表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドキュメント・迷宮警備隊 〜ブーケリッツ大洞窟の戦う命綱〜  作者: ふじやま
ブーケリッツ警察局大洞窟特別警備部
1/5

副隊長 パヴレ・ノヴァク

 まずは、改めてご挨拶を。ブーケリッツ警察局大洞窟特別警備部の副隊長、ノヴァクです。

 ああいや、そう畏まられなくとも……確かに自分はノヴァク家の次男パヴレ・ノヴァクですが、ここでは地上での地位など何の意味も持ちません。ここまで来る道すがら、迷宮狩人(アウタ)や冒険者たちは皆、自分のことを「副長さん」とか「ノヴァクさん」とか、ときには「迷宮警備の人」とか、そんな感じで呼んでたでしょ?

 ここは人智を寄せ付けぬブーケリッツ大洞窟、通称〈大迷宮〉の中なんです。自分をどう呼ぶかなんていう些細なことに払う注意力があるなら、そのぶんは周辺警戒にまわしてください。このあたりは安全が確保されていますが、「迷宮に絶対はない」というのは基本中の基本です。

 ともあれ、コーヒーでもいかがですか?


(そう言いながら、彼は無骨な鉄製のカップになみなみと注がれたコーヒーを差し出した。

 私が礼を言いながらそのカップを受け取って、自分でも飲めるくらいに冷えるのを待っているほんの短い間にも、ノヴァク副隊長は散発的に姿を見せる部下からの報告を聞いては、即決で新たな命令を下し続けた)


 さて。確かヴィーナ新聞社のマイヨーリ記者、でしたね? あなたも実に、変わった人だ。普通の記者さんならとっつぁん(・・・・・)が――失礼、ブーケリッツ伯が招待しようものなら、麓の街で豪遊するだけした挙げ句、適当なヨイショ記事を書いて帰るだけだというのに。

 繰り返しになりますが、〈大迷宮〉は大規模な開発が進んでいるとはいえ、断じて安全な場所ではありません。言葉は悪いですが、あなたのような素人がここに踏み込むというのは、一定の確率で死ぬ博打をするに等しい。

 まあ、ですから自分たちがあなたに同伴しているわけですがね。


(私は苦笑いしながら、ご迷惑をおかけしますと頭を下げる。自分が無理を言っていることには、自覚がある)


 その自覚があるなら、隊長が地上で「危険すぎる」と訴えた段階で、素直に取材方針を変更してほしかったですね! とはいえ「例のブンヤが『それでも、どうしても』と主張したから覚悟しろ」と隊長に命じられたときは、わりと嬉しかったというのも事実です。

 自分たちの仕事は、世に正しく知られているとは言い難いところがあります。最近ではよく噂になっているとは聞きますが、噂というだけあって実態からは程遠い、荒唐無稽な物語ばかり。

 自分たちがこの〈大迷宮〉でどんな仕事をしていて、それが実際にどんなもの(・・・・・)なのかをきちんと語って頂けるというなら、微力を尽くさせて頂きますよ。


(ようやく少し冷め始めたコーヒーを一口飲んでから、私は「そういうことであれば」とかねてからの要求を切り出す。が、副長の答えはにべもなかった)


 それは無理です。あなたをこの〈青水晶避難所〉から先に行かせることはできません。ここまでならば自分たちはあなたの安全をほぼ間違いなく保証できるけれど、ここから先は迷宮の歩き方を熟知した人間のみが踏み込むべき場所です。

 その判断ができなかった者がいるからこそ、自分の部下たちはこれから極めて危険な任務を開始するのです。

 ……と言えばきっと、あなたはこう言いたくなるでしょう。「危険は承知だ」「自分が死んだとしても、あなたが責任を感じる必要はない」。こういう言葉は仕事柄、嫌というほど聞いてきました。あなたがまさにその手の言葉を口にする人間独特の顔になっているのが、自分にはよく分かります。


