16-2
「――貴方には創神足りえる目的がないんだ」
沈黙が場に満ちる。
束の間、脳裏にノキアやフィア、アシェラさんや義勇兵のみんなの顔が浮かぶ。
ここで諦めてくれれば、と柄にもなく神に祈った。
「…………フフ」
そうして、沈黙が破られる。
俯いていたイムヴァルトが顔を上げる。
ぴしり、と音が鳴る。
空間が張り詰めていく音。イムヴァルトの気配が強まっていく。
ボコボコに殴られてベコベコに変形していた前世の僕の顔が、ビデオを巻き戻すように再生される。
「フハハハハハハハハハハッ!! なんだ、そんなことだったのか!!」
「――――」
ネットに当たったボールがこっち側に落ちてくる瞬間の、いやな感覚。
仕方ない。祈ってどうにかなる人生なら、僕は隕石トラックに轢かれることもなかっただろう。
「我が身は壊天のイムヴァルト!! 虚無すら殺す破壊の龍!!
そうだ、魔物の神なぞになったのが間違いだったのだ!!
彼奴が世界を創る神ならば、私は世界を破壊する神になればいい!!」
狂ったように哄笑を続けるイムヴァルト。
場違いな憐みが数瞬、胸をよぎった。
やはり……やはりイムヴァルトは創神になれない。
これではアリアルド神の後を追っているだけ。
誰かに依存しなければ確立できないアイデンティティでは、きっと世界は変えられない。
「感謝するぞ、アリアルドの紛い物。貴様のおかげで目が覚めた。
彼奴が世界を覆う空ならば、我はその尽くを消し去る破壊の化身となる」
「迷惑なのでやめてください」
「戯言にはもう付き合わぬ。時間を稼ぐ必要はなくなった。もはや人の器は要らぬのだから」
瞬間、世界が震えた。
断続的な振動の中で、パキ、パキと何かが剥がれ落ちる音がする。
見る間に、イムヴァルトの姿が染み入るように石の中へと吸い込まれていく。
五百年もあったのだ。その可能性を考慮していなかったと言えば、嘘になる。
イムヴァルトが、自らの本体にかけられた石化の封印をすでに解いている可能性を。
石に覆われた荒山が砕け散る。
黒い光が天に昇り、真円を描く。
現れたのは黒い、ひどく黒い巨大な渦を巻く龍だった。
喩えるならベンタブラック。光すら呑み込むブラックホールの黒。
『――いくぞ、紛い物。まずは貴様だ』
殺意に射抜かれた刹那、僕の体が勝手に動いていた。
「カルニ!?」
『ボケてんじゃねえぞ、メイル!! 来るぞ!!』
全身が横っ飛びに跳ねた直後、元いた場所を黒渦から伸びた尾が叩いた。
轟音。衝撃。
次いで理解する。
尾の一撃で大地が物理的に切り落とされた。
「……は?」
『マズイぞ、メイル。ヤツの体全部が“消滅”の魔技でできてやがる!!』
「ッ!! “消滅”の具象龍……!!」
ブラックホールという印象は間違いじゃなかったらしい。
近づくだけでも消し飛ばされかねない。その身全てが消滅の波動。これ以上なくシンプルに強力だ。
……これが最古の四龍。世界を作った残滓、“すべてをみたもの”。
『認めよう、紛い物。貴様らは強い。本体を解放した私ですら殺しうる。
人の身には余る力。アリアルドはそれほどまでに私を討ちたかったのだな』
『……だとよ。“昇華”使うか? あと二回あるんだろ』
「駄目だ」
亜神相手に余力を残して戦うのは愚策だけど、こればかりは妥協できない。
神は不滅だからだ。
だから、封印するのに一回。封印できるところまで削るので一回。この二回は勝つための絶対条件。
この局面はこの右手に頼らずに切り抜ける必要がある。
「まだだ。まだ手はある。イムヴァルトの性格からして、核はイーライの体に侵入しているはずだ。だから、本体とイーライを引き離せば、あの規格外の性能は発揮できなくなる」
『……朗報だ、メイル。オマエの体はまだアレに同化しきってねえ。あの渦の中にオマエの匂いがするぜ」
「引きずり出せるかな?」
『並みの攻撃は届く前に消滅する。一番丈夫なモンで突っ込むしかねえ』
つまり、僕とカルニだ。
『どっちかは死ぬな』
「……それしかないね。まあ、命までは賭けよう」
慈悲は示した。が、打ち捨てられた。
あとは殺すか殺されるか。状況はこれ以上なくシンプルだ。
本体からイーライごとイムヴァルトの核を引きずり出し、削り切って、封印する。
