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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<4章:宿敵>
90/99

15-1

あけましておめでとうございます。

 大気圏突入を果たした魂が肉体に戻る。

 液体の感覚。

 注がれた水が器の形になるように、ミカド・ミコトなる魂がメイル・メタトロンという形になる。

 パチリと目を開けると、枕元で泣いているノキアと目が合った。


「泣き顔のノキアも可愛いよ?」

「……ばか」


 飛び込むように抱き着いてきたノキアを寝ころんだまま受け止める。

 不思議と体調は悪くない。体に欠損もないようだ。


「も、もう目覚めないかと……」

「ちょっと天使さんのところに行ってたんだ。心配させてごめん」

「いいえ、いいえ。謝るのはわたしの方です。あなたに翼をもらったのに……わたしは間に合わなかった。ごめんなさい……ごめんなさい」

「なに、間が悪かっただけだよ」


 それにしても僕はイムヴァルトの“消滅”の魔技に飲み込まれたはずだけど、なぜ無事なのか。

 完全にアウトなタイミングで意識を失ったから、てっきり死んだのかと思ったのだけど。

 僕の表情から疑問を読み取ったのか、ノキアが涙を拭って向かいのベッドを示した。


「フツさまが」

「――――」


 驚きと納得と、観察が同時に脳裏をよぎる。

 そこには半身を失って横たわる狼がいた。

 片目を開けてこちらを見遣るフツさんはひどく弱々しい。


「ああ、戻ったか、メイル殿……」

「フツさん、その体は」


 言葉に詰まる。聞くまでもないことだった。

 完全に“消滅”の魔技に飲み込まれたタイミングでも、文字通りの光速で機動し、かつ光の速度を他者と共有できるフツさんなら、僕たちを助けることができたのだろう。

 ただ、無傷で、とはいかなかっただけで。


「すみません、フツさん」

「気にするな。元より先走った私の責だ。ひとりではイムヴァルトめに勝てぬことなどわかっていたというのに……」

「痛くはないんですか?」

「……貴殿は優しいな、メイル殿」


 フツさんが困ったように笑う。

 首から下、右肩があった場所から走る()()は白く塗り潰されたように滑らかだ。

 あたかも初めからなにもなかったかのように、データを削除(デリート)したかのように。


「痛みはない。今は消し飛ばされた部位がなくても生きるように“変化(トランス)”している」

「それは……」


 それは“変化”の魔技を維持する精神力が尽きたら死ぬということだ。

 否、そもそも紋章すら消し飛んでいるのによくぞここまで保たせているというべきか。


「昇華を使います。イムヴァルトに消された欠損を復元することはできませんが、新しく作って継ぎ足すことはできます」

「……気持ちは嬉しいが、メイル殿。私はそれを受けるわけにはいかぬのだ」

「どうしてですか?」


 聞くまでもなく、予感する。

 他者と効果を共有するフツさんの魔技は神の領域のものだ。けれど、フツさんは神ではない。

 つまり、


「この身は我らが祖神キリルサグ様の三爪配(トライア)の一、“分配”の偉業を受けている。貴殿の魔技で形を変えてしまえば、御力をお返しできなくなる。それはなによりも恥ずべきことだ」

