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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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 爽やかな風が峡谷で苛められた肌を優しく撫でる。

 視界一杯には澄んだ湖……のようななにかが広がっている。

 湖、と断言できないのは対岸が見えないからだ。

 前世で見た琵琶湖よりも大きい。水面が凪いでなければ海と見間違えたかもしれない。


「これが“天蓋湖”。獣神キリルサグが敗北の地であり、魔神イムヴァルトが亜神の階梯を昇った地だ」

「キリルサグが……創神が、敗北したのですか?」

「事実だ、ノキア。イムヴァルトは創神に勝利したことで亜神となった。

 “共食いの王”“最古の四龍”、奴は様々な名で呼ばれているが――“創神殺し”。

 それこそが奴を表す最大の名だろう。まあ、厳密には神の“存在”は不滅なのだがな」

「この湖もその時に?」

「うむ。イムヴァルトの一撃で地の底まで続く穴が開き、大地を砕いた。魔神の爪痕、決して癒えぬその傷を塞ぐために水神セイレンが生み出した水の天蓋がこの湖だ」

「――――」


 隣でノキアが絶句している。言葉もないとはこのことだろう。僕も似たような心持ちだ。

 峡谷を見た時から予感はしていたけど、地の底まで穴を開けるとかスケールが違い過ぎる。


「……この湖の底の底、奈落との境目では今も、石の女神サティレとその眷属たる巨人たちが己が身を石の楔とし、イムヴァルトに砕かれた大地を繋いでいると言われている。

 だが、それをじかに目にした者はいない。エルフですらも生きて水底には到達できずに潰れて死んだ。完全に石と化した彼らだけが、その深淵に到達できたのだ――……」


 その女神像、夢で見たことあります。とは言い出せそうにない雰囲気だ。

 しかし、神とはいえ、一存在が天変地異に等しい破壊、あるいは修復を行ったとはにわかに信じがたい。

 けれど、それを伝説の一言で片づけるわけにはいかない。

 ここは異世界で、魔技があって、神様だって実在するのだ。そういうこともあるのだろう。


「ところで」

「ん?」

「フィアはなんでここにいるんですか?」


 そう問いかけると、情感の籠った語りを聞かせてくれた男装エルフはぴくんと笹穂の耳を揺らした。


「私も開拓地へ向かうのだが、言ってなかったか?」

「ノキア、聞いてた?」

「いえ。てっきりメイルに話を通しているものかと……」


 ノキアと顔を見合わせて、僕は思わず肩をすくめた。

 てっきりフィアはアーネストさんの護衛中の助っ人だと思っていたけど、このまま付いて来る気らしい。

 彼女の目的は明確だ。旅エルフは天樹のない場所を旅する存在。その存在はまだ世に知られていないものを見聞し、その記憶を共有するためにある。

 エルフ版特派員というわけだ。となれば、今一番ホットな開拓最前線を逃す手はないだろう。


「これは失礼した。久しぶりの旅で浮足立っていたらしい」


 そう言って淡く苦笑すると、フィアは腰を折って丁寧に礼をした。


「改めてお願いしよう。この身を貴殿らの旅の伴とすることを許してほしい。おぬしらの不利になるようなことは誰にも伝えぬと木神リーンに誓う故、どうか」

「そうですね……」


 ちらりとノキアを見れば、彼女は明るい表情で頷きを返してくれた。

 同性の連れがいるのは気持ち的に楽なのだろう。それに、僕もそれなりに旅慣れてきたとはいえ、歩くインターネット図書館が一緒にいるのは心強い。


「そういうことなら構いません。旅は道連れとも言いますし」

「旅は道連れ、か。いい言葉だな」


 顔を上げたフィアは爽やかに微笑み、片手を広げて天蓋湖を示した。


「礼と言ってはなんだが、この湖の案内は私がしよう。きっと驚くぞ?」


 そう言って片目を閉じてみせたフィアの姿は、どこかのエルフを彷彿とさせた。




「これは……」


 フィアの案内で船着き場にやって来た僕は、彼女の宣言通り驚いてしまった。

 視線の先、湖の上に島ができているのだ。

 数えられないほどの“船が集まってできた島”だ。


「あれが全部、船なんですか?」

「そうだ。天蓋湖の水上マーケットには大陸中の物が集まると言われている。東西南北の品物がここに集められ、各地に送られていくのだ」

「すごい。天下の台所ですね!!」


 緑風都市ファルナムで食べた米やエビもここを通じて送られてきたのだろう。魔物の危険の少ないこの地域ならではだ。

 天使アイを凝らせば、ここからでも水上マーケットの様子は見て取れる。

 島を形成する大きな船では、一辺が数メートルもある精緻な模様の絨毯や樽に入った香辛料を商い、その周りを周遊する小舟ではカラフルな南方の果実を売ったり、その場で調理した料理を売る屋台になったりしている。

 どこからか風に乗って弦楽の音も響き、小舟の上で器用に大道芸を披露している人もいる。

 人間以外の種族もたくさんいるし、ほんとにこれまで見たことのないものばかりだ。

 久しぶりに文明の息吹を感じられて、僕は嬉しい。


「気に入ってもらえたようだな。せっかくだしアーネスト殿に紹介された船を探しがてら、観光するのもいいのではないか? 開拓地に行ってからでは見られぬものも多いだろう」