無傷では済まないだろう。けど、これしかない。
亜神、否、創神の成り損ないを殺すんだ。それくらいはベットしないと賭けにすらない。
『――来るか。我はイムヴァルト。破壊の龍。貴様らに敬意を表し、我が全力で破壊する』
破壊の渦龍から響く殺意の籠もった声に、心臓が跳ねる。
「……柄にもなくワクワクするね?」
『気ィ狂ったか?』
「本気で心配するのやめて。いやさ、実感したんだよ。今この瞬間が地上最強を決める戦いなんだって」
『……そうだな。命を賭ける価値がある』
「ああ」
天を見上げる。
そこにイムヴァルトが在る。
まるで空間そのものに走る断裂。
空間を破壊しているのか、黒色が大きさを増している。
全てを呑み込むブラックホール。時間はあまり残されていないようだ。
「どっちが死んでも恨みっこなしだからね、カルニ」
『オマエを恨んだことなんて一度もないさ、メイル』
魔技は使わない。この世の概念である魔技ではイムヴァルトに近づくだけで消滅するだろう。
けれど、たったひとつ……いやさ、ふたつ。
この天使ボディとカルニの剣身だけが奴の存在強度を超え得る可能性を持つ。
「……いくか」
『応』
すっとカルニを構える。
踏み出す一歩目から全速力。
走る。走る。走る。
風を切り、音を超え、目標地点に到達。
膝をたわめて助走を第二宇宙速度に変換、天に向かって自分を射出する。
「ぬううううううおおおおおおッ!!」
世界から音が消える。風の唸りだけが鼓膜を揺らす。
世界から色が消える。白と黒の視界の中でなお黒い渦へと飛ぶ。
幾重にも放たれる消滅の尾撃を身をよじって躱す。
掠ったくらいでは死なないけれど、速度を削られる。
元よりギリギリのラインなのだ。
傲慢にも天に坐し、天を破壊せんとする神の紛い物にこの手が届くは五分――
『――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!』
刹那、龍の咆哮が全身を強かに打ち据えた。
“消滅”という概念を具象する声帯を震わせ、“消滅”を司る顎門から放たれたソレはもはや音ですらなく。
魔技ほどの威力はなくとも、紛うことなき破壊の波動だった。
「――ア、ガ」
全身が罅割れたような喪失感。
なにより重要な、上昇速度が掻き消された。
数瞬、天使ボディが空中に縫い留められる。
このままでは、墜ちる。
……まだ、だ。
“重創”の重力偏向、“炎命”のジェット噴射。
“消滅”の魔技に、掻き消されるまで、体勢を立て直して、それで――それ、で
『……なあ、メイル』
なん、だ? カルニの声が……
『よく考えれば、突っ込むのはひとりでも事足りるよな』
その声に、冷や水を浴びせられたように薄れかけていた意識が再起動した。
「カルニ、待て、止めろ」
『遅ェッ!!』
次の瞬間、人化したカルニが僕を踏み台に、イムヴァルトへ飛び込んだ。
それは、人体というものの精髄を知り尽くす、手を伸ばすことすら叶わない最速の飛翔だった。
「――カルニィイイイイイイッ!!」
「――魂ィィイイイイイイイッ!!」
蹴り弾かれた反動で、僕は墜落する。
『ガラクタ風情が――――“死、そして破壊”!!』
そして、黒い閃光が全てを覆い尽くした。
◇
地表に激突した衝撃で、数瞬、意識を失っていたらしい。
慌てて立ち上がれば、空から黒い渦、イムヴァルトの本体が消えていた。
「カルニ、やったのか……?」
イーライ/イムヴァルトの気配自体は少し離れた場所から感じる。
どうやら本体は核との接続を断たれると実体化できないらしい。
いや、それよりも――
「――“人喰い”!!」
意思を載せて叫べば、全身を漆黒の紋章が覆い、魔技が起動する。
思わず胸をなでおろす。
魔技が起動するということは、カルニが生きているということだ。
それに、落ち着いて気配を探れば、すぐ傍にあいつ、の、
「…………よぅ」
一瞬、その残骸がカルニだとわからなかった。
特攻の代償に、人化した体の半ば以上が消滅していたからだ。
「その様子だと、役目は果たせたみたいだな」
「お前、目が……なんで?」
なんで僕を置いて行った。
これじゃわざと死にに行ったみたいじゃないか。
声にならない問いに、しかし、カルニは口の端を僅かに歪めた。
