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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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船上終話・東からの手紙/プロローグ

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拝啓、メイル・メタトロンさま。


 あなたの姉のリタです。姉の、リタです。

 先生が手紙を書かれると思いましたか? あたし……じゃなくて、わたしが書いていることに驚きましたか?

 わたしだって成長しているんです。昔みたいな乱暴な口調もしてないんですよ。えへん。


 でも、こうしてお手紙を出すことになって今とても緊張しています。扉の外でエルフさまが待っています。

 字の練習をしたいからと言ってお時間をいただきましたが、いざ書くとなると緊張します。

 エルフ伝いに送るときに筆跡はできるだけ真似るんですって。紙も明らかに高級なもので書き損じることもできません。

 でも、色々と、ほんとに色々と言いたいことがあるので、順に書いていきますね。


 まず、孤児院ですが、先日ついに方々に借りていたお金を返済し終わりました。

 孤児院に引き取られてすぐの、冬の薪代にも事欠く貧しかった頃が嘘のようです。

 あなたの残してくれた道具が、考えが、教育がようやく実を結んだのです。

 ……昔のわたしは、あなたのやり方に疑いを持っていました。

 弟妹たちに文字や計算を教えるよりも、内職のひとつでも覚えさせた方がいいのではないかと思っていました。

 あるいは、あなたがこっそり金銀を作って売ってしまえば、この貧しさから逃れられると――。


 でも、あの子たちが成人して、正しかったのはあなたの方だったのだとわかりました。

 どこの職人に弟子入りしても、あの子たちは重宝されています。孤児であることに驚かれるくらいです。

 これが教養なのだと先生は言っていました。

 あなたの育てた子どもたちは街で生きていく上でなによりも重要な信頼と評判を自ら勝ち取ったのです。

 今では近所の子どもたちが孤児院に勉強しに来るほどです。

 あなたはここまで予想していたのですか。自分がいなくなったあとのことまで考えていたのですか。

 わたしには一言も告げずに、あなたは……。



 えっと、そうそう。教会も同じです。

 英雄の降り立った地だ、なんて言われて、冒険者の人たちが礼拝に来るようになりました。おかげで寄付もいっぱい貰えるようになりました。

 “不死殺しの八人”の歌はわたしも聞きましたよ。

 不死鳥へ勇敢に立ち向かうあなたの姿が目に浮かんで、とても誇らしくて、でも、遠くに行ってしまったようで少し寂しかったです。

 吟遊詩人に歌われるあなたは雄々しくて、わたしの知らないメイルという名前の英雄のようでした。


 ところで、銀の髪のお姫さまを助けたというのは本当ですか?

 一緒に旅をしている女の子がいるってエルフさまも言ってたけど、まさか歌の通りというわけじゃありませんよね。

 わたしももう大人なので、吟遊詩人が大げさに歌っていることは知ってるんですよ?


 あ、女の子と言えば、ファウナ先生のことも書かないといけません!

 きっと今の先生を見たら、メイルはすごく驚きますよ。



 結論から言うと、先生は若返りました。



 この言い方が適切かどうかはわかりませんが、事実を言うとそうなります。

 今の見た目は、横に並ぶとわたしより年下に見えるくらいです。

 これが本来の先生の姿なのだそうです。

 これまでの大人の姿は、神官としての威厳とか、わたしたちの母親として見えるようにとか、そういった配慮の賜だったんです。


 先生いわく、肉体を強化する魔技にはこういう「全盛期の姿を保つ」性質がままあるそうです。

 わたしも魔技を使う機会が増えたからか、瞳が以前より緑がかった色に変わりましたが、それと同じようなものでしょうか。ちょっとうらやましいです。

 話を聞くに、先生の家は先祖代々みんな若作りらしいです。

 ご両親はずっと若いままだったのでしょう。先生にはたくさん兄弟姉妹がいて、二十歳ほど年上の兄から、十歳ほど年下の妹までいるって言ってました。

 “戦乙女”の魔技を継いできた名門、イゼルト家ならではですね。ごきょうだいはみんな、当主候補を残して都市の外に出ていく習わしらしいので、メイルも会うことがあるかもしれません。


