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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<4章:宿敵>
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 ずん、と地面が揺れる。あるいは跳ねると言ってもいい衝撃だった。

 当然だ。ウルザの巨体は城に伍する。

 重量に至っては“偉業(マグナ)”の支配下では数百倍、すなわち数千トンに達する。その超々重量が飛んで、墜ちたのだ。

 ウルザは受け身もとれず――投げ飛ばされるなぞ誕生してから初めてのことだったろう――尻もちをついた。

 見下ろせば、ウルザが従う王と同じ黒瑪瑙(オニキス)の髪が揺れ、黄金に似た琥珀の瞳が己を見据えている。

 巨人の背を、初めて王と相対したときと同じ震えが襲った。

 生まれついての尺度が違う“存在”への恐怖だった。


『な、何者だキサマッ!?』


 尻をついてなお上方から叩きつけられた問いを無視して、メイルはピースするように指を二本立てた。


「ウルザ、でしたね。あなたにふたつ尋ねることがあります」

『……』

「ひとつ、あなたは魔人ですね?」

『見ればわかるだろうが!!』


 問いを侮りと受け取ったウルザが立ち上がり再び踏み付けを行う。

 先の一瞬はなにかの間違いだったと確認するような、あるいは恐怖を払拭しようとするような、がむしゃらな攻撃。

 腕は使わない。ウルザは頭部(きゅうしょ)を地面に近づける愚を犯さない。ウルザは己の腕を飛び道具から急所を守る盾と認識していた。


 だが、おそらくそれは怠惰であったのだろう。


「ふたつ……もうちょっと小さくなれませんか?」

『――ッ!?』


 困ったような言葉と共にウルザの巨脚は呆気なく()()()()()()