いつもの獰猛なそれとは異なる、不器用な笑みだった。
「別に……命を賭けただけだ。オマエたちがいつもそうしていたように。オレも同じ戦場に立ったんだ。
ノキアやアシェラが命賭けてんのに、オマエの右腕が手抜いてちゃしまらねえだろ?」
「そんなこと――」
「それに、いい機会だった。オレを殺せる相手はもう他にいないだろうからな」
「お前……」
――オレは、オマエがいなくなったあとの世界を生きていく気はない。
カルニの心がわかる。ずっと一緒にいたのだ。それくらいわかる。
そう、わかっていたはずだった。
カルニはずっと、こうする機会を待っていたのだと。
「オレを喰え、メイル」
己の全てを燃やし尽くし、主に捧げる。
それがカルニの忠誠なのだと、わかっていたはずなのに。
――“人喰い”には三つの効果がある。
身体能力全般の強化。
人間限定の高精度の察知能力。
そして、人間を喰らって糧とする“人喰い”そのもの。
「オレを喰って腹の足しにしろ。それに……今のオレならオマエの欲しいものをやれる」
……カルニに流れてしまった人化の術。
敗者が勝者のモノを横取りするなど、カルニに耐えられるはずがなかったのだ。
「オレを喰って、あのいけすかない神サマを倒して、それでめでたしめでたしだ。そうだろう?」
「泣き言をいうな、カルニ。このくらい“昇華”すればすぐに――」
「無理だろ。剣に一度、オレに一度。“昇華”に三度目はない。現実を見ろ、メイル」
――――――オレは死ぬ。
「嘆く必要はねえ。元から死んでた奴があるべき姿になるだけ。オレたちの旅の目的がひとつ果たされるだけだ」
「嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。まだ、まだ何か手が……」
「目を逸らすな、メイル」
「いやだ!!」
「メイル……」
やめろ。やめてくれ、カルニ。そんな優しい声をかけるな。
いつもみたいに減らず口を叩いてよ、頼むから。
「メイル、今ならまだオレの“人喰い”がオマエの中で生きている。
だから、もしもオマエが、オレのことを相棒だと思っているなら――――」
ずっと言えなかったけどな。
オマエと旅をして思ったんだ。夢を見つけたんだ。オレも―――
「なあ頼むよ、兄弟。最後に見せてくれ。オレの夢は叶ったのか」
――――オレも、ニンゲンになりたかった。
「――――――」
「ずっと考えてた。きっとオレが人化したのはそのせいだったんだ」
「カルニ……」
「オレはオマエと同じニンゲンになりたかった。オマエに命を預けられる存在になりたかった」
――――オマエこそが、オレの夢だった。
「――ッ!!」
「勝てよ、兄弟」
顎を開く。
牙を剥く。
頬を何かが流れる。
これは血だ。
もはや流れるモノすらないカルニの代わりに僕が流そう。
その日、僕は生まれて初めて、ヒトを喰らった。
◇
気配を辿っていけば、ちょうどイムヴァルトが目覚めたところだった。
「ぐっ、クソ、ガラクタ如きが我が本体を――」
「いまなんて言った?」
「な――」
起き上がったイムヴァルトを殴り飛ばす。
振り抜いた拳が燃えるように熱い。
本体と違ってイーライボディは軽くて、よく弾む。
「ゴフッ、な、なんだその速さガッ!?」
「黙れ」
足を踏みつけると同時に顎を殴り飛ばす。
もうお前に自由はない。
本体に戻る時間は与えない。
触れることすら許さない。
お前にはもうなにも残させない。
憎しみはない。これは戦いだ。殺すこともあれば殺されることもある。
だから、心に宿るのはただひとつ。
「……いこう、カルニ」
これは運命なんかじゃない。
僕は自分の意思でイムヴァルトと戦う道を選ぶ。
僕が選び、僕が殺す。
だからもしも、メイル・メタトロンの人生に運命があったというのなら――
――それはあの日、お前と出会ったことだ、カルニ。
お前と戦い、お前を剣にして、僕はここまで来た。
僕の旅路はお前の旅路だったんだ、カルニ。
だから。
「――イムヴァルトオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
殺意を込めて、吼える。
だから、あとは、ツケを払わせるだけだ。
「――僕はメイル・メタトロン・カルニバス!!
