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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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12

 船旅とはいうものの、カーレの船は三日に一度は寄港する予定を組んでいる。

 食料を買い込んだり、適当な場所で公演したりするためだ。

 どこの都市も娯楽には飢えているので、カーレはとても歓迎される。

 褐色の美女が薄着で派手に踊ってくれるのだ。そりゃ大人気だろう。

 カーレとしても旅費が稼げるし、寄港しない手はない。

 それでもかかる日数は普通の船と同じか、やや早い。聖遺物の船が夜も自動航行してくれるからだ。

 カルニもそうだけど、彼らはどうやって外界を知覚しているのだろうか。夜目も利くようだし、謎だ。


「メイル、見ててくださいね!」


 そんなわけで、今日は寄港日。

 カーレのみんなが近くの広場で公演中ということもあって、小さな波止場は人も少ない。

 時間と場所があるならやることはひとつしかない。

 ――訓練。一心不乱の訓練である。

 今日のメニューはノキアとフィアの模擬戦。一度フィアの実力も見てみたかったし、ちょうどいい機会だ。


「がんばって。一本とれたらご褒美あげる」

「!!」

「それは私も期待していいのかな?」


 鋭剣(サーベル)を模した木剣を片手にフィアがおどけて言う。

 すらりとした立ち姿は余計な力が抜けていて、かなり使える雰囲気だ。


「無茶なものでなければいいですよ」

「言質はとったぞ。では、来なさい、ノキア」

「はい!!」


 返事と同時にノキアが木剣を正面に構えて突進する。

 うんうん。その容赦のなさ、グッドだね。

 それに、数か月前まで走るのもままならなかったとは思えない加速力だ。訓練が身になっているようでなにより。


「む? ドワーフの剣術か」


 意外そうに眉をひそめたフィアだけど、ゆらりと構えた木剣は初手の重突進を過たず切り払った。

 カァン、と木剣同士がぶつかった音が鳴る。

 そのまま押し続けるノキアの攻撃を、フィアは細かく足と剣を動かして正確に捌いていく。


『基本は人間の剣術か。けど、ところどころに違う動きが混ざってるな』

『片手剣なのは身の軽さを活かすためか。間合いが広いな。足に自信があるのか』

『……うまいな。強いじゃなく、うまいと言いたくなる剣筋だ』


 久しぶりに陸にあげたカルニがノリノリで解説する。

 分析は正鵠を射ている。僕も魔技なしでそれを「先読み」できる。

 フィアの剣は基本に忠実で無駄がない。エルフの運動能力は人間よりかなり高いけど、身は軽く、パワーに欠ける。例えるなら鳥だ。

 対するノキアは天使身体能力をそれなりに使えるようになっている。

 速い。強い。そして強い。力こそパワー。例えるなら熊だろう。

 鍔競り合いにでもなれば、技の有無も関係なしに押し切れるくらい腕力の差が両者にはある。

 その差がありながら、乱取りを拮抗させるフィアの技量はかなり高い。


 おそらく、様々な武術を見聞きしたエルフが記憶の“共有”から導いた結論がこれなのだろう。


 基本は受け太刀。細かい足捌きと切り払いで急所を守る。

 踵は紙一枚浮かせ、居着くことなく常に有利な間合いを維持。

 そして、相手の攻撃後の硬直に刺突や小手打ちを差し込む。

 護身術としては非常に完成度が高い。重突撃から連撃を繋ぐドワーフの戦術とは噛み合ってはいる。噛み合い過ぎて互いの技量差が勝敗に直結してしまう。

 現に、ノキアが木剣をひと振りする度に切り払われ、攻撃を返され、少しずつ体勢を崩されている。


「……くっ!!」


 そしてついに、決定的な瞬間が訪れた。

 攻めながらも押され続けたノキアが無理な体勢から強引に横薙ぎを放つ。

