13:宿敵-3
大地竜の死骸の上。
凄惨な戦場に血の匂い濃い北風が吹き荒ぶ。
僕の右腕から流れる血とイーライの左腕から噴き出す血。鼻をつくふたつの匂いはひどく似ている。
なるほど、とひとつ納得する。
あっちが人を具象する竜なら、僕は竜の体を持つ人なわけだ。
となると、やはりこの体のコピー元である天使さんの正体は――
『……イル、メイル、ぼさっとしてんじゃねえ!! 腕ェ繋ぐぞ!!』
「っ!!」
外骨格から響くがなり声に意識を引き戻される。
どうやら走馬灯が過ぎっていたらしい。
たしかに、すでに人間ならショック死してもおかしくない失血量だ。
「力を貸して、アラーニェ」
『“念手”!!』
魔技の発動権限をカルニに移行。
昇華したばかりの魔技を起動。
不可視の腕を模した念動力が宙を飛び、斬り飛ばされた右腕を回収する。
「ばっさり、いかれたね……竜鱗手甲とカルニと天使ボディ、まとめて、とは……」
『オレは破片を回収すれば治る……治った』
「便利な奴……」
とはいえ、斬られた腕の断面は恐ろしいほどきれいだ。濡れたガラスの如く断面同士がぴたっと吸い付く。
フィアが使っていた人技なる技に似ていた……魔技の領域にまで至った斬撃だ。
人間の窮極ならば人間の極限ができて当然ということか。本人は原理を理解していないだろうに、なんて理不尽だ。
「竜鱗手甲はダメ、ぽい……機構部分が……」
『それよりオマエだ!! いいから早く。腕はくっつくとしても――』
「ああ、うん」
朦朧とする意識のまま腕の断面同士を合わせ、“回流”で血流や体液の循環を操作、強制的に正常状態に復帰させる。
天使ボディは賦活能力も高い。きちんとくっつけて血を循環させれば、さして間を置かず再生も完了する――
「――ア、ガッ!!」
低下していた意識レベルが一気に正常状態に戻される。
急激な復帰は立ち眩みに似ていた。久しぶりに吐き気を覚える。二度と体験したくない。
そして、気付きたくなかった事実に気付く。
『……で、どうだ?』
「だめっぽいね」
くっつけた右腕の“昇華”の紋章に違和感がある。
紋章ごとぶった斬られたんだ。起動するだけマシだろう。
本来、破損した紋章を直すことはできない。
魔技は創神から与えられたものだからだ。
完璧な修復は創造と同義だ。いまだ亜神の領域にいる僕では創神の御業には届かない。
端的に言って壊れかけ。まともに“昇華”を使えるのはあと三回がいいとこだろう。
「……まあ、十分か。イーライに一回、イーライを作った奴に一回。一回余る計算だ」
『オマエ……』
殴り合っているうちに“人喰い”の性が知覚した。
イーライはまだ幼い。おそらくは僕と同じか、それ以下の年齢だ。
その上、神化の魔技も使いこなしていないとなると、別世界に干渉する手段もタイミングもない。
つまり、イーライには製造責任者がいて、ソイツが前世の僕を殺した犯人だ。
確信し、決意する。絶対に落とし前を付けさせる、と。
まあ、それはそれとして魔技暴走させているきかん坊も殴るけど。
人殺しは悪いことだけど、だからといって借りパクを許す理由にはならない。
「で、イーライはどう? まだ目霞んでよく見えないんだ」
『動きは止まってる。血ィ流しすぎたな』
それはいいことを聞いた。血が出るなら神も殺せるか。
創神級に攻撃が通じたのも朗報だ。
なにせ、創神級をつくれる“存在”は――
『やはりこうなったか』
その声はひどく平坦で、どこか空恐ろしく響いた。
はっとして霞む目を凝らす。
イムと呼ばれた魔剣がひとりでに浮かび、荒れた息を吐くイーライを見下ろしている。
『あの骨剣、イマサラなにを……?』
「……待って」
ふと計算を途中で間違えたような違和感が脳裏をよぎる。おかしい。この順番は合理的じゃない。
魔剣とは魔物を材料にした剣だ。その真価は魔剣の魔技を使えるようになることにある。
カルニの“人喰い”のように、魔剣イムにも搭載された魔技があるはずだ。
なら、なぜイーライはそれを使わなかった?
