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アセント 天使の右腕、炎の子  作者: 山彦八里
<2章:銀色の少女>
29/99

 徹夜明けの翌朝。

 ふらふらとした足取りで帰って行くクランさんを見送って、僕はヴァナールの中央区にやってきた。

 視線を上げれば、円形の建物をぶち抜いて伸びる天樹が目に入る。

 自己主張の激しいことに定評のあるエルフ図書館だ。外観はどこの都市でも一緒らしい。


「うぅ、緊張するな……」

『諦めろ。他にフェネクスの情報集める方法はないだろ』


 カルニの言葉にちょっと考える。ないかな? ……ないな。

 この世界の知識はエルフネットワークに依存している。神代の魔物についてなんかは特にそうだ。

 腹を括ろう。別にエルフに会うのに緊張しているわけではないのだ。

 ただ、記憶を共有していると思しきエルフ相手では、顔を見られただけで特定される。


 つまり、ほぼ確実にフィンラスさんに僕の所在がバレる。


 天使(仮)のことを隠すには他に方法がなかったとはいえ、けっこうなお賃金を貰っていた恩人と言っていい相手に黙って旅に出たことは非常に申し訳ない気持ちがある。

 どうせバレるのだから、先に謝ろう。それで情報が入手できなくなっても仕方ない。

 あと、さすがにそろそろ自分がどのくらいの厄ネタなのか確認しておきたい。

 リスクはあるけど、エルフネットワークの整っていない西部開拓地に逃げ込める今が好機だろう。

 ……保身バリバリすぎて空しくなってくるな。謝罪だけでもさっさとしてしまおう。


 重苦しい図書館の扉を押し開き、受付エルフの元に行く。


「すみません。辺境都市ヴァーズェニトの“白樺”のフィンラスさんに伝言ってできますか?」

「はい? ――!!」


 こちらの顔を見たエルフはびくんと跳ねるように立ち上がった。

 やっぱり一発でバレたか。五年も経ってそれなりに顔つきも変わったけど、エルフの前では形なしだ。


「フィンラス様ですね。しょ、少々お待ちください!!」


 わーい。エルフが泡食って走るところを初めて見たぞ。

 やばい。やっぱりエルフの偉い人だったみたいだぞ、フィンラスさん。


 それから三十分ほど受付で待ちぼうけをくらった後、僕は奥へと通された。

 図書館の中心、天樹の根元の談話室。

 心地良い木陰に据えられたテーブルには先客がいた。僕に気付いて笹穂の耳がぴくんと跳ねる。

 そのエルフは生まれたままの姿で椅子に腰かけ、すらりとした脚を組んでいた。

 流れるような金の髪、たわわに実ったふたつの果実、仄かな微笑を浮かべた玲瓏なかんばせ。


「随分活躍しているそうじゃないか、メイルよ」

「とりあえず服着てください」


 疑うべくもなく、先客はフィンラスさんその人だった。




 薬草茶の芳香が微かに鼻をくすぐる。

 お付きのビブリオエルフがガウンを着せたり、長耳にカフスをつけたりしている間、僕は懐かしの薬草茶を啜っていた。苦おいしい。

 それにしても、色々な意味で心臓に悪い再会だった。フィンラスさんって着痩せするタイプだったんだ。エルフはスレンダーな体型の人が多いから意外だった。


「フィンラスさんはいつこちらへ?」

「今しがただ。おぬしが図書館を訪れたという報せを受けてな」


 着替え終わったのを見計らって問いかけると、彼女はティーカップ片手にさらっとすごいこと言った。

 徒歩五年の距離を三十分でやって来たのか……。


「“存在”は一晩に千里を走る。肉体を捨てればこの程度の移動は造作もない」

「僕の五年間を返してください」

「おぬしも試してみるか? エルフ以外が再構成できるか興味が「お断りします」……残念だ。その気になったら言ってくれ、メイルよ」


 あれ、そういえば、「定命の」っていうお決まりの枕詞がついていないな。

 これは……もしかして人間じゃなくなったことバレてるのか?


