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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
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 ぽかぽかとしたお昼の陽気に暖められた街道を、ゴツゴツした石の鱗を纏った馬が荷馬車を牽いて進んでいく。

 下手な矢弾は難なく弾く堅い外殻をもつこのファンタジー生物は石馬(メルメア)と呼ばれている。

 愚神サイラスが馬を孕ませて生まれた種族だという。色々と紙一重だと思う。

 石馬は驚くほどタフで長距離移動を苦にしない。すごい生まれの割に、扱いとしては前世で言うところの騾馬に近い。

 その評判にたがわず、荷馬車の重みをものともせず、石馬の蹄は石畳で舗装された道を軽快に踏み鳴らしていく。

 その周りでは僕とノキアを含めて十人が一塊となって進んでいる。

 西部開拓地へと向かう一団としてはありふれた、見るからに商隊でございという風体だ。このあたりだと魔物よりも野盗の類を警戒しないといけないだろう。


「ほほう。“変身(トランス)”の魔技で雷光そのものに化身するとなると、かなり高位の使い手ですね」

「やはりそうですか」


 歩きしな、僕の世間話ににこにことして笑顔で頷きを返したのはアーネスト・ビッグフットさん。この商隊のリーダーであり、僕らの雇い主だ。

 見た目は四十半ば、栗色の髪を上品に整え、恰幅の良い体を着なれた旅服で包んでいる。所作のひとつひとつが丁寧で好感が持てる。

 ただし、長く行商して暮らしていたらしく、ぽっちゃりしているように見えてかなりの健脚で驚いた。


「私もそれほどの使い手に会ったことはありませんね。あなたならどうですか、ルウス?」

「無茶言わんで下さい、大旦那さま。完全獣化ができる時点で一流の戦士として扱われるのに……その方はおそらく種族英雄と呼ばれるに足るでしょう。自分はおろか大半のセリアンでは無理というものです」


