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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<3章:異郷の人々>
43/99

 洞窟生活二日目。

 保存食や道中で狩った鹿やらで夕食を済ませた頃になっても、雨が降り止む気配はない。

 今夜もこの洞窟で夜を明かすことになるだろう。

 この状況が続くなら、本格的に洞窟のリフォームに手をつけるべきだろうか。もう寝床とトイレは作っちゃったけど。

 幸い、食料にはまだ余裕があるから数日泊まり込む分には問題ない。必要なら適当に狩ってもいい。魔物が少ないからか、このあたりは動物――魔技を持たない食べられる生き物も多い。

 いざとなれば雨の中を強行軍で進むか、あるいはノキアに頼んで雲の上を飛んでいってもいいんだけど……それは最終手段にしておきたい。

 お空の上で高位の魔物と偶発的遭遇、などということになれば墜落の危険もあるからだ。

 最低でも、雨の原因がわかるまでは下手に動きたくない。



「――“昇華”」


 他にやることもないので、適当な石を箱型に作り変えて燻製器にする。

 続いて、余った鹿肉に串を刺して内部に吊るし、焚き火の上に設置する。

 匂いと煙で野生動物を惹きつけるからいつもは自重しているけど、この豪雨なら問題なく掻き消してしまうだろう。


「これで燻製ができるんですか?」

「目分量で作ったから売り物にはならないけどね」


 天使握力で粉々にした香木を焚き火に放りこんで煙を出す。この状態で半日ほど置くことになる。

 隣に座って興味津津と目を輝かせるノキアにあれこれと教えつつ、火加減を調整する。これが意外と難しくて、腕の見せ所でもある。高温で一気に燻すと内部に水分が残って、腐りやすくなってしまうのだ。