「見ればわかる。己を昇華したのだな。随分と我らに近付いている」

「エルフってそんなヤバイ存在なんですか!?」

「おぬしは一体何になったのだ……」


 しまった。藪蛇だった。

 呆れたように溜め息をついたフィンラスさんはぐっと身を乗り出して顔を近づけてきた。

 怒っているようには見えないけど、美人過ぎて威圧感というか存在感が凄い。


「話すがいい。これまで徹底して我らとの接触を避けていたおぬしが、ここにきて方針を転換したということは、何か相談があるのだろう?」

「……エルフって内緒話できます?」

「私にだって秘密の十や二十はある。ここで聞いたことは誰にも伝えぬと約束する。木神リーンに誓おう」


 エルフがリーンに誓ったとなれば破ることはない、とはファウナ先生の談だ。

 信じてみてもいいだろう。というか、これ以上フィンラスさんに不義理をしたくない。


「じゃあ、ヴァーズェニトを出たところからお話ししますと――」


 僕はこの五年間やカルニのこと、それに昇華した自分の体のことをフィンラスさんに話した。

 ややこしくなるので天使さんのことは省いたけど、正直気付かれていても不思議ではない。だってエルフだ。



 ◇



「また随分と破天荒な人生を送っているな。たしかに風の噂でおぬしらしき人物のことは伝え聞いてはいたが、さすがに心配するぞ」


 ひと通り聞いたフィンラスさんの第一声はそれだった。

 僕は土下座した。


「黙って出ていってすみませんでしたー!!」

「いや、それはよい。我らエルフの性質を考えれば、おぬしの選択は正解だろう。私が同じ立場でも同じ選択をした」

「怒ってないんですか?」

「怒ってなどおらん。……ほんとだぞ?」


 ちょっと困ったように小首を傾げるフィンラスさん。都市サーの姫が可愛過ぎて困る。


「それよりよく顔を見せてくれ。エルフにとっての五年はさしたる年月ではないが、おぬしにとってはそうではなかろう」

「あ、はい」


 立ち上がってフィンラスさんの前に進み出ると、彼女は手を伸ばして確かめるように僕の頬に触れた。

 罪悪感を拭うように優しく触れる指先がこそばゆい。

 この時間がずっと続けばいいのにと、少しだけ思った。


「成長速度は人間と同じくらいか。随分と男ぶりが上がったな。うむ、ファウナやトーマスにはエルフ伝いに知らせておこう。無論、おぬしの体のことは私の胸に秘めておく」

「ありがとうございます」

「……おぬしの変化に気付くのはなにもエルフだけではない。私の方でも注意はしておくが、高位の魔物や行き着いた人類とて察するところはあるだろう。身辺にはよく気を配るのだぞ?」