 大旦那さま、と敬意を払いながらも気さくな口調で犬系のセリアンの青年、ルウスさんが答える。

 身なりにも気を遣っているし、こちらもそれなりの立場にある人なのだろう。歩くのに注力している他の人たちと比べても周囲に気を配る余裕がある。

 そして、その腰元には鞘に入った剣が吊るされている。飾りではない。実用性を重視したシンプルな拵えだ。

 この異世界で行商するなら限りなく必須に近い備えだけど、荷馬車にも隠すように弓や槍が載せられている様子からは、警戒を厳にしていることが窺える。


「雷光そのものとなれば足もかなり速いでしょう。行商にうってつけなのですが……」

「種族英雄の魔技をそんな使い方したら怒られますよ? あと商品が壊れます」


 ふたりの軽妙な会話を興味深く聞きながら、僕はここに至るまでの経緯を思い返していた。



 ◇



「商人護衛の依頼、ですか。僕らに?」

「そうだ。道程はおぬしらと同じ方面、ここから一週間前後の期間になる。頼めるか?」


 旅の途中で通りがかった都市のエルフ図書館に顔を出したときのこと。

 当然の顔して“存在”を移し替えて都市間を移動してきたフィンラスさんは、薬草茶を淹れながらそう切り出した。


 まずはじめに感じたのは「意外」という感想だった。

 フィンラスさんからの依頼がはじめてというわけではない。これこれという薬草を採ってきてくれとか、どこそこの村が健在か見てきてくれとか、比較的簡単な依頼はあった。

 相場以上の謝礼も貰えるし、旅の途中でこなせるようなものばかりだったから請けない理由もなかった。

 けど、護衛を依頼されたのは今回が初だ。基本、エルフは個々人に対する興味が薄い種族なのだ。


「フィンラスさんに頼まれて断るつもりはありませんが、僕らの素性バレとかは大丈夫ですか?」

「相手の人格は私が保障する。旅エルフもつけよう。困ったらそやつに丸投げしてくれ」

「そこまでして護衛しないといけない人なんですか」

「そこまでして護衛しないといけない者なのだ」


 そうして、至極真面目な調子で告げられた名前に、僕は思わず居住まいを正した。


「ビッグフット商会の会長、アーネスト・ビッグフットを護衛してほしい」


 ビッグフット商会、という名前は僕も聞いたことがあった。

 というより、かつて暮らしていた辺境都市ヴァーズェニトにも支店があった。小さい頃から利用していた。

 主に食料品を扱っていて、大店ながら子供相手にも対等な商売をしてくれたからだ。リタが気合を入れて交渉をしていたことも記憶に新しい。

 その頃はそういう商会があるんだ、程度の認識だった。

 けど、旅に出て、他の都市に辿りついて驚いた。


 ビッグフット商会の支店は大陸の各地・各都市に存在していたのだ。


 前世ではチェーン店もさして珍しくなかったけど、都市国家同士の交流が少ないこちらの世界では格別に珍しい。

 というより、大陸各地に出店している商会は確認できる限りビッグフット商会だけだ。オンリーワンでナンバーワンの老舗だ。

 商会を束ねる一族がそういう離れ業を可能とする魔技を有しているという噂もあるけど、さておき。


「あの、ビッグフットの会長が普通に行商しているんですか?」

「そうだ。この薬草茶も今しがた彼が持ち込んだものだ」

「いい茶葉ですね。……じゃなくて、明らかにVIPですよね!?」

「ヴィップ?」

「……え、偉い人って意味です」

「うむ、下手な都市の統括者よりも影響力のある人物、ヴィップもヴィップだ。もういい歳なのだから落ち着けと言っているのだがなぁ……」


 フィンラスさんはカップ片手に、手のかかる子どもを見るような表情を浮かべた。

 不老長寿のエルフにとっては大商会の会長も子ども扱いか。スケールがちがう。

 とはいえ、問題はそこではない。

 それほどの大人物なら名うての冒険者へのツテもあるだろうに、わざわざフィンラスさん経由で護衛を探したということは――


「――内紛ですか?」

「これだけの情報からそこに思い至るか。さすがだな、メイル」

「一番可能性が高いのがそれかと」


 自分のツテで雇う冒険者が信用できないのは、敵対者が同じツテを持っている場合だ。

 まあ、都市に生活基盤を持たない冒険者の多くは金で転びうるので、基本的に社会的信用とは無縁だけど。


「ということは……あー、襲撃があるのは確定ですか?」

「そうなる。そして、今すぐ動けて、且つ、確実に相手の手駒を上回る実力を持つ者となれば、おぬしらしかおらん」

「なるほど」

「いま彼に倒れられては各都市の商業に大きな打撃を被る。エルフとしてもこの平穏をむやみに揺らがしたくはないのだ」


 故に伏して頼む、とフィンラスさんは真摯に頭を下げた。

 超然としたところのあるフィンラスさんがここまで頼みこむのも珍しい。


「頭を上げてください。先にも言った通り、フィンラスさんの頼みですから否やはありません」

「……助かる」


 顔を上げたフィンラスさんはほっと安堵の表情を浮かべていた。

 けっこう切羽詰まっていたっぽいな。そう考えると、この場に居合わせた幸運を天使さんに感謝してもいい気分だ。

 食事すら嗜好の域にあって、種族として欠けたるところのない彼女に恩を返せる機会はそうないのだ。


「それにしても、フィンラスさんが真面目に仕事してるところはじめて見ました」

「同感だ。もう十年分くらい働いたし、しばらくは好きにする。何年かこの顔も見せられなくなるが、寂しく思わんでくれ」

「……しっかり見納めておきます」


 えへんと胸を張るVIPエルフを見やりながら、そういえばエルフって怠け者種族だったと僕は思い出していた――。



 ◇



 その日は夕暮れになっても襲撃はなく、護衛しながらの道程は順調に進んだ。

 相手が都市の近くで仕掛けてくる考えなしなら楽だったけど、そうは問屋が卸さないようだ。商人だけに……商人だけに!!


