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天使ボディもフルスピードで走り続ければ息が切れる。
当然と言えば当然だけど、新鮮な驚きだ。
ヴァナールの城壁を跳び越えて侵入し、黒ヤギ亭に行き、それからもう一回城壁を跳び越えて脱出。
城門抜けとかガチ犯罪だけど、通り道だったゆえ致し方なし。
まったくもって間一髪だった。
目の前でクランさんが焼かれているのを見た時は心臓が止まりかけた。
ここまで五分。予想より三分縮めてなおギリギリだった。危なかった。
けど、間に合った。
僕は、間に合ったのだ。
だから、あとはフェネクスを倒すだけだ。
息を整えて、火山から伸びる炎の翼を見上げる。
燃え盛る巨大な炎塊。皮膚をチリチリと灼く熱。どことなく不機嫌そうなのは生贄を喰い損ねたからか。
相対したからこそわかる。
あれほどノキアを慕っていたクランさんが、それでも「一緒にフェネクスを討つ」と言えなかった理由がよくわかる。わかってしまう。
これは無理だ。この恐怖は、人類には無理だ。
諦めるのも無理はない。人類とはあまりに格が違う。
地震や嵐と同じく、強大な魔物はそれ自体が生きた災害だ。
人の身で敵わない相手に生贄を捧げることは不思議ではない。
――けれど、どうやら、この身は人ではないらしい。
「やろうか、カルニ。神話を倒そう」
『応よ!!』
背中からカルニを引き抜き、左手一本で構える。
なお、威勢はいいけど、今回のカルニの役目は盾だ。炎でできているというフェネクスを斬撃で散らすのは効率が悪いからだ。
一方で、そんじょそこらの熱ではカルニが融けることはない。そのせいで処分に困っているのだけど、こういう時は頼りになる。
カルニは盾。つまり、武器は別に用意する必要がある。今から作る。
僕はその辺を石を蹴り上げ、右手でキャッチ。
即座に“昇華”をかける。
生み出すのは、この四日間ひたすら作り続けたものだ。
魔法瓶の真空断熱構造。長期保存する必要はないので密閉型で良し。
同時に、内部の大気にも働きかける。
大気の成分をより分け、冷却し、増幅し、瓶の中を満たす。
すなわち【液体になれ】。
僕はとある液体で満たされた瓶を迫る炎翼に向かって投げつける。
放物線を描いて飛んでいった瓶は、炎翼に触れるか否かというところで融けだし――
――次の瞬間、大爆発を起こした。
炎が吹き散らされ、真っ赤な翼に穴が開いて夜空が覗く。
一瞬、大気中の塵が凍って煌めき、すぐに溶けて消えていく。
そこから数秒遅れてようやく再生が開始する。
どうやら、それなりに効果があったとみえる。
僕が昇華したのは、この世界で「見えない煙」と呼ばれる大気の成分だ。
それを昇華する際に液体化するまで冷却し、魔法瓶に封入した。
「見えない煙」に満ちた場所では人は煙を吸ったように窒息し、火はたちどころに消えるという。
その話を聞いた時に僕の頭をよぎったのは、前世のゲームでみたゾンビを凍らせる冷凍爆弾だった。
実際に試してみた。
液体にした「見えない煙」へ近づけた火は消えた。
熱せられたそれは気化して何百倍にも膨張し、推定酸素の含有している大気を押しのけるからだ。
全身が炎でできているというフェネクスにとっては、まさしく窒息するような心地だろう。
そこからさらに消炎機能に特化した“存在”に昇華したことで、効果はさらに強まっている。
つまるところ、今回は持久戦だ。
ローコストハイリターンな冷凍爆弾を投げ続けて再生を強要し、フェネクスの精神力を削って殺す。
予め作った分は置いてきちゃったけど、戦いながら“昇華”していけばいい。
エターナルリキッドニトロゲン、不死鳥は死ぬ作戦だ。
轟と振り抜かれる翼を脚力任せの大ジャンプで跳び越える。
次いで、翼から放たれる無数の炎弾をカルニで斬り飛ばし、あるいは外套で弾く。
火炎窮鼠の毛皮を昇華した外套は高い不燃性を有する。
火山地帯に行くから、と念の為に用意したのが思ったより役に立っている。備えあればなんとやらだ。
そして、ひとしきり続いたフェネクスの攻撃の手が止むと同時に、今度はこっちが冷凍爆弾を投げ放つ。
放物線を描いて飛んで行った爆弾は、翼の根元に着弾。爆発と共に片翼が傾いだ。
「そーれもう一発! もう一発!!」
『楽しそうじゃねえか、メイル!! やっぱ戦いはこうでなくちゃな!!』
雨霰と降り注ぐ炎弾を避けながら冷凍爆弾を投げつけていると、カルニがノリノリで煽ってきた。
失礼な話だ。僕は戦いを楽しんでなどいない。
どちらかといえば、嬉しいのだ。
天使(仮)になって僕は強くはなった。
だけど、どのくらい強くなったのかを測るのは難しかった。
カルニ級の魔物に早々出くわすハズもなし。多少は強くなったのかな、と首を傾げる程度だった。
けど、そんなことはなかった。詫びチートと天使ボディはそんな域にはなかった。
僕は今、神と七日七晩争った神話の魔物と戦えている!!
