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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<4章:宿敵>
63/99

「はっ、はっ、はっ――!!」


 槍を手に、鎧を纏った女がひとり、息を切らせて草原を走っていた。

 女は羚羊のようだ。後ろで括った髪が羽ばたき、全身に刻印された紋章が蒼くたなびく。

 風を追い越す俊足の背を大きさも姿形も様々な魔物が津波のごとく追いかける。

 鉄火場だ。汗が散り、全身が軋む。

 それでも女は駆け続ける――ランガへと。

 すなわちそれは、紛うことなき敗走だった。



 ――大陸北西部、あるいは西部開拓地。



 一般にそう呼ばれているこの地であるが、実のところ正確な表現ではない。

 開拓されているのは、侵攻されているのは常に人類の側である。

 人類にとっては、かつて七曜の創神のいた神代から、この地は魔物の南侵に抗ってきた戦場である。

 侵攻しているのは竜と魔物であり、彼らにとってはこの地こそが世界の中心である。


 ゆえに正しき名は――“古竜の聖域(ドラゴンズネスト)”。


 「神代」以前の「焔代」――魔技持たぬ生物を薪とし、竜と魔物が燃え盛った時代。

 その時代を統べた創世最古の四竜たちが眠る地。

 此処こそが世界の中心。

 おそらくは世界で最も過酷な一帯。

 原初の風景、闘争のるつぼ――有体に言って、この地は地獄である。



「お、お怪我はありませんかッ!?」


 汗で額に張り付いた青髪を払う暇もない中、女は小脇に抱えた同行者に問いかける。

 こくり、と頷く気配が腕を通じて返される。

 よかった、と安堵すると同時、現状の苦境を思い出して歯噛みする。


 その間にも足の速い魔狼が女に追いつき、引き倒さんとその背に跳びかかる。


「――シッ!!」


 その直前、振り向きもせずに放たれた槍の穂先が魔物の頭部を粉砕した。

 抜き手を見せない神速の槍捌き。見る者が見れば、それが一流の手管であることがわかるだろう。


 彼女たちは殿。そして、槍持つ女の名をアシェラという。義勇軍第三隊の隊長だ。

 2年前、若干17歳で抜擢されたその実力はこの状況でも如何なく発揮されている。


(速い、それに手応えが硬すぎる。これまでとはまるで違う――)


 しかし、それでもなお苦境に変わりなかった。

 アシェラは力任せに槍を振り回して死体を振り捨てると、わずかに落ちた足に加速を叩き込む。

 都市義勇軍は三隊からなる。都市防衛の第一隊、敵地調査の第二隊、遊撃の第三隊。

 第三隊のアシェラがこれまで戦ってきたのは、ランガや先に失陥した要塞へと攻め寄って来た先触れだった。

 それでも苦戦を強いられてきていたのだが、今度ばかりは事情が異なる。


 ズン、と地面が揺れる。数瞬、足裏がふわりと浮き上がる。

 地震ではない。ただ、遥か後方から跳躍してきたソレが目の前に着地した衝撃だ。


『ハッハー!! 追いついたぜぇ!!』


 高所から打ち下ろされる極大の胴間声に鼓膜が痛みを発する。


 それは一見して、鬼だった。


 オーガと呼ばれる暴食の魔物に似ているとも言える。しかし、大きさが常軌を逸している。

 首が折れそうなほど見上げる巨体。巨人(ギガース)すら超える原初の大巨人。


 ()()()()()。それがアシェラたちを追い詰めたモノだった。


 数か月前に第二隊を壊滅させ、要塞アルマテリアを落とした魔人の一党。

 その赤銅色の肌は鋼鉄の如く、その巨体はまさしく城壁の如き威容をもって屹立している。


「くっ……!!」


 アシェラは足を止めた。止めざるを得なかった。

 周囲は草原だ、視界は開けている。

 数瞬前まで、この巨人は影も形もなかった。


 つまり、コレは地平の果てから跳んできたのだ。


 遥か後方から一跳びでやってきた絶大な瞬発力。数十メートルを誇る巨体でありながら正確にアシェラたちの目の前に着地する精密な運動能力。

 巨人ならば強化(ヴィス)系統の硬化に類する魔技だろう。だが、信じられない出力と練度だ。

 ……アシェラたちは全力で逃げていた。逃げていたつもりだった。

 だが、この巨人にとっては、彼女たちの逃走は虫籠の中のあがきに等しかったのだ。


(無策では抜けぬ。殴り合うなら城壁が要る。不意を衝いてどうにか指一本、といったところか)


 巨人から視線を外さぬまま周りを探る。

 アシェラが足を止めてから間を置かず、周囲は魔物たちに囲まれていた。

 一糸乱れぬ、とはいかないが、ウルザの強烈な戦闘力が支配の鎖となり、彼らに軽挙妄動を許さない。

 魔人が率いるは魔物の中の魔物。狼や獅子や大猪――その源流となった原種たちだ。

 すなわち、多くの魔物が混血によって魔技を失い、動物となっていく中で、原初の地獄にて牙を研いできたということ。本来ならその一体一体がヌシとなっていてもおかしくない古強者たちだ。