「メイル様は剣闘都市ランガに向かうのでしたね」


 ノキアと野営の準備をしていると、アーネストさんがふとそう切り出した。

 手を止めて顔を上げると、相変わらずにこにことした顔が視界に入った。

 商人は笑顔が基本、らしい。“誠実”(アーネスト)の名は伊達ではない。


「その予定ですけど、どうかしましたか?」

「船の手配はされていますか?」

「船?」


 はい、と首肯したアーネストさんは地面に布を敷いて、その上に慎重な手つきで巻物を開いた。

 色あせて使いこまれた感のある羊皮紙の巻物には大陸の地図が描かれていた。

 この異世界の技術レベルを考えるとかなり精巧な部類だ。前世風に言うと、伊能忠敬級。

 正直、これまでの何より、目の前の人が大商会の会長だと実感する逸品だ。

 控え目にみても家宝、売れば大都市に庭付きの一戸建てが建つ。そして、下手に写しをばら撒くと騎士がすっとんでくるレベルの軍事機密だ。ホイホイ見せていいのだろうか。


 まあ、見てしまったものはしょうがない。

 地図によると、この大陸は横長の楕円形をしている。ラグビーボールみたいな形だ。

 あるいは近似の並行世界的に、ユーラシア大陸みたいと言うべきか。

 ……お、ヴァーズェニトも載ってる。ほんとに東部の端っこだ。

 こうして見ると、僕は徒歩で大陸の三分の二を横断したことになるのか。徒歩で……徒歩で!!

 そんでもって、僕らが今いるのは大陸中央部と西部の境目のあたり。

 ランガはそこから西へ、地図に載るくらい大きな湖――“天蓋湖”と言うらしい――を挟んで、さらに西へ行ったあたり。海があるかはわからないけど、大陸の西海岸にほど近い地点だ。

 そして、最も重要なこと。

 “開拓地”というのは大雑把に、大陸を六分割した北西部一帯のことを指す。ランガから北方向に開拓の手を伸ばしているようだ。

 ……うん。とてもわかりやすい地図だ。

 これがあれば、たぶん僕の五年の道のりは大幅に短縮されただろうな、と思うと遠い目になる。地図も街道もない旅は文字通り回り道ばかりだった。


「メイル様、どうされました?」

「お気になさらず。それで、船ということは、河を下るんですか?」

「はい。我々が向かっている天蓋湖からは西南二本の河が流れておりまして、西河は剣闘都市ランガ方面、南河は王剣都市グラディウム方面に続いています。今時分は冬に備えて行き来も盛んですよ」


 なるほど。開拓に必要な物資を船で運んでいるのか。陸上で輸送するよりも大規模に運べるだろうし、合理的だ。

 そして、物が集まる場所には人も集まる。開拓地に向かう冒険者はランガに集まるって言われるわけだ。納得しかない。


「天蓋湖からランガへは街道も舗装されておらず、険しい道のりになります。特にこだわりがなければ船で向かうのがよろしいでしょう。私の方でいくつか紹介できる船もあります」

「そうですね……僕はどの船でもいいから、ノキアが決めていいよ」

「えっ」


 話を振られるとは思ってなかったようで、隣で話を聞いていたノキアは空色の瞳を瞬かせてきょとんとした。次いで、焦ったように僕とアーネストさんを交互に見上げる。

 僕とアーネストさんは笑顔で彼女の言葉を待つ。

 助言はしない。せっかくだし、対人経験の不足しているノキアに交渉の経験を積ませたいからだ。

 エルフを除けば、冒険者が旅の中で出会うのは常に初対面の人ばかり。食いっぱぐれないためにもコミュ力は非常に重要だ。

 初めて会った時のことを思えばやればできる子だとはわかっているし、経験豊富な商人であるアーネストさんは訓練相手としてはうってつけだろう。


「条件のいい船を紹介してもらえたらご褒美あげるから。がんばって」

「あぅ……がんばります」

「では、候補をひとつずつ紹介していきましょう。質問があればいつでもどうぞ」


 早速はりきりだしたアーネストさんに尻目に、僕はその場を離れた。


「任せきりで大丈夫なのか、メイル?」


 そのとき、ふっと木陰から姿を現した人が声をかけてきた。

 短く切りそろえた金の髪に笹穂のような耳、シンプルな男装で剣帯に鋭剣を吊った長身の女性。

 フィンラスさんが寄越してくれた旅エルフのリンフィーリアさんだ。

 睡眠の要らないエルフに必要かはわからないけど、野営準備はもう終えたようだ。主に図書館のない地域を巡る役割を担う旅エルフだけあって、旅にまつわる諸々にも慣れている風情がある。