(彼の言葉に、思わず自分の口元に手をあててしまう。図星だ)


 あなたは「これは自分一人が責任を負えばよいことだ」と思うかもしれません。ですがあなたがいつまでも〈大迷宮〉から帰ってこないことを心配する人間がこの世に一人でもいる限り、これはあなただけの責任で終わる問題ではないんです。

 そしてもしあなたが〈大迷宮〉の奥地で行方不明になれば、少なくともあなたを招待したブーケリッツ伯爵は、ひどく心配するでしょう。あの人はそういう人ですから。

 もちろん自分だって心配しますし、もし万が一、自分の目を盗んであなたがこの先に行き、そこで行方不明になったら、自分は己の未熟さと不注意をひどく後悔することになるでしょうね。


(思わず、ため息が出た。彼の言葉には裏も表も感じられなかったからだ。

 私がここで事故に遭えば、彼は――そしておそらくはブーケリッツ伯爵も――心の底から私のことを心配するだろう。

 だからこそ私は、もう一歩踏み込んだ質問をせずにはいられなかった)


 ――ええ。自分たちが目下懸命に捜索しているヨナス・パーティのことも、自分はどうしようもなく心配です。冒険者として彼らはまだまだ未熟で、この〈青水晶の間〉までならばともかく、さらに先に進むというのは無謀としか言いようがありません。

 この近辺に攻撃的な迷宮獣(モンスター)が出ることはありませんが、道が細かく分岐している上に水晶壁の小規模な崩落が頻発するせいで、曲がり角の目印を簡単に見失います。水晶壁が想像以上に体温を吸うこともあって、疲労の蓄積も早いですしね。ベテランの迷宮狩人(アウタ)ですら、〈青水晶〉は好んで足を踏み入れるエリアではないんです。

 今朝の段階で、ヨナス・パーティは帰還予定日を3日過ぎています。彼らの実力を考えると、予備の食料や燃料は最小限でしょう。もしかすると〈青水晶〉は、普通の寝袋(シュラフ)では床に横になれないくらいにまで冷え込むと知らない可能性すらある。

 もしそうだった場合、今夜が生死の分かれ目になる可能性はとても高いですね。明日以降は捜索打ち切りも視野にいれつつ、捜索のやり方を変えなくてはならないでしょう。


(副長の真剣な声を聞きつつ、私は〈青水晶避難所〉の窓外に広がる非現実的なまでに美しい風景に、ついチラチラと視線を送っていた。

 名前の通り「青い水晶で覆われた」としか表現できない、幻想的な風景だ。ところどころに設置された魔石灯の冷たい光に照らされた蒼い半透明の岸壁は、「神々が作った」としか言いようがないほど美しい。

 そんな私の視線に気づいたのか、副長はクスリと笑うと、窓の外に視線を向けた)


 美しい。自分もそう感じます。ここは本当に、美しい。

 魔石採取だのなんだの、カネが絡んだ話がなかったとしても、この一面の青い世界を見るだけのために、ここにまた来たいとすら思えます。

 だから――だからこそ、彼らには生きていてほしい。今回の失敗を胸に刻んで、いつかそんなこともあったと苦笑いしながら、またこの〈青水晶〉を見上げて、その美しさにため息をついてほしい。それだけじゃあない。この〈大迷宮〉には他にも〈獄炎〉や〈白の峠〉、〈夜叉蛍〉のような、息をすることすら忘れるような世界が広がっているんです。

 〈大迷宮〉での遭難者を救助するこの仕事は、とても辛いだけでなく、ひどく危険な仕事でもあります。私の兄も迷宮警備隊に志願しましたが、父親が大反対して、やむなく諦めました。家の跡継ぎが選んで良い仕事ではないんです。

