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ぽかぽかとした陽気の下、心地良い風が草原を吹き抜ける。
隣を歩くノキアが少し伸びた銀髪を押さえ、気持ちよさそうに目を細める。
空色の視線の先を追えば、街道の端にコスモスに似た花が咲いているのがわかった。僕ひとりだと気付かず通り過ぎていただろう。
見るもの全てが新鮮だからか、ノキアの反応は色鮮やかで、発見に満ちている。
そんなノキアを通じて、僕も旅の楽しさを再発見している。
どこへ行こうと、変わり映えしないと思えばそう見えるし、違うと思えばそう見える。そんな詩を吟遊詩人が歌っていたのを思い出す。
まさにその通りだ。今までの僕の旅は乾き過ぎていた。きっとこれもカルニのせいだ。そうに違いない。
『オマエにセンスがねえからだろ、この唐変木』
「それを言ったら戦争だよね、鬼畜剣め」
『作ったのオマエだからな!?』
アーアー、聞こえない。
背中で喚いているカルニを外套で包んであったか~いの刑に処しつつ、ノキアの横顔を眺める。
と、視線に気付いた彼女がこちらを見て小首を傾げた。
「どうかしましたか、メイル? 鹿の親子でも見つけたような顔していますけど」
「ん。ノキアはかわいいなと思って」
「――!!」
ほっこりした気持ちのまま告げると、ノキアは頬を赤らめてぷいっとそっぽを向いてしまった。かわいい。
ノキアが旅に加わってから二ヶ月が経った。
剣闘都市ランガ、ひいてはその先の西部開拓地へと向かう旅路は順調だ。ノキアもよくついて来ているし、なにより街道が整備されている。
そう。驚くべきことに、大陸中央部では都市と都市を繋ぐ道が整備されているのだ。
時折、街道の巡回警備についている冒険者とすれ違うし、きちんとインフラの一部として維持されているのがわかる。
道の先の先まで、馬車がすれ違える程度の幅で石のタイルが敷き詰められている様は少しだけ前世を思い出す。
僕が元々いたヴァーズェニトの付近、いわゆる東部辺境では旅に出る人は珍しかったので、こういう文化の存在はすっかり忘れていた。
街道が整備されている、もっと言えば、整備できた理由は明らかだ。
大陸中央部は魔物が少ない。
元々少なかったのか、人類が狩りまくったのか、はたまた西部開拓地へ種族大移動したのかはわからないけど、とにかく少ない。二日に一度みかけるくらいだ。あとはゴブリンが当然の顔してそこ此処にいるくらいか。
そして、弱い。魔技を持たない、いわゆる「動物」に角が生えたくらいの強さで、新人冒険者のノキアでもそれなりに余裕を持って倒せる。
当たり前だけど、この世界はゲームみたく先に進むほど雑魚敵が強くなる訳じゃないのだ。
正直なところ、大陸中央部に来るまでは、各都市はどうやって西部開拓のリソースを捻出しているか謎だったけど、疑問はすっかり解消された。
街道が整備・維持されているということは、そうするだけの利益があるということ。
つまり、都市間で交易が盛んであるということに他ならない。なんとも文明的な話だ。
「ノキア、いつまでもそっぽ向いてないで前見て。次の都市が見えてきたよ」
「は、はい!!」
「都市に入る前には?」
「えっと……身だしなみを整え、武装は解除しておきます」
「よし。ちゃんと覚えてるね。これを忘れると検問に時間がかかるからね」
「き、気をつけます……」
門番だって人間だ。粗野な見た目をしているよりは、きちんとした身なりをして、まともな応対をする人の方が受けがいい。
細かいことだけど、変に疑われて身体検査受けて、背中の粘土っぽい翼(飛べない)や瞳の天翼紋を見られたりするよりずっといい。
ノキアは背負っていた弓から弦を外し、慣れない手つきで革袋に納める。矢筒にも覆いをかけて、外套を払って埃も落としていく。
身だしなみを整えれば、ノキアはちょっとしたご令嬢くらいには見られる。
器量の良さもそうだけど、そこはかとなく気品みたいなものがある。
ただ立っているだけでもピンと背筋の伸びた姿が凛々しい。僕も見習いたいものだ。
