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一歩目で風を追い越し、
二歩目で音を追い抜き、
そして、三歩目で光の先へと至る。
――“変身・雷光化”
きっと神様に一番近い魔技。これは単純に自らを雷光と成すものではないらしい。
あくまで物質的な到達点が光であるためにそう成っただけ。
本質はその見た目にはない。というかたぶんフツさんは「何にでもなれる」。
すなわち、この“変身”の本質は光の先を駆ける「何か」への変成であり。
結果として、この魔技の発動中は光の先の「世界」を垣間見る。
ファンタジーの面目躍如だ。
光という確かなものを剥ぎ取られた、剥き出しの世界。
神代の言葉で、この光景を“真世界”と呼ぶのだという。
創神が旅立った世界、肉体という楔なき真なる地。
それはひどく幻想的な光景だった。
真っ白な世界だった。
土も木も、生物さえも雲のようなふわふわとした現実と異なる形。
その中で紋章の光だけが燦然と輝きを保っている。
右手を見る。そこに黄金の光を見る。
周囲を見る。空にも大地にも血脈のように紋章が走っている。
この世界は魔技によって創られ、魔技によって運行されている。その事実を理解する。
(ああ……)
自分が思い違いをしていたことに気づく。
何故、僕は聖遺物を創ることができなかったのか。これほど魔技に親しんだ世界の人々が何故、魔技の宿った道具を作ることができないのか。その答えがここにある。
紋章とは単なる魔技を出力する回路ではない。
物質世界と真世界を接続する橋。肉体と“存在”を繋ぐ縁。
であれば、この世界への理解なしに正しい紋章を創れるはずがなかったのだ。
紋章は“存在”という始点と、肉体という終点を結ぶものでなければならなかったのだ。
僕ははじまりを知らなかった。
すなわち、“存在”とはまさしく――――
バチン、と音を立てて視界が切り替わる。
唐突に幻想が終わる。物質世界が戻ってくる。
体感で3秒。“変身・雷光化”の限界時間だった。
風が戻ってくる。音が戻ってくる。
次いで、跨った大狼の背中の躍動、四肢が地を駆ける振動、暖かな体温と毛皮の感触、その全てを知覚する。
かぶりを振って現実を思い出す。
現実の西部開拓地は起伏に富んだ峻厳の地だ。
山があり、谷があり、ところどころに名状しがたい焼け跡とか深さ数キロの爪痕がある。
人と魔物、そして竜と神が相争った結果、地形が散々に変わってしまったのだという。
「意識はあるか、メイル殿? はじめて真世界へ突入した者の多くが混乱するのだが」
どんな駿馬よりも速く景色が流れていく中で、フツさんの気遣わしげな声が届く。
見た目は獰猛な狼のそれだけど、発せられる声音は落ち着いてダンディなおじさんのものだ。
「大丈夫です、フツさん。こう見えて、あの世界には慣れているので」
「……真世界は肉体が消失した世界、死後の世界だ。あまり親しむものではない」
「ご忠告痛み入ります」
フツさんから見えないように苦笑する。
道理で天使さんの所に行くたびに呼吸が止まるわけだ。
「疲れているのに無理言ってすみません、フツさん」
「構わない。収穫はあったのか?」
「ええ。“共有”のカラクリまでは再現できそうにありませんが」
魔技の共有と分割。おそらくは通常の魔技と神様の魔技――“偉業”を分かつモノ。
天使さんの“昇華”で出来て、僕の“昇華”ではできないこと。
けど、不可能ではないはずだ。
現に、フツさんは自己を対象とする“変身”の魔技を他者まで波及させているのだから。
「……貴殿の言うところの“共有”なるものは、我らが祖キリルサグ神に残された数少ない偉業の残滓だ。軽々と真似られても……その、なんだ、困る」
フツさんはかなり困った様子だった。
金曜の神、狩猟と統率の神、獣人の祖神。
創神の例に違わず、様々な名とエピソードを持つキリルサグだけど、最も有名なものは「敗戦」だ。
天蓋湖で行われたキリルサグと魔神――その時はまだ古竜であったイムヴァルトの戦い。
神話怪獣大決戦の勝者はイムヴァルトだった。
創神の一角が落とされたことで神代の終わりは始まる。
一方で、イムヴァルトは神ならぬ身でキリルサグを打ち倒し、その功績を以って亜神となった。
ふたつ名は魔神、すなわち魔物の神。弱肉強食の教義の祖、という意味だ。
その教義に従い、キリルサグは神としての力を奪われたのだという。
吟遊詩人に曰く、キリルサグの魔技は“三爪配”と呼ばれ、その名の通りに三種の技を併せ持つものだったのだという。
すなわち“支配/分配/軍配”。フツさんが分配に由来する共有効果を使っているということは、残りの二つはイムヴァルトに奪われたのだろう。