 悪手だ。刺突を受け続けた上半身は引けてるし、軸足の膝も固まっている。カカシの剣だ。

 ゆえに、フィアは横薙ぎをきっちりと打ち払い、衝撃に耐えきれなかったノキアはそのまま地面に転がった。


「勝負あり」


 そう宣言すると、フィアはわずかに笑んで木剣を引き、ノキアに手を差し出した。


「良い攻めだった。自分の長所をよくわかっているな、ノキア」

「ご指導ありがとうございました、フィアさん」


 立ち上がり、互礼したふたりがこちらをじっと見る。

 僕はコホンと咳払いした。


「ノキアは不利になった時の術が課題だね。無理に攻めるだけじゃなくて、緩急をつけるのが大事かな」


 かつて自分が言われたことを告げると、ノキアが困った顔をした。


「ぐ、具体的にお願いします」


 ……うん。ファウナ先生ってあんまり教えるの上手ではなかったな。

 というより、本人は物心つく前からみっちり基礎を仕込まれていたから、できないという感覚がわからなかったのだろう。


「フィア、手伝ってください」

「うむ」


 僕は木剣を持って、さっきのノキアの体勢を再現する。

 あ、ノキアがすごい微妙な顔をした。うんうん。傍から見るともう負けてるのがわかるよね。


「ここまで追い込まれたら、まずは自分の体勢を整えることを優先した方がいい」

「メイルならどうしますか?」

「下がれるなら下がる」

「できなければどうする?」


 言葉と共にフィアが刺突を放つ。それなりに本気で放たれた突きだ。

 僕は反射的に逆手に持ち替えた木剣の柄頭(ポメル)で、迫る刀身の鍔元をかちあげた。

 瞬間、メキィ、とちょっと鳴ってはいけない音がして、フィアが縦に一回転した。


「っと。さすがに直撃するときついな」


 驚くべき平衡感覚で体勢を整えて着地するフィア。

 持っていた木剣は根元からへし折れている。衝撃を逃がすためにわざと折らせた感触がした。

 これを自分の体でもできるんだろうな。命に執着がない分、エルフの体の使い方は容赦がない。


「とまあ、こんな感じだね。不利な時ほど逆転狙いで大ぶりしたくなるけど、そこはぐっと堪えて小さな攻撃を狙うんだ」

「小さな……?」

「おぬしらなら軽い一撃でも当てれば戦局が変わるからな」

「軽い……?」

「深く考えちゃだめだよ、ノキア」


 一般常識と天使常識を同時に学んでいるノキアは時々コンフリクトを起こす。

 強く生きてほしいと思う。



 ◇



 空が橙色に染まり、森の向こうに日が沈んでいく。

 方々で仕事していた人たちも背中を向けて帰途につく。

 同時に、昼の公演が終わり、入れ替わりで夜の部に出演するカーレが船を発っていく。

 護衛にはフィアとノキアが向かう。カーレの財産で一番価値があるのが聖遺物の船なので、最大戦力の僕は残っておかないとまずいからだ。

 今日の感じだとノキアも酔客程度に後れはとらないし、もめ事が起きても相変わらずコミュ力に溢れたフィアがいれば大丈夫だろう。


「それで、なにかご用ですか、ブロフさん?」


 適当な木箱に腰かけて暇を潰していた折、ここ数日ずっと感じていた視線の主に声をかけた。

 すると、建物の影から気まずそうな顔をしたブロフさんが現れた。

 気配を消したくらいでは天使五感と“人喰い”見習いからは逃れられないのだ。


「気付いていたか。これでも野伏せとしては一端を自認していたのだが……」

「得意分野でして」


 ……ブロフさんの顔が引き攣った。これはあれだ、また暗殺者だと思われたパターンだな。

 まあいいか。ずっと見られていた理由も気になるし、誤解してくれるならそれもいいだろう。

 もめ事を処理するならフィアとノキアのいないこのタイミングがいい。


「……ふたつ、謝罪したい」


 しばらくして、ブロフさんが口にした言葉は意外なものだった。


「ひとつずつお聞きしましょう」

「まず、槍のことだ。これはお前の物だろう」


