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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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 護衛三日目。

 相手が本気ならそろそろ仕掛けてくるかな、という頃合いになってお誂え向きの地形が見えてきた。

 峡谷だ。前世記憶からイメージを引っ張り出すと、グランドキャニオンが近いだろうか。

 地層も露わに隆起した斑模様の岩山と亀裂のような谷。

 吹き荒ぶ風も泣き女(バンシィ)を思わせるか細い悲鳴となって響く。

 まったくもって、伏兵を置いてよし、気に食わない奴を谷底に蹴り込んでよしの好立地だ。

 絶賛内紛中にこんなところを通ろうとするアーネストさんの気が知れない。

 あるいは――


「――ここを通るって情報を敵対者に流しました?」

「銅貨一枚の足しにもならない内紛を続ける意味はありませんから」


 そりゃ襲撃があると確信している訳である。

 しれっと宣うアーネストさんはしかし、浮かない表情だ。

 自慢の笑顔もどことなく萎れ、小さく吐かれた溜め息にも隠しがたい緊張と疲労の気配がある。


「……ビッグフットの一族は特殊な魔技を継承しています。商売において非常に有利な魔技であり、会長の座に就く条件でもあります」

「噂には聞いたことがあります」


 実質的に大商会のトップを世襲していることになるけど、この世界では珍しくない。

 というより、この世界の「世襲」概念は血縁よりも魔技の継承という意味合いが強い。血の記憶という形でノウハウも引き継げるからだ。

 ただし、欠点もある。子どもは両親のどちらの魔技を引き継ぐかに法則性がないのだ。

 つまり、現状で意図した魔技を継承させようと思ったら、数撃って当てるしかない。

 そして、数撃った以上、アタリが複数でる可能性があり――


「待ち構えている相手は商会の副会長……私の弟です」


 ――往々にして、それは争いの種になる。




 まあ、それは僕には関係のない話だ。

 相手が誰であろうと、やるべき仕事をやるだけだ。


「前方の岩山に人の気配があります。数は六、武装しています」


 “人喰い(カルニバス)”によって強化された天使五感が潜む相手を捉える。

 遠くから窺うような視線、鎧の擦れる音、敵意と興奮が混ざったヒトの匂い。

 アーネストさんがどう思っていようとも、相手はやる気だ。


“誠実”(アーネスト)の名に恥じない生き方をしている自信はあったのですが、それも今日限りのようですね」

「では、降伏しますか?」

「それができるほどビッグフット商会の会長の座は安くありません。……いえ、すみません。八つ当たりですね」


 アーネストさんは自らの頬をばしんと叩くと、笑みを消した。

 後に残ったのは、海千山千を生き抜いてきた大商会のトップの顔だった。


「迎撃します。ルウス、全員に武装指示を」

「はっ!」


 応じて、慌ただしく荷馬車の中から武器が運び出される。

 広所での戦闘が想定されていたらしく、皆それぞれ弓や槍を装備して半円状の陣形を組む。

 石馬(メルメア)も頚木を外され、槍を手にしたルウスさんが騎乗した。

 この世界の行商は命懸けとはいえ、ここだけ見れば彼らを商人だと思う者はいないだろう。


「こういう時ってアーネストさんが騎乗するじゃないんですか?」

「ははは、私は武の方はからきしでして。こんな尻を乗せては石馬も憤慨するでしょう」


 そう言って苦く笑うアーネストさんは寸鉄も帯びていない。

 できないことはできないと割り切っているあたりはさすが大商人と言うべきだろうか。

 護衛する側としては下手に前に出られるよりは守りやすいけど。


「では、フィアはアーネストさんの傍についてください」

「了解した」


 鋭剣を手にしたフィアは緊張した風もなく、落ち着いた様子でアーネストさんを庇える位置に立つ。


「ノキアも後衛に。適宜援護を」

「わかりました。メイルはどうするんですか?」

「うん。まずは、脅かしてみようかな」

「脅かす?」


 そういえば、ノキアには見せたことがなかったな。

 不思議そうな顔をするノキアを横目に右腕に紋章を展開、“昇華(アセント)”を起動する。

 手近な岩に黄金の光を纏った右手を叩きつけ、昇華。

 イメージは【投げ槍】。長さは四メートル。飽きるほど繰り返した工程に失敗はない。

 冒険者にとって投擲のうまさは実力のバロメーター。投げ槍もまたそれに含まれる。


「皆さん準備はいいですね。では、先制攻撃します」


 槍を肩上に構え、ぐっと体を反らせて投擲体勢に入る。