そうこうしている間に、次の都市こと「緑風都市ファルナム」に到着した。
ヴァナールよりはやや小さい、中規模の都市だ。
魔物が少ないのを反映してか、城壁の代わりに川から水を引いて濠で囲っている。
開放的な雰囲気があっていい。二つ名の通り、風が……くる!って感じがする。
到着した後は特にトラブルもなく正門で入場税を払い、冒険者酒場で宿だけ取ってすぐに市内に取って返す。
青や緑に塗られた屋根を暖かな風が撫でる。
「ノキア、この街でやることは覚えてる?」
「はい。“道場”を探すことです」
「その通り」
道場というのは通称だ。引退した冒険者が新人向けに開いている訓練場をそう呼んでいる。冒険者の行き来が盛んな大陸中央部ならではの施設だろう。
ノキアに一度きちんと基礎を覚えてもらいたいのと、対人経験の少なさを解消するために、フィンラスさんに場所を聞いておいたのだ。
彼女に頭を押さえて貰っている現状、身バレ(天使製)のリスクは低いし、僕も開拓最前線に殴り込む前に一度鍛え直しておきたい。このあたりの魔物は弱過ぎて腕が鈍る。
「でも、なんでファルナムなんですか? 道場なら前の街にもありましたよね?」
「ああ。それは――」
ノキアがこてんと小首を傾げる。
当然の疑問だろう。もちろん理由はある。
「――この街の道場はドワーフがやってるんだ」
◇
街はずれの道場――という名目の原っぱには、新人と思しき冒険者が幾人かと打ち込み用の案山子、そしてドワーフがいた。
「新人か?」
やって来た僕らをじろりと睨むのは、見るからにドワーフでございという感じの男性だった。
ドワーフっぽい髭を伸ばし、ドワーフっぽい樽腹低身長をした、ドワーフさんだ。
ああ。ここは異世界なんだな、と秘かに感動した。
……はじめてフィンラスさんに会った時も同じようなことを思った気がする。
「えっと、新人二名、お願いします。お代はこちらに。こっちの子は基礎と弓を、僕は――」
「ん」
話している途中でいきなり木剣を渡された。
反射的に受け取ると、ドワーフさんはどことなく満足そうに頷き、すたすたと数歩離れて木剣を構えた。
……どうしろと?
僕が困惑していると、さすがにマズいと気付いたのか、ドワーフさんはもこもこと髭を揺らして口を開いた。
「……ワシの名はセキだ」
「そうじゃない!!」
お、思わずつっこんでしまった……。
冷静になれ、メイル。考えろ。これはアレだ。きっと入門試験とか実力を見るとかの類だろう。
そういう目で見れば、なるほど。ドワーフ改めセキさんの構えは堂に入っている。
低い体躯を存分に活かして重心を低く保ち、それでいて細かく立ち位置を変える足捌きに重さはない。
どんと来い、といった雰囲気だ。
――左肩に隙がある。
“人喰い”の魔技を使い続け、体に刻みこんだ経験がそう囁く。
その囁きに従って、僕は袈裟に打ちかかった。
かん、と乾いた音がして二振りの木剣が噛み合った。
「……ふむ」
セキさんは小さく唸り、構えを僅かに変えた。
どうやら正解だったらしい。次は右の脇腹あたりに隙が見える。
打ち込む。防がれる。構えが変わる。打ち込む。防がれる。構えが変わる……。
もぐら叩きみたいでちょっと楽しい。
そのまま五十回ほど打ち込んだそのとき、突如としてセキさんの雰囲気が変わった。
来る、と気付いたときには目の前に木剣の切っ先が迫っていた。
反射的に木剣を横に傾ける。
額から数センチのところで切っ先を受け止める。
瞬間、防御に回した木剣が断ち切られるイメージが脳裡をよぎった。
「ッ!?」
体勢が崩れるのも厭わず、身を投げ出して地面を転がる。
即座に跳ね起きて立ち上がり、構え直す。
木剣は切断されていない。
けれど、予感がある。あのまま受けていたら確実に押し切られていた。
「……よし」
セキさんは満足そうに頷くと構えを解いて厳かに一礼した。
慌てて僕も頭を下げる。合格、ということなんだろうか。
じっと見つめると、セキさんはもう一度頷いて口を開いた。
「少し早いが、飯でも食うか? それとも湯浴みにするか?」
「お客様の中に通訳はいらっしゃいませんか!?」
主に肉体言語の……肉体言語の!!