「はい」


 あ、これやばい。泣きそう。

 人恋しいところに思いやりがダイレクトに刺さった。

 フィンラスさんはあまり感情が顔に出ないし、誰とでも仲良いし、正直ここまで気遣われていたとは思わなかった。


「ほんとに、黙って出ていって……ごめんなさい」

「気にするな。おぬしが無事ならそれでいい。だが、なんでもひとりで解決しようとするのは悪い癖だ。自覚せねばな」

「善処します」


 うむ、とフィンラスさんは満足そうに頷いて手を離した。

 名残惜しいけど、僕も席に戻る。

 甘えてばかりはいられない。僕は僕の生き方を貫くと誓ったのだ。


「今日伺ったのは他でもない、そこの火山に住んでいるフェネクスのことです。気に食わないのでちょっと狩ろうと思いまして」

「気に食わないで討伐を決意していい魔物ではないと思うが。しばらく見ない内にわいるどになったな、メイル」

「ワイルドって、前に言ったの覚えてたんですか……まあ、色々と事情がありまして。それで、フェネクスに食べ損ねられたエルフってご存知ですか?」

「私だ」

「貴女だったのか。気付かなかった」

「ふふん、驚いたか?」


 なんでちょっと自慢げなんですかね。

 そりゃ驚くよ。誰が聞いても驚くよ。どんだけアグレッシブな都市サーの姫だ。


「フィンラスさんって、エルフの中でも偉い立場ですよね?」

「この身は“幹”であるゆえに“枝”の者たちからはそう扱われているが、それだけだ。記憶を共有しているエルフに偉いもなにもないさ」


 胴体が手足より偉いなどおかしな話だろう。と言って、からりと笑うフィンラスさん。

 うん。どう見ても周りはそう思っていないし、話半分に聞いておこう。


「いくら肉体の換えが効くとはいえ、なんでそんな無茶したんですか?」

「エルフはゴブリン以上に面倒くさがりだからな。図書館のない場所の情報は自分の足で探しに行く方が早くてな」

「限度があると思います」

「探究心を忘れたエルフなぞただの木よ。しかし、フェネクスか……あやつを討伐するのは難しいぞ。過去にも何度か討伐隊が組まれた記録があるが、いずれも失敗しておる。近付くだけで熱と煙によって倒れたと聞いている」

「なるほど、強敵ですね。神話にでてくる魔物ですから当然と言えば当然ですけど」

「ああ。なにより奴は【不死】だからな」


 不死鳥ですもんね。わかってたけど、聞きたくなかったです!!


「そんな気はしてましたけど。でも、そんなことが可能なんですか?」

「メイル、メイル。おぬしの目の前にいるのはなんだ?」

「エルフってほんと無茶苦茶ですね!!」

「そう褒めるな。照れるじゃないか。

 ……冗談はともかく、おぬしのためにもきちんと説明しようか」


 慣れた手つきで薬草茶を淹れ直しながら、フィンラスさんは続けた。


「フェネクスは全身が炎でできている魔物だ。魔技は“火命”(イグニス)。その名の通り炎を操るのだが……それが長じて、支配領域内に僅かでも炎がある限り肉体を再生できる。実際に紋章を確認したから間違いない」

「言われてみると、たしかにエルフと同じような感じですね」

「うむ、我々が復活する原理は奴を参考にして創られているからな」

「…………は?」


 二杯目の薬草茶に口を付けていた僕はぴたりと動きを止めた。

 背筋をつと冷汗が流れ落ちる。

 おそらくは世界で最も不老不死に近い種族であるエルフ。その元ネタがフェネクスだという。

 この時点で、ヤバさの段階が一気に三つくらいあがった。

 僕が挑むのは、神様と七日七晩撃ち合える炎を使い、エルフばりに不死の魔物なのだという。

 神話は伊達ではない。話を聞くだけでやばい、やばすぎる。居場所を把握されているのにいまだ討伐されていないのもよくわかる。


 それでも、心変わりする気はない。


 臆することはない。勝機はある。

 条件付きだけど、僕の手には不死を突破する方法がある。

 相手が何でであろうと、存在を捉えてしまえばこっちのものだ。カルニの時のように合成昇華でなにかに封じてしまえばいい。

 問題は、僕の存在強度が一瞬でもフェネクスを上回れるか否かだ。

 幸いなことに、すでに対策もひとつ思いついている。

 こんなこともあろうかと、ずっと“昇華(アセント)”の新しい使い方は考えてきたのだ。


「諦める気はないのだな、メイル?」

「有り得ません」

「……ならば、成し遂げてみせよ。不死殺しとなれば、我らも他人事ではない」

「ッ!?」


 さらっと告げられた言葉に僕は色を失った。

 そうか。その問題があったか。

 フィンラスさんが「同じ選択をした」って言ったのは、たぶん“昇華”も込みの話だったのだろう。

 詫びチートは存在に干渉する唯一の魔技。

 おそらくこの世界で数少ない、エルフを殺しきれる手段だ。


 ……フィンラスさんはよく僕を排除しようと思わないな。

 逆の立場なら、僕はたぶん“昇華”の存在を許容できない。

 改めて、器の違いを感じさせられた。


「もしエルフと敵対することになったら、僕はどこまでも逃げますよ」

「ふふ。なら、嫌われないようにせんとな。私はまだおぬしを見ていたい」


 フィンラスさんは小さく微笑み、三杯目の薬草茶を淹れた。

 それからしばらく、僕は五年ぶりに穏やかな時間を過ごした。


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