あの日の昇華は無駄ではなかった。そのことが、嬉しいのだ。
とはいえ、喜んでばかりもいられない。
この作戦には時間制限がある。すなわち、僕の精神力が枯渇した時が敗北確定の時だ。
そのためにも作り置きをしていたのだけど……どうなるかは博打だろう。人の善意に期待は出来ない。
賽はもう投げられた。僕はやれることをやるだけ。今はひたすら冷凍爆弾を投げるだけだ。
「カルニ、フェネクスの様子はどう?」
『あん?』
「煽ってばかりいないで仕事しろ!!」
『梯子外してんじゃねえ!! ……焼き鳥野郎の底はまだ見えねえな』
炎の雨が降る中で僕は回避と攻撃に集中しているため、戦況観測はカルニに一任している。
戦いの機を見ることにかけては、僕はいまだカルニに及ばない。生まれついての人喰いは優秀な戦士でもあるのだ。
それにしても、底はまだ見えない、か。
言われてみればたしかに。底どころか火山から出ているのは両の翼だけ。頭すらまだ火山の中だ。
下手に飛ばれても困る。このままハメ殺すのが最上だろう。
一方で、フェネクスの魔技“炎命”の底は割れた。
炎命は、炎の「生成」と「操作」を行う魔技だ。シンプルだけど人間の類似品とは出力がダンチだ。マッチと火山噴火ばりの差がある。
けれど、弱点もみえた。
この魔技は、どうも「生成」と「操作」を同時には行えないらしい。
なので、肉体(炎)を再生させているうちは攻撃の手が止む。
つまり、最適解は――
「――ゴリ押すッ!!」
降り注ぐ炎弾を避けつつ、カルニを地面に叩きつけて砕片を打ち上げ、右手を滑らせて片っ端から昇華。
そのまま量産した冷凍爆弾をカルニの剣身の腹でまとめて打ち放つ。
ひゅう、と景気よく飛んでいった爆弾たちが爆発し、まとめて炎の翼に大穴を開ける。
間髪いれずに昇華と投擲を繰り返し、損傷を広げていく。
ここまでくると流れ作業だ。回転数をあげてゴリゴリにゴリ押す。
『概算だが、彼我の消耗差は現時点で七十倍ってとこだな』
「悪くない数字だね」
削りを続行しつつ、頷く。
前に教えた算術をさらっと応用しているカルニは置いといて、余裕のできた思考の片隅を戦況分析に充てる。
天使精神力ならあと丸三日はこのペースで魔技を使い続けられる。
フェネクスはどうだろうか。
“炎命”は現象系と呼ばれる魔技だ。外部に干渉するこの系統の魔技は効果や消耗が周囲の環境に左右される。
わかりやすい例を挙げれば、火を生み出すには雨の日より、晴れの日の方が消耗が小さい。
現在の状況で言えば、ゼロから炎を生み出して体を再生させるより、すでにある炎から貰い火して熾す方が消耗が小さい。
つまり、どこかで勝負を賭けないと彼我の消耗差は広がる一方だということ。
フェネクスがその勘定をしていないなら、この戦いは順当に僕が勝つ。
『仕掛けてくるならここらだ。気ぃ引き締めろ』
「了解」
といっても、僕のやることは変わらない。
的が小さくなったので、今は火山の裾野まで近づいて、半ば火口に投げ込む形で投擲攻撃をしている。
戦況は悪くない。フェネクスの両翼もほぼ消し飛んで――いや待て。こんなに早く削りきれる計算だっけ?