 そう言ってブロフさんは装備していた槍を見せた。

 近くで見れば、さすがに自分の作ったものは見分けがつく。

 数か月前にロック鳥を落とすのに使った投槍だ。ちょっと懐かしい。


「ヴァナールの郊外で拾ったものだ。良い出来で野晒しにするのは忍びなく、持ち主を探していた」

「なぜ僕だとわかったんですか?」

「この槍の拵えは東方のものだ。そして、お前は“鍛冶(ファベル)”に似た魔技を使っていて、かつ、東方訛りで……どうした?」


 突然顔を覆って俯いた僕をブロフさんが心配そうに見下ろしているのがわかる。

 でも、ちょっと待ってほしい。


「すみません。今、気付かず方言で喋っていた恥ずかしさに耐えているので」

「そこまで気にすることでもないと思うが……」


 恥ずかしいんです。

 ややあって気恥しさを呑みこんだ僕は顔を上げた。


「続けてください」

「あ、ああ。それで念の為、エルフにも尋ねたのだが、不思議と言葉を濁されてな。申し出ていいものか迷っていた」


 そういえば、フィンラスさんには人外になった関係で情報統制を頼んでいた。

 しまったな。これ、逆に怪しいぞ。


「その、色々あって、エルフには口止めを頼んでいたんです。お気になさらず。

 よければ槍は使ってやってください。ブロフさんほどの腕前なら槍も本望でしょう」

「それはありがたい申し出だが……」

「長すぎる?」

「……うむ」


 ややあってブロフさんはおずおずと頷いた。

 ジャベリンにしたって長さ4メートルだもんね。酒場のドア潜れないもんね。

 僕はその場で要望を聞きながら“昇華(アセント)”を起動した。

 槍は独学だったから、他の人の意見を聞けるのは貴重だ。

 その後、注文通りに調整した槍を二三度振って、ブロフさんは満足げに頷いた。


「良い腕だ。私見だが、冒険者などせずとも暮らせるのではないか」


 冒険者(あんさつしゃ)って副音声が聞こえる。

 どうも本気で心配されてしまったようだ。

 見た目に似合わずいい人だな、ブロフさん。刺青顔は厳ついけど、人はみかけによらないな。


「鍛冶の師匠にはひとりで店は開くなと。必ず精錬専門の鍛冶師を伴にしろと言われてまして」

「そうか。特殊な魔技には得てして克服しがたい欠点があるからな。詮なきことを聞いた」

「……察するに、ブロフさんの魔技も?」


 天蓋湖での彼の投擲を思い出す。

 地面と平行に真っ直ぐ飛んでいた槍。しかもメイル印の使い勝手をガン無視した重い槍だ。

 単純な“強化(ヴィス)”ではああはいかないだろう。


「“停滞(ソーン)”という。触れた物の動きを遅くする魔技だ」

「おお、はじめて見ました!!」


 なるほど。動きを遅くした槍に運動量を足し続けることで、解放した瞬間に一気に加速させるのか。

 それなら重さもある程度無視できるだろう。

 溜め撃ちはロマン。投擲特化とも言い換えられる魔技だ。それも、かなり古い形式の。


「ううむ。色々訊いてみたいですが、先にふたつ目をお聞きしましょう」

「……トゥーラのことだ」


 そっちは予想していた通りだった。

 やはり推しメンと仲良くしているのが問題だったのだろうか。

 ただ、ブロフさんの表情はもっと複雑というか、前世のどこかで目撃した覚えのあるような……。


「すまないが、先に俺の身の上話をさせてくれ」

「あ、はい。お聞きします」

「……感謝する。五年ほど前、俺は流れの一党(パーティ)と魔物退治に出て、敗北した。

 仲間はみな傷つき、命の危険のある者もいた。俺もその一人だった。

 都市は遠く、魔物はすぐ傍まで迫っている。仲間たちは選ばなければならなかった」

「……それは」


 人間、できることには限りがある。

 遥かに強者である魔物を相手にしていれば、そういう場面はいつでも起こり得る。

 けれど……。


「勘違いしないでくれ。俺が選ばれたのは一番助かる見込みがなかったからだ。

