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意外な話だけど、人類存亡の最前線である剣闘都市ランガには正規の軍隊――つまり騎士団は存在しない、ことになっている。
これにはもちろんワケがある。
この世界の「騎士」というのは、早い話が戦国時代の武将だ。
戦争における将であると同時に、平時は領地を治める統治者たち。
識字率もそこまで高くないこの世界において、騎士は幼少期から高等教育と戦闘訓練を叩き込まれたぶっちぎりのエリート階級だ。
もちろん内政が得意な騎士、戦闘が得意な騎士というような各人の色はある。
けれど、城壁の外を魔物が闊歩するこの世界では防衛力と統治力はほぼイコールで、戦闘力と発言力もだいたいイコールだ。都市間の繋がりも薄いから余計にそういう風潮は強い。
翻ってランガである。
率直に言えば、ランガは複数の都市から支援と指図を受けている共同統治都市である。
その都合上、明確なトップはおらず、議会形式で都市の方針を決定している。この異世界では少数派に属する政治形態だ。各都市国家が分担して支援しないとランガは立ち行かないのだ。
もっと言えば、この世界では珍しいを通り越してあり得ないレベルの支援がないと、ヌシクラスの魔物がぽこじゃか湧く矢面に立った都市は維持できないということでもある。
なお、支援物資の筆頭は人材だ。
騎士という文官と武官を兼ねる精鋭は育成に時間がかかるわりに戦闘で喪われるリスクが常につき纏う。
そして、騎士の損耗はそのまま都市運営に直結するのだ。重要かつ貴重な支援である。
でも、そうなるとひとつ問題がある。
複数の都市から支援を受けているランガならではの問題。
ずばり、指揮系統が複数あること。
騎士は当然、派遣元の都市の意向を強く受けている。
だから、普通は他都市の騎士の指揮下にはつきたくないし、可能なら先んじて権勢を握りたい。できれば利益は自陣営で独占したい。
……と内輪で政治ゲームやってる内に何度かランガが壊滅したので、みんな学んだ。
かつて、この都市を守っている兵隊は剣闘士と呼ばれていた。ゆえに都市のふたつ名は剣闘都市。
彼らは今の時代では義勇軍と呼ばれている。
つまり、金で雇われた冒険者と、義によって助太刀する……という体で赴任した他都市の騎士の混合物だ。
◇
義勇軍第三隊の兵舎は北都の中でも前線に近い場所にあった。
魔物が南侵してきたら真っ先に対応できる立地に、城壁と一体化した砦じみたごつい隊舎と物見の搭が鎮座している。強固な陣地も強大な魔技を持った個人には無意味だけど、純粋にでかくて強い魔物相手なら用途もある。
そんな隊舎前の広い曲輪――明らかに城壁を超えてきた相手の迎撃が想定されている――にはまばらな数の兵士が武装したまま、そわそわした様子で待機している。
フィンラスさんがどこからか入手してきた情報によると、アルマテリアに詰めていた第二隊が壊滅したしわ寄せで、第三隊も隊を割って都市防衛と魔物の迎撃をどうにかこなしている状況だという。本来は遊撃部隊である第三隊所属の騎士が南都の門衛までしていたのはそのためだ。
しかも敵がこっち滅ぼす気満々の魔人の軍勢とくれば、キャパの限界は遠くないだろう。
つまり、売り込み時だ。冒険者は劣勢のときほど良い値段がつけられる。
と、屯している兵士の中に依頼主の門衛さんを見つけた。察するにシフトを代わって待っていてくれたらしい。
特に気配も隠していないのでむこうもこっちに気づいて、おもむろに兜を脱いで相好を崩した。
露わになった顔は平凡と言っていい造作だけど、端々から隙のない気配がする。“人喰い”なしで先手はとれないだろう。
「こんにちはー。魔人の撃退と第三隊の救援完了しました」