『おい、メイル』

「カルニの分はないよ。というか、食べれるの?」

『違えよ。客だ』

「客?」


 言われるがままに外に目を向ければ、降りしきる雨の中に獣人(セリアン)の女の子がいた。

 泥だらけの毛並みが両手足から背中までを覆い、ずぶ濡れの獣耳がぺちょんと垂れている。

 セリアンの年齢には詳しくないけど、見た目はノキアよりさらに幼い。人間換算で十歳くらい。そんな子がずぶ濡れになっているのだから、見ているだけで心が痛む光景だ。


「……子供がひとり、か」


 それはそれとして警戒は怠らない。

 セリアンは【金の獣神キリルサグ】の眷属であり、獣の特徴を持つ亜人だ。季節に応じて移動しながら隠れ里を作る遊牧種族だから、旅の中で不意に出会うこともある。

 ただ、他種族と交流があるのは独り立ちした成人だけであり、子供は基本的に隠れ里から出ない。ひとりで行動することはない、ハズだ。

 疑問に思いつつ、傍らに立て掛けていたカルニを引っ掴んで“人喰い(カルニバス)”を起動する。

 カルニ曰く、人間を対象とする“人喰い”は人化した魔物には反応しないという。

 意図しない共食いを避けるため、あるいは()()()()共食いを行うための機能だろう。

 つまり、“人喰い”は魔物の変装を看破することができる。

 意識を集中させ、知覚上に先読みを機能させる。

 向こうも驚いているというか、警戒している気配がするけど、冒険者としてのマナーだ。こんなところで異世界されては堪らない……のだけど。


「……かなり微弱だけど、人間の反応はするね」

『ああ。少なくとも魔物じゃねえな』


 亜人相手は反応がぼやけるのは“人喰い”の難点だ。フィンラスさんの気配とかすごい読み辛い。

 ともあれ、人類ではあるようだし、取り越し苦労だったようだ。


「というわけで、行っていいよ、ノキア」

「はい!!」


 先ほどからそわそわしていたノキアが喜色を浮かべ、外套を被って飛び出す。

 雨の中、女の子は近付いて来るノキアに警戒するように後ろ脚を立たせるけど、逃げる様子はない。

 というか、さっきから視線がちらちらと燻製器に向けられている。


「……ふむ?」


 ふと思い立って、処理しきれなかった鹿肉をカルニの上に載せて、焚き火で焙る。

 大剣から文句が飛んでくるけど無視。

 そのうちに、じゅっと脂の焼ける音と匂いがしてきた。

 ぴくん、と女の子の獣耳が跳ねる。

 いい具合に焼けたところで、ホットケーキみたくカルニを振って肉をひっくり返す。

 ノキアに手を引かれる女の子の視線はすでに、鹿肉に釘づけになっている。


「食べる?」


 警戒していた割にはひょこひょこ近付いてきた女の子に、こんがり焼けた鹿肉を差し出す。

 よほど空腹なのだろう。先ほどからくうくうとお腹の虫が洞窟内に反響している。

 ノキアが手を拭いてあげている間も、視線は片時も鹿肉から外れることはない。


「――――」


 なのに、女の子は差し出された鹿肉を手に取ろうとしない。

 口の端からよだれが零れそうになっているのに、だ。


「警戒されてるのでしょうか? ど、どうしましょう、メイル!?」

「とりあえずノキアは落ち着いて」


 しばらく考えて、僕は鹿肉の端を千切って口にした。

 噛み締めると、馬肉と牛肉の合いの子くらいのあっさりした肉の味が口の中に広がる。

 ファウナ先生から聞いた覚えがある。セリアンはどんなに少量の獲物であっても、必ず仲間と分けあう。それがキリルサグの敷いた教義なのだ、と。


 それから、改めて鹿肉を差し出すと、女の子は安心したように手に取った。

 そのまま大きく口を開けてもっきゅもっきゅと頬張り、あっという間に平らげてしまう。


「まだ食べられそう?」


 尋ねると、女の子はこくりと頷いた。

 縦長の瞳がきらきらと金色に輝き、太い尻尾が千切れんばかりに振られている。

 とても癒される。こういうのを袖すり合うも多生の縁って言うのだろうか。


「ノキアは堅パンだしてあげて。その間に肉焼いておくから」

『鍋も出せ。次オレで焼いたら一晩じゅう喚くからな。寝かさないからな』

「ごめんって。……ノキア、鍋もお願い」


 ノキアはくすくす笑いながら、わかりましたと言って、荷物置き場に駆けて行った。



 ◇



 二度目の夕食を終えると、ノキアは意気揚々と女の子を洗いだした。

 “水冠(アクア)”で空中に水を集めてシャワーのように降りかけている。

 器用だな。“水冠”はあくまで雨を呼ぶ魔技だから、細かい制御は難しいだろうに。


「見てください、メイル。この子の毛は金色です!!」

「おぉ」


 随分長いこと洗ってなかったらしい。こびりついていた泥と獣臭さを落とすと、太陽を思わせる輝く金色の毛並みが現れた。

 金色のセリアンは祖神であるキリルサグに近い血族であることを示す。都市によってはこれだけで貴賓扱いだろう。女の子自身もどことなく人に世話されることに慣れている雰囲気がある。