『くるぞ、メイル!!』
「ッ!!」
カルニの言葉とこの違和感。導き出される結論はひとつ。
フェネクスが肉体の再生を捨てて、炎の操作に集中しているということ。
直後、天使アイが火山の中腹が内側から円状に赤熱する様を捉えた。
「……やばい」
前世知識が警鐘を鳴らす。あれが何か直感で理解する。
回避――駄目だ。射線上にヴァナールがある。
昇華で防壁――間に合わない。次手だ。
「ごめん、カルニ」
『貸しひとつだぞ』
即座の判断。咄嗟に、左手の大剣を地面に突き立てる。
次の瞬間、火山を突き破った火炎放射が盾にしたカルニに直撃した。
莫大な光量に視界が真っ白に灼ける。
火炎放射というか、ほとんどビームみたいな攻撃だ。
カルニの剣身が一瞬で赤熱化し、その影から漏れた外套が燃え広がるよりも早く消し炭になる。
もはや熱いとすら感じなかった。ほんの数瞬で皮膚の感覚がなくなった。
「“昇華”!!」
それでも、視界が戻らないままに、右手を地面に叩きつける。
精密なイメージを構築する余裕はない。ただ【分厚く】【燃えない】壁を。
僅かに遅れて、カルニの前に一辺十メートルほどの立方体がせり上がり、火炎放射を受けとめた。
現状で作成可能な最大の大きさだ。
即席の防壁の影の中、ようやく周囲から火炎放射の熱と光が遠ざかり、視界が戻る。
はじめに見えたのは、しゅうしゅうと煙をあげる自分の腕だった。
うん、こんがり焼けしてしまったが、ちゃんと動く。指もくっついていない。
「カルニ、大丈夫?」
『溶けるかと思ったぜ……』
カルニも無事と。
しかし、まさかの切り札だった。
両翼が消し飛んだ状態でこんなに炎を使ったら、殆ど肉体も残らないんじゃないだろうか。
そう思い、火炎放射が止んだのを見計らって防壁から顔を出し――僕は絶句した。
『――KRRRRRFFFFFッ!!』
甲高い嘶きをあげて、ついに顔を出した不死の赤が夜空に吼える。
次いで、火山を突き破り、フェネクスの翼が夜空に雄々しく伸びていく。
その数、八対。
消費した分の炎を続々と充填し、全ての翼が再生していく。
正直現実逃避したくなる光景だけど、天使アイは嘘をつかない。
フェネクスは十六枚の翼を持つ魔物だった。
その全貌を見上げて、理解する。
おそらく、フィンラスさんも知らなかったことだろう。
フェネクスは鳥型の魔物ではない。
胴体から伸びる八対のそれは翼のようにも見えるけど、明らかに飛行能力は有していない。むしろ「蔓」のような器官とみるべきだ。
そも、火山から動く必要のないフェネクスは、飛ぶ必要もないのだから。
結論。
八対十六枚の炎翼をリソースに周囲を焼き尽くす。それがフェネクスの生態なのだろう。
高い瞬間火力と広範囲攻撃、エルフを超える再生能力。
神と七日七晩戦ったというのも頷ける。こいつは典型的な「負けなければいつか勝つ」タイプの魔物。耐久力お化けだ。
言い換えれば、あの十六翼を削り切る火力を持たない人は、絶対に勝てない。
「これが、神話か。すごいね……」
『おう。エルフの姫さんも全容は知らなかったとみえる』
「いい土産話ができたね」
『生き残れたらな』
軽口をたたき合うカルニと僕。お互い悲壮感はない。
想定を超えてくる程度は覚悟していた。
やるべきことに変わりはない。
突破口はある。あとは僕がどこまで賭けられるかだ。
そのとき、夜空を仰いでいたフェネクスが視線を転じ、こちらを見下ろした。
ここにきてようやく視線があった。
燃え盛る真紅の紋章に覆われた胴体と鳥の顔。焼き鳥の表情なんて見分けがつかないけど、苛立った気配がびしびし伝わってくる。
どうやら、僕もついに殺気というのを感じ取れるようになったらしい。まったくもって嬉しくない。
炎翼も完全に再生されてしまった。
都合十六枚の翼を消し飛ばす方策は僕にはない……とは言えない。
視線を切らぬままに、黄金の紋章が光る右手を意識する。
僕はまだ、一度だけ変身を残している。
ここでその札を切るか否か、それが問題だ。