「僕が残っているとノキアも頼ってしまいますから」

「それはそうかもしれぬが……」


 肩を竦めて告げると、リンフィーリアさんはほんのわずかに眉根を寄せた。

 男装と相まって匂い立つような中性的な雰囲気が、愁いを帯びた表情にひどくマッチしている。いけない扉を開いてしまいそうだ。

 ともあれ、僕も考えなしという訳ではない。


「大丈夫です。アーネストさんは僕ら相手に無体なことはできません」


 僕らはフィンラスさんの肝入りで護衛に加わったのだから、と暗に告げると旅エルフは然もありなんと頷いた。

 都市で暮らす者にとって、エルフにそっぽを向かれるのはかなりきつい。

 前世で言えば、インターネットと図書館が使えなくなるようなものだ。不利益は計り知れない。

 精々、アーネストさんが恩を売りたい相手を紹介されるのが関の山だろう。そのくらいだったら全然構わない。こっちに不利益があるわけでもないしね。


「それで、他の人はどうでした? アーネストさんが商会から選抜したんですよね」

「うむ、商人にしてはよく鍛えられている。足手纏いになることはないだろう。特にルウス殿はかなり使うようだから期待していいぞ」

「それは重畳。あ、実際に戦闘になったらリンフィーリアさんはどうしますか?」


 見た限り、彼女にはそれなり以上に戦える気配がある。剣にも自信がありそうだ。

 けれど、エルフの魔技は肉体の再構成や記憶の共有にまつわるものだ。戦闘に直接寄与するものではない。

 そういう意味合いを込めた問いだったのだけど、リンフィーリアさんは笑って手をひらひらと振った。


「盾でもなんでも好きに使ってくれ。体の換えはいくらでも利くからな」

「でも、痛みは感じるんですよね?」

「――――」


 当たり前のことを訊いたつもりだったけど、リンフィーリアさんは驚いたように目を瞠った。

 夕暮れを照り返して、アーモンド型の目がきらりと光る。驚いた顔もきれいなんだからエルフはほんと反則だと思う。


「おぬしは本当に予想外だな……」

「? それはどういう?」

「……いや、フィンラスの奴が気に入った理由がわかったと、そういう意味だ。

 ともあれ、私の損壊が他の者の死傷より優先度が低いことに変わりはない。おぬしの指示には従う故、うまく使ってくれ」

「……わかりました。よろしくお願いします、リンフィーリアさん」

「フィアでいい。エルフでない者には馴染みのない名前だろう」


 うん。まあ、「木神の娘(リンフィーリア)」ってすごい名前だよね。

 エルフは個体識別の必要性が薄いから名付けも適当だって聞くけど、みんなこんな名前なんだろうか。


「では、フィアさん」

「もっとこう、砕けた感じで頼む!」

「お、おう。じゃあ、フィアって呼べば、いいんですかね?」

「うむ……うむ。それでいい。いや、それがいい。人の下につくなど滅多にない経験だからな」


 そう言って、フィアは呼ばれた名前を味わうように淡い唇を綻ばせた。

 変化に乏しい表情とテンションのギャップがすごい。

 ほんと不思議な人だな。美人でも見てて飽きないから長所なのかもしれないけど。


「襲撃があるなら都市から最も離れる明後日あたりでしょう。英気を養っておいてください」

「了解した。おやすみ、メイル」

「おやすみなさい、フィア」


 そろそろノキアも交渉を終えた頃だろう。

 結果を楽しみにしながら、僕は自分の野営地へと戻って行った。

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