……魔物のヌシは配下を“支配”し、その魔技を奪う。
あるいは統率し、他者の縄張りを襲う。まさしく“軍配”を振るっているわけだ。
となれば、殆ど亜神の領域に肢をかけているフツさんがいまだ真世界に旅立っていない理由もわかる。
「奪われたものを取り返すため」
「然り。神は不滅。ゆえにその器もまた不滅。我らはイムヴァルトめの器となる魔人を追ってこの地に来た」
「イムヴァルト神の器が魔人? 活動中なんですか?」
「中身はイムヴァルトではないがな。あるいは本人にも器の自覚はないのかもしれぬ。だが、人化のために魔人狩りを希求する貴殿とは目的が一致する」
いや、うん。魔人を人化した魔物くらいに思っていたら、なんか神の敵対者みたいな立ち位置だったのでちょっと後悔してるんですけど。
このあたりにはエルフも根付いてないので正確な情報が出回っていないのだ。元魔物のくせにカルニも「なんかスゴイ魔物」程度にしか知らなかったし。猫だと思って近づいたらライオンだった気分だ。
「でも、神話だと魔神イムヴァルトは愚神サイラスに討たれたんですよね。そのときに力は戻らなかったんですか?」
「よく知っているな。そうはならなかった。イムヴァルトは完全な敗北を避けるために勝負を捨てて逃走したからだ。取り戻せたのは三爪のうちのひとつだけ。我が青狼族は神代の頃から各地に散って逃亡したイムヴァルト神を探しているのだ」
「壮大な話ですね」
「成果がでたのはここ15年ほどのことだがな」
「……それ、正確にはここ16年じゃないですか?」
「旅の身空ゆえ正確な暦はわからぬが……うむ、そのくらいだろうな。どうかしたのか?」
「いえ」
僕は曖昧に笑ってフツさんの追及を逃れた。それにしても、この世界には神代の頃からずっと神の器を追っている一族なんてのがいるのか。すごいな。まず云千年経っても神の肉体が現存している確信があるのがすごい。
けど言われてみれば、明確に敗北したキリルサグ以外の創神は火山の中とか海の底とかに去っていくラストが多い。
アーサー王的な復活を示唆する描写かと思っていたけど、もっと単純に遺体の悪用を避けるためだったのかもしれない。
その“存在”が不滅であるがゆえに、彼らの肉体もまた不滅なのだから。
「――――」
背に負った黒塗りの大剣を見る。
……ああ。カルニがどんな無茶しても壊れない理由はこれか。
“存在”を砕かれない限り、この大剣は壊れないのか。
「カルニも今度から神サマ名乗る? 剣神とかどう?」
『へっ、お断りだね。オレはオマエの相棒で充分さ』
「……? そう?」
らしくない返答にちょっと首を傾げる。まあ、カルニにも心境の変化があったのだろう。あまり気にしないことにした。
そうこうしている内に僕たちはランガの近く、あらかじめノキアと示し合わせていた合流地点付近に辿り着いた。徒歩よりずっとはやーい。当たり前か。
礼を言ってフツさんから降りると、途端に彼の全身を蒼い紋章が走った。
「フツさん?」
「さすがにこの姿で都市に入るわけにはいかぬからな」
そう言ってフツさんは“変身”を完了させる。
見た目は四足の狼形態から、概ね獣人に見えないこともない2メートルほどの偉丈夫へ変わる。
外見年齢は40歳ほどだけど、肉体年齢は80歳を超えていると“人喰い”が囁く。
獣人は見た目に年齢が表れにくい、“変身”の使い手なら尚更だ。
フツさん人形態の頭はほぼ完全な狼だけど、血が濃い獣人だと言い張れないこともない。キリルサグは半人半獣の神なのだ。
そして、頭から順に視線を下げていくと、無数の傷跡の走る分厚い胸板、8つに割れた腹筋、そして鍛え抜かれた下半身――――
「ズボン作りましょうか?」
「……頼む」
“昇華”はほんと便利だ。
◇
剣闘都市ランガは南北で大きく見た目を変える都市だ。
南側は天蓋湖から西海へと続く運河に接した貿易中継都市。商業活動が盛んで人の出入りも多い。
一方で、運河を挟んで北側は小高い丘に分厚い城壁と剣山のような無数の鉄槍襖を具えたガチガチの要塞。見た目にも殺意が溢れている。
これらは実質的にふたつの都市が繋がっているとみていい。何度か滅んで、その度に建て直していくうちに、こういう割り切った構造になったのだという。
実際、住んでいる人たちも北都、南都と呼び分けている。
そして、北都の城壁前の荒野には点々と物見やぐらが建てられている。魔物の南侵への備えだ。
新しいのから古いのまで、建築様式すら様々なところを見るに神代から建ててきたらしい。
補修するより新しいのを建ててしまった方が楽なのは魔技のあるこの世界ならではだ。
そのうちのひとつ、使われなくなって久しい古い物見やぐらが合流地点だ。