これからオマエを叩き折る。その傲慢、己が身をもって償え!!」
◆
気づけば、カルニは真白い空間にいた。
上下左右が定かでないその空間を『無重力』というのだと、メイルに聞いたことを思い出す。
「ってぇことは、ここは――」
『ようこそ、カルニ、新たな同朋よ』
声に応じて振り向けば、メイルによく似た翼持つ存在がいた。
金の髪を除けば、メイルがこのまま大人になったらこうなるだろう、というほどに似ている。
「よぉ。アンタが天使サマか。なるほど胡散臭いツラだ」
『正しい評価です。私は薪となって燃える人間の姿に耐えられず、一度は成した創世の理を自ら捻じ曲げた。割りを食った魔物にとっては詐欺師に等しいでしょう』
「そこまでは言ってないさ」
目の前のそれが創神アリアルドだとわかっていても、カルニは肩を竦めるだけだった。
こちとら盛大な兄弟喧嘩の駒にされたところだ。殴り掛からないだけでも自制している方だと思っていた。
「オレは死んだのか」
『はい』
「これからどうなる?」
『さて。前例がないのでなんとも』
「死んだオーガなんていくらでもいるだろう。それともメイルの手が加わったせいか?」
『己の手を見てみなさい』
意味深な応えに首を傾げながらも、カルニは自分の手を見下ろした。
「――――――――」
『正直なところ、驚いています』
そこには、猛々しい爪も、黒々しい肌もなかった。
なんでもない、ただの腕があった。
『魔物から人になった者は貴方が初めてです』
「……そうか。そうか。オマエはずっとオレをこう見ていたのか――」
メイル、と声もなく兄弟の名を呼ぶ。
兄弟、相棒、あるいは運命。そう呼ぶべき存在を想う。
『カルニ、新たな人よ。貴方は我ら四龍の理を超えた。貴方は世界を変えた。
故に、資格がある』
「資格?」
『創神となる資格だ』
創神とは、望むと望まざるとに関わらず、世界を変革してしまった存在。
かつて、メイルがそう評していたのを思い出す。
うたかたのように思い出が浮かんでは消えていく。
多くのことを学んだ。
カルニにとって生前とは、メイルと共にいた日々のことだった。
『カルニ、貴方は何を望む? 今の貴方なら新たな世界すら創造できる――』
「んなモンいらねえよ。オレが欲しいものはもう手に入った。だから、いい」
『では、現世への助力を?』
「イムヴァルトに負けたオレがしゃしゃり出るモンじゃねえだろ。それに――」
「――アイツは勝つ。これ以上、オレの助力は要らねえよ」
『……驚きました。貴方は私なぞよりよほど神らしい』
「よせやい。むず痒いだろうが」
ひらりと手を振り、誇らしげな笑みを浮かべ。
そうして、カルニは炎で編まれた螺旋階段を昇っていく。
存在を存在足らしめる真世界の階梯。
その先に何があるのか、カルニだけがこれから知る。
『……誇り高き者、天使の右腕よ。貴方の命に祝福を』
その背にかけられた言葉こそ、カルニという存在の“人生”の締めくくりであった。




