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「こんにちはー、メイル便です」
渾身の駄洒落とともに岩屋の扉を叩く。
今度はトラブルに遭遇しないよう、ノックはしっかりと。
天使腕力は手加減しても常人の三倍のパワーがある。よって、ノックの威力もしっかりと三倍だ。
おっとー、強く叩き過ぎて閂が砕けてしまったぞー。
うわー、困ったなー。今手持ちが少ないから器物損壊で訴えられたら困るなー。
「……なに、してるんですか?」
ややあってノキアがひょっこりと顔を出す。格好は昨日と同じお姫様スタイルだ。暑そう。
彼女は僕を見て、地面に転がる閂の残骸を見て、それからもう一度僕を見て、なんとも言えない味わい深い表情をした。
「とりあえず、中にどうぞ」
「お邪魔します」
相変わらず殺風景な岩屋の中、色あせた絨毯の上、昨日と同じ位置に腰かける。
視線を巡らせれば、ちゃぶ台のような足の短い机に本が置いてあるのが目についた。
この世界では製紙技術こそ確立されているものの、本はいまだ手書きか木版印刷の高級品だ。
ビブリオエルフが便利すぎるという説もある。
「本好きなの?」
「他にすることもないので」
お、おう。いきなりキツイのかましてくるな。
というか、この打って変わったツンとした態度はアレか。やっぱり気付かれてたか。
対面に座ったノキアは前髪に隠れていない左目でこちらをじっと見つめると、小さくため息を吐いた。
「それで、なんの御用ですか? もう来られないと思ってましたが」
「服のお返しに来たんだ。あ、もちろん新品というか作り立てで――」
「わたしの事情はご存知ですよね」
刃のような言葉は既に問いかけですらなかった。
取りつく島もないとはこのことだろう。
「……君は“生贄”なんだね」
「そうです、と答えたとして、あなたになにができるんですか?」
「君が望むことを」
「では、お帰りください」
「なんでそんなに辛辣なのさ!?」
と言ってはみるものの、こんな殺風景な場所に閉じ込められてればそうもなろう。
むしろ、昨日は普通に対応してみせたメンタルを褒めてもいいくらいだ。
同情されたくないのだろう。ノキアのツンとした気配にはそういうものを感じる。
「ヴァナールを訪れたのなら、あなたは既に知っているはずです。わたしが、なにに捧げられるのか」
「ああ。うん。そんな気はしてたんだ」
ただ、あからさますぎて信じられなかっただけで。
あるいは、前世由来の僕の常識が「有り得ない」と言っていただけで。
そんな僕の迷いを、ノキアはきっぱりとした言葉で断ち切った。
「わたしが捧げられる相手は【フェネクス】です。あの火山に住まう神代より生きる存在、魔神イムヴァルトに連なる最上位の魔物です。一介の冒険者であるあなたでは太刀打ちできません」
――フェネクス。“不死の赤”の名を持つ炎の申し子。
前世風に言うとフェニックスになるだろうか。いや、魔物としての不死鳥がフェネクスだっけか。
この世界の人類が猿から進化したのか、はたまた粘土をこねられたのかは知らない。
ただ、かつてドラゴンを頂点とする魔物の時代があったことが神話として伝えられている。
フェネクスもその一種、神話に登場する著名な魔物だ。
ドラゴンの立ち位置がティラノサウルス的な怪獣枠とすれば、フェネクスは始祖鳥のような立ち位置だろう。
フェネクスについて、最も有名なのはヴァルナスの「火継ぎ」のエピソードに相違ない。