 少年が手に持つ黒塗りの大剣、ウルザの人差し指ほどの長さしかないそれが、殴りつけるように小指の先を打って軌道を逸らしたのだ。

 針で大木を受け流す絶技。尋常でない膂力の証明。それは敗北の足音だった。


「“人化”、できるんですよね?」

『キ、サマ……』

「そちらにとっても悪い話ではないと思いますが」


 言外にこのままでは()()()()()()と宣言してメイルは笑んだ。

 中性的なかんばせを彩る捕食者の笑みだった。


「あなたには技がない。応用がない。つまり、攻撃が効かなかったという経験がない。

 察するに、この地にあなたより力が強い者はいないのでしょう。今日この瞬間まで、重力結界と怪力と巨躯であなたの戦いは事足りていた」

『――――ッ』


 図星だった。ただひとり、測ることすらできない彼らの王を除き、この地で最も力強い魔物はウルザだった。

 そして彼が負ければ、その称号はこの小さな少年に奪われることになる。弱肉強食、それがこの地の法だ。


『――我が全てを以て、キサマを殺す』


 全てを見透かされ、上回られてなお、ウルザは覚悟した。ここが己の死地と定めた。

 ウルザの本能はメイルを正しく認識した――これは彼らの王と同じ天に連なる“存在”である、と。

 地に生まれた生物とは根本的に差がありすぎる。ウルザの能力では逃げきることもできない。


 ……優れた斥候であるヴィルギスならばここから撤退することも不可能ではなかった。

 卓越した念動力を持つアラーニェならば苦境を打開する術もあっただろう。

 王の為に自己を変革したマリスならば勝利の目すらあるように思う。

 だが、ウルザに彼らのような技術はない。彼にできることはただ突貫するのみ。

 剣林弾雨のすべてを正面からねじ伏せる。それが曲げることのできない彼の生き方だった。


 ――ゆえに、命を擲って一矢を報いることだけが彼に残された選択肢だ。


 メイルはウルザに技がないと判断した。

 それは正しい。ウルザに対人や対魔物を想定した技はない。


 彼が有するのは唯一「対竜技」のみ。

 自らが敵わぬ存在に捨て身の一撃を放つ。それが彼の忠義だった。


『いくぞおおおおおっ!!』


 その巨体からは想像もできない程軽やかに巨人が跳ぶ。

 同時に、自らが跳躍するほんの一瞬、ウルザは偉業を途切れさせた。

 これこそは地平線の向こうからアシェラに追いついた大跳躍のカラクリ。

 超々重量によって地を蹴った反発力を、刹那に戻した元の重量を跳ばすことに用いる落差の秘術。

 デメリットしかない筈の魔技の停止に価値を見出したウルザだけのオリジナル。


 すなわち、超重量を足裏の一点に集中した『跳び蹴り』こそがウルザの必殺である。


 片足で踏み付けるのとは込める重量が違う。今度は敵も切り払えまい。

 否、仮に切り払ったとしても数百倍に増したウルザの重量は大地を砕き、諸共に地下へと沈めてしまう。

 最悪でも時間稼ぎにはなる。いっそ地の底を抜けて奈落まで墜ちてしまえばいい。

 それが闘争の世界に生きてきたウルザの本能が導き出した、たったひとつの解答だった。


『砕け散れィ、天の怪物ッ!!』


 ウルザが吼える。恐怖すらも薪としてこの一瞬に全身全霊を燃やし尽くす。

 魔技にして偉業“強化(ヴィス)重創(グランド)”の出力を上げる。これ以上はない限界を超えた一撃。

 直撃すればその反動によってウルザの体とて無事では済まない。それほどの一撃だ。


 だが、巨人にはひとつだけ失念していることがあった。



 ――解答がひとつしかないということは、“先読み”もまた容易いのだ、と。



『ヒャッハアアア!! 隙アリだぜええええ!!』


 絶望を灯す声が聞こえた。

 “人喰い”達にとって、攻撃に全力を注いだウルザはあまりに無防備だった。


 瞬きの間に、メイルはウルザの胸元を踏み超えていた。

 文字通り彼我の体格差を飛び越えた跳躍力、意識の隙間を疾走する俊足、構造的死角を衝いた進撃。

 呼吸すら読み取る“先読み”と、人間の器官構造を学んだ“現代知識”の合わせ技。

 眼球の巨大さに比例し、人ひとり見失うほどに大きくなった必然の欠落――『盲点』を、この敵は突っ切ってきたのだと、果たしてウルザは気づけただろうか。


(い、いつの間に――)

「もちろん、あなたが魔技を途切れさせた間に」

『な――』


 ――“人喰い(カルニバス)”、先祖還りか!!


 心を読まれた返答に、今更ながらウルザは失策を悟った。

 だがそれも致し方ないことだろう。

 その魔技は人間たちの執念によって絶滅したはずの魔技だ。使い手たるオーガたちは狂に没し、共食いを繰り返す始末。魔人をして使い捨てにすることすら躊躇う暴食者たちの在りし日の牙だ。

 それになにより、人間を狩るための魔技を魔人(じぶん)たちに使われるなど、誰が想像しようか。

 ……あるいは、人間と魔人が同じモノであると認めたくなかったのか。


『ま、だ、だぁぁあああああッ!!』


 ウルザが吼える。宙にありて全力で全身を旋回させる。

 長く重さを操る魔技を繰ってきた経験が、妙なる重心の変化を生み出す。

 必死の窮地が、母たる必要性が、対人技を持たなかった巨人に技を閃かせた。


 ――跳び後ろ回し蹴り


 魔人とは独力で神に挑まんとする克己心の塊だ。

 であればこの瞬間、神モドキ相手に己の限界を超えるのは当然の成り行きだろう。



 だが、ウルザ本人ですら驚いた攻撃に、メイルは驚かなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりの反応。