 でも自分たちはこの仕事に誇りを持っていますし、愛着すら感じています。

 もちろんそれは、身分の上下なく「ありがとう」と言ってもらえる仕事だからです。

 でも自分の場合はそれだけでなく、救助した遭難者が再び〈大迷宮〉にやってきて、「あんたらのおかげでまたここに来れたよ」と言ってもらえるから、というのもあります。現世(・・)に生還して太陽を拝んだ瞬間に、「こんなクソったれな穴になんざ、二度と来るか!」って絶叫した連中が、戻ってくるんですよ。

 彼らがそうやってまた〈大迷宮〉に戻ってくる、その手伝いができることが、自分がこの仕事を続ける最大の原動力ですね。

 結局のところ自分も彼らと同様、この〈大迷宮〉にすっかり魅了されてるってわけです。


(副長は彼のカップに注がれたコーヒーを飲みつつ、そんなことをポツリポツリと喋った。

 迷宮の中で鍛え上げられた彼の身体は「熊に会った」と言われたら信じたくなるほどガッチリとしていたし、濃い髭面には何条かの傷跡も走っていたけれど、その口から出る言葉は詩的ですらあり、私はそのギャップもまた美しいと思った。

 そんなとき、けたたましい音をたてて〈青水晶避難所〉の扉を開け、「のしのし」という擬音でしか語り得ぬ様相で小屋の中に入ってきた人物がいた。副長はすばやくそちらに目をやると、破顔する)


 こいつはいいところで会ったな、エシラ!

 遭難者が出た。おそらくは道迷いだ。〈青水晶〉に入って、予定を3日過ぎた。

 パーティのリーダーはヨナス。全部で4人。ひよっこどもだ。


(エシラと呼ばれた人物は――名前からすると女性なのだろう――低い声で「そうか」と言うと再び外に出て、大きく息を吸った。副長が両耳を手で塞ぐ。一体何を……)


 遭難者! 青水晶!


(エシラのはなった大音声は、迷宮全体を震わせるかと思うほどだった。扉越しなのに、耳の奥が痺れている。目の焦点があわない。おそらくは超強力な〈遠話〉の魔術だ。迷宮の壁越しだったとしても、今の声は相当遠くまで届いたに違いない。

 当のエシラは扉を開けて小屋の中に顔を出すと、副長を相手に驚くほど素早く意見交換をした)


 周囲5分以内の狩人(アウタ)が探す。

 ノヴァクらは、どこを?


 自分たちは〈7の裂け目〉と〈11の裂け目〉の先を探している。

 〈4の裂け目〉から〈緑坂〉を目指したとすると、間違うならそのどちらかだ。


 正しい。なら、あたしは〈黒岩〉から下を見る。


 連中が〈黒岩〉から滑落した、と?

 ……そうか、あり得るな。時期的にも〈黒岩〉周辺はスリッピーだ。


 ひよっこを卒業寸前のひよっこは、よくそうやって死ぬ。

 だが運が良ければ生き残る高さ。念の為だ。行ってくる。


 自分も〈黒岩〉に応援を送る。

 死体袋(パッケージ)が無駄な荷物になることを祈る。


(疾風のように去っていくエシラを見送ると、小屋はまた静かになった。

 下唇を強く噛み締めた副長と一瞬だけ目があう)


 ……そうか、〈黒岩〉か。それがあり得た。

 まだまだ――まだまだ、ですね、自分は。確かにこの時期、地下水路が増水して〈4の裂け目〉の橋が半日くらい水没することがあります。すると多くの冒険者はそこから3時間くらい引き返して〈2の裂け目〉から狭い旧道に入るか、〈黒岩〉に出て岩場を渡るか、どちらかを選ぶことになって、大抵は〈黒岩〉のルートを選びます。最低限の装備と技術があれば、〈黒岩〉は難所とは言い難いですからね。

 でも今の時期だけは、違う。1年を通じてこの時期の3週間ほどは、〈黒岩〉の天井がやたらと結露して、滴った水滴のせいで足元がとてつもなく滑りやすくなるんです。もしそこで足を滑らせたら、良くても5mほど下の岩棚に滑落して、高確率で身動きが取れなくなります。今はそんな危険な時期だと上級者は知っているから、この時期だけは〈黒岩〉を回避するせいで、通りかかった誰かに救援を頼むという展開にも期待できない。