中の階段を登るのも面倒なので、外壁を蹴って一跳びで屋上に辿り着く。
平気な顔してついて来る同行者がいるのはちょっと新鮮だ。
屋上にはなぜかボロボロのノキアとケモ姫さまがいた。
びっくりした。怪我こそしていないようだけど、服の裾や毛皮の端が焦げている。
「ど、どうしたの!?」
「いえ、その、飛んだままランガに近づいたら魔物と間違われてしまいまして……」
「ああ……」
天翼人なんて地上では滅多にお目にかかれない人種だ。
必然的に空を飛んでいる人型は魔物ということになる。「とりあえず撃っとこう」となるのも都市防衛上仕方ないことだ。
「アシェラさん、でしたか? あの人が事情説明に向かってくれましたので大事にはならないと思います」
「そっか。怪我がなくてなによりだ。そっちのケモ……姫さまも」
「Bow!!」
随分と刺激的なフライトだったらしく、ケモ姫さまは大層満足そうな表情で一吼えした。
その無駄な胆力を隣でオロオロしているフツさんにも分けてあげて欲しい。
「フフ、相変わらずのおてんば娘だな」
「Wow!?」
そのとき、前触れなくひょっこりと現れたフィア/フィンラスさんがぽんとケモ姫さまの肩を叩いた。
ケモ姫さまは驚いたように尻尾をぴんと張り、それからふにゃりと相好を崩してフィンラスさんに抱き着いた。
「おや、知り合いでしたか」
「うむ……少々複雑な経緯があるのだが、私たちは姉妹のようなものだ」
「アッハイ」
「ちなみに私が妹だ」
「はあ!?」
思わず声を上げてしまった。
クールになれメイル。フィンラスさん流のジョークかとも思ったけど、どうやら本気らしい。ケモ姫も小ぶりな胸を張って自慢気だ。
これはあれだ。タイが曲がっていてよって感じなのだ。人種は違えどどちらも王族みたいなものだし、そういうこともあるのだろう。とりあえず納得するんだ。
実際、義姉妹というだけあって随分と親しくみえる。ふたりの間に漂う気やすい雰囲気がそれを証明している。片膝をついて敬礼しているフツさんが場違いに見えるほどだ。
ケモ姫さまをひとしきり愛でて、フィンラスさんの視線がフツさんに移って優し気に細められる。
「壮健のようだな、定命のフツよ」
「はっ、フィンラス様もお変わりなく」
「……やはりおぬしらの鼻は誤魔化せぬか。私もまだまだだな」
「貴女様を嗅ぎ間違える不埒者は青狼族にはおりません」
「そうか……そうだろうな、青狼族よ。変わらぬ忠道、大義である」
「かたじけなく」
まるで姫と騎士の会話だ。フィンラスさんは明らかにエルフの姫というか女王のような立場だから間違いではないんだけど。
あとノキアが「え、フィンラスさま? フィンラスさまナンデ!?」って顔してる。そういえば言ってなかった。後で説明しておこう。
「都市の状況はどう、フィア?」
「門衛の言う通り厳戒態勢だな。【アルマテリア】が失陥したのだから当然であるが」
ケモ姫さまの金色の毛並みを撫で梳きながらフィアはなんてことないように言った。
実際、神代からランガは何度も壊滅している。成立を神代に遡る古い都市なのにいまだにエルフ図書館が根付いていないのはそのためだ。人類はタフ過ぎる。
それより――
「【アルマテリア】って、たしか神代から残る要塞でしたよね?」
「ああ、ヴァルナス神の遺した竜撃要塞。彼の鍛冶神の遺した聖遺物の中でも最大にして最強のひとつだろう……その機能を使えれば、だがな」
「そんなのが魔人の手に落ちたのって、ぶっちゃけすごくやばくないですか?」
「うむ。人類の危機だな。要塞に詰めていたのは精兵だ。それがひとり残らず殺されたという。魔人の軍勢は我らを積極的に狩りにきているようだな」
フィンラスさんはほとんど変わらない表情のまま、けれど僅かにその眼光を鋭くした。
「彼奴らでは主要な機能は使えぬとは言え、聖遺物の力は強大だ。このまま捨て置くわけにはいかない。メイル、フツ、おぬしらの力を貸してくれ」
「御意」
「どうせその要塞にも魔人が詰めているでしょうから構いませんよ」
「では、ここに一党の結成を宣言する」
フィンラスさんが高らかに宣言する。
天使2、ケモ2、エルフ1、喋る剣1の変則パーティだ。楽しくなってきた。
それに実際のところ、竜撃要塞というのも気になっている。
発明という概念の祖、鍛冶神ヴァルナスがどういう意図でどういった構造の要塞を創ったのか――
――どんなモノがあれば人類は竜と戦うことができると彼の神が考えたのか、とても気になる。
僕はそれを知らなきゃいけない。そんな根拠のない確信があった。
「けど、その前にやらなきゃいけないことがあるよね」
『お、そうだな』
カルニが背中で楽し気な声をあげる。
冒険者が依頼を請けて解決した。
次は報酬を貰う番だ。