「そうですね。行こう、ノキア。今日の僕は財布の紐が緩いぞ」

「はい!! ほら、フィアさんも」

「う、うむ。私も来るのは久しぶりだが、この活気は良いものだな」


 楽しそうなノキアと、手を引かれてちょっと恥ずかしそうなフィア。

 ……いい。とてもいい。たまにはこういう潤いがあってもいいよね。


「島に向かうには渡し船を雇う必要がある。ほれ、船着き場に何も載せていない小舟があるだろう?」

「なるほど。へい、『タクシー』!!」

「たくしー?」

「おおっと」


 テンション上がり過ぎて前世語がでてしまった。反省反省。

 気を取りなおして片手を振ってアピールすると、こっちに気付いた渡し守のおっちゃんが見事な操舵で小舟を湖畔に寄せてくれた。

 水上タクシーとはまた、ベネチアのゴンドラみたいで風情があっていい。


「三人、お願いします」

「あいよ」


 指を三本立てた田舎っぺ丸だしの僕におっちゃんが笑みで応じる。

 東部の辺境からやって来た正真正銘の田舎者だからね。なにを恥じることがあろうか、いやない。

 僕は軽快なステップで小舟に乗り込んだ。



 次の瞬間、重さでへしゃげた小舟が真っ二つに折れた。



 逃れる間もなく、僕はそのまま水中に落っこちた。


 ……そういえば、カルニの元になったクレイモアは「考え得る限りに堅く、重く、粘り強い剣」だった。

 今まで気にしたことなかったけど重量で言えば百キロを超えている。そりゃ船も折れるよね。がぼがぼ。



 ◇



「カァァァルゥゥゥゥニィィィィィ」

『待て。今のは不可抗力だろう!? てか、オレを作ったのオマエだからな!?』


 あのあと、僕はどうにか水面まで浮上した。完全装備で着衣水泳するとは思いもよらなかった。

 それから、渡し守のおっちゃんには誠心誠意謝罪して小舟を“昇華(アセント)”で直して、ようやく僕らは船上の人となった。

 おっちゃんは笑って許してくれた。いい人だ。

 その上、カルニを乗せるとまた船が壊れかねないので、専用の筏を組んで曳航してもらっている。とてもいい人だ。カルニにはダイエットが必要だと思う。


「プッ、クク、そのくらいにしておけ、メイル。不死殺しの英雄が魔剣と言い合いなぞ、クク、ああ、だめだ。ノキア、任せた」

「あ、はい」


 どうもツボにはいったらしいフィアは、小舟の端っこでお腹を押さえて笑い転げている。

 エルフが爆笑する姿をはじめて見た。解せぬ。


「ほら、メイルも機嫌直してください。せっかくの観光なのですから」

「……はーい」


 うん。ノキアがかわいいから終わったことは気にしないことにしよう。そうしよう。

 “炎命(イグニス)”を弱火にして服を乾かしている間、渡し船はゆっくりと船屋台を巡る。

 なにはともあれ腹ごしらえだ。

 アユっぽい魚の串焼きがあったので三本購入する。

 早速、頭からかぶりつくと、まだ熱を持っていた皮がパリパリと音を立てて弾けて、じゅわっと口内に脂が広がる。

 冬に備えて栄養を蓄えた身は噛むたびに濃厚な味が染み出してくる。粗く削った岩塩も魚本来の味を際立てて良い。

 泥はしっかり吐き出してあるらしく、内臓のぴりりとした苦味もいいアクセントになっている。


「ほら、ノキアも。こういう魚は骨ごといけるから。がぶっといっちゃって」

「は、はい」


 ちょっと恥ずかしそうにしながら、ノキアもはむっと頭からかぶりつく。