「自分の命よりもですか?」

「そうだ。それに、私は人の身でありながら少し長く生き過ぎた……。

 ……ただの、私怨だったのだ。せめて一矢、と。イムヴァルトめを(なじ)ることはできぬな」


 強さは平等で残酷だ。どんな存在であっても、戦えば結果が出る。

 フツさんは戦って、納得してしまったのだ。

 神代、獣人(セリアン)の祖、キリルサグ神は子孫を庇って敗北したのだ、と。

 支配、分配、軍配の三つの権能を併せ持つキリルサグ神はしかし、群れとして戦ったがゆえに、突き抜けた個であるイムヴァルトに弱点を突かれたのだ、と。

 弱かったのは、自分たちだったのだと理解してしまったのだ。


「メイル殿、貴殿に依頼する」

「――――」


 だからそれは、弱者ができるたったひとつのやり方だった。

 その為に、冒険者という存在はある。


「だから私は貴殿を助けた。恩を売った。弱い私にできる最後の足掻きだ」

「いいですよ。命の借りです。何でもやりますよ」


 問われるまでもなく、請われるまでもなく即答する。

 神代より生き続けてきた伝説の死は間近に迫っていた。


「ふふ、貴殿の「なんでも」は恐ろしいな、ほのおのこ」

「炎の子? 僕は火曜のヴァルナス神とは特に関係ないはずですが」

「ヴァルナス神が司るのは火だ。それもフェネクスから奪ったものだ。彼の神の本質は鉄打ちだ」


 ……ああ、そうか。そうだったのか。


「“炎”はアリアルド大神の領分なのだ、メイル殿」


 この人たちは最初からわかっていたのか。

 僕が天使さんの子、炎の子だと。だから――


「――あとを託す」

「万事、任されました」


 瞬間、ふっとフツさんの身が小さく萎んだ気がした。


「ああ――……安心した。貴殿に会えてよかった」


 もちろん気のせいだ。

 ただ千年の間、フツさんをフツさんたらしめていたなにかが終わったのだ。


「姫様」


 徐々に命の火が消えていくフツさんの目が、じっと彼を見つめていたケモ姫さまに向く。

 ケモ姫さまは、幼い見た目に似合わず、幼子を慈しむように微笑み、背伸びしてフツさんの頭を撫でた。


『よく仕えてくれた、フツ。むこうでたんと休むといい。ちちうえによろしく伝えてくれ』

「もったいないお言葉です。最後までお伴できず申し訳ありません――」















『――――キリルサグ様』





 ◇



 ……それから。

 フツさんを弔ったあと、僕たちはアルマテリア要塞の司令室に集まった。

 悲しみも、喪失感もあるけれど、時間はない。今後のことを話し合う必要があった。


「フィンラスさんはケモ姫さま……キリルサグ神のこと知ってたんだよね。前に自分は従妹みたいなものって言ってたし」

「うむ、おぬしも薄々は察していたな」

「消去法ですけどね」


 亜神級の魔技を持つフツさんが無条件で忠誠を誓う存在で、かつ、フィンラスさんと親しい相手なんてキリルサグ神かその直系以外にいるのかなって話だ。

 当のキリルサグ神本人(?)は緊張の色ひとつ見せず椅子に腰かけている。

 当たり前と言えば当たり前だけど、堂々としたものだ。


「では、私から事情を説明しよう」


 そうして、主要メンバーが集まったのを見計らい、フィンラスさんが口火を切った。


「こちらにおわすは創神七柱の七番目、金曜の神キリルサグ様その人だ。

 神代より幾ばくかの眠りの後、数年前に目覚めたことをエルフは知っていた」


 端的な報告に場がざわつく。亜神と創神はやはり扱いが違う。

 亜神はあくまで魂を自覚した人間、神に迫ったことで列聖された存在でしかない。

 例えるなら聖人だ。

 だから創神は、創神こそが『神』なのだ。


「キリルサグ神の偉業はみな知っているな。“三爪配(トライア)”、支配、分配、軍配の三つの権能を併せ持つ偉業。今はその御力の多く、特に支配と軍配の大半をイムヴァルト神に奪われているが、それでも影響力は御身に残っている」


 フィアが続ける。


「具体的に言えば、彼女が口にした言葉は()()()()()()()()()()()()

「それでは、迂闊に喋ることもできぬな」


 アシェラさんが納得と同情の視線をキリルサグ神に向ける。

 キリルサグ神は形見となったフツさんのマントを抱き寄せ、慎重に口を開いた。


『わたしの目的はイムヴァルトに奪われた偉業の奪還にある。同時に、イムヴァルトもわたしに残った力を奪うことを考えているだろう。彼奴の本質は「奪うこと」、彼奴の目的は「創神になること」、であれば創神のちからを奪うのが手っ取り早い』