 とはいえヨナス・パーティは4人いるんだから、全員が滑落したのでなければ誰かが救難要請をしに戻ってこれたと思うんですが……いや、わからないな……彼らは同じ田舎の出身で、とても仲が良かったから、数人が滑落したのを自力で救助しようとして、二重遭難したのかもしれない……


(机の上に広げられた地図を睨みつけながら、副長は自問自答を続けた。

 彼が感じているであろう自責の念がこちらにまで伝わってくるようで、思わず私は愚にもつかない問いを発してしまう)


 ああ、いやいや。ヨナスたちはただの平民です。貴族なんかじゃありませんよ。

 自分が彼らのことを覚えているのは、仕事柄ってところですね。毎日顔を合わせるってわけじゃありませんが、月に一度くらいは上か下か(・・・・)で会いますから、いろいろと話を聞くこともあるし、こっちから話をすることもあります。

 それに半年くらい前には、彼らの目の前で谷底に滑落したパーティが出たっていうのを、血相変えて知らせに来ましたからね。いい奴らなんですよ。いい冒険者だ。そういう通報には賞金を出しているとはいえ、通報のために引き返すとなればトータルで見れば確実に赤字になります。それでも彼らは仲間(・・)が窮地に陥ったとき、自分たちにできる限りのことをせずにはいられなかったんです。

 もっともそういう意味では、エシラたち迷宮狩人にはまったく頭が上がりません。

 彼らは大昔からこのベルビア山脈を狩場にしている連中で、とっつぁん(ブーケリッツ伯)のご先祖様がここにやってきて〈大迷宮〉に「ブーケリッツ大洞窟」って名前をつけるその前から、迷宮をうろついてる迷宮獣(モンスター)を狩って生きてきた、生粋の狩人たちです。

 だから〈大迷宮〉の地理はもちろん生存術や移動技術まで、何もかも自分らとはレベルが違う。最近ではよくお世辞で「警備隊にはもう勝てない」とか言ってくれますが、自分らがいかに力不足なのかは自分たちが一番良くわかってます。

 そんな練達の迷宮狩人たちは、いざこうやって遭難者が出たとなると、自分たちの狩りを放り出して救難活動を手伝ってくれる。本当にありがたい限りです。

 自分たちのことを〈大迷宮の命綱〉と歌う詩人がいるとは聞いていますが、〈大迷宮の命綱〉になっているのは冒険者たち自身であり、迷宮狩人たちであって、彼らの助けあって自分たちが名誉を勝ち得ている。それが現実ですね。


(副長は淡々とそう語ったけれど、私はその言葉は真実の半分に過ぎないだろうと感じていた。

 確かに彼が語る通り、冒険者相互の協力や地元の迷宮狩人の献身があってはじめて、彼らが成し遂げてきた英雄的な救出劇は成り立っているのだろう。

 でも彼ら迷宮警備隊が厳しい訓練と危険な任務を通じて培った高度な技術と経験、そしてまさにいま副長がその身をもって示すような強靭な冷静さを兼ね備えているからこそ、救われた命もまた多かったはずだ。

 そんな思いを弄んでいると、次々に迷宮警備隊の隊員が〈青水晶避難所〉に飛び込んできた。その一部は地上からの増援であり、ノヴァク副長はエシラが先行していることを告げた上で、〈黒岩〉へと派遣する。その一部は先発して〈7の裂け目〉や〈11の裂け目〉を捜索していた隊員で、副長は地図に印をつけながら新たな捜索範囲を設定する。その手際は、見ていて惚れ惚れするほど完成されていた。

 だからこそ私は、司令が一段落したところで、もうひとつの愚かな問いを発せずにはいられなかった)


