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「――最果ての地に集いし精兵たちよ!! 我らはこれよりヴァルナス神の遺せし竜撃要塞アルマテリアを奪還する!!」
夕闇の中、沈みゆく太陽を背に塔に立ったアシェラさんが涼やかな声を響かせる。
配下の義勇兵第三隊は総勢200名。少数精鋭が常のこの世界では大部隊と言って差し支えない。
なにせひとりひとりが魔技を持つ一騎当千にして攻城兵器みたいなもんなのだ。これ以上増やしても同士討ちの危険が増すだけだ。
「先の敗戦に心折られた者は下がれ!! 此処で退くは勇気である!!
隣に立つ同胞を守れぬ者は下がれ!! 此処より先は死地である!!」
張り上げるような声ではない。
けれど、その声は部隊の隅々まで染み渡る。聞いているだけで体が熱くなる。
アシェラさんに生まれついての武才があるとすれば、配下を鼓舞し、戦場へと邁進させるこの声だろう。
「さあ、戦友たちよ、答えを聞こう!!」
「――我らが戦乙女よ、問答は無用!! 懊悩は不要である!!
この身すでに死兵なれば。恐れるものはただひとつ、貴女と共に戦えぬこと!!」
「鮮烈なりし戦乙女よ、槍を掲げてくれ!! 我ら騎士にあらずとも、その心は御身と共に!!」
兵たちの狂奔する声を受けて、アシェラさんの全身に蒼い紋章が浮かぶ。
天に突き立てる一振りの槍。それに応じるように無数の剣が、槍が、あらゆる武器が掲げられる。
「よかろう!! 我が愛しき兵たちよ、共に死地へと参ろうぞ!!」
――願わくば、皆が生きて帰らんことを!!
おお、という声に地面が揺れ、肌が粟立つ。
カリスマの一言で済ませられる熱狂ではない。
アシェラさんは常に先陣に立ち、常に殿を買って出たという。そうして積み上げた信頼と実績なのだろう。伊達にファウナ先生の妹をしていない、と評すのは不公平だろうか。
というわけで、再び戦場である。
場所はランガ北都からさらに北へ20キロほど進んだ平野部。現地では“爪痕の草原”と呼ばれる一帯。
その名の通り、深さ数キロのクレバスじみた地割れが方々に刻まれた草原、あるいは渓谷だ。グランドキャニオンみたいな印象だ。爪痕に落ちたら登るのもひと苦労だろう。
これでも事象の具現化たる竜種がゴロゴロいるせいで地形と環境が安定しない西部開拓地の中では「まだマシ」だというから驚きだ。
そして、この草原は竜撃要塞アルマテリアを奪われた地でもある。
本拠地から戦闘の余波が届かない程度に離れていて、かつ比較的安定した立地に要塞を配置して睨みを利かせる。
堅実で合理的な手筋だ。なにせ要塞は聖遺物の例に漏れず自己修復機能があるが、中に詰める兵士には最低でも食料が要る。
この世界の輸送の危険度、それもヌシクラスがスライムみたいな顔して闊歩する試される大地であることを鑑みれば、20キロというのは安全を確保し続けられるギリギリの距離だ。
けれど、その近くて遠い距離は、要塞が奪われると同時に死刑宣告に早変わりした。
“昇華”で作った即席の塔の上から展望する。
一見して、アルマテリア要塞は双胴型の戦艦のような形状をしていた。全長2キロくらいの鈍色の陸上戦艦だ。
義勇軍第二隊を残らず殲滅した魔人があれに乗って都市に攻めてくるとなれば、そりゃ残存兵力の半分を動かして偵察もさせるだろう。でなきゃランガ側から目視された時点で都市内大混乱の自滅コースだ。
要塞自体は見た目にはゆっくりと近づいてきている。車輪やキャタピラ、あるいは足のような部位はない。おそらくは念動力で駆動している。
……あの巨大構造物を念動力だけで動かしているのか。ヴァルナス神ってあたまおかしい。おかしくない?