生態と魔技が一致している魔物には、魔技に準じた気配がある。魔剣イムの気配は明らかに攻撃系だ。
打ち合った感触からして神代、あるいは焔代の存在だと推測できる。出力はフェネクスに匹敵するだろう。
つまり、僕たちにも効くレベルの攻撃手段だ。
はっきり言って、暴走する危険を自覚していた“神化”より先に切るべき手札だ。
そこから導き出される事実はひとつしかない。
「……まさか、イーライは知らなかったの?」
『なにをだ?』
「魔剣に魔技が封じられていることをさ」
『ッ!?』
もしそうなら、魔剣をブーメラン扱いしていた理由もわかる。
封じられた魔技の存在を知らなければ、魔剣はひたすら頑丈な剣でしかないからだ。
「例えば「私から言葉を奪えばただの剣だぞ」なんて言って煙に巻くとかさ。状況を考えれば隠すのはそこまで難しくない……」
言葉が通じるから忘れがちだけど、イーライたちはこれまで“古竜の聖域”という、原始の魔物が跋扈する未開のジャングルみたいな場所で暮らしていたのだ。
つまり、文明的な情報を入手する手段がない。魔剣についての詳細を知る術なんてないだろう――
「――当の魔剣が黙っている限りは」
『オイ待て。そりゃあの魔剣が主を騙してたってことじゃねえか!? 主を弱くすることになんの意味がある!?』
「意味ならあるさ」
なんだかんだで忠義に篤いカルニでは思いつきもしないだろう。そもそも魔物の教義は弱肉強食、強者に従うのは本能に近い。
その本能をあの魔剣は無視している。そんなことができる“存在”は一柱しかいない。
ああ、そうだ。答えは初めから提示されていた。なんで気付かなかったんだ。
あの魔剣は――
次の瞬間、同時にふたつの出来事が起きた。
「――イムヴァルトオオオオオオオオオッ!!」
マントを纏った青い狼――フツさんが雷光と化して魔剣に襲い掛かり、
『一手遅かったな』
魔剣イムが――いいや、こう言うべきか。
魔神イムヴァルトがイーライの腕の断面から人竜の体に侵入した。
変化は一瞬だった。
イーライの瞳が金色に染まり、襲い掛かる雷光を殴り飛ばす。
「ガッ!?」
「ん? なにかと思えば負け犬ではないか」
イーライの顔で、イーライの声で、ソレは傲然と告げた。
「物覚えの悪い奴らだ。キリルサグが私に負けてから何百年経ったと思っている。貴様らの存在が彼奴の敗北した理由だというのに、いまだに地上を這っているのか。恥を知るならばさっさと滅びておくべきではないのか」
「貴様アアアッ!!」
「くどい。キリルサグは貴様らを庇ったが為に敗北したのだぞ?」
「黙れえええええええっ!!」
再び雷光化して突撃をかけるフツさん。
けれど、イーライの体を乗っ取ったイムヴァルトは亜光速の突撃を涼しい顔で回避する。
技でもなんでもない、ただの動体視力と反応速度。光を見切る魔神のスペックだ。
『ありゃマズイぞ、メイル。フツの野郎、完全に手玉にとられてやがる』
「……加勢する」
カルニの外骨格を解いて大剣に戻す。存在強度が違いすぎる。他の武装では砕けるだけだ。
「いくよ、カルニ」
一歩目から天使ボディをトップギアに叩き込んでイムヴァルトの背後に回る。
このタイミングでイーライを乗っ取った以上、もはや確認するまでもない。
こいつが。
この神が。
最古の竜の一柱であり、魔物の祖神であり、金曜の神キリルサグを墜として神代を終わらせた偉大で卑劣な神が、
前世の僕を殺した犯人だ。
「やることがみみっちいぞ、魔神イムヴァルト!!」
殺意は隠さない。舌もよく回る。どうせ知覚されているのだから盛大に叩きつけるだけだ。