 一歩目はゆっくりと、そこから姿勢を保ったまま速度をあげていき、最高速度に到達する同時に全身をバネのようにたわめて槍をリリース。

 ぼっと音を立てて大気を置き去りにして、槍は一直線に敵の潜む岩山に飛来。


 次の瞬間、ずどん、と槍の当たった部分が消し飛んだ。


「――――は?」


 ぽっかりと穴の空いた岩山を見て、ルウスさん達がぽかんと口を開ける。

 “強化(ヴィス)”の使い手ならこれくらいできるのに、なにを驚くことがあるんだろうか。まあ、異世界じゃなかったら人に向けて放つのが条約で禁止されそうだけど。

 ともあれ、戦いはまだ始まったばかりだ。

 魔技を“人喰い”に切り替えて気配を探る。

 数は変わらず六人。さすがに見え見えのテレフォンパンチ(槍)に当たる相手じゃないか。


「敵は六人のまま。伏兵はいないようです」

「いいえ。これから呼ぶのでしょう」


 そう断言して、アーネストさんは岩山から慌てて下ってきた敵集団に険しい視線を向けた。

 その中にひとり、彼にどことなく似た顔立ちの男がいる。

 男はすでに魔技を起動していて、その全身に碧色の紋章が走っている。



「ビッグフット一族の継承する魔技は“(ゲート)”と呼ばれています」



 名前を聞いた時点で内容が想像できてしまった。

 そっかー。ここ異世界だもんね。そりゃそういう魔技もあるよね。

 詳しく聞きたいところだけど、状況が許してくれない。

 止める間もなく、男の体から中空へと紋章が展開し、名前の通りの門を形成する。

 碧色の光で作られた門がゆっくりと開いていく。

 門の向こうにはまったく別の景色が広がっていて、そこからぞろぞろと増援が姿を現していく。

 どこでもなドアなんて使えるなら、そりゃ商売もうまくいくだろう。

 都市国家同士が独立し、城壁の外では魔物が闊歩しているこの世界で、これほど商売に適した魔技はない。


 けど、大っぴらにしていないということは、連発できる類ではないのだろう。

 魔技は基本、効果が大きく複雑なほど精神力の消耗も大きい。離れた空間同士を繋ぐなんて理不尽はどう転んでも消耗も甚大にならざるを得ない。

 事実、門を閉じた副会長は見るからにふらふらの千鳥足だ。二度目は無理だろう。

 つまり、やって来た増援の十人。元からいたのと併せて十五人、あと置き物になった副会長その人。

 汚れ仕事に従事する手勢としては頑張った方だけど、それで打ち止めだ。

 この時点でこちらの戦術的勝利は確定している。アーネストさんが“門”を使って離脱しても、敵陣営に追いかける術がないからだ。

 相手は切り札を先に切ったツケを払う他にできることはない。


「あとは順当に無力化させていけばいいんだろうけど……」


 副会長がこの一戦に人生賭けているのは確かなようだ。

 増援の中にひとり、これはという異様な人物がいた。


 身の丈五メートルに届く赤肌の大男が、ひとり。


 大木を切り出したと思しき巨大な棍棒を手にした巨体は、離れていても凄まじい威圧感がある。


「……巨人(ギガース)か」


 フィアがぽつりと呟いた。

 それは【石の女神サティレ】の眷属たる、少数種族の名だった。

 まったくもってファンタジーである。


「まだ生き残りがいたんですね」

「大陸の北に僅かながら残っているとは聞いていたが、こんなところで出くわすとはな」

「びっくりですね」

「……それで済ましていいのか?」

「僕を派遣するってことは、このくらいは想定していたんじゃないですか?」


 どうせなら人化できる魔物でも引き連れてくれれば話が早かったけど、仕方ない。

 今日はフィジカル最強の人類種族と力比べだ。


「ギガースは僕が相手するので、他をお願いします」

「な!? ひとりで足止めする気か!? 無茶だ!!」

「仕事の範疇です。問題ありません」


 慌ててルウスさんが止めようとするのをスルーして、一気に前へ出る。

 相手もギガースを前面に出して戦う気らしく、期せずして僕らは一騎討ちの状況になった。


「カルニ、起きてる?」

『おう!! 今回は出番ないかと思ったぜ!!』

「相手は巨人だよ。いけるね?」

『当ったり前だ!! やるんだろ、やってやろうぜ!! ヒャッハー!!』


 元気で結構。初見の相手だし、戦況観測があるのはありがたかい。

 近付くほどにギガースの巨体は威圧感を増していく。

 相手が一歩を踏み込むごとに地面が揺れるのを感じる。


『来るぞ!!』


 彼我の間合い七メートル。

 先に仕掛けてきたのは間合いの広い向こうだった。


「おおおおおおおおおおッ!!」


 鼓膜が破れかけるほどの大音声とともに極太の棍棒が横薙ぎに振るわれる。

 そこに鈍重さはない。跳んで避けたとしても即座に追撃がくるのが()()()

