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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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18

 高速で川面を疾走するカーレの船の背後、つかず離れずの速度で追跡をかける“存在”が見える。

 半透明の鱗を持つ、蛇に似た体形。翼というか、背ビレのような皮膜がジョーズばりに水面を切り裂いている。目算で全長は20メートルほどだろうか。


「あれが、“竜”か……」


 以前、フィンラスさんに“竜”について聞いたことがある。

 竜とは魔物の祖にしてハイエンドの存在である。ものによっては神代以前から存在する、最古のカテゴリーである。

 だが、彼らは()()()()()()()()()()

 曰く、自然の摂理の具現化、多くは災害が“存在”を得た『事象』である、と。

 竜巻が“存在”を得れば嵐竜になり、洪水が“存在”を得れば水竜になる。

 魔物とは「魔技を使う生物」の総称であるので、彼らは魔物ですらない……むしろ聖遺物に近い存在だろう。

 確実に、人間の常識の外にいる化け物だ。

 せっかく異世界に転生したんだから、あわよくば竜の“一柱”くらい狩ってみたいと思ってはいたけれど、まさかこんなところで機会が訪れるとは。


「フィア、なんの具現かわかる?」

「特に捻りがなければ水害の具現だろうな。幸いというべきか、発生からそこまで時間は経っていない……中位の竜のようだ」

「ブロフさん、竜狩りの経験は?」

「火竜の低位を過去に一度だけ。だが、人員と装備をありったけ用意した上でのことだ。我々だけでは困難だぞ」


 そうは言っても現在進行形で追われている以上、僕らでどうにかしないといけないのはたしかだ。

 ブロフさんも当然わかっていることだ。口とは別に淡々と戦闘準備を整えている。


「竜狩りと言えば、普通は砦を用いて足止めしたところを交代で数日かけて削り殺すものだ。このような偶発的な遭遇の場合はまず逃走を第一とする」

「それができれば一番なのですが……頭領さん、今の船足はどれだけ保ちますか?」

「長くはないさね! 一応、ブレス喰らっても船は大丈夫だろうが、アタシらが死ぬ!」


 珍しく操舵輪についている女頭領さんが焦りを帯びた声をあげる。

 さすがヴァルナス神製の聖遺物。竜のブレス程度じゃ壊れないのか。頑丈だ。

 難点は中身(ぼくら)がそこまで頑丈じゃないことだな。


「では、ひとまず相手の足を止めます」

「待て、メイル。なにを――」


 ブロフさんの制止に応えず、僕は船から飛び降りた。

 水面を走れるのはすでに実証済だ。問題ない。

 あとは武器だ。これも問題ない――


【――来い、カルニ!!】


 瞬間、自分でも不思議なほど自然にあいつを呼んでいた。

 次いで、船から炎を噴射してミサイルのように飛んできた大剣をはっしと掴む。


『戦いだな、メイル!!』

「その通り。お望み通りの強敵だ。いくぞ!!」

『応ッ!!』


 戦いになると元気になるカルニを背負うように構えて水面を走る。

 ちょっとでも足を緩めると川に落ちてしまうので、最初から全速力だ。

 こちらを追いかけている水竜とは即座に間合いが詰まる。

 近づけば相手の大きさが直に感じられる。鯨じみた巨体だ。大気を押しのける気配がびりびりと肌を刺す。


『竜はブレスが厄介だ。首を落とせ!!』

「了解!!」


 水面じゃ踏んばることはできない。脇を抜けつつ速度で斬り落とす。

 走る足は緩めぬままに、カルニを振りかぶって壁みたいな半透明の鱗に叩きつける――


「!?」


 刹那、予期せぬ違和感が背筋を走った。

 斬った感触がない。それこそ水に切っ先を差し込んだような手応えのなさ。

 振り返って見れば、断ち切る勢いでつけた傷口がぐずりと埋まっていくのがわかる。


 水竜、水害の具現。であれば、その体を構成するのは水か。想像以上に厄介だ。


『まだだ!! 斬って駄目なら――来るぞ、メイル!!』

「ッ!!」


 カルニの声と前後して水竜がこちらに振り向いた。

 魚類じみた感情を感じさせない瞳。開いた口元に牙はなく、代わりに段階的にすぼまった放水孔と励起した紋章が見える。

 僕は咄嗟に宙に跳んだ。


 直後、足元を高速で吹き付けられた水流が通り過ぎた。


 遅れて岸辺の木々が倒れる音が続く。かなり遠くまで一直線に断ち切られている。

 ウォーターカッターじみた水竜のブレス。名刀のような切れ味だ。鉄砲水ってそういう意味じゃないと思う。

 次いで、マズイ、と直感する。こっちはまだ空中だ。次は避けられない。

 水竜の攻撃は止まらない。口から勢いよく水流を吐き出しながら首を振って、ブレスを剣に見立てて逆風に切り上げる。


「ッ!!」

『受け流せ!!』


 本能的な判断だった。生身で喰らえば死ぬと直感した。

 意識よりも早く体がカルニを斜めに構え、手首をひねって両腕のブラインダーを展開する。


 そこに、ブレスが直撃した。


「~~ッ!!」


 一瞬、意識が飛んだ。

 体がバラバラになったかと思った。破城槌を喰らってもこれほどの衝撃ではないだろう。


『なんとか受け流せたか……クソ、しっかりしろ、メイル!! まだ来るぞ!!』

「ぐ、ぎ……!!」


 凝縮された衝撃がカルニ越しに突き刺さり、肺が圧し潰されている。息ができない。