 だが、それは魔人も同じこと。彼らはニンゲンを模して人の姿になっているわけではない。

 “創神”だ。遥かな昔、アリアルド神が人の似姿をとったように、魔人もまた創神に追いすがったためにその似姿をとっているのだ。魔人とは「悪神」と定めることを憚った人類の強がりだ。


「まったく。創神様方も大した置き土産を残されたものだ……」


 軽口を零しながら、アシェラは槍を握り直し、小脇に抱えていた()()()を地面に降ろした。


「ここは私が引き受けます。どうかお逃げください」

「――――」


 無論、このような戦地にいるのがただの子どもなわけがない。

 金色の毛並みをした獣人(セリアン)の少女。

 幼くも整った顔立ちの少女はこの鉄火場でも表情ひとつ変えず、ただ命じるように一言吼えた。


「――Wow(コロセ)


 瞬間、アシェラたちの周囲に無数の雷が落ちた。


 それは物理的な牙を以って魔物たちのはらわたを抉り抜く猛き雷だった。


「――退けい雑魚どもぉ!! 姫様の道を阻むならば我が牙が貴様らを切り裂くぞ!!」


 高らかに吼えるは額に雄々しき角を生やした葦毛の狼。

 完全獣化を果たした先祖還り、青狼族のフツであった。


 アシェラと金毛の獣姫、そしてフツ。ここに殿の軍勢が揃った。

 魔人の軍勢と対してアシェラがまだ命を保っているのは、敗走中にたまたま二人と出くわしたからだ。でなければ死んでいた。

 フツの亜神に匹敵する武勇はもちろん、獣姫もまた不思議な力を持っていた。


(傍にいるだけで力が湧いてくる)


 のだ。

 おそらくは魔技だが、紋章が励起している様子はない。

 ゆえにこそ不思議。そのおかげでここまで走り続けてこれたとはいえ、だ。


 だが、ここまで数多の魔物を打ち倒してきた三人を以てしても、魔人ウルザは抗しがたい存在だった。

 先の大跳躍然り、ウルザの運動能力はその巨体に似合わず蜂のように鋭い。

 対する此方側の最高攻撃力たるフツの魔技“変身(トランス)雷光化(トニトルス)”は完全な雷と化す神域の魔技だが、その効果時間は決して長くはない。

 攻めに使ってもウルザの鎧皮を抜けず、逃げに徹したとしても城巨人の間合いからは逃れられないのだ。


「フツ殿、私たちで奴を止めましょう!! せめてこの子だけでも逃がさねば……!!」

「承知。だが、アレは難物だぞアシェラ殿。彼奴の赤銅の肌はイカヅチを徹さぬ」


 雷撃を散らして周囲を威嚇しながら、極めて冷静にフツは断じた。

 フツの最大の武器は雷光化による速度と痺れだ。それこそ神代でも通用する魔技だろう。

 だが、ウルザに効かないことは何度か()()()()()ことで身に染みて理解している。

 雷は大地に落ちるとその威力を分散させる。同じことがウルザの巨きすぎる体で起こっているのだ。


「であれば、私が突破口を――」

『――ゴチャゴチャ五月蠅いぞぉ!!』

「あぐっ」


 ウルザの大声に思わずアシェラは思わず耳を塞いだ。鼓膜から出血した感触がした。

 隣で獣姫も眉をひそめて頭頂部の耳をぺたんと伏せている。

 果たして、見下ろすウルザの血走ったまなこは悪鬼のそれであった。


『我が主に牙剥きし猿に犬ども、誰一人として逃がすものかぁ!!

 我が名はウルザ!! 万象一切を圧し潰す原初の巨人(アウルゲルミル)――支配せよ、“強化(ヴィス)重創(グランド)”!!』


 ウルザの全身で深紅の紋章が輝き、溢れた光が周囲に放射され――――



 ――――瞬間、世界が潰れた。



 気づけばアシェラは地面に横たわっていた。

 否、押し付けられていた、と言うべきか。全身が軋み、立ち上がることができないのだ。


(念動力!? いや、これは――()()()()()()()()()()()!?)