 ……先生が見た目を取り繕わなくてもよくなったのも、あなたのおかげですよ、メイル。


 もちろん、暮らしが楽になって先生の負担が減ったのもあります。小さな子までみんなすごくがんばったことも理由のひとつでしょう。

 でも、きっと一番の理由はあなたです。先生はあなたという息子を通してサティレ神の声を聞いたのだと思います。母性を司る女神の声を。

 そしてあなたと離れたことで、それが涼やかな確信となったのでしょう……なんて、先生より未熟なわたしが賢しらに言うことではありませんでしたね。


 ともあれ、先生の変化は歓迎すべきことです。先生も前より肩の力を抜いて暮らせるようになりました。これが本来あるべき姿だったのだと思います。

 先生目当てに礼拝に来る人が増えたのは喜ぶべきか悩むところですけど。ちょっと悔しいです、なんてね。



 長くなりましたが、そろそろ終わろうと思います。

 ……エルフさまからあなたのことを伝えられたときはほっとしました。

 便りがないのはよい便りと言いますが、やはり心配でした。

 あなたは強く、類まれな知恵と勇気を持っていますが、どこか自分を省みないところがあるというか、なんだかんだで目の前の不幸を放っておけない人です。

 その生き方にわたしは何度も救われました。ううん、孤児院のみんながあなたに救われていました。

 けど、わたしも神官見習いを続けて、色々な人の悩みを聞いて、先生が危惧していたあなたの危うさがようやくわかりました。



 ――わたしは、あなたの弱音を聞いたことがなかった。



 別れの瞬間ですら、あなたはわたしと残していく孤児院のことを心配していた。


 あの瞬間に、はなむけのひとつもあげられなかった姉が祈ることを赦してください。

 どうか、遠き星を目指すあなたが孤独でありませんように。

 あなたの行く手に七柱の創神と数多の亜神の加護がありますように。


 いつか、いえ、いつでも帰ってきてください。

 あなたを愛する家族が待っています。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……」


 僕はフィンラスさんから渡された手紙を握りしめたまま明けの空を仰いだ。

 そうしていないと涙が零れてしまいそうだったからだ。

 黒から紫へとグラデーションしていく空の色がひどく目に染みる。


 カーレのみんなと別れてからもう五日が経った。彼女たちの華やかな音が遠ざかると、どうにも人恋しくなる。

 この手紙を読み返したのも何度目だろうか。そのたびに僕は泣きたくなってしまう。

 寂しさはもちろんある。

 一緒に成長できなかったこと。魔物禍が過ぎた後の一番大変な時期に助けてあげられなかったこと。

 ……僕がいなくても、彼女たちは立派に生きていけたこと。


 寂しかった。けど、それ以上に嬉しかった。

 僕が残したものは無駄ではなかった。無意味ではなかった。後に続くものがあった。


 この道は間違いではなかった。


 失敗はあった。もっとうまくやれることもあった。

 それでも、僕はちゃんと進めているのだと、そう思えた。



 ――『このままでは貴方は死にます』


 あとの問題は告死天使にジョブチェンジした天使さんの予言だけだ。


「思い返すと天使さんって厄介なことしか言ってないような……」

『親子そっくりってことか?』

「……“炎命(イグニス)”」

『ほぎゃああああああ!?』


 上手に焼けました。

 まったく失礼な奴だ。いったい僕のどこが天使さんにそっくりなのだ。

 そりゃ見た目はかなりコピー感あるけど、中身は別だ。僕はリコール隠しなんてしないぞ。


「おぬしら、遊んでないで前を向け。そろそろランガの領域内だぞ」


 先を歩くフィアがそう窘めると、さすがのカルニもぐっと黙った。

 新しい都市に入るにあたって第一印象は大事だ。

 しかもランガは西部開拓の最前線。ここで変に目をつけられては後の行動に支障が出る。

 剣と漫才やってる変態とかもってのほかだろう。お行儀よくしておかねばならない。


 遠くに見えてきたランガはこれまで訪れた都市とは一風変わっていた。

 まず見えるのが20メートルはある鋼鉄の城壁と警戒搭。その奥に小高い丘を丸々要塞化した都市がある。

 とりあえず都市の周りを柵で囲っておきました程度の大陸中央部とは雲泥の差。

 控えめに言って軍事拠点だ。


 この大陸において、人類の領地(なわばり)は過半数を超える。単独1位だ。次点でゴブリンか。

 前世であれば普通なことだけど、こっちの世界では違う。

 山を登れば不死鳥がいて、川を下れば水竜に襲われるハードモードだ。

 つまり、「人類が強い以上に魔物が強い」、開拓は容易なことではなかっただろう。

 ぶっちゃけ、領地を維持できている人類はすごい。生物的には決して優位ではないというのに。

 けれどそれは、厳密には人類だけで成したことではない。


 この世界において、まず『竜と魔物の時代』があり、『神の時代』があり、『人の時代』となったのだ。

 数多の人種の祖となった七曜の神、七柱の創神がいたからこそ、人類は自らの時代を築けたのだ。


 けれども、開拓と制覇の終わりを待たず、創神たちは各々の理由で俗世から姿を消した。

 残された人々は知恵と勇気と悪辣さでもって、魔物の向こうを張っている。


 だから、ここが最前線なのだ。

 大陸北西部一帯はいまだ人類の手が及んでいない未知の世界。


 吟遊詩人は謡う。かの地こそ神の死んだ地。世界の始まりを見届けた者たちの棲家。

 すなわち、“古竜の聖域(ドラゴンズネスト)