史上最大の聖遺物、竜撃要塞アルマテリア、ヴァルナスの動く城塞。
竜なんていう、どこで発生するかわからない突発災害に対抗するなら移動能力は必須なのだろう。
先日倒した水竜を思い出す。
僕が対竜に特化した兵器を創るなら、最低でもブレスを防げる城壁と対空火力は用意する。竜鱗を貫く打撃力も必要だけど、最悪、個人で代替できるから二の次か。
僕でもそのくらいは考えつくのだから、ヴァルナス神だって思いついただろう。
そして、確固としたイメージがあれば過程をすっとばして実現できてしまうのが魔技だ、実際にやるかは別として、だけど。
「ヴァルナス神って頭いいけど……ちょっと頭おかしい人だったんです?」
「創と亜の区別なく、神になる者は多かれ少なかれそういう気質だ」
隣でしれっと宣うエルフに軽くジト目を向ける。
「アルマテリア要塞が動けるって、先に言っといてくれてもよかったんじゃないですか?」
「……隠しているつもりはなかったのだが、すまぬ」
申し訳なさそうな表情をするフィアを見て、少しだけ意外に感じる。
他のエルフならいざ知らず、常の彼女ならこんな下手は打たない。
けど、なんとなくだけど、気持ちはわかる。
「……まあ、見ただけですごいのはわかりますよ」
「!! そうであろう。彼は本当に人類の為を思ってあの要塞を建造したのだ」
僕らにとってアルマテリア要塞は神代の聖遺物でしかないけど、悠久を生きる彼女にとっては伯父の創り上げた傑作だ。あれこれと説明する前に、まずは直に見て驚いてほしかったのだろう。
本人にも自覚はないかもしれないけれど、打って変わって誇らしげに大きな胸を張るフィアを見るにきっとそうだったのだろうと思う。
「して、メイルよ。如何にして攻略する? 魔人たちはようやく動かせるようになったという段。いまだ機能の多くは使えぬであろうが、要塞が難攻不落の構造をしていることには変わりはないぞ」
「まずは目標を決めます。アシェラさん」
「うむ」
要所を守る軽鎧を纏い、屋内戦を想定したサーベルを腰に吊ったアシェラさんが油断なく要塞を睨む。
「優先すべきは難敵の排除だ。極論、魔人さえおらねば、第三隊で要塞を制圧できる」
一山いくらヌシ程度なら対処できると言外に断言する姿は成程、人類の最前線を担うだけある。
魔物の教義は弱肉強食。強いものはより上位にいく群れ構造をしている。適材適所とかそういう合理性は二の次だ。
いや、魔物の知能レベルは種族によってピンキリだから、極限まで単純化された指揮系統はある意味合理的なんだろうけど。
魔人の軍勢も基本的には同じだろう。しかるに、要塞に詰めていた義勇軍第二隊をひとり残らず皆殺しにしたのなら、それを為した奴が群れを率いている。もちろん、そんなことができるのは確実に魔人クラスだ。
「つまり――」
「ああ。――依頼内容は要塞に巣食う首魁たる魔人の撃破だ」
目標が決まれば、自ずと作戦も決まる。
「まずは敵の目を潰す。ノキア」
「はい。――“水冠”」
以心伝心。頷いたノキアの全身に精緻な空色の紋章が走る。
途端に付近一帯の夕空が分厚い灰色の雲に覆われ、間を置かずざあざあと驟雨が降り始めた。
数メートル先が見えなくなるほどの集中豪雨だ。視界はほとんど機能しないだろう。
「次。フツ先生、お願いします」
「……考えたな、メイル殿」
狼頭をニヤリと歪ませて、フツさんは雷光と化した。
次の瞬間、布を引き裂くような轟音と共にアルマテリアの甲板に稲妻が落ちた。
運悪く着弾地点にいた歩哨と思しき巨人骨格の魔物――ギガースアンデッドが黒焦げになって倒れる。
そして一瞬後には何事もなかったかのようにフツさんが元の場所に戻ってきていた。
敵から見ればたまさか雷が落ちてきただけのように見えるはずだ。これが襲撃であることすら気づかないだろう、少なくとも今はまだ。
「ギガースアンデッドが10と4、ウルフアンデッドが10と7、見張りはそれで全てだ」
「……やはり少ないですね」
「貴殿の考えた通りだな」
仮にアルマテリア要塞に詰めていた第二隊が大群に襲われたのなら、全滅は普通あり得ない。
要塞の重要性を考えれば死守はするだろうけど、それはそれとして伝令は確実に出す。なんとしても出す。
この世界はとかく初見殺しの魔技が多い。情報の有無が都市の存亡を決める。