 途端に顔を輝かせてぱくぱく食べる姿はリスっぽい。かわいい。


「あとは南方の果実などもおすすめだな。食べ物ではないが香木もいいぞ」

「香木?」

「うむ、あれだ」


 フィアが指に挟んだ串焼きで示した先、小舟にワンド状に削られた枝を並べた屋台があった。

 渡し守のおっちゃんが以心伝心とばかりに舟を横付けする。


「これ、どうするんですか?」

「削ったものを加熱して香りを楽しむのだ。エルフは咥えて楽しむことが多いがな。図書館では火が使えぬからな」

「火気厳禁ですもんね。おすすめとかありますか?」

「そうだな――」

「兄ちゃん、兄ちゃん、それはウチに聞いてくれよ」


 フィアがノリノリで解説しようとしたところで、困った笑みを浮かべた香木屋の店主さんが口を挟んできた。


「や、エルフと張り合う気はないけどさ。あんま手抜いたらカミさんに怒られちまうぜ」

「これは失礼した。詫びと言ってはなんだが、チャンダナをひと枝貰おう」

「あいよ。一本オマケしとくぜ。こいつは火付けなくても楽しめるから船旅でも安心だぜ」


 フィアは代金を払って貰った枝の先を袖で拭くと、ひょいっと口に咥えた。

 男装と相まって風来っぽい仕草が妙に様になっている。お忍びで城下町にやって来た王家の次男坊ってくらいは吹けそうな雰囲気だ。かっこいい。

 真似して僕もオマケで貰った枝を咥えてみる。

 もぐもぐしているうちに、じわりと口内に香りが広がる。

 ……あ、これ、ファウナ先生の匂いだ。

 神官服にこの香を焚いていたのだろう。小さい頃はずっとこの香りに包まれていた記憶がある。

 でも、お金がなかったから買い足すことはできなかったんだと思う。記憶の香りは年を経るごとに薄れていた。

 

「どうしました、メイル?」

「……ん、いや、ちょっと懐かしくて。ノキアも試してみる?」

「はい!!」


 じゃあもう一本、と頼む前に、ノキアは背伸びして僕が口に含んでいた枝の反対側を咥えた。

 …………ポッキゲームか!!


「チャンダナには鎮静効果がある。落ち着くだろ」

「い、いえ、どきどきします」


 にやにやと笑う店主さんに頬を赤くしたノキアが答える。

 恥ずかしいならしなきゃいいのに。ノキアも賑やかな雰囲気にあてられているらしい。意外だ。


「こいつはエルフへの土産としては薬草茶と並んで人気って聞くけど、どうする?」

「なるほど。では、これをひと箱ください」

「応。甲斐性があるのはいいことだぜ、兄ちゃん」


 舟越しに渡された箱から一本ずつをフィアとノキアに渡す。

 ふたりはちょっと驚いた顔をした後、嬉しそうに受け取ってくれた。

 ちなみに残りは自分用だ。携行しやすい長さに削ってある香木は咄嗟のときに“昇華”して武器にするのに適している。

 見た目には警戒心を抱かれにくいのもグッドだ。重すぎるカルニの使えない船上ではいざという時の備えになるだろう。甲斐性とはなんだったのか。


 ……それに、この懐かしい香りにはもうしばらく浸っていたかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ポッキーゲームとか…爆発させなきゃ! 思い出の香りいいわあ、郵送できたら贈るのもいいんだろうけど、交通の便が悪すぎるからなあ。 [一言] こいつはとんだママっ子だぜー!
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