「ああ、話は聞いている。よくぞ姫様を助けてくれた。報酬についても事前の約定通りの額が支給される手筈になっている」
「それは重畳」
「さあ、姫様がお待ちだ、案内しよう。今は気が立っている者も多いから離れないように」
そう言ってマントを翻して歩き出す門衛さんについて行く。
兵士たちは明らかに門衛さんに道を開けている。実はけっこう偉い人なのかもしれない。
「……要塞に詰めていた第二隊はやはり全滅だったようだ」
「話には聞いていましたが……音に聞く精鋭が伝令のひとりもだせずに?」
「ああ。普通なら考えられないことだ。それゆえに我らも状況を把握するのに時間がかかり、姫様を殿に残すなどという無様を晒している」
指揮官が殿を務めるというのもおかしな話だけど、この世界ではままあることだ。
つまり、指揮官が一番強くて生き残る可能性が高いからだ。
ちらっとしか見ていないけど、たしかにアシェラさんはかなり使える人だ。
魔技も遅滞戦闘に適している。ああ、よく知っているとも。
「この都市は常に崖っぷちだが、それゆえに金払いは良い。これからも頼む」
「それはアシェラさん次第ですね」
「姫様次第?」
怪訝そうな門衛さんを天使スマイルで誤魔化して隊舎に入る。
ごつい見た目に違わず、隊舎の中は石の壁と床ががっちり組まれていて、見るからに圧迫感がある。
壁にはずらりと魔物の首の剥製やら毛皮やらが飾られているから迫力も凄い。
これらはトロフィーであるとともに実物への耐性をつけさせるためか。
「ここの主は良い趣味をしているな」
「さいですか」
こういう剥き出しの欲望がけっこう好きなフィンラスさんは楽しそうだ。
ノキアは早くも疲れた顔をしている。その後ろではフツさんが一瞥しただけで視線を外し、ケモ姫さまが剥製ひとつずつ興味深げにスンスンと匂いを嗅いでいる。
この一党大丈夫かな? 感性が違いすぎて不安しか感じない。
まあ、コミュ力モンスターのフィンラスさんに丸投げしておこう。そもそも一党結成の発端だし。
正直、僕の方もあまり精神的余裕はない。
――話の運び次第では、僕はランガから追い出されるかもしれないのだ。
「おお、来たか!!」
アシェラさんは隊舎の奥まった部屋にいた。
隊長室と謁見室を兼ねているのだろう。部屋はダンスを踊れるくらいに広く、壁際に上品な調度が並んでいる。
「先刻は助かった。そなたらの救援がなければ私たちは全滅していた。それもまさか一党だったとは、なんという幸運!!」
鎧を脱いだアシェラさんは後ろで括った青い髪を揺らして立ち上がり、満面の笑みで両手を広げて僕らを出迎えた。
改めて見ると綺麗な人だ。整った顔立ちに、人好きのする明るい笑顔。立ち上がる動作ひとつにも育ちの良さが窺える。
事前に聞いていたとおり、名門の出というのは看板だけでは――
「感謝するぞ、勇者たちよ!!」
アシェラさんは駆け寄って来た勢いのまま、僕らを纏めて抱きしめた。
音にすればむぎゅっとでも言うべきか、とても柔らかい感触がした。
どうやら着痩せするタイプらしく、クロースアーマー越しの豊かなクッションに顔が埋まる。
そういえばこの世界にブラジャーないんだった……とか余計なことを考える思考を隅に追いやって呼吸を整える。
……石鹸の匂いがする。向こうも一息ついたところだったらしい。
しばししてアシェラさんは名残惜し気に抱擁を解いた。
ほっと一息つく。当たり所が悪かったのかノキアは顔が真っ赤だ。
まさかの先制攻撃だった。この人好きのする性格は家系なのだろうか。
「すまぬな。叶うなら盛大にもてなして語り合いたいところなのだが、今は危急の時なのだ。すぐにでも魔人の軍勢がランガに雪崩れ込んでくるだろう」
だがもういなくなった!!