 ……なおのこと、彼女がひとりでいたことが気がかりになってきた。

 膝をついて女の子と目線を合わせる。

 ぱちりと見返してくる縦長の金瞳は見た目に反して落ち着いている。さっきまでぐうぐうお腹を鳴らしていた子と同一人物とは思えない。


「僕の言ってることはわかる?」

「Wo」


 毛皮を乾かしながら、女の子はこくりと頷いた。言葉は通じているらしい。

 逆に、女の子の方は口を開いても犬の鳴き声にしか聞こえない。

 音にすると「ばうばう」とか「がうがう」とかそんな感じだ。真剣にバウリンガルがほしい。


「セリアンの独自言語かな? さすがにわからないや」

「Woo……」

「ん、んー」


 身振り手振りでなにかを伝えようとしている女の子を前にして、思考を巡らせる。

 前提として、この子は見た目よりも大人びている。理知的と言い換えてもいい。

 こちらの言葉は理解しているし、状況から伝えたいことは限定できる。不安そうな様子もないことから迷子でない可能性が高い。

 となれば、


「もしかして、ここらへんで待ち合わせしてるの?」

「!!」


 ぱたぱたと尻尾を振りながら、女の子は嬉しそうに何度も頷いた。

 とても和む。前世で飼っていた犬を見ているみたいだ。子供の頃だから記憶は薄れているけど、ひとがゲームしていると構い倒してくる人懐っこい子だった。


「そういうことなら雨宿りしていくといい。僕たちも今夜はここに泊まる」

「一緒に寝ましょう。わたし、セリアンに会ったのははじめてなんです」

「Wo!!」


 元気良く吠えた女の子がノキアと手を繋いで寝床に向かって行く。

 あの様子なら問題ないだろう。僕は燻製器の前に座り込んで焚き火の勢いを整えると、香木をいくつか砕いて追加した。

 しばらくすると、すうすうと二人分の寝息が聞こえてきた。

 ちらりと視線を向ければ、抱き合って眠る二人の寝顔が見える。

 もふもふした毛並みに頭をうずめているノキアはとても幸せそうだ。


「いいなー。あったかそうだなー」

『外套被って寝ろ』

「カルニが冷たい」

『剣だからな』


 冗談はともあれ、さすがにあの二人の間に割り込むのは倫理的にまずいだろう。

 仕方なく、外套を身体に巻きつけて“炎命”を微弱に起動させる。

 フェネクスを模した紋章に淡い光が走り、仄かな熱を持つ。


「あったかいよ、フェネクス。でも、今欲しいのはもふもふなんだ……」


 無茶言うな、という感情の波が外套から発せられたけど、きっと気のせいだろう。

 僕は時折焚き火に枯れ枝を放りこみながら、ゆっくりと目を閉じた。






 それから、どれだけ時間が経っただろう。

 分厚い雲に遮られて日が昇ったかもわからない頃、突如として雷鳴が響き渡った。


 バリバリと竹を割るような音が大気を震わせる。かなり近くに落ちたようだ。

 目を開けるより先に、カルニを手元に引き寄せて、警戒の網を広げる。

 不審な雨に続いて前兆のない雷だ。なにがあっても不思議ではない。


 しばらくして、森の中からのっそりと一頭の狼が姿を現した。

 かなりの巨体だ。立ち上がれば二メートルを超すだろう。

 額には雄々しい一本角が聳え、雨に濡れた葦毛がばちばちと帯電している。

 さっきの雷は彼が戦っていたものだろう。天使嗅覚が血の残り香を捉えている。魔物の血の匂い。ここらでは嗅ぐこともなかったから懐かしささえ感じる。


「魔物ッ!?」

「いや、人だよ」


 飛び起きたノキアが弓を構えるのを片手を向けて制する。

 “人喰い”の魔技が告げている。彼も獣人(セリアン)だ。ぱっと見は完全に獣だけど。

 ノキアは空色の瞳を瞬かせ、大狼を二度見した。うん、気持ちはわかる。


「セリアン……なのですか?」

「“変身(トランス)”の魔技だろうね。大陸共通語は話せますか?」


 後半は葦毛の狼に向けたものだ。

 狼の両目に据えられた青い獣瞳が僕を見て、ノキアを見て、それから彼女が庇う女の子を見て、纏っていた威圧の気配を和らげた。


「私は青狼族のフツ。姫様が世話になった」

「姫さま? この子があなたの主君なんですか?」

「そうだ。故あって主の名をお教えできぬ無礼をお許しあれ、旅の御方よ」

「それは残念ですが、事情があるならしょうがないですね」

「ご深慮、痛み入る」


 降りしきる雨の中、フツさんが目線で一礼する。

 見た目はまんま大狼だけど、ずいぶん礼儀正しい。人はみかけによらないとはまさにこのことだろう。

 それにけっこうな手練だ。ビーストな形態にトランスフォームしてても手強い気配が伝わってくる。セキさんやファウナ先生のように、日常と化すまで戦いに身を置いた人種の気配だ。

 翻って、それほどの人が護衛につくくらいには、この金色のケモ姫さまは高い身分にあるようだ。

 当の本人は気負った様子もなく、眠たげに目をこすっているけど。


「そっちのケリはついたんですか?」


 弛緩した雰囲気を縫ってそう尋ねると、フツさんは僅かに驚いた様子を見せた。

 気付かれているとは思わなかったのだろう。服着ていれば、こっちの見た目は人間だしね。


「……追手は片付けた。問題ない」

「それは重畳」

「姫様にはお待ちいただくようお願いしたのだが、その、好奇心旺盛な方でな……」

「お、おう」


 どことなく苦労人オーラを漂わせながらフツさんが項垂れる。

 その間にしゃっきりと目を覚ましたケモ姫さまは僕とノキアを見て何事かを告げた。

 がうがう言葉は通じないけど、お礼を言われているのはわかる。


「気にしないで。旅は道連れって言うしね」

「またどこかでお会いしましょう」


 ノキアと並んで手を振ると、ケモ姫さまが金色の目を瞬かせた。

 ややあって、真似するように手を振る。あどけなく、しかしそれだけでない笑みがひどく印象に残る。

 ……実は年上だった、かな。まさかね。


「姫様、そろそろ」

「Wo」


 フツさんが前脚をついて頭を垂れると、彼女は慣れた様子でひらりと飛び乗った。

 二人の視線が僕らに注がれる。


「私の名を出せば、近しい氏族は便宜を図ってくれるだろう。姫様が世話になった礼だ、好きに使ってくれ」

「ありがとうございます。僕はメイル、冒険者です。エルフに訊けば居場所もわかるでしょう。依頼があれば、是非」

「覚えておこう。――然らば、御免」


 次の瞬間、フツさんの全身が雷光を放った。

 あまりの眩しさに咄嗟に目を庇う。

 そして、()()()()()()となった二人は空へと昇って行った。


「行っちゃいましたね……」


 ノキアは名残惜しそうに二人の去った空を見上げている。

 いつのまにか雨は止んでいて、雲間から柔らかな朝日が差している。


「旅をしていれば、いつかまた会えるよ」

「そうですね……そうなれば、いいと思います」

「ん。じゃあ、僕らも出発しよう」

「はい!!」


 そうして、二日ばかりの洞窟生活は終わり、旅がまた始まった。


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