 それでも天使ボディは動く。聖遺物に匹敵する頑丈さだ。

 同時に、脳裏にはいつか見たファウナ先生の動きが再現される。自重より重い剣を用いた空中での姿勢制御。大丈夫。ちゃんと覚えている。

 ブレスに吹き飛ばされた空中で、カルニを大きく左右に振って体勢を整える。

 眼下に望む水竜に驕りはない。あるいは、感情なんてものは殆どないのかもしれない。

 ただただ全身を覆う荘厳な青の紋章が輝き、周囲の水を吸い上げ、三度目のブレスが放たれる――



 ――その直前、横合いから飛び込んできた銀色の光が視界を覆った。



 気づけば、背中に銀色の“天翼(ウィル)”を展開したノキアに抱きとめられていた。


「無茶しすぎですよ、メイル!! なにをそんなに焦っているのですか!?」

「!! ……ごめん」


 あれが自分の死因なのか確かめたくて、とはさすがに言えないな。

 一度目を閉じて気持ちを落ち着ける。大丈夫。アレは違う。死因ではない。

 それで、気分はずいぶんと楽になった。


「あー、その、ワンチャンいけるかなと思ったんだ」

「もう!!」


 ノキアはそのまま水面近くまで下降し、存分にブレスを引き付けてから素晴らしいターンで水竜を振り切った。

 魔技でできた銀色の翼が羽ばたく度に鮮やかな燐光が煌めいて、空に軌跡を描く。

 追いかけるように頭をもたげた水竜に向けて、牽制ついでに“炎命(イグニス)”で生成した炎の矢を投げつける。

 過たず着弾した炎の矢は竜の鱗をいくつか蒸発させて、そこで熱量を失って消滅した。


『フェネクスは相性がよくねーな』

「蒸発するのがわかれば十分だ。一旦戻ろう」

「はい、船に戻りますね。フィアさんが作戦を立てています」




 足止めの役目は果たせたらしい。カーレの船はずいぶん遠くまで逃げていた。少し余裕ができた。

 とはいえ、無理をしていることに変わりはない。船足も徐々に落ちているのを感じる。水竜に追いつかれるのは時間の問題だろう。


「無事か、メイル」

「ノキアのおかげで、どうにか」

「無茶をしすぎだ。心臓がいくらあっても足りぬ」

「ごめんなさい」


 甲板に降ろしてもらい、“天翼”を解除したノキアを抱き留める。

 その間も、フィアはカーレ達に矢継ぎ早に指示を出して荷物を固定させていた。


「フィア、作戦を立てているって聞きましたけど、どうにかできるんですか?」

「どうにかするしかあるまい。おぬしとブロフが鍵だ」

「その心は?」

「“竜”の弱点は核だ。それを貫けば倒せる」

「……」


 それで作戦の概要はおおよそ把握できた。


「僕が水竜を止めて、ブロフさんが狙撃するんですね」

「そうだ」


 核は体内のどこかにあるのだから、頭から尾までを一直線に貫けばどこかで当たるというわけだ。

 なんという冷静で的確な作戦なんだ……!!


「他に手はない。核の位置を探る時間があればもう少し確実性のある作戦も立てられるが……」

「無理ですね。それでいきましょう。ブロフさんもいいですか?」

「……作戦は理解した。が、問題がある。()()()()だ」


 ブロフさんは刺青顔を顰めて告げた。

 魔技“停滞(ソーン)”は触れた物の動きを遅くする。

 その効果を利用して槍に加速を足し、桁外れの威力と速度を叩き出すのがブロフさんの狙撃だ。

 しかし、欠点もある。この方法での狙撃は基本、まっすぐにしか飛ばせない。力を込め続けるという性質上、一度溜めに入れば射角の変更も殆ど利かない。

 威力のために全てを犠牲にした固定砲台なのだ。むしろ今まで当ててきたブロフさんがすごい。


「細かい照準は修正できるが、あの巨体全てを効果範囲に入れるのは難だ」

「成程、軸合わせは別に対応しないといけない訳ですね。つまり、この船を動かして」


 みんなの視線が操舵輪についている女頭領さんに向いた。


「そういうわけですが、どうでしょうか、頭領さん?」

「アタシじゃそこまで正確なタイミングの操縦はできないさね」

「頭領さんでは?」

「トゥーラならできる」


 その言葉には確信の響きがこもっていた。


「この船には目も耳もない。カーレの“共感”で指示して動かすんだ。けど、老いたアタシの声じゃ届くまでに少し時間がかかる。操舵輪の補助はもっと遅い」


 その少しのタイムラグが今は惜しい。致命的な差ができてしまう。

 狙撃できる機会はおそらく一回きりだ。最善を期したいところだけど……。


「ギリギリの勝負をするなら、トゥーラに任せるしかない」

「……」


 ごくり、と誰かがつばを飲み込む音がした。

 当のトゥーラに視線を向ければ、言葉もなく緊張に固くなった表情をしている。

 突然割り振られた大役に困惑している気配がある。


「トゥーラ、無理そうなら……」

「――いいえ、メイル。ボクがやります」


 一度大きく深呼吸して、トゥーラは敢然と微笑んだ。

 精一杯の強がりだった。戦いを知らない細い指先がぎゅっと胸元を握って震えている。


「大一番の大役です。他の人に譲るなんてできません。それに、舞台度胸があるってメイルさんも言ってくれましたよね?」

「……僕も全力を尽くす。ブロフさん、トドメをお願いします」

「ああ、娘と尊敬すべき戦士の前で不甲斐ない真似は見せん。一撃で決める」


 メイル印の長槍を掲げて、ブロフさんは不敵な笑みを見せた。

 その笑みは少しだけトゥーラと似ていた。


 作戦は決まった。あとは実行するだけだ。





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