その甲斐あってか、フツさんで遊んでいた、あるいは試運転をしていたイムヴァルトの首がぐるりと回り、訝し気な視線がこちらに向いた。
「なんだ貴様? 私が捨てたゴミがなぜここにいる?」
「骨まで砕けろファッキンゴッド!!」
胴体目掛けてカルニをフルスイング。
当然のように防がれるけど馬鹿力はお互い様。衝撃で足は止まる。
ほぼ同時、雷光化したフツさんが逆側から突っ込んでくる。
左腕を落とした今なら左右からの同時攻撃は――
瞬間、イムヴァルトの腕の断面から腕骨が飛び出し、フツさんに突き刺さった。
『グゥッ……!!』
「フツさん!?」
「ふむ、やはり剣がないと不便だな。手が汚れる」
引き抜く勢いでフツさんが振り落とされる。
すぐにでも助けに行きたいけど、イムヴァルトから視線を外せない。
俗すぎる口調とは裏腹に、イムヴァルトの動きは速く、鋭い。
血で汚れた左腕は人体模型のような剥き出しの骨なのにひどく滑らかに動く。
……骨となってなお、竜の存在強度は並の人間を超える。
いわんや最古の竜であれば、この程度は当然なのか。
「そこな剣よ。材質は若いが良い魔技だ。よくぞ今の時代に復活した。私が佩くにふさわしい剣だ」
金色の視線がこちらに――僕が構えたカルニに向く。
ゴミを見下ろすよりは多少マシな……ガラクタでも見るような視線。
最古の竜が成った亜神のくせに、イムヴァルトが人間に信仰されなかった理由がよくわかる。
僕がゴミならこいつはヘドロだ。
「さあ、魔剣となりし魔物よ、貴様の唯一なる者、祖神イムヴァルトを思い出せ。我が元に戻れ」
『……メイル』
「いいよ、カルニ。お前の望む通りにするといい」
『へっ、強がり言いやがって』
答えのわかっている問いを遮る必要はないさ、カルニ。
『――お断りだぜバカ野郎』
思った通り、我が兄弟は自らの祖神に中指を立てた。
『百歩譲ってイーライなら考えるくらいはしたが、ぽっとでの亜神如きなんざ知ったこっちゃねえな』
「……なに?」
『唯一なる者――王サマってのは、断じて他人の肉体を掠め取る奴のことじゃねえ!! ぶつかって、分かち合って、命を預けられる奴のことを言うんだ!!』
「その教義は私にふさわしい肉体を作らせるためだ」
『テメエの事情なんざ知ったことかあああああああッ!!』
カルニが咆哮をあげる。
怒りだ。こいつはいつも怒ってばっかりだ。
でもそれは、決して自分だけの怒りではない。
『オレたちは真剣に、イノチ懸けて唯一最強の座を争ってんだ!! 後から出しゃばってくんじゃねえ!!
我が王はメイル・メタトロン唯一人!! 魂を分けた仇の名はイーライ!! 決して、イムヴァルトなんかじゃねえ!!
覚悟しろ――オマエは殺す。我が王が決めた。オレはその怒りに従う』
「……そうか」
イムヴァルトは白けた表情を浮かべると、竜翼を羽ばたかせ、宙に浮きあがった。
「ならば王と共に死ね、最後のオーガよ」
その全身、否、肉体を超えて空にまで黄金の紋章が広がっていく。
天を覆い尽くさんばかりの大きさと眩さ。
紋章は大きく、輝くほどに出力を増す。
魔技は古いものほど単純で、強い。
つまりはこれが、創世の残り香。最古の竜の――
「メイル殿、逃げろおおおおおお!!」
遠くでフツさんの声が聞こえる。
だけど、その声もすぐに掻き消されていく。
ギチギチ。
ギチギチ、と。
空間が軋みをあげる。
かつて、この世界が無であり、混沌だけが全てであった時。
壊天のイムヴァルトは己が権能を以って混沌を消し去り、無の世界に有を生み出す余地を与えた。
虚無すら殺す創世の権能。
それが、イムヴァルトの偉業。
「――“死、そして破壊”」
そして、光が全てを塗り潰した。