恥も外聞も投げ捨てて声をあげると、冒険者の中からひょっこりと女性のドワーフがやってきた。
娘さんだろうか。小柄でややぽっちゃりとした体型をして……身長の二倍近くある六角棒を片手で難なく持ち上げている。
最近麻痺していたけど、改めて見るとすごい光景だよなあ。
「ご希望の通訳だよ。ウチの旦那が迷惑をかけたね」
「アッハイ」
どうやら奥さんらしい。
イズミと名乗ったドワーフさんは僕を見て、それからノキアを見て、ふんすと鼻息を荒くした。
「そっちの子は成り立てだね。基礎の基礎から仕込む必要がありそうだ」
「わかるんですか?」
「それが仕事さね。アンタの方はよく練られている。学びたい武器があるなら旦那に言いな。こう見えて、大抵のモンは使えるから」
旦那さんとは対照的に、イズミさんはしゃきしゃきと場を仕切ると、ノキアをむんずと掴んで連行してしまった。
どうやら、イズミさんが未経験者コースを担当しているらしい。合理的だ。
一方で、取り残された僕とセキさんは顔を見合わせるばかりだった。
「……続けるか?」
「アッハイ」
その日は結局、日が沈むまでマンツーマンでセキさんと打ち合った。
◇
じゃっと油の弾ける音が火にかけた丸底鍋から響く。
十分に熱せられたのを見計らい、イズミさんは慣れた手つきで米を投入し、豪快に鍋を振る。
軽く火を通し、予め用意しておいたスープを合わせて蒸すこと数十分、さらに野菜と魚介類を投入する。
またたくまに刺激的な香辛料の匂いが食堂に充満して、思わずごくりと唾を呑みこんだ。
炒める、という文化はわりあい新しい時代の発明だったと記憶しているけど、ここファルナムではすでに大衆料理に用いられているらしい。
しかし、まさか道場が食事付きだとは思わなかった。道場横に二十人は入れる食堂兼自宅を建てられるあたり、セキさんたちはけっこうなお金持ちだ。
「出来たよ。さあ、たんと食いな!!」
どん、と山盛りのシーフードピラフが目の前に置かれる。
僕は女神サティレに祈りを捧げると、そそくさと木匙を手に取った。
まずはひと口。
あむ、と匙を咥えると、途端に舌が弾けるような刺激的な味が脳髄を直撃した。
前世以来のお米さまに、油が絡み、黄金色に輝いておられる。
インディカ米っぽいお米さまは単体では淡白だけど、濃厚なソースと香辛料を振られた魚介類が的確に味を補強している。
というか、このぷりぷりした食感はエビか。懐かしすぎて涙が出てくる。
無心で匙を往復させていると、皿の上のピラフはあっという間になくなってしまった。
隣を見れば、ノキアも皿を空にしている。感想は聞くまでもないだろう。
「いい食べっぷりじゃないか。冒険者は体が資本だ。どんどん食べな!!」
イズミさんは豪快に笑っておかわりをよそうと、その上に薄く切ったチーズを載せた。
なんでもご近所に山羊を飼育している都市があるらしく、そこで作られたチーズを輸入しているのだという。
ピラフの熱でじわりと溶ける様には色気すら感じられる。
堪らず匙を差し込み、即席のドリア風ピラフをもっしゃもっしゃと口に運んでいく。
ややクセのあるチーズがピラフにとろりと絡み、先ほどとはまるで別の味わいになっている。
交易ってすごい。文明の味がする。
「……ふう、ごちそうさまでした」
「はいよ。お粗末さま」
空になった皿の代わりに、今度は並々と注がれたエールのジョッキが置かれる。
周りを見れば、他の新人さんたちも各々エールを呑み干して一日の疲れを癒している。
エールは飲み水代わりなのか。さすがドワーフ道場。
「しっかし、久しぶりに骨のある奴らが来たね。アタシも旦那も教え甲斐があるよ!!」
ひと仕事終えたイズミさんがエール片手に対面にどかっと座る。
その隣のセキさんもむっつりとした顔でエールを干しながら、ちらりとこちらに視線を向けた。
そりゃぽっと出の新人が無茶苦茶な身体能力してたら興味湧くよね。
僕は曖昧な表情で頷いて、話を変えた。
「おふたりは道場を始めてから長いんですか?」
「……二十年ほどに、なるか」
「その前に冒険者を三十年かそこらやってたかね」
ドワーフの寿命は人間の二倍くらいだと言われている。
単純に半分に割るとして、ふたりは人間でいうところの四十代半ばだろうか。
それにしては若づくりだけど。イズミさんは人間換算で十代にしか見えないし、セキさんも髭がなければ同じ年ごろに見える。
見た目では年齢がわかりにくいので髭を伸ばしているのかもしれない。異種族がいる世界ならではだ。
この世界の都市は基本種族単位で構成されている。ベテランとはいえ、人間の都市でドワーフが道場を開いているというのも珍しい光景だ。
というのも、近くの鉱山にドワーフの都市があり、セキさんたちはその出張所というか大使館的な役割も兼ねているのだ。
交易が盛んになれば、そういう仲介役も必要になる。
文化として根付いているあたり、この一帯は随分前から魔物が少なかったのだろう。
「アンタたちも西の開拓地へ行く気なのかい」
「その予定ですけど……」
ちらりと隣を見れば、ノキアは僕の肩に頭を預けてこっくりこっくり船を漕いでいる。
精神的な疲れだろう。こればかりは天使ボディでもどうにもならない。
「ノキアは厳しいでしょうか?」
「……臆することはない。駄目なら死ぬだけだ」
とっても異世界なアドバイスありがとうございます!!
「一週間は欲しいね。それでどうにか尻の殻をとってやるさね」
こっちはこっちですごいこと仰ってる。
まあ、ノキアは身体能力は十分なラインにあるし、無茶というほどでもない、のかな?
とりあえず、あと一週間、がんばってみよう。




