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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<2章:銀色の少女>
33/99

11

 空が燃え、真昼のように照らされる中で、少年が不死鳥に対峙する。

 その奇跡のような光景をノキアはまじろぎもせずに見つめていた。

 神代の魔物を相手に一歩も引かず、ともすれば優勢にことを進めるメイルの姿をじっと見つめていた。

 逃げなければという思いもあった。

 が、気絶したクランを引き摺るには、少女の細腕はあまりに頼りなかった。

 可能な限り離れたが、その距離はフェネクス相手ではあまりに心もとなかった。


 そして、決定的な場面を目撃することになる。


 火山を貫く炎の柱。

 空を覆う八対十六枚のフェネクスの翼。

 あまりにも、あまりにも絶望的な光景だった。


 けれども、ノキアの心に絶望が去来することはなかった。

 少女は冷静に戦局を見定めた。

 炎の柱に焼かれたメイルが劣勢となったことを理解し、自らのすべきことを定めた。

 この七年間、自らの死と向き合って来たのだ。今さら惜しむものはなかった。


「起きて、クラン」

「ん、うぅ……あれ、私、なんで、生きて……痛ッ!!」


 火傷に顔を顰めるクランを痛ましく思いはするが、時間はあまり残されていなかった。

 フェネクスが動き出せば、すぐにでも戦闘は再開されるだろう。


「クラン、辛いと思うけど、すぐにここを離れて」

「ノキア様、なにを――」


 問いに答える時間はない。クランを置いて、ノキアは走り出す。

 何年振りかに駆ける足は、それでも彼女の意思に応え、じっとフェネクスを見上げる少年の背中に手を届かせた。


「ノキア、危ないから離れてって言ったじゃん」


 おずおずと外套に触れた少女の手に、メイルは振り向かず応えた。

 まるで背中に目がついているようだと、少女は場違いにも思った。


「状況は悪いのですね、メイル」

「そうだね。今、切り札を切るか考えているところ」

「でしたら――」

「却下。どうせ自分を生贄にしろって話でしょう?」


 ノキアはうっと言葉に詰まった。図星だった。

 フェネクスは生贄を食らったあと、数日がかりで再誕する。

 その際に力が弱まることは過去の討伐隊が確認している。もっとも、討伐隊はその隙をついてなお勝てなかったのだが。

 それでも、ここまでフェネクスを追い詰めた彼になら勝機を見いだせるかもしれない。

 自分にできることはそれくらいしかない――少なくとも、彼女の視点ではそうだった。


「このままでは勝てないのなら、違う方法をとるべきです」

「断る。生贄なんてやりくちが気に食わないから僕はここにいるんだよ」

「同情ですか?」

「同情で偽善で自己満足だよ!! 悪いか!!」

「で、ですが――」


『いいじゃねえか。死にてえなら死なせてやれよ』


 そのとき、突如として黒塗りの大剣が二人の言い合いに割って入った。

 フェネクスの炎をまともに浴びてなお無傷の大剣は、飄々とした口ぶりで言葉を放つ。

 はじめてカルニが話すところを見たノキアは、目を丸くするばかりだった。


「け、剣が喋った?」

『オレのことはいいだろう。ノキアっつうたな。結局、オマエはどうしたいんだ?』

「どうしたいって……」

『ん。ああいや、こう訊くべきか――』


『――オマエは、このお人好しを死なせたくないか?』


 その言葉に、ドクン、と少女の心臓が跳ねた。

 咄嗟に二の句が告げられなかった。


『こうなったら道はふたつにひとつ。二人で死ぬか、二人で生き残るか。選ぶのはオマエだ』

「わ、わたしは――」

「余計なこと言うな、カルニ。あいつは僕が倒す。なんなら、もう一回昇華すれば――」

『メイル、中途半端はするな』

「……」


 鋭い一言に、今度は少年が言葉に詰まる番だった。

 中途半端はするな。大剣の言葉はいつもと同じ調子で、しかし重かった。


『フェネクスを倒すにしたって今夜は退いてもいいんだ。ノキアを生贄に捧げるなりしてな』

「カルニ!!」

『オマエがそうしないのはノキアを助けるためだ!! だが、それじゃ足りねえ。わかってるだろ?』

「――ッ」

『目を逸らすな。フェネクスを倒せばコイツは助かるのか? 違うだろ。ニンゲンの世界だろうと魔物の世界だろうと、紋なしに生きる場所はねえ。どうにかできるのは、オマエだけだ』