 ……そう、ですね。自分も――自分もできれば今すぐここを飛び出して、ヨナスたちを探しに行きたいと思ってます。そのための訓練は欠かしていませんしね。

 でも自分がここから飛び出してしまったら、誰が現場を指揮するんだって話になりますからねえ。いやはや、偉くなんざなるもんじゃあ、ありません。ノヴァク家が立派な家だってところに文句を言ったら恩知らずの極みってことになりますけど、自分がノヴァクの人間じゃなけりゃあ、今でも最前線でやれてるだろうにと思うことはありますね。

 とはいえ、こればっかりは仕方ないことです。〈大迷宮〉では人間の努力なんて一発で吹き飛ばすようなことが起きますが、人の子の社会でだってそういうこと(・・・・・・)は起こる。人間、手持ちのカードで勝負するしかないときってのは、あるもんですよ。


(副長がむさ苦しい顔でおどけて笑ってみせたそのとき、遠くからかすかな声が聞こえた)


 C班が遭難者を発見! 消耗は激しいものの、全員無事!

 4人とも自力歩行は困難! 救援を!


(遠話の魔法を中継したのだろう。その声は幾重にもエコーしていたが、それを聞いた副長は小さく、しかし力強く、「よし」と頷いた。彼は私に「ちょっと失礼」と言うと、小走りに小屋の外に出た。私は慌てて両耳を塞ぐ)


 C班が遭難者を発見! B班とD班は支援しろ!

 A班とE班はベースに帰投、受け入れに回れ!


(ノヴァク副長の遠話は再び数人によってリレーされ、〈青水晶〉の中を駆け抜けていった。

 それから6時間後、迷宮警備隊の隊員に背負われたヨナス・パーティの面々が〈青水晶避難所〉へと担ぎ込まれた。

 報告どおり、ヨナスたちはひどく消耗していたけれど、命に別状はないようだった。彼らは避難所のマスターが作った温かいコーンスープを口にするや、誰からともなく激しく泣き始め、ボロボロと大粒の涙を流しながらも、無心に匙でスープを掬い続けていた。

 そんな4人を見ながら、私は改めて「迷宮警備隊は超人の群れだ」という言葉の正しさを噛み締めていた。ヨナスたちは軽装とはいえ、一人あたり60kgはあると見たほうがいいだろう。自力では動けなくなった60kgの肉体を背負って、〈青水晶〉の悪路を歩き抜く。複数人で交代しながら担ぐとはいえ、常人では絶対に無理だ。

 6時間に渡って4人を担いだ隊員たちは、さすがに疲れた顔をしているものの、それぞれの班長の指示に従って装備の点検をしている。A班の副班長は軽装になると地上に報告するため走り去って行ったが、ここまで来ると「彼と私が同じ人間であるはずなどない」という気持ちになってしまう。

 ともあれ、救出作戦は成功に終わった。隊員たちはみな、ヨナス・パーティが全員無事だったことを喜んでいて、〈青水晶避難所〉はやや祝祭めいた空気に包まれていた。

 その空気がゆえに、そんな中にあって一人、厳しい顔をしたままの副長がこっそりと〈避難所〉の外に出ていったとき、私は反射的に彼の後を追っていた。私が小屋の外に出て自分を追っていることに彼はすぐ気づいたようだったが、その歩みは止まらなかった。

 彼の歩みは、そう遠くまで続くものではなかった。小屋からは死角になる青水晶の壁際で、彼は足を止めた――そしてそこには増援として派遣されたE班と、エシラがいた。エシラは緑色の死体袋(パッケージ)を背負っていて、その中身が空ではないのはすぐに分かった。

 副長がエシラに近づくと、彼女はボソボソと報告を始めた)


 すまない。これで二人分(・・・)だ。

 15mほど滑落していた。上からは見えなかった。

 迷った連中でないのはすぐに分かったが、放置もできなくてな。


(エシラが死体袋を下ろすと、副長がその中身を改めた。

 私の位置からでもちらりと中身が見えたが、袋の中に「二人」がいるとは、とても思えなかった。どちらかと言えばそれは骨ですらなく、ただの瓦礫だったのだ)


 遺体の水晶化状況から見て、死後5年というところか。

 現場に身元を確認できるものは?