「先触れは壊滅させました。徹底的に叩いたので本隊と合流するまでは何もできないでしょう」
「は?」
「依頼は魔人の撃退と第三隊の救援だったので、その通りにしました」
「う、うん? ………………うむ」
アシェラさんは唖然とした顔をして、けれど僕の火力を思い出したのか、すぐに表情をきりりとさせて部下に指示を出し始めた。
「斥候を出す。そなたらには追加報酬を出そう。何か望むものはあるか?」
うん。そうなるよね。ここまでは想定内。問題はここからだ。
「フィア、フツさん」
「好きにするといい。私はおぬしが何をしでかすのか興味がある」
「依頼を請けたのは貴殿だ。姫様も同じ意見だろう」
「……ノキア」
「メイルの思うままに」
仲間たちの声に背を押されて、僕は前に出て丁寧に一礼する。
「――では僭越ながら、一手ご指南いただきたく思います」
◇
カルニを青眼に構え、同じように大剣を青眼に構えたアシェラさんを見据える。
門衛さんから依頼を請けて、彼女のことを聞いた時から考えていた。
……僕のことをどうやって伝えようか、と。
行ったことのない都市でも大きな情勢はフィンラスさんに聞けばわかる。
けれど、個々人への興味の薄いエルフネットワークでは伝わってこないことも多い。
す、と静かに間合いを詰めて剣先を合わせる。
アシェラさんは槍が得物らしいけど、同じくらい大剣も使えるという。ワクワクした顔でそう言っていた。
……そうだろうとも。
「――シッ!!」
触刃の間合いから半歩踏み込んで一足一刀の間合いへ。
間髪入れず、真正面から切り下ろしを打ち込む。
アシェラさんはそれを難なく受けて切り返す。
鏡合わせのような一撃。僕も同じように受けてカルニを切り返す。
正直なところ、僕は大剣の扱いについて型とか術理とかをはっきりと教わったとは言えない。
意外と脳筋だった先生の教えは基本「体で覚えてください」だった。
けれど、だからこそ、先生の太刀筋は体が覚えている。残虐ファイトばかり教わったわけではないのだ。
むしろ剣は正統派だ。正しいゴリ押しは高い基礎能力で行うものだからだ。残虐ファイトはそれだけでは足りない部分を補うためのものだ。
そう考えると僕はあまり良い生徒ではないのかもしれない。ビームとか撃つし、つい物に頼ってしまう。
思わず浮かんだ苦笑を噛み殺し、幼い頃の訓練風景を思い出しながら、アシェラさんに向けて剣を振るう。
もしもなにも伝わらなかったら、報酬貰ってお暇しようか、なんて考える。
けど、それは杞憂だった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
最初はいくらか齟齬もあったけど、そのうち、かちりとお互い動きが噛み合う感覚が走った。
よっつ。いつつ。むっつ――
いつの間にかアシェラさんは泣いていた。
大きな瞳に浮かんだ珠の涙が頬を伝う。
思わず手を止めると、彼女の手から大剣の柄がするりと滑り落ちた。
からん、と剣先が石の床に当たって鈴のような音を立てる。
「その剣は……」
「育ての親に教わったものです」
先生。僕が旅立つその日まで育ててくれた大事な人――“戦乙女”ファウナ・イゼルト。
「そうか……そうか、そうか!!」
アシェラさん――アシェラ・イゼルトはぐいっと涙を拭って、気持ちよく笑った。
先生よりも濃い青い髪がその背で優しく揺れる。
出奔した実家とは仲悪いんじゃないかと思ったけど、そうでもなかったらしい。あるいはアシェラさんだからこそかもしれないけれど……。
「名は訊かぬ。姉……コホン、その方はすでにイゼルト家を離れた身だ。だが……うむ、その方は出家されたが子どもは関係ないな!!」
カツ、カツと靴音が鳴る。アシェラさんはなんの躊躇もなくカルニを握ったままの僕を抱きしめた。
先の感謝の抱擁とは違う。うぬぼれでなければ、それは親愛の情の籠った抱擁だった。
暖かな体温はこの出会いを祝福しているかのようで――
「――つまりそなたは甥だな、うむ!! 私のことはお姉ちゃんと呼ぶがいい!!」
「お姉ちゃん?」
「うむ。さすがにこの歳で叔母と呼ばれるのは泣きたくなるからな」
「だから、お姉ちゃん……」
「応とも!! これからはいーっぱい甘えるとよいぞ!!」
今日一番の笑顔でアシェラさんは胸を張って宣言した。
――拝啓、先生。
義理の叔母が姉になりました。