 ここは剣闘都市ランガ。

 西部開拓の最前線(フロントライン)であると同時に――



 ――魔物の侵攻に抗う防衛戦線(デッドライン)でもあるのだ。



 ◇



「都市に入れない?」


 出入門で入城の手続きを取っていたフィアが怪訝な声をあげる。

 外向けの怜悧な表情を保つフィアに睨まれた門衛はしかし、怯むことなく旅エルフを睨み返した。

 ……この人強いな。

 細かな動きから“人喰い(カルニバス)”が相手のおおよその性能を見切る。

 控えめに言って一流の戦士だ。ノキアは瞬殺、フィアで五分といったくらいか。

 門衛に実力者を配置するのは都市運営のセオリーとはいえ限度がある。

 他都市とを繋ぐ南側の門衛でこれなら、魔物の侵攻を迎撃する北側はどんなレベルの化け物がいるのだろうか。人類の最前線やばい。オラワクワクしてきたぞ!


「ランガは現在戒厳令下にあります。如何なエルフ様といえど入城はお断りします」

「戒厳令? 魔物禍でも起きたのか?」

魔物禍(スタンピード)なら月に一度は起きています」


 ん? 今なにか、聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。


 魔物禍は群れを組んだ魔物の集団が都市を襲う災害だ。

 規模の大小はあれ、都市にしてみれば滅亡の瀬戸際を泳ぐ一大事だ。

 それゆえに頻度は少ない。というか普通、魔物禍が頻発する場所に都市なんて建てない。

 比較的魔物の縄張りに近い辺境都市ヴァーズェニトですら十年に一度程度。そして、都市の防衛線力である騎士団をすり潰しながら勝利したのだ。

 否、僕がカルニに敗北していれば、都市が壊滅していた可能性もあるだろう。


 そんな災害が月に一度の恒例行事? ははは――。


「なんでランガ滅んでないんです?」

「よく言われます」


 門衛は真面目な表情で頷いた。あたまおかしい。


「で、魔物禍にも怯まぬランガで戒厳令が出された理由はなんだ?」

「……魔人の侵攻です」


 再度のフィアの問いに門衛は硬い口調で答えた。

 魔人。以前にアーネストさんが言っていた話だ。


「たしか、人の姿をとる魔物に要塞が落とされたとか」

「……ええ、その魔人です。現在、義勇軍第三隊が迎撃に出ていますが、状況は芳しくありません。場合によっては籠城戦になるでしょう」


 芳しくないなどと韜晦しつつも、その声音にはじっとりとした苦境の匂いがする。

 “人喰い”に誤魔化しは効かない。状況はかなり悪いとみた。


 しかも、籠城戦だ。一般に、対魔物戦術としては悪手とされる。大抵の魔物は不必要なほど破壊力に優れているからだ。城壁など一時しのぎにしかならない。つまり、籠城のメリットが薄い。

 長期戦、それも守勢に回るのはただでさえ弱い人類にとって不利でしかない。

 短期決戦かつ相手よりも多勢で圧殺する。それこそが人類にとれる最善手。であれば、他都市への救援はすでに要請しているのだろう。あるいは非戦闘員の避難も。

 籠城戦で最大の問題は士気と備蓄だ。都市内の()()()()はできるだけ減らしておきたいところだろう。


 ……うん、おおよそ採るべき手は見えた。


 ノキアを見る。歌に謳われる銀の髪のお姫様は「仕方ないですね」といった表情を浮かべていた。

 フィアを見る。「やる気だな?」と美しくも楽し気な笑みを返される。

 最後にカルニを――見る必要はない。

 背中に吊るした黒塗りの大剣が重さを増す。

 もちろんそれは錯覚でしかないけれど、実感でもある。

 歓喜だ。カルニは声もなく死闘の予感に歓喜しているのだ。まったくこのバトルジャンキーめ。

 だけど、僕も同じ気持ちだった。

 何年もかけて大陸を横断して僕たちはここまで来たのだ。その甲斐があったのか確かめる機会が向こうからやって来たのだ。逃す手はない。


「門衛さん。よければ僕たちを雇いませんか?」

「……なに?」


 一歩前に出る。気負う必要はない。威圧する必要もない。笑顔だけで十分。

 この門衛は戦士として一流だ。であれば、わかるだろう。

 一山いくらの一流では(オレ)たちには勝てない。


「こう見えて――こう見えて、僕たちはちょっとしたものですよ?」






 ―――― <4章:宿敵>


 そして、代替された運命は巡る。

 奪われた命のために、■■のために。






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