 恨みはなかった。妥当な判断だったと今でも思っている。

 だが、生死の境で俺はひとりのカーレに助けられた。金髪のカーレだった……」


 それがトゥーラだった、わけではないだろう。

 五年前ならあの娘は幼すぎる。魔物が迫る中、重傷の大人を助けるなどできないだろう。


「そのカーレが何をしたのか、今でもわからない。

 気付けば、俺の体は癒え、腕の中には赤子のカーレがいた。金髪の赤子だった」

「……その子がトゥーラなんですね」

「そうだ。俺はそれ以来カーレの護衛をしている」


 そのときになってようやく、僕はカーレにまつわる違和感に気付いた。


 ――()()()()()()()()()()()()()()


 十代半ばの見た目のトゥーラで五歳。頭領さんの「目が霞んできた」っていうのは老眼か。

 “人喰い”の反応をおかしく感じたのもむべなるかな。見た目とのギャップがありすぎる。


「ルティナ神も随分と残酷な種族を創りましたね」

「それは違う。彼らは彼らの時を生きている。哀れむのは侮辱だ」

「!!」


 強い口調ではない。けれど、それは確固とした芯のある言葉だった。


「……そうですね。失礼しました」

「いや、俺も言い過ぎた。彼女らへの態度を見ればわかる。お前は優しい奴だ」

「みなさんがいい人だからですよ」


 彼らは彼らの時を生きている、か。

 なまじ“昇華”でどうにかできるから、驕りがあった。

 彼らが自らの短命を嘆いていたか。そんなことはない。

 カーレは炎のような人生を生きているのだ。そこには誇りがある。僕が口出しできる領分ではない。


「カーレは亡くなると、その、次の赤子になるんですか?」

「そのようだ。そして、彼らは神に親しい種族だ。おのれの命を違う使い方もできる。

 頭領殿は“運命の代替”だと言っていた。死すべき運命を肩代わりしたのだと。おのれの妹がそうしたことを誇りに思うと……」

「その、ブロフさんがカーレの護衛をしているのは」

「贖罪などとおこがましいことを言うつもりはない。ただ、俺は命を助けられた対価を払っているだけだ。たとえ、もう本人がおらずとも、対価は支払うべきものだからだ」


 律義な人だ。だからこそカーレも信頼しているのだろう。

 それに、ああ、納得した。

 トゥーラを見るブロフさんの心配そうな表情は――


「――父親、なんですね」


 つい、思わず、うっかり声を漏らすと、ブロフさんは刺青の入った顔を盛大にしかめた。

 にっこりと笑みを返す。

 その顔が照れているからだと、今の僕は理解できた。


「余計なことまで口にしてしまった。お前は不思議な奴だな」

「育ての母は神官でして」

「そういうことにしておこう。……ここ数日の不躾な監視、平に謝罪する。

 願わくば、道が分かたれる日まで共に戦わんことを祈っている」


 そう言ってブロフさんは剣指を立てて空を指した。

 天を指すその意匠はアリアルド神のものだ。戦士としての彼の祈りだろう。

 僕も不格好ながら同じ所作を返した。懸念した事態にならなかったことを感謝した。


「トゥーラのこと、よろしく頼む。俺では力になれなかった」

「微力を尽くします。お話できるようになるといいですね」


 ブロフさんは小さく首肯すると、船に戻っていった。

 恥ずかしがり屋だけど、いい人だ。これだから旅はおもしろい。



 ただ、ひとつ、気になることができた。



「――“運命の代替”」


 その言霊はひどく胸を騒がせる。なにかが引っかかる。

 前世でも今生でも聞いた覚えはない、はずだ。

 なのに、十年来の友人に再会したような、ずっと昔から知っていたような既視感(デジャブ)がする。


「僕は、これを知っていた……?」


 呟く声に応えはない。

 ただ、空の彼方で天使さんが辛そうな表情をしている姿を視た、気がした。




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