなかったら何が起こるかってところまでひっくるめて覚えるのが、基礎を学ぶってやつだと俺は思ってます」
なるほど。彼のあまりに理路整然とした見解には、まるでつけいる隙がない。
さすがは「山で生まれて大迷宮で成長する」と言われる〈迷宮狩人〉が、当代屈指の狩人として尊敬するだけのことはある。
そんな調子で1時間歩いては10分休みを繰り返しているうち、やや開けた場所に出た。私の背後にぴったりついて歩くベルナール氏は「ここで飯にしましょう」と言うと、背嚢を下ろして食事用の道具一式を広げ始める。慌てて私も彼を見習い、簡単な食事の用意をする。
もっとも、食事と言ったところでパサパサのビスケットが数枚に、干からびきった干し肉が一切れあるだけ。こんなものを食べたところで、ここまでの山道を登ってきた疲労が回復できるとは思えない。だが食べなければ大変なことになるというのは軍隊時代にイヤというほど思い知っているので、私はビスケットと干し肉を少しずつ口の中に放り込んだ。あっというまに唾液が吸収され、口の中がカラカラになる。懐かしくも忌まわしい、標準型行動食の味。
私が筋っぽい干し肉と格闘する隣で、ベルナール氏はおそろしく手際よく火を起こすと、背嚢からケトルを取り出した。水筒に入れていた水をケトルに注ぐと、すぐに沸騰してお湯になる。
ケトルがシュウシュウと音を立て始めたところで、ベルナール氏はレンガ状に固められている茶葉をナイフで削って直接お湯の中に放り込んだ。抗いがたい上品な香気がふわりと立ち上がる。
私はきっと、よほど物欲しげな顔をしていたのだろう。私の表情をちらりと見たベルナール氏は、小さく苦笑するとカップを用意し、煮立てた茶を注いだ。「記者さんも、どうぞ?」という声に促されるように、私も自分のカップを取り出して、茶を注いでもらう。
茶葉ごと煮込んだかのようなお茶は、喫茶店で供されたならば翌日には店が潰れているであろう味がした。けれど私はこの苦みと渋みの塊のような熱い液体を、心の底から美味いと思った。こんな美味い茶を飲むのは、これが初めてだ。
そうやってカップに息を吹きかけながら茶を飲んでいると、少し緊張が緩んできたのか、周囲の様子に目をやる余裕ができた。
そこで私が見たものを、どう表現したらよいのか。
私はいまだに、適切な言葉を見つけられずにいる。
私はこれまで、たくさんのものを見てきた。地獄のような戦場も体験したし、文化と文明の粋を集めた瀟洒な街並みも歩いた。
地上の贅を極めた宮殿。芸術家が技術の限りを尽くした別荘。科学者と技術者が手を携えて作り上げた軍事工場。私はそのすべてに圧倒されながらも、それらの偉大さや美しさを語ってきた。
けれどこの日、山の中腹から見たブーケリッツ伯領の風景は、ただただ圧倒的だった。
遙か彼方まで広がる、黒々とした森。雪を抱いた山々は人間を寄せ付けぬ峻厳さを持って空と大地の境界線を鋭いナイフのように描き出す。巨大な岩肌には美しい模様が浮かび上がり、森と岩の間を縫うようにして轟轟とした水音が聞こえてくる――そしてこれらの情報は、私がこのとき目にした情報全体の、1割にも満たない。
「これは、ダメだな」
気がつくと私は、そう呟いていた。
こんなものを前にした人間は、どこまでも無力だ。
かなうわけがない。絶対に無理。存在としてのレベルが違いすぎる。
けれどその呟きを聞いたベルナール氏は、何度も頷いた。
「今の思いを、絶対に忘れないでください。
人間は、自然には勝てない。
そのことを忘れた瞬間が、あなたが死ぬ瞬間です」
ベルナール氏はそう言うと、彼のカップに茶を注ぎ足した。
「とはいえ。
確かに人間は自然には勝てないけれど、自然を出し抜くことまで無理というわけではありません。
これから3ヶ月、記者さんにはその『ずる賢い技』を覚えてもらいます」
なるほど、ブーケリッツ伯領の誰もが「ベルナール氏こそ〈大迷宮〉探索の第一人者」と認めるのも当然だ。彼は迷宮探索の具体的な技術を教える前に、大自然に対する畏怖と恐怖を叩き込むことを選んだというわけだ。
ベルナール氏による3ヶ月間の地獄の特訓は、かくして幕を開けた。