 そうだ。見た目はオーガもかくやという巨人だけど、相手は人間カテゴリの範疇。

 つまり、“人喰い”からは逃げられない。


 迫る棍棒は嵐を呑んだ壁のようだ。

 けれども、それを振るう動きが先読みできる以上、凌げない道理はない。

 杭を打つように踵を地面に打ち込み、背から引き抜いたカルニを構える。

 右手を柄に、左手を刀身の半ばに添えた受け流しの構え。

 そのまま切っ先を地面と棍棒の間に差し込む。


『踏ん張れ!!』


 棍棒の先端と刀身が接触する。

 火花が散る。

 即座に身を入れ、棍棒を載せた刀身を回しながら肩を視点に受け流す。

 カルニ越しに凄まじい重量が襲いかかる。足が地面に沈み込む。

 けど、問題ない。全身のバネを総動員し、滑らせた棍棒を鍔元近くで撥ね上げる。


 直後、軌道を逸らされた棍棒があらぬ方向へすっとんだ。


 即座に跳躍して追いかける。

 この棍棒は危険だ。受け流しが完全に決まったのに、ギガースはまだ保持している。

 投げつけられでもしたら後ろの人たちはひとたまりもないだろう。

 だから、破壊する。


「――“昇華”!!」


 魔技を切り替え。空中で追いついた棍棒に右手を叩きつける。

 イメージは【燃えろ】。


 次の瞬間、棍棒がひとりでに燃え上がった。


「ッ!?」


 たまらず、ギガースは棍棒を手放す。

 地面に転がっても燃え続ける棍棒は後で処理しないといけないだろう。

 けど、優先すべきはギガースだ。武器がなくとも、重機じみた巨体は立派な凶器だ。

 着地し、改めて“人喰い”を起動してギガースと相対する。


「すみませんが、仕事中なので使えるものは全部使いますね」

「……願ってもないことだ」


 見た目に反して、相手は理知的だ。それに無手での戦いも心得ているらしい。

 右膝を軽く曲げ、半歩前に出した構えはキックボクシングのそれに近い。


「足技かな」

『だろうな。こんだけタッパに差があっちゃ下々に手が届かねえだろうさ』


 大き過ぎるのも考えものだ。

 とはいえ、巨体から繰り出される攻撃が脅威であることに変わりはない。

 蹴り、足払い、そして踏みつけ。そのどれもが必殺となる。

 それに石の女神の眷属ならば――彼女に連なる魔技がある。



「――“石化(ペトロ)”」



 瞬間、巨人の全身に灰色の紋章が走る。

 それは遥かな時の流れを早回しで眺めているような変化だった。

 赤銅色の皮膚の上に石の鱗が表出する。

 巨人が石を鎧っていく。

 神話において、サティレとともに自らを石と化して大地を支えた彼らの魔技。

 この場においてそれは、自らを難攻不落の要塞に変える妙手となる。


「元々が巨体だから攻撃力は足りてるし、負けないための魔技か」

『不意打って隙間を貫くか、真っ向から砕くかだな。好きな方を選べ』

「じゃあ、真っ向からいこうか」

『ハン、好きにしろ』


 両足を肩幅に開き、両手で構えたカルニをぐっと引き絞る。

 頬横に寄せた刀身が鋼の冷たさを感じさせる。


『先に相手の蹴りが届くぞ』

「わかってる」


 じり、と摺り足で間合いを詰めながらギガースの出方を窺う。

 相手もこちらを警戒しているのか、慎重に間合いを測っている。


 そして、誰かが唾を呑みこんだ、音がした。


「――おおぉおおおおおおおおおお!!」


 直後、巨人が蹴り足を繰り出した。

 足裏に石のスパイクを張った一撃。

 高速で迫る巨大な壁は前世の終わりに見たトラックを思い出させる。


「――ッ!!」


 同時に、僕も踏み込みつつカルニを突き放った。

 狙いは足裏。相手の直蹴りを真っ向から迎撃する。


 衝突、衝撃。地面に亀裂が走る。

 火花を散らしながら、質量で勝る相手に押しこまれそうになる両足を踏ん張る。

 束の間の拮抗に、確信する。

 質量では相手に分があるけど、出力は天使ボディが勝っている。

 ゆえに、さらに一歩、押し込む。


 瞬間、石のスパイクを砕いて巨人の足裏を貫いた手応えが手に返る。


 ――ここだ。


 足裏を貫かれてバランスを崩した巨人に追撃をかける。

 即座にカルニを手放し、跳躍。

 巨大な膝に着地、そのまま再度跳んで大岩のような顔面を射程に捉える。


「ぐ、おおお――!!」


 巨人がフック軌道で迎撃の拳を放つが、遅い。

 超至近距離(クロースレンジ)では僕の方が速い。

 竜鱗手甲ブラインダーを展開。

 天使腕力全開。

 オーバーガードに包まれた拳を握りしめ、ギガースの石顎を狙う。

 竜の鱗が風を切り、拳が疾る。

 着弾。

 硬い衝撃。石鎧を透して脳を揺らした手応え。


 数瞬して、ずん、と地響きを立ててギガースは地に伏した。





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