曜日に当てはめられた創神の一柱、火と鉄を司る隻眼の鍛冶神【火の男神ヴァルナス】。
だが、彼は元々は鍛冶の神でしかなかった。火を司る神ではなかったのだ。
ある日、ヴァルナスは自らの鍛冶の腕をより高めるために、炉を用意することを決めた。
しかし、普通の炉では神である彼には火が弱過ぎる。
そこで、とある火山に棲んでいたフェネクスを調伏し、その火を貰うことを決めた。
もちろん、はいそうですかと火をくれるフェネクスではない。
というか普通に敵対陣営だ。戦闘になるのは必至だった。
両者の戦いは七日七晩に及び、世界が七度滅びるような激しいものだったという。
結果として、ヴァルナスは片目を喪うものの勝利し、フェネクスの火を己の物とした。
彼は晴れて火と鉄の神となり、今日に至る。
火を喪ったフェネクスは火山の底で眠りにつき、いつの日か火を取り戻して目覚める――。
これが「火継ぎ」のエピソード。魔技に拘泥せず、技術を磨くべしという教訓だ。
ヌシが配下の魔物の魔技を行使できるというシステムを知ったあとだと、なかなかに示唆に富んだ話だろう。
「……そりゃヴァナールの人たちも粛々と生贄を捧げるわけだ」
一人差し出すだけで神代の魔物を鎮められるなら安いものだ。
上位の魔物は生体から現象よりの存在になり、食事の頻度も少なくなると言われている。
数年に一度の生贄でいいなら、ヴァナールの規模でも十分に支払える対価だろう。
「でも、よくフェネクスの姿を見て生き残った人がいたね。神話通りなら周辺一帯が焼け野原になりそうだけど」
「昔、旅のエルフがやってきて、生贄の役を買ってでたそうです。それでフェネクスだとわかったとか」
その手があったか。エルフなら体の換えも利くし、確実に情報を持って帰れる。
だからって普通そんなことするか、とも思うけど仕方ない。エルフはエルフだ。
「そのエルフはどうなったの?」
「一口食べられたところで吐き出され、焼き尽くされたとか」
オチまでつけたのか。芸達者な人だな。
まあ、エルフはなんだかんだで木のいい、もとい気のいい人たちだ。
換えの利く自分たちで生贄になるならそうしているだろう。
話を聞いてみたいな。エルフは記憶を共有しているので、どのエルフでも知っている筈だ。
「興味深い話が聞けたよ。ありがとう」
「……相手はフェネクスですよ? 神代から生き続ける化け物なんですよ?」
「そうだね。しがない冒険者の僕ではとても太刀打ちできない。おとなしく旅の続きに戻るよ」
「ちゃ、茶化さないでください!!」
怒られてしまった。茶化すつもりはなかったんだけど。
だってほら、自分のせいで死んだとかなったらノキアも責任感じちゃいそうだし。
臆病者はここで退散して二度と会うこともなかったって流れがベストだろう。
僕には詫びチートがあるけど、だからといってどんな相手にも勝てると思うほど傲慢ではない。
「ほんと、フェネクスに挑むなんて無茶なことはしないから。安心して?」
「そんな顔で言われても説得力ありません」
どんな顔だよ、と思ったら背中の大剣からぼそっと『オレを殺しにきたときと同じ顔だよ』って声が聞こえた。
ノキアの前で反応するわけにもいかない。あとで埋めておこう。
「わたしを助ける必要なんてありませんよ」
「いやいや、そんなに自分を卑下なくても」
「――――わたしは“紋なし”、魔技を持たない、できそこないです」
そう言って、ノキアは銀色の前髪をかきあげた。
隠されていた右目は左目と同じ空色。だけど、その瞳には翼を模した模様が浮かんでいる。これちゃんと見えてるのかな?