 装備はほぼ飛散してしまったようだ。

 だが、これは身元特定の役に立たないか?


(エシラは死体袋の奥から凝った装飾のナイフを取り出した。

 見るからに高級品で、こんなものを持てる冒険者は限られるだろう。

 案の定、副長はすぐに身元を特定した)


 ……ああ、間違いない。

 この遺体は、ミラン・ノヴァク。ノヴァク家の五男坊だ。

 ということはおそらくもう1人の遺体は、ニーナ・パルマ。ミランの恋人で、結婚の約束までした相手だ。お袋は反対していた。ある日、2人とも突然いなくなったから、きっと駆け落ちしたんだろうと思っていた――思おうとしていた。便りがないのは良い便りだ、と。何やってんだよ、ミラン。なんでニーナまで……お前が守るんじゃなかったのかよ……


(その場にいた全員が絶句するなか、副長は弟とその恋人に向かって一人静かに黙祷を捧げると、冷徹な指揮官の顔になった。つまり彼はこの間、一筋たりと表情を変えなかった)


 撤収する。

 E班は〈青水晶避難所〉のマスターを手伝って、避難所の掃除を。避難所の利用料金まわりの書類も忘れるな。全部終わったら班長の指示で基地に戻れ。

 エシラ、本当にありがとう。あとで親父から礼を言いに行かせる。ただ悪いんだが、ミランとニーナが見つかったという話は胸のうちに収めておいてもらえないか? こんな事件でも一応、貴族の醜聞というやつでな。


(全員が無言で頷くなか、副長は瓦礫が――〈青水晶の間〉に込められた謎の力によって石化した弟とその恋人の遺体が――詰まった死体袋を背負って立ち上がった。袋の紐が肩に食い込む様子を見るに、相当な重量だろう。でも誰一人として「手伝います」とは言い出さなかった。

 けれどよくよく考えてみればこれはエシラが一人で背負ってきた荷物でもあるわけで、それを副長が一人で背負うというのは「俺が背負うべき遺体だ」という情緒的な話ではなく、「この程度なら一人で背負って当然」という話なのだろう。あるいは、その両方だ。

 避難所に戻ると、ヨナスたちも含めて、全員が出発の準備を整えていた。ヨナス・パーティのうち女性メンバー2人はもう自力で歩けるようで、ヨナスを含めた男性2人が担がれて地上を目指すことになった。道中で少し話を聞いてみたところ、彼らは先輩冒険者を相手にしっかりと情報収集をしていて、防寒対策は特に念入りにしていたそうだ。実力に見合わないエリアに入って遭難したとはいえ、こうして生還できたのは彼らが「良い冒険者」であればこそ、ということだろう。

 途中の避難所で休憩しつつ、トータル10時間かけて地上に戻った我々を、まさに昇ったばかりの朝日が迎えてくれた。どうしようもなく、「帰ってきた」という感慨で胸が一杯になる。

 その思いは生死の境をさまよったヨナスたちも一緒だったようで、彼らは口々に「ありがとうございます」「帰ってきたんだ」を繰り返した。隊員たちも彼らに対して「頑張ったな」「帰ってきたんだぞ」と声をかけている。副長は屈託ない笑みを見せると、ヨナスたちに「おかえり、よく頑張った」と声をかけ、その手をしっかりと握った。

 やがて一行は隊列を組み直し、街へと向かった。それは4つの命をつなぎとめたという、名誉に満ちた勝利の行進だった。

 でも私は、列の最後尾に立った副長が、背中の死体袋を担ぎ直しながらぽつりと呟いた言葉を忘れない。

 彼は確かに、こう口にした)


 おかえり、ミラン。おかえり、ニーナ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