実際、第二隊の情報がなかったためにアシェラさんたち第三隊は敵戦力を見誤り、撤退の憂き目にあっている。
逆説的に、この世紀末開拓地で最精鋭の看板を背負っていた人たちが伝令も出せずに全滅した、という事態が敵の攻撃方法を限定している。
考える。精鋭の目を掻い潜って要塞に侵入し、気づかれぬまま全滅させる。
要塞、屋内、全滅……超巨大魔人ウルザは制圧後の援軍。要塞に目立った損傷はなし。
選択肢は多くない。条件は要塞全域を短時間で制圧する広域魔技/偉業。
効果は、溺死、凍死、窒息死、あるいは――。
「それにしても、アンデッドは開拓地にもいるのですね。強い魔物ではないと思うのですが、よく生き残ってますね」
「うむ。ノキアの言はもっともだとお姉ちゃんも思う。ただ、ここらは他の土地とは死者のケタが違うからな……人も魔物もだ。ゆえに駆除しきることは難しい」
アシェラさんが言うことももっともだ。
この世界のアンデッドの出来方はなかなかユニークだ。
ヌシに率いられた魔物の中で、幸か不幸か死してなお上位者の命令で動き続けられる資質を持つものが成る。
人間でも心を喰われて――死ぬ直前に心が折れる場合が多いという――魔物の配下となった者が成ることがある。
純粋にそういう資質があるかが問題なので、死者が多ければそれだけアンデッドに成る数も多いだろう。
実のところアンデッドの原理はよくわかっていない。が、魔技も使えないし、生前とは別個の存在だと見做されている。
一説には、ヌシの配下にのみ起こる現象だから、魔神イムヴァルトの弱肉強食の教義、上位者の命令に絶対服従させる法――キリルサグから奪った“支配”の偉業――が、死体に焼き付いて動かしているのではないかと言われている。
「でも、なんでわざわざアンデッドを配下にしたんだろう? 他の魔物もわんさかいる……いたのに」
一瞬、あらかたビームで薙ぎ払って魔物手不足にしてしまった可能性が頭をよぎった。
「ふむ、首魁に人望がないから、というのはどうだろう、弟よ」
「憐れんじゃうからやめましょうよ、お姉ちゃん」
実際、疑問ではある。
たしかに、アンデッドは人類の生存圏においては見つけ次第、問答無用で討伐される魔物――魔技は使えないが、上位の魔物の支配に従う習性があるため魔物にカテゴライズされている――ではある。
アンデッドが徘徊する地ではよく病が流行るからだ、おそらくは衛生的な問題で。
しかし、アンデッドは弱い。脆い。貧弱ッなので、すこぶる戦術が限定される魔物だ。
動きは鈍重、知能があるかすら怪しく、魔技も使えない。魔技の起動に必要な意思か紋章か、あるいはその両方がないのだろう。死者は魔技を使えない。
今回の場合、嫌がらせ兼パンデミック目的で要塞に連れてきた可能性もないではないけど……たぶん違う。
「――“人喰い”」
目を閉じ、“人喰い”を起動して気配を探る。
カルニとほどよく混ざった今となっては数キロ先の人の気配を探る程度、容易いことだ。
……こんなのに人狩りいこうぜ!!されていた焔代の人たちの苦労が偲ばれる。そりゃ人類も魔技持ったらオーガが発狂するまで追い込むわ。
そして“人喰い”が断言する。要塞内に生きた人間の気配はない。
ただ、ウルザと同じ、人間によく似た独特の気配――色濃い死の気配、魔人の殺意が匂うだけだ。
この殺意の発生源は嫌がらせなんて迂遠な真似はしない。皆殺しにする気だ。そういうドス黒くてドロドロしたドスマグマのようなドス殺意を感じる。
つまりは必然性。この魔人はアンデッドを引き連れる必要があった。あるいは他の魔物を率いることが不合理であったということ。
そこまで考えて、脳内で稲妻のように思考が繋がり、結論が導かれた。
そういう魔技を使う魔物がいると、前にカルニが言っていたのを思い出す。
「……敵の魔技がわかりました」
「まことか!! さすが我が弟だ!! お姉ちゃんは嬉しいぞ!!」
嬉しそうにわしゃわしゃと髪を撫でてくるアシェラさんに真面目な顔で頷き返す。
僕の考えている通りなら、この敵をランガに近づかせるわけにはいかない。ここで必ず倒さないといけない。あまりにも危険だ。
「アシェラさん、すみませんが陽動をお願いします」
首を傾げるアシェラさんに作戦を説明する。とてもシンプルな作戦だ。
「――要塞には僕ひとりで突入します」
この魔人と屋内で戦えるのは、たぶん僕だけだ。