「手を振ってないでよくみてください。右目に模様ががありますよね。天翼人の証です。わたしは片目にしかありませんが」
「どれどれ」
「ち、ちかいです!!」
額がくっつく寸前で、ノキアは慌てて後ずさろうとしてべたんとこけた。
そりゃ、十二単みたいな恰好で機敏に動けるハズないだろう。
ちょっと涙目の彼女を抱き起こす。恨みがましい目を向けられるけどどこ吹く風だ。ツンツンされるのには妹で慣れている。
しかし、そうか。“人喰い”の反応がぼやけていたのはそのためか。
「君は混血なんだ」
「母はある日空から落ちてきたそうです。そのまま死んでくれれば、わたしは……」
そう言ってノキアは俯き、唇を噛んだ。
天翼人はアリアルドの直系眷属とされる翼持つ亜人だ。
彼らは浮遊大陸なるお空の彼方にのみ生息しているらしく、下界で見かけることはまずない。
ビブリオエルフの証言があってなお実在を疑われている種族なのだ。僕もハーフとはいえ会うのは初めてになる。
「ご両親は?」
「母は産後の肥立ちが悪くそのまま……父も七年前に病気で死にました」
「……そっか」
ただでさえこの世界で出産は命がけだ。それも、大きく環境が変わった場ではリスクも跳ね上がる。
ノキアのパパ上も無茶したな。
異種族間で血を混ぜることはこの世界における最たる禁忌だ。
状況を考えれば、妊娠がわかった時点で母子共々殺されてもおかしくない。
そうされないだけの権力パワーがパパ上にはあったのだろう。ノキアがわりかし教養ある立ち振る舞いをしていることからもそれが窺える。
その父も既にいないとなれば、あるいは、生贄という役目がなければノキアは生かされていなかったか。
どうせ忌み子なのだから生贄にしてしまえ、といったところだろう。
環境に配慮した資源の有効活用だ。反吐が出る。
けど、それは僕には関係ないことだ。
「ノキア、誤解があるようだから言っておくけど、フェネクスを討伐する理由は君じゃないよ」
「……え?」
「当然だろう。たしかに僕は君に好感を持っているけど、だからって命を賭けられるほどじゃない。
命は大事だ。僕は神……のような存在に「よく生きる」と誓った。だから、粗末にはできない」
僕の命はよく知りもしない他人に背負わせられるほど安くはない。
僕の命は僕のものだ。使い道は自分で決める。
「じゃ、じゃあ、どうして……」
「気に食わないからだ。生贄を貪る魔物、それを許容する都市、その運命を受け入れた君。
全部が全部、気に食わない。だから壊す。だから挑む。それが僕の定義する、よく生きる、生き方だ」
どうだ。完璧な理論だろう。
これなら僕が失敗しても、ノキアは馬鹿な奴が死んだだけだと思うだけで、責任を感じることはない。
現に、ノキアも呆れたように空色の瞳から涙を零して……あれ?
「……なんですか、それ。私はたまたま目についたから助けられるんですか?」
「うん。そうなるかな。馬鹿な奴に絡まれて、君も運が悪いね」
泣くほど面白い話だったかな。
まあいいか。聞きたいことは聞けた。
ツン期の終わったと思しきノキアともう少し話していたいけど、そろそろ出ないとヴァナールの城門が閉じてしまう。
「じゃあ、僕はこれで。クランさんにもよろしく」
「待ってください」
泣きやんだノキアは凛とした声で僕を止めた。
振り向き、視線で促すと、彼女はとてとてと近付いてきて、耳元に顔を寄せた。
囁くような吐息が産毛を撫でる。耳朶に触れた唇の感触がこそばゆい。
「これは誰にも言ってはいけないことなのですが――五日後の夜に、フェネクスは目覚めます」
「!!」
「今は火山の奥深くにいて手が出せません。彼の魔物に挑む気があるなら、そのときを狙ってください」
「それはいいことが聞けた」
「こうでも言っておかないと、あなたは今すぐにでも挑みに行ってしまいそうですから」
「さすがにそんな無茶はしないよ、ほんとだよ?」
「……知りません」
そそくさと体を離したノキアの澄ましたかんばせに満面の笑みを向ける。
五日もあれば詫びチートで対策ができる。僕は良い時期にヴァナールに来たようだ。
「……あなたがわたしを理由にしないように、わたしもあなたのことは忘れます。
わたしは死ぬ。そういう運命だと諦めています。心変わりするのなら早めにしてください」
「気が向いたらね」
僕はひらひらと手を振って殺風景な岩屋を後にする。
背中に感じる視線はヴァナールに着くまで途切れることはなかった。