 幼い相貌に反してキリルサグ神の言葉は端的でわかりやすい。

 軍人っぽいというべきか。あるいは、さすがは「群れの祖」、創神唯一の純戦闘神というべきか。


『創神として恥ずかしい限りだが、今のわたしは並の戦士にも劣る。みなには苦労をかける』

「お気になさるな、金曜の神。戦力以上にイムヴァルト神と直接戦ったことのある貴女の知識は千金に値する。

 なにせ我々はイムヴァルト神を討伐せねば、きっと生き残ることができないのだから」


 アシェラさんの言葉はこの場の総意であり、全員が共有している危機感だろう。

 人間をゴミかよくて薪程度にしか思っていないイムヴァルトだ。逃げればいい等とは、とてもではないが言えない。

 イーライの内側からこちらを見つめるヘドロのような視線を思い出す。

 仮に創神に成るために人類すべてを火にくべる必要があれば、奴は躊躇なく実行するだろう。

 イムヴァルトにしてみれば、ゴミを燃やして金のインゴットができる程度の感慨なのだから。


 問題はたとえ全人類を燃やしたとしても、イムヴァルトはたぶん創神に成れないことだ。


 そんなことで創神に成れるのなら、とっくに八番目の創神が生まれている。

 銀河であり生命の系統樹そのものとなったアリアルド神と比べていかにもスケールがちっちゃい。

 だから彼は、創神に成れない。


「僕もイムヴァルト神の討伐に同意します。私怨もありますし……依頼も請けましたし、ね」

『ほのおのこ、あなたは不思議なひと。イムヴァルトの器とあなたは同じにおいがする』

「あれ前世の僕の死体なんですよ」

『!?』

「まあ、それはともかく」

「いや待て。それ私もはじめて聞いたぞ!? さらっと流していい話ではないぞ!?」

「どうどう、フィンラスさん。あとで話すから。それで、イムヴァルトはなんで死亡確認もせずに撤退したんですか?」


 消滅の魔技とかいう反則技持ちだしただけあって、先の戦闘で僕たちはほぼ詰んでいた。

 なのにイムヴァルトはいつの間にかいなくなっていた。そこに理由がある。

 果たして、キリルサグ神はこくこくと頷いた。


『イムヴァルトの“消滅”の魔技は一度撃つと溜めが要る。けっこうながい』

「リチャージ時間があるってことか。それはいいことを聞いた。一発凌げば勝ち目がある」

『然り。魔技を除けば、ほのおのこ、あなたとイムヴァルトのつよさは拮抗している』


 だからって亜神が逃げるか普通。ヘドロみたいに態度悪い癖に慎重だ。

 いや、慎重だから他者を寄せ付けないヘドロになったのか。

 なにせ彼の神としての権能はキリルサグから奪ったものだ。

 そして、おそらく他者がさらに奪うことができる。

 転売ならぬ転奪。常に頂点が入れ替わる可能性を孕む弱肉強食。

 イムヴァルトの教義とはそういうものだ。勝者は常に孤独となる。


『ただ、この“古竜の聖域(ドラゴンズネスト)”の奥地には封印されたイムヴァルトの本体がある。

 わたしが負けたあと、ルティナの子、愚神サイラスが傷ついたイムヴァルトを封印した。

 最古の竜にして、神代の亜神の肉体。とても手ごわい』

「うわぁ……」

「ふむ、本体の封印が解かれる前に倒すべきだな。ロクなことにならん」

「逃げた先がわかるのはありがたいがな。時間もない。補給が済み次第、進軍を再開。最短最速で魔神イムヴァルトを撃破する」


 方針が決まり、直ちに行動に移される。

 フィアは“海霊玉(スフィア)”に潜り、アシェラさんたちは待機中の義勇兵の元へ。

 結果、司令室に残ったのは僕とキリルサグ神のふたりだけだった。

 ちょっと緊張する。この世のものとは思えぬほどに澄んだ金瞳がじっと僕を見つめている。

 しばらくして、みなには言わなかったけど、と金の獣神は言葉を紡いだ。


『ほのおのこ、あなたの右手はちちうえの右手。イムヴァルトに勝ち目があるとしたらあなただけ。

 あなたの右手だけが、あなたの遺体からイムヴァルトを引きはがせる』

「勝機があるのは僕だけ、ですか」


 直に戦ったことのある彼女だからこそ言えることだろう。

 キリルサグ神の言葉は人間に対して強制力を持つ。

 だから、自明であっても、みんなに「負ける」とか「勝てない」とは言えなかったのだろう。

 もっとも、予想できたことではあるし、みな薄々察してはいるだろう。

 イーライは僕の死体に、おそらくはイムヴァルト自身を混入して作られた人竜だ。

 そもそもがイムヴァルトの肉体の一部に等しい。存在強度を考えると他の者では干渉できないとみていい。


『すまない。わたしに“支配”か“軍配”が残っていれば力になれたのだけれど』

「お気になさらず。奴の手の内がわかっただけでも大きな収穫ですよ」


 だが、勝機がないわけでもないらしい。

 いかな神とはいえ、未知でさえなくなれば対策の立てようがある。


 あの神に、必ず、後悔させてやる。


 さしあたっては“消滅”の魔技対策だ。



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