 少年はただ、脚甲に包まれた足を高々と振り上げ、迎撃の踵落としを放った。


 絶大な衝撃がウルザの足を貫く。


 巨兵と比べれば羽虫に等しき矮躯は、円運動においてはリーチの短さゆえに到達速度で先んじる。

 ウルザの蹴り足を正面から踏み抜いた天使踵は、一時とはいえ名刀に勝る切れ味を手に入れた。

 結果は一目瞭然。

 メイルは脚甲が砕けるのを代償に、ウルザの片足を千切り飛ばした。


『――ッ!?』


 ウルザは辛うじて苦痛を飲み込む。火花を散らす脳髄が二秒後の死を予測する。


「カルニ、長さは!?」

『範囲内だ。いけるぞ!!』

「――“昇華(アセント)”!!」


 果たして、そこまで狙っていたのか。

 千切り飛ばしたウルザの足を少年が黄金に輝く右腕で掴む。

 ウルザの足だったモノは瞬く間にそのカタチを巨大な剣に変えていく。

 空中にいながら、メイルは巨剣をぐるりと旋回させると切っ先をウルザの胸元に突き付けた。

 全長10メートル。ウルザの鎧皮を貫き、核を破壊するには十分すぎる重さと大きさ。


 己の生み出した重力に従い落下する中、ウルザは敗北を悟った。

 この瞬間、攻撃に注力した体のどこにも動かせる部位はない。

 思考だけが、永きを生きた己に終わりが訪れたことを理解した。


 ……これが技、か。

 竜に対することばかりかまけていたとは、この身は怠惰が過ぎたな。


 心に僅かな悔いを遺し、しかしウルザは呵々と笑った。


『――見事ッ!!』


 次の瞬間、笑うウルザの胸に巨剣が突き刺さった。





 ◇



『……ははは、殺った!! オレたちは魔人を倒したぞ!!』

「カルニ、油断禁物」


 死してなお巨大な刺殺墜落死体に着地して、少年がひとりごちる。

 否、それは明らかに会話であった。一人二役で会話しているその姿はちょっと、いやかなり異様だ。

 アシェラはヌシを失って混乱状態に陥っている周囲の魔物を警戒しつつ、おそるおそる少年に話しかけた。


「そ、そなたは一体……?」

「おっと。ドーモ、冒険者です。南の門衛さんから依頼を請けてきました」


 あまりに端的な応えにアシェラはぽかんと口を開いた。


「……それだけ、なのか? それだけでこの鉄火場に飛び込んできたのか?」

「他に理由が要りますか?」


 にこり、と場違いなほど朗らかに少年が微笑む。自らが冒険者であることを誇る笑み。

 アシェラはなんだかとても、嬉しくなった。


経緯(いきさつ)はまた説明します。ノキア、要救助者2名!!」


 会話を打ち切り、少年は有無を言わさずアシェラと獣姫を抱き上げる。

 見た目からは想像もつかない力強さにアシェラが驚いているうちに、背に銀色の紋章翼を生やした少女が降下してきた。

 ノキアは滑空しながらアシェラと獣姫を受け取ると、翼を打って反転、空に舞い上がる。


「飛翔の魔技!? 今度は天翼人か!?」

「違います。わたしたちは『テンシ』らしいです」

「なんだそれは!?」


 この数分だけで理解不能な出来事が発生しすぎて、アシェラは混乱のるつぼにいた。


「説明する時間がありません。離脱します。舌噛みますよ」

「んぐっ」


 ノキアの言葉に嘘はなかった。アシェラは思い切り舌を噛んで涙目になった。

 その間にも、魔物に覆いつくされた大地が急速に離れていく。

 次いで、大地で大爆発が起こった。

 火山の噴火かと見まがうような火力が魔物たちを焼き尽くす。熱波が上空まで伝わって汗を蒸発させる。


 その中心にメイルはいた。


 炎を従え、全てを焼き尽くさんとする怪物だった。


「にゃ――にゃれが人間の力だというにょか……」

「ふふ、メイルは特別ですから」


 噛んだ舌のまま呟けば、ノキアがとろけるような表情で応えた。

 熱を帯びたいとけない表情は恋する少女のようにも、あるいは神を崇拝する信者のようにも見える。

 見ているこちらまで頬が熱くなりそうで、アシェラは慌てて視線を転じた。


(ほんとに、何者なのだ……)


 次々と魔物を撃滅していく少年――メイルを見下ろしながらアシェラは今日何度目かの疑問を思い浮かべた。

 信じられない膂力と魔技、そしてどこか懐かしさを感じる剣技。

 アシェラにわかることは殆どない。ただひとつわかるのは――


「――ほのおのこ」


 金毛の獣姫がぽつりと呟く。古い言葉。かつて神がいた時代の言葉。

 視線の先、何十体目の魔物を撃破したメイルが黒塗りの大剣を雄々しく掲げる。


(ああ、そうだな――)


 アシェラは確信する。


 ただひとつわかるのは、人類の反撃が始まったこと。

 あの少年こそがその鏑矢であること。それだけだった。




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