 どうにか首の向きを変えて周囲を見れば、巻き込まれた魔物たちも喘ぎながら押し潰されるようにその体を地面に横たえている。

 立っているのはウルザ、そして獣姫とフツだけだった。もっとも、後者のふたりは四肢を地についてどうにか、といった風であるが。


「成程……これが魔人、これが神に等しき魔技の業――“偉業(マグナ)”か!!」

『ほう、猿とはいえ多少は上位者(われら)についての知識があるか』


 血を吐くように叫べば、ウルザの見下ろす視線がアシェラを捉えた。

 それだけで体にかかる重さが増す。耐えきれなくなった近くの魔物たちが破裂していく。

 ……これが何かしらの攻撃であれば抗する手立てもあった。

 アシェラの一族が受け継いだ魔技は紋章の鎧を纏う。魔技の鎧は魔技を防ぐ護りの力だ。


 だが、これは攻撃ではない。

 これはただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ――現代

 ――神代

 ――焔代

 ――原始、世界は混沌の海であった。ただ四柱の古竜がいた。



 古竜たちは己が魔技を以て混沌の海を割り、大地を創り、天の運行を創り、太陽を創った。

 彼らの魔技は世界を変えた。それは魔技でありながらもはや技の域を超えている。

 ゆえにその力は“魔技(マギ)”にあらず。その力は“偉業(マグナ)”である。


 後に続く創神七柱、そして人類から生まれし数多の亜神。彼らもまた同じ。

 あまりにも強い力であるがゆえに、()()()()()()()()()()()()。それこそが“偉業”。


 ――局所的な世界の変革。偉業と呼ぶにふさわしき限界を突破した魔技。

 ――偉業を有すること。それこそが魔人/亜神の条件だ。


 オーガのような生まれついての人型であろうと、彼らは魔物だ。魔人とは呼ばれない。それを人化とは言わない。

 因果が逆なのだ。人化とは偉業の付随効果だ。

 最初の創神、この世界に神という概念を発生させたアリアルド神が神の形をそう定めたからだ。

 神への階を登る者は須らく人の似姿を得る。

 神とは人のための“存在”だからだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 翻ってウルザの偉業だが、これは見ればわかるほどに単純だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “強化(ヴィス)重創(グランド)”は自己の重さを強化する、硬化や石化に類する偉業だ。

 齎される効果としては単純なもの。だが、規模が違いすぎる。

 魔技も――その規格を超えた偉業であっても同じく――紋章が大きく、その輝きが眩いほど効果が強くなる。

 城の如き巨体であるウルザの全身を覆うほどの紋章、それが空の色を塗り替えかねない程に輝けば、発せられる効果は如何ほどか。

 少なくとも、アシェラの細い体で支えきれる重さではないだろう。


 無論、ウルザは支えられる。付随効果によって、おのれの魔技で傷つく者はいない。

 これこそは弱者を殺す闘争の具現。魔神イムヴァルトの系譜にふさわしい世界だ。


『猿め、立つこともできぬか!! 弱者よ、抗うことすらできぬか!! ならば死ねぇ!!』


 声と前後して空が曇る。

 アシェラには一瞬、何が起こったのか理解できなかった。


「――は」


 もはや、笑うしかなかった。

 空が落ちてくる。それはウルザの足裏だった。


 あまりにも単純な踏み付け(ストンピング)

 だがそれもウルザの巨体と偉業を以て行われれば一軍を粉砕する範囲攻撃となる。


 アシェラの反応は致命的に遅れた。

 ただでさえウルザの偉業の()()()()()で立ち上がることすらできないのだ。

 今から踏み付けの外に逃げることは不可能。そう断じて、しかしアシェラはもう一度笑った。

 走馬燈じみた視界の端でフツが徐々に雷光化しているのを捉える。

 文字通り雷の速度で走るフツならば重さに意味はない。今からでも獣姫ひとりを助けることは可能だ――自分が四半瞬ほど攻撃を受け止め、溜めの時間を稼げれば。

 こんな無様な状態で、こんな城の如き巨体相手にそんなことができるのか。

 だが、可能か不可能かではない。やらねば仲間が死ぬ。

 ほんの偶然で数刻ほど道を共にしただけであるが、命を救われた。仲間なのだ。

 元より扶けられた命。賭けるに否やはない。


「ふっ、ぐっ――」


 笑みのまま、鎧がひび割れるほどの力を込めて上体を起こす。

 血を吐き、全身の力を右腕に集中し、穂先を立てる。

 実家から拝借してきた魔剣ならぬ魔槍だ。いかな魔人の重攻とて一瞬くらいは耐えてみせるだろう。


「ふふ、今日は死ぬにはいい日だ、“戦――」


 落ちてくる空に毅然と槍を向け、アシェラは魔技を発動する――



 ――その直前、目の前に、とん、と軽やかに少年が着地した。



「――え?」


 鮮やかに翻る深紅の外套。

 アシェラは状況も忘れて呆然とした。

 周囲は依然として魔物に包囲されているのに、この少年は一体どこからやって来たのか。



 なにより驚くべきは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 バギン、と少年の足元の地面が割れる。

 何十倍、あるいは何百倍に増した重さはたしかに少年の身に降りかかっている。

 だが、少年が折れる様子はない。その横顔は僅かに顰められただけ。

 魔技ではない。少年の体に紋章は励起していない。

 ゆえにそれは、単純な身体能力によってなされたことだとわかる。

 そして、ミシミシと音を立てて押し込まれる左腕に、ついに少年が口を開いた。


「重い!! 臭い!! 投げるよ、カルニ!!」

『応ッ!! どっせええええええい!!』


 どこからか聞こえた応答の声と共に、少年がウルザを支えていた左手を槍投げの要領で突き上げる。

 あまりにも単純な投擲(スローイング)

 だがそれだけで、少年は城に伍する巨体を()()()()()


 ――逆転の一手はここに。


 原初の巨人はまだ知らない。

 彼は上には上がいることを理解していたが――時に世界は背後から殴りかかってくるものなのだ。

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