「…………カルニ、それがお前の狙いか」

『そうだ。助けるなら最後まで責任持て。それが“王の責務”ってやつだ』


 一人と一振りの交わす奇妙な会話をノキアはじっと聞いていた。

 無論、そこに込められた含意をすべて理解できたわけではない。

 だが、わかることはある。


「なにか、手があるんですね?」

『ある。ただし、それをすれば今までのオマエは過去になる。生贄だとか紋なしだとか、そんなチャチなもんじゃねえ。真実、人間をやめてもらうことになる』

「……」

『選んだ先に安息はない。オレたちと一緒に荒野をさまよい、行きつくところまで行って貰う。それでもいいなら、コイツの手を取れ』


 その言霊を耳にして、しかし、ノキアはやはり迷わなかった。


「それでも――それでも、わたしはあなたに死んでほしくない」


 たった一度、差し出されたその手が希望だった。

 これまでの人生に意味などなかった。ここで死ねば無意味な人生になる。

 けれど、もしもこの人を助けられたのなら、自分の人生にも意味があったと、そう誇ることができる。


「メイル、わたしを連れて行ってください。その先が灯りひとつない荒野でもいい」



 ――だからどうか、わたしの命を使ってください。



 ◇



 フェネクスが攻撃を仕掛けてくる様子はない。

 どうやらこちらが手詰まりと見て、炎の生成に注力しているらしい。

 魔技“炎命(イグニス)”は炎の生成と操作を同時に行うことができない。

 それゆえ、小手先の攻撃ではなく、場を制圧して安全マージンを確保しつつ、こちらを押し潰す方針に切り替えたのだろう。

 実際、体感温度は刻一刻とあがっているし、見える範囲でも火山を中心に炎が徐々に燃え広がっている。

 あたり一帯が火の海になるまでそう時間はかからないとみていい。

 なにかを決断するなら、今しかない。


 空色の瞳でじっと見上げてくるノキアを見つめ返す。

 他者を昇華する。

 そういう展開を考えなかったわけではない。

 リタやファウナ先生は昇華によって得られるチートより、失われるもの――故郷とか社会的信用とかの方が大きかった。

 でも、この子は違う。魔技を持たないこの子が生きていける世界はない。奪われ続けたこの子を変えられるのはきっと僕だけだ――カルニの狙い通りに。


 無論、“昇華”で紋なしの子を魔技を使えるようにできるかという問題はある。

 だが、できる。できないハズがない。むしろ昇華の本来の使い方だと言っていいくらいだ。

 けれど、そうやって故郷を出ていかなきゃいけなかった自分を鑑みるに、良い選択肢だとは思えなかっただけで。

 僕の命は僕のものであるように、誰かの命は誰かのものであるはずだ。その使い方を勝手に決めていいとは思えない……状況が許すならば、だけど。


「僕の魔技は存在を変える。どうあっても人間じゃなくなる。人間ではいられなくなる」

「メイルも人間ではないのですね?」

「……実はそうなんだ。隠してて、ごめん」

「それは、お互い様です。……あなたと同じになるのなら、こわくはありません」


 本当にいいのか、という問いは呑み込まざるを得なかった。

 この子はもう覚悟を決めている。

 こうすることが自分の「生きる」道だと決めている。

 会って数日と経っていない僕に、それでも命を預けると決めたのだ。

 腹を括ろう。小なりとはいえ僕もヌシなのだ。王の責務から目を背けるわけにはいかない。


「……手を」

「どうぞ」


 紋章の輝く右手でノキアのほっそりとした手をとる。

 触れた掌から少女の全身までを魔技の範囲に画定する。


 右手からノキアに向けて、黄金の光が走る。


 イメージするのはこの世界で慣れ親しんだ【魔物】、魔技を使う存在。

 理不尽で、幻想的な、この世界のスタンダード。

 失敗する可能性は微塵も感じられなかった。


「……ありがとう、メイル」


 徐々に全身を黄金の光に浸していく中、ふとノキアが声を発した。


「お礼を言われることじゃないよ。僕は君から貰ってばっかりだ」

「そんなことはありません。わたしも、少しだけ信じられるようになりました」

「なにを?」



「――――秘密、です」



 そうして、ノキアは黄金の光に包まれた。

 光が卵殻のように彼女を隠す。

 それから数瞬して、眩い光と共にひび割れた。

 殻が細かな粒子となって散っていく。

 地面まで届く銀の髪が翼のようにはらりと広がり、月光を照り返す。


 昇華はつつがなく完了した。

 中から現れた少女の外見に大きな変化はない。

 ただ、“人喰い(カルニバス)”はもう何も伝えてこない。それがすべてだった。

 ほんの数瞬。それだけで、人ひとりの人生を僕は変えてしまった。

 そのことを胸に刻んだまま、せめて不安にさせないようにと声をかける。


「おはよう、ノキア」

「おはようございます、メイル」

「気分はどう?」

「……空がみえました」


 言って、彼女は夜空を見上げた。

 辺り一面をフェネクスの発する炎に照らされ、星のひとつも見えない黒々とした空。


 ――けれど、この子はもう人間ではない。


 ノキアには別のものが見えている。


「――来て」


 瞬間、少女の全身を空色の紋章が覆った。

 水の流れを思わせる流麗な紋章が眩いほどに輝く。

 紋章の大きさ、輝きの強さは確実に人間の域を超えている。

 紋なしだった子が魔技を使う。

 そのことを僕は疑問に思わない。僕は彼女を「魔技の使える存在」に引き上げた。その確信が揺らがない以上、失敗はない。


 そして、ぽつり、ぽつりと頬に水滴の当たる感触がした。


 頭上を見上げても夜空に雲はない。

 けれど、視線を巡らせれば、遠くに積乱雲――「アリアルドの翼」が見えた。


「フェネクスの目覚めるこの夜は、歴代の水の司は誰も雨を降らせることができませんでした」


 徐々に雨脚が早まる中、ノキアが踊るように言葉を紡ぐ。


「けれど、ご存知ですか? ヴァナールでは雨が少ないのに、山の向こうは逆によく雨が降るそうです。今夜とて例外ではありません」

「フェネクスの領域外だからか」

「はい。だから、考えたんです。もしも魔技を使えたら、()()()()()()()()()()()()()()()、と」

「それが君の魔技か、ノキア」

「はい。わたしの魔技は“水冠(アクア)”――雨を呼び、水を操る魔技です」


 いつしか、お天気雨は豪雨となり、燃え盛るフェネクスに降り注いでいた。

 神話の魔物がつんざくような悲鳴をあげる。

 奴の魔技の領域支配の強さからすると、あるいは雨に当たったことは初めてなのかもしれない。


 いかにノキアが昇華した存在とはいえ、神話の魔物と真っ向から存在強度で競って勝てる可能性は低い。

 けれども、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あくまで炎を生成する延長で雨を阻むフェネクスと、既に降っている雨を呼び寄せるノキアとでは効率が違い過ぎる。後者が打ち克つ可能性もあるだろう。


 だけど――


『――KRRRRRFFFFFッ!!』


 降りしきる雨の中で、フェネクスはなおもその火勢を保っていた。

 周囲に伸ばしていた炎は消火されているものの、本体そのものは元気に十六枚の翼を振り回している。

 相性的には最悪の状況だろうに、驚くべきタフネスだ。


「こ、これでもダメなの……?」


 懸命に“水冠”を保ったまま、ノキアが顔色を蒼白にする。

 そんな彼女の肩を僕はぽんと叩いた。

 驚いたように見上げる彼女を安心させるように今度こそ笑みをみせる。


 切り札はひとつじゃない。

 天使イヤーは既に、雨音の中に援軍の足音を